(英エコノミスト誌 2018年1月13日号)
「軍艦島」と呼ばれる長崎県の端島(2016年11月22日撮影)。(c)AFP/Behrouz MEHRI〔AFPBB News〕
明治維新は近代化のみならず、軍国主義の始まりでもあった。
日本の近代化の物語が始まったのは150年前の今月のことだった。若いサムライの一団とその支持者らが徳川幕府を倒し、7世紀に及ぶ封建支配に幕を下ろした時のことだ。
将軍という軍事的支配者の下でも、北斎や広重の素晴らしい木版画が示す通り、にぎやかな江戸を中心とした商業や文化は停滞するどころか非常に活発だった。
だが、当時の日本は200年以上鎖国しており、内向きになっていた。階層化された社会は、ばからしいほど硬直していた。
何にも増して、武士階級は諸外国からの脅威の高まりに対応する能力を欠いていた。この頃の江戸湾には、米国やその他の西洋諸国の軍艦がやって来ては、国を開いて貿易を行う条約に調印するよう将軍に強要していた。
対等に戦える相手ではなかった。西洋諸国が持っていたのは甲鉄船と最新の大砲で、サムライが持っていいたのは儀式用の甲冑と、見事なつけひげを見せつけるように作られた甲冑面だった。
「尊皇攘夷」というスローガンを掲げたクーデターが始まった。その指導者たちが、「尊皇」の部分で頼りにしたのは伝統だった。
それまでは京都の支持者にすぎなかった皇族を、政治の中心に据えた。
当時12歳だった天皇の睦仁を江戸(現在の東京)に連れて行き、天照大神から途切れることなく続いている系統の出自であると確認したうえで、睦仁に代わって政治を行うと主張したのだ。