高校生のとき、クラスでどんな「階級」でしたか?

サッカー部の男子やバトン部の女子が謎の発言力を持つ現象。あれです。
これを、インドの身分制度のカースト制に見立てて「スクールカースト」と呼びます。

教室内で「イケてない」と判断されると、やんわりと”それ相応”の扱いがなされる。
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そんな、教室内のリアルな雰囲気を描いたのが「さよなら、ハイスクール」です。
作者の森もりこさんは「作品を通して、人間の愚かさを表したい」と語っています。一体なぜでしょうか?
――「さよなら、ハイスクール」では、ものすごくリアルに教室内のヒリヒリした秩序を描いてますが、これは経験に基づいているのですか。
私は高校時代に「特別進学コース」というクラスに入っていたので、教室内での序列は正直あまりなくて。
ただ、普通科の人たちからすると「ガリ勉」とか「マジメ」とか。クラス全体がある意味レッテルを貼られていた気がします。
――レッテル?
スクールカーストの根源ってレッテル張りだと思うんです。この人はリア充、あの人は非リア…と、ラベリングしてしまうんですよね。さらに、自分に与えられたキャラに踊らされてしまう。
これってすごく……言い方が悪いですけど、愚かだと思うんです。ナンセンス。

――どうして、キャラに踊らされてしまうんでしょうか。
高校なんて、近くの地域で同じ学力を持った人たちが集められている空間ですよね。「自分とは何なのか」わからなくなる。
だからラベリングによってアイデンティティみたいなものを確立していくんだと思います。
人の属性みたいなものって、趣味趣向が強く影響していると思うんです。だから、自分と似たような価値観を持った人たちと一緒にいるのって普通ですよね。
でも、そのグループに優劣をつけるのって、なんかおかしくないですか?
スクールカースト上位の人たちは、決して支配者ではない。

――作品の中に出てくる「上位層」の人たちも葛藤してますよね。そもそも自分たちの地位に自覚がないというか。
主人公は「下位」で、「上位」を崩壊させてやろうとしているんですけど、全然正しくないように描いてます。
もちろん、上位も悪役ではない。一応、作品の序盤では運動部やコミュ力高い人…というような描き方しました。

でも、それぞれが実はくだらないことで悩んでいたり、電柱にぶつかっちゃう…みたいなカッコ悪い面もだしてます。
本当は、みんなダメな部分もあって序列なんてつけられないんですよね。ただそれが見えていないだけで。
そもそも「女らしい」「男らしい」というのも、レッテル張り
――自然とできてしまうスクールカーストに対して、処方箋ってないんでしょうか。
うーん……周りの視線を感じずにはいられない。でも、周りは無視して自分は何なんだろうってことを掘り下げていくことかな、と思います。
みんな同じように悩んで生きてるって想像できると違うと思うんです。他人と比較すると、卑屈になっていくばかり。
人間って比べられるものじゃないですからね。だからこのマンガは、正しい人がいないように描いています。
「森もり子」は記号をまとっている。その正体は…

私はそもそも「女らしい」とか「男らしい」っていう言葉もすごく嫌いなんです。それって、性別っていう記号で括っていて、本人を見ていないじゃないですか。
――でも、森先生はもともと「女の子の心情をリアルに描く」作家さんとしてブレイクしましたよね?
あれは、別に女性の気持ちを代弁しているつもりはないんです。男にも置き換えられる。
「女はすぐそうやって」みたいな風潮もすごく苦手で。男だって同じようにウジウジしますもん。

――作品や発言から森先生のことをずっと女性だと思っていたのですが男性でびっくりしました。もしかして、これもレッテルに対するアンチだったり?
いや、そこまでではないですけど…(笑)。
もともとTwitterは学生のときに、ふと「OLっぽいことつぶやきたい」という軽い気持ちではじめたんです。
それから社会人になって、実際に働くようになって、OLというか普通に日々思うことを書いていたのですが……。
――想像以上にOL感がでてしまった?
それもレッテル貼りなんですよね。サラリーマンが思っていることとOLが思うことって割と似てるけど、記号があると全く違って見えてしまう発見はありました。
自分のことを女性だと思ってフォローしてくれた人たちに対して、申し訳ないなぁととも思うのですが……。
でも、性別も高校のキャラも実は一緒で、与えられたイメージに翻弄されるなんてもったいないと思うんです。「自分はこうだ!」って言えると随分楽になると思う……みたいなね。