無字右衛門の~ボロ家にホームセキュリティ~

いま、一部の日本人が人知れず蹂躙(じゅうりん)されています。国もメディアも沈黙を守ったまま…。なぜですか?ゆっくりとした生涯に亘る虐待だと感じています。
世界中で同じ現象が起きています。
日本ではいまのところ「集団ストーカー」などと呼称されているようです。


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私が「集団ストーカー」と俗称されている被害を受けるきっかけとなった出来事は2002年に起こりました。被害者さんの中には、生まれたときから、または親の代から被害を受けておられる方もいらっしゃるようですが、そういう意味で私は後天的なターゲットと言えるかもしれません。そこで今回は、私のような「集団ストーカー」のターゲットがどのように誕生したのか、一例として公開したいと思います。

 

きっかけ~職場でのモビングが始まるまで~

当時私は、比較的規模の大きい特許事務所の事務員として働いていました。弁理士を含めスタッフは当時120人近くおり、主なクライアントは海外の大手製薬会社が名を連ねていました。弁理士や専門の技術担当者とは別に、パラリーガルとして事務をとる私たちの業務は細分化されており、部長や課長が存在する特許事務所では稀な方だったと思います。

 

ある時、私たち事務員に回覧が回ってきました。それは「私は労働組合を結成しません」という内容のもので、それにハンコを押すものだったと記憶しています。私は深く考えもせず気楽に捺印しました。それからまもない給料日に渡された給与明細を見ると、いままでより一割を超える額が引き下げられていました。何の告知もありません。どうやら給与額の引き下げは弁理士や技術担当者を除く事務員に対して行われたようです。気性の荒い女性事務員が給与明細書をあからさまに破いてクズ入れに叩き捨てるのを見たことがあります。

 

ほどなくして、事務所に対して何か意見はないかと匿名でアンケートを書かされました。私は突然の給与額の引き下げについて労働基準法に適っているのかというようなことを記入したのを覚えています。どうやらこれが決定打になったようで、このときから私に対する職場内での『モビング』が始まります。

 

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*モビング(mobbing)=小鳥などが猛禽類を集団で威嚇して追い払う行為。

 

社内モビングの様子

その事務所で印象的なのは、一体何の仕事をしているのか不明なある男性スタッフの存在です。どこかへ煙草でも吸いに行くのか、席を離れることの多い独特の雰囲気のある表情の乏しい男性でした。腕には金の腕時計をしていました。彼の他にも頻繁に席を空けるスタッフが部長も含め数人存在しました。

 

あるとき会議があるというので会議室に入ると、めったに従業員の前に姿を現すことのない事務所の所長が現れ、なぜか所長の真正面に私が着席するよう促されたことがあります。また私のことをとても慕ってくれていた女性の同僚が、ある時を境に人が変わったように私に対して憎しみを示すようになりました。その変わりようはどう説明したらよいのか分からないほどで、まるで「酔っぱらったように」変貌してしまいました。いったい私についてどんな悪い噂話が伝わればここまで変わるのだろうと、不思議でなりませんでした。

 

一方、同じ年に所内旅行に出掛けた先では、昼食の席で普段接触のない弁理士や男性スタッフがどやどやと私と同じテーブルにつくと、仏頂面で一言もしゃべらず、雑に食事をするのをとても不快に感じました。夜の宴会の席では、金の腕時計の男性が私の真正面の席に座って一言もしゃべらずに食事をし始めると、やおらテーブルの下からカメラを取り出し、いきなり私の顔にレンズを向けて写真を撮るという出来事がありました。無断で顔写真を撮られた私は不快に思い、今私の写真を撮ったかと訊くとニヤニヤしながら「いや」と首を横に振り、雑に食事をとり続けるのです。帰りの空港の土産売り場では、行く先々で不自然に息を切らせながら私の前に姿を現す上司がいました。旅行中、このような調子で普段なじみのない上司や同僚のスタッフがたえず私の周辺に不自然について回るため恐ろしい思いをしたのですが、どう人に説明したらよいのか分かりません。同じ職場のスタッフなら、いつも私の周辺にいて何ら不思議ではないからです。でも、明らかに何かが違いました。

 

まもなく、所内の人事異動とデスクのパーテーションの配置移動が行われます。私が、穏やかで品のある人だと感じていた弁理士はなぜか一人だけ離され、みっちりとパーテーションで隠されるように席替えさせられました。また、私が好感を抱いていた人事部のおじさんが定年でもないのに突然退職していましたし、穏やかで人懐こい印象のある所長の秘書を務めていた女性は、短期間在籍しただけで知らないうちに事務所を辞めていました。

 

この頃から所内の雰囲気はただただ騒々しく、品を失い、全体的にギスギスし始めました。そして私には何も仕事がまわって来なくなります。

 

空き巣被害

ときを同じくして、独り暮らしの私のアパートの部屋に空き巣が入ります。仕事から帰宅してドアの鍵穴に鍵を差し込むとなぜか鍵が開いていて、その代わりドアチェーンが掛かっていました。きっと何かの拍子に引っかかったのだろうと、仕方なく「鍵の救急隊」を呼びドアチェーンを外してもらいます。一万円ほど費用が掛かりましたが、支払いを済ませ一人で部屋に入ると、なぜか天井の照明の豆電球だけが点いており、ぼんやりと部屋の中の様子が見えました。書類入れの引き出しがちぐはぐに引き出されて中身が散乱しており、クローゼットの扉は中途半端に開いていました。

 

明かりを点けると部屋の窓ガラスが割られているのが目に入りました。この瞬間私は、職場での一件に関係していると直感すると同時に、ここまでするのかと恐怖しました。すぐに110番通報をして警官がやってくると、この辺はめったに空き巣被害はない地域なのだとのこと。実況見分をする刑事さんは、私の部屋の持ち物に指紋採取のためのアルミ粉末をつけながら、終始なぜか「あー参った…」と呟いていたのが印象的です。犯人の靴底の跡が室外機の上に残されており、ぶつぶつの付いた軍手をはめて空き巣を実行したようです。最後に刑事さんは私の両手10本分の指紋を採って帰って行きました。

 

このとき盗難にあった物は、ウォレス&グルミットのシリアルナンバー入り限定腕時計、シベリア横断鉄道のツアーに参加したときに乗り合わせた、お父さんと一緒に旅行中だという少年からもらった旧ソ連時代のルーブル硬貨数枚。ただしロシアになった後の新ルーブル硬貨だけは残されていました。そして旧500円札一枚。とりたてて貴重な物は所有していませんでしたのでこんなところです。一方で、引き出しにしまってあった給与明細書が破られていて、空き巣に入った人物は私の給与額を覗いていったようです。その夜は心身ともに疲れて、割れたガラス窓のまま、犯人のスニーカーの足跡の残る部屋で、明かりを点けっぱなしにして就寝しました。

 

翌日大家さんと壊れた窓ガラスのことで話し合いを済ませてから出勤し、部長に事の顛末を話すと、部長は私にねぎらいの言葉もなくはじかれたように事務所の部屋を出て行きました。そのときの顔は「やり過ぎだろ」と言いたそうに見えました。今考えると、ここは空き巣という刑事事件ではなく、いわゆるガスライティングにとどめておくべき事だったのかもしれません。けれども私にとっては警察沙汰にしておいてくれたことは不幸中の幸いだったと今思っています。つまり「空き巣事件の稀な地域で」「盗むに値するようなモノを持たないささやかなOLの部屋に入った不自然な空き巣事件」として記録が残るという意味において。

 

後日近所の人が、空き巣事件が起こる数日前に私のアパートのわきを見掛けない男が様子を見に来ていたと証言してくれました。このとき、宴会の席で金の腕時計の男に撮られたあの時の私の顔写真が何者かの手に渡り、家路につく私を追ってこのアパートを突き止めたのかもしれないと想像しました。

 

恐ろしいことが立て続けに起こるため、いつも昼休みの時間を一緒に過ごしていた女性の同僚に日頃の恐怖と悩みを打ち明けたところ、彼女は創価学会の会員であるとのことで、私にもどうかとそれとなく誘ってきました。私は、自分は一つのことに決めてそこに属したとしても確実に心変わりするから、ということで彼女の誘いを遠慮しました。彼女自身も過去に辛い体験を経験したらしく、優しい女性に見えました。

 

辞職

仕事も与えられず、同僚からの異常な憎しみと所内におけるモビング行為により、辞職することに決めました。事務所を去るその日、部長に挨拶をすると、「○○さん(私の名前)、また会いましょうよ」と声を掛けられました。その日は自分の残務を片付けて、誰からも見送られることなく21時過ぎに事務所をあとにしました。

 

再就職と潜伏期間

すぐに新しい仕事を見つけなければなりませんので、後日履歴書用の写真を撮影し終わって写真館を出ると、辞職したばかりの事務所で派遣社員をしていた女性がエスカレータのところに立っており、私を一瞥すると急いで駆け降りて行きます。一瞬の出来事でした。

 

とにかく、約2か月半のブランクを経て別の特許事務所で働き始めます。幸いこの事務所は「集団ストーカー」には無関係な職場で、現在もここで働いています。しかし働き始めて間もない頃、帰宅途中信号待ちをしていると後ろからポンポンと肩をたたかれたことがあり、後ろを振り返ると2, 3人の男が私の顔を見てニヤニヤしながら去っていくということがありました。また別の日、仕事帰りに友人と外食をした帰りに、やはり同僚だった男性が新宿駅南口で切符を買っている姿を偶然見掛けたこともあります。さらにまだ引っ越してまもない頃、当時私の最寄駅だった西武池袋線保谷駅近くにおいて、同僚だった別の女性が私のすぐ前をキャスター付きのスーツケースを引いて歩いているのに気付いたこともありました。なぜこれほど前職の同僚を街なかで見掛ける偶然に遭遇するのだろうと、当時不思議に思いました。

 

引っ越し先の練馬区内のアパートで起こった印象的な出来事がいくつかあります。ベランダに干しておいた下着が一つだけなくなっていたり、黒いカーディガンに漂白剤でもかけられたかのようなオレンジ色に変色した、身に覚えのないポツポツとしたシミがついていたことが一度ならずありました。警察に通報するほどのことでもないため、自分の記憶違いということにしました。

 

また部屋の中で静かに過ごしていると、「ツーーーー」という電子音が断続的に聴こえることがありました。ちょうど昔のNHKの7時の時報の「プッ、プッ、プッ、ツーン」の最後の「ツーン」が長時間続いているような音です。部屋で静かに過ごしたい時は少し耳障りな音でしたが、どこから聴こえてくるのか結局分らずじまいでした。他にも、ある風の強い日の夜、これから室内の消防機器の点検を行うというので、銀色の消防服を着た一人の消防士が部屋に上がり込み、なぜかクローゼットの天井を点検して帰って行くということがありました。

 

そして私が入居していたアパートの棟は、部屋の数が20世帯分近くあって空き部屋ばかりだったのにもかかわらず、私の部屋の両隣りのみ住人が絶えず入居していました。そして2010年、私が現在暮らしている谷根千に住まいを移しました。

 

「集団ストーカー」へのプロローグ

実は私は、今の所に引っ越してからも、まだ前職の事務所での一件がずっと気に掛かっていました。あの職場での嫌がらせはあのままで済むようなものではない、辞職に追い込むための一時の嫌がらせとは異なる、独特で、執拗で、何かが常識を逸脱していると感じていました。そして2012年、ようやくあの時から10年が経過しました。さすがに10年経過したのだからもう安心していいのかもしれない…そう自分に言い聞かせながら過ごしていました。

 

ところが、ようやく静かな谷根千に越してきたと思う間もなく、部屋の窓を開け放って過ごす6月頃から、アパートの前で工事が始まります。水道管とガス管の工事とのことで、日曜日を除く毎晩、夜8時頃に業者がやってきて窓の下にトラックがアイドリングさせたまま数時間停車します。夜中の作業のため、投光器を点けた状態で午前1時にアスファルトを切断し、ドリルで砕き、金属のぶつかり合う音を立てながら地下の管の工事が行われ、明け方になると今度は掘った穴を再び埋めるためにローラーをかけるという一連の工程を経て朝6時前に業者が去っていくという「公共工事」が、夏の期間だけ2年連続で行われました。

 

一方で、ベランダ側のななめ後ろに、後に工作員が出入りするために新築されたと知ることになる可愛らしい家が建ちます。同時に、私のベランダから数十センチの距離のお宅のテラスのリフォームとのことでその家のぐるりに足場が組まれ、私がベランダにいると足元からむっくりと業者の男性の頭が現れ驚愕するということもありました。

 

また、夜になるとすぐそこの建物の外壁に向かってテニスボールを打ち込む少年、夜アパートの前でスケートボードをしに現れる数人の青年、すぐ近くの公共施設の建て替え工事の際、夜中に難癖をつけて2時間近く大声で恫喝するやくざ風の男とひたすら謝り続ける警備員、まるで演劇を聴かされているかのように泣きながら情感たっぷりに携帯電話で話し込む女性、なぜか私が帰宅してアパートに到着するタイミングで風もないのに聴こえてくる真冬の風鈴、朝早く窓を開け放って数十分間競い合うように吠え続ける2匹のトイプードル、すぐに思い出せるだけでもこのような出来事がありました。

 

またある会社の帰り、信号待ちをして立っているとパトカーが目の前を通過したのですが、助手席側に座っている警官がガラス窓を全開にしてこちらを睨みつけるように一瞥すると、脅すような目のそらし方をするという変わったことがありました。その時は「何あれ今の…?!」という気持ちになりましたが、まさか警官がね…と思い直し、気のせいだということにしました。

 

この頃私はある資格試験に向けて、週末ゼミに通っていました。聴講に訪れる方はみな熱心で、開始時刻より早く来て講義が聴きやすい前列側の席を確保するのに必死でした。私もいつも決まった座席を確保しており、周りの参加者の方々も自然とお互いの席を遠慮し合い、自分なりの座席が定着していきました。そんなある日私が教室に入ると、いつも私が座っている席に見たことのない男性が着席しています。私は、先を越されたかと少しがっかりしましたが、その男性の隣が空いていたためそこに座りました。そしてその日から、私とその男性の座席が定着していきます。お互い世間話をするようになった頃、休憩時間にどんなお仕事をされているのですかと伺うと、「コーアン関係です」と教えてくれました。そのとき私は「港湾」なのか「公安」なのかよく分からなかったのですが、その男性も一生懸命に講義に耳を傾けていました。その後、全国模擬試験の会場でも、必ずその男性が私の少し前の座席で受験している姿を見掛けました。

 

これらはまだ「集団ストーカー」という固有名詞を知らないときに経験した私の生活圏内における出来事です。この地域は静かなはずなのになぜこんなに騒がしいのだろう、なぜ「偶然」が多いのだろうと、ずっと不思議でなりませんでした。

 

しかしのちにこれらがターゲットである私に向けて行われた、想像を絶する「集団ストーカー」へのプロローグであったことを知ることになります。

 

***

一般の方々にお願いがあります。私たちは集団ストーカーと俗称されている犯罪の被害者です。全国に大勢の被害者がいますが、主なメディアでは報道されておりません。健全な第三者による検証が行われていないにもかかわらず、被害者を精神疾患であるとして揶揄する者がいます。そして私自身の被害状況から、この犯罪に税金が注がれているとしか考えられない現象を経験させられているのです。被害者は自由を奪われています。どうか知って下さい。私たちは皆さんに関心をお寄せいただけることを願っています。皆さんご自身、ご家族、ご友人、身近な大切な人たちのためにも。

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