昨年12月、新潟大学人文・法・経済学部同窓会事務局から、2018年3月限りで定年退職予定の私宛てに、新潟大学を去るにあたって同窓会報に文章を書いてほしいという申し入れが紙の書面で来た。(新潟大学を知らない方のために説明しておくと、新潟大学の人文学部・法学部・経済学部は以前はひとつの学部で、後になって三つの学部に分かれたので、同窓会組織は現在でも三学部まとめて一つになっているのである。)
その後12月19日に、書くかどうかの意志確認が改めてメールで寄せられた(以下)。
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人文学部 三浦 淳 教授
同窓会事務局の○○と申します。
先日、添付の原稿依頼をメールボックスに入れさせていただきましたが、寄稿していただけますでしょうか
原稿の締め切りは1月10日ですのでまだ大丈夫ですが、ページの割り振りの関係で、寄稿していただけるかどうかだけでも先に確認させていただきたく、失礼ながらメールさせていただきました。
お返事お待ちしております。
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私はこのメールに「書く」と返事をし、今年の1月9日に以下の原稿を同窓会事務局に送付した。
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新潟大学を去るにあたって
人文学部 三浦 淳
私が新潟大学に奉職したのは1980年ですが、1994年の教養部廃止と2004年の独法化をへて万事が大幅に悪化しました。独法化以前は教員一人あたり研究費が40万円、出張旅費が6万円ありましたが、独法化以降は双方を合わせて20万円となり、一昨年度は6万円に。ここには文房具代やパソコンプリンターのインク代も含まれます。新潟大学は教員に研究費を出さない大学になっているのです。
教員数も激減しその影響も顕在化しています。今年度後期の教養演習で教えた法学部生は、英語以外の外国語を知りませんでした。教養部廃止以前の新大生には考えられなかったことです。国際化時代なのに外国語もろくに教えていない新大。国際化どころか田舎化しているのです。こんな状況下で大学を去るのは残念だと言わざるを得ません。
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これに対して、1月11日に同窓会事務局から以下のメールが届き、同日中に私の返信、そして事務局からの再度のメールという具合にやりとりがあった。以下に連続して掲げる。
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三浦 淳先生
会報「青松」64号の〝さよならキャンパス″に寄稿頂き御礼申し上げます。
さっそく先生から頂いた原稿を拝読いたしました。
先ず以って、寄稿をお願いするときに編集方針を十分に説明しなかった事と、それが因でせっかく頂いた先生の原稿を掲載する事が出来ないことをお詫び申し上げます。
先生の主張やご心配は重々わかりますが、会報は卒業生、殊に先生から教えを受けた同窓生に夢と勇気を与えるものでありたいと考えています。先生の思いや心配は別の機会に発表する事にして、ここは教え子との授業を通しての交わりや、先生の夢や希望、教え子に是非伝えたい事や思い出などを書いて頂ければ幸甚に存じます。原稿の差し替えをお願い致します。失礼を顧みず、重ねてお願い申し上げます。
また、差し替えの原稿は1月25日までに寄稿下さい。
ご高配賜ります様お願い申し上げます。
編集長 ■■ ■■
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■■ 様
三浦です。
原稿は、事実をあるがままに書いたものであり、現実を偽って「夢と勇気」を与えるような真似は、少なくとも真理を追究する大学の教員がすべきことではないと考えます。よって提出した原稿をそのまま掲載して下さい。
以上。
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三浦 淳先生
ご返事を拝受いたしました。
残念ですが、当会報の編集方針と合いませんので掲載を
控えさせていただきます。ご了承ください。
なお、失礼を御寛恕願います。
先生がこれからもご健勝でご活躍されます事を祈念申し上げます。
編集長 ■■ ■■
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というわけで私の文章は同窓会報には不掲載となったので、このブログに掲載し、合わせて経緯を明らかにするために、双方のやりとりをも収録しておくことにした。
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