里山資本主義とは?
里山には、お金に換算できない価値だけでなく、21世紀の日本経済にも大変重要な、金銭換算できる価値も眠っています。
たとえば『革命はここから始まる』で紹介した、木のエネルギー。岡山県真庭市の建材メーカーが、工場で出る木くずで自家発電を始めたところ、年間1億の電気代がゼロになった。しかも余った電気を売電して、毎月400万円も定期収入が入るようになった。
それまで産業廃棄物として、お金を払って引き取ってもらっていた木くずが、すごいお金に化けたんです。さらには、木くずから燃料ペレットも作って、それが地域の小学校や農家のハウス栽培に使われている。これには単なるコストダウン以上の意味があります。それまで石油やガスの代金として、県外や国外に出ていっていたお金が、地域で回るようになった。しかも地元で作ったペレットですから、グローバル市場のエネルギー価格の乱高下にも巻き込まれずに済みます。はるばる中東から石油を運んでくるのではなく、目の前の木の資源を活かしてエネルギーの一部を自給することが、地域の自立と安定化につながっているんです。
地域エコノミスト 藻谷 浩介(もたに こうすけ)さんのお話より抜粋
最近、注目しているキーワードの一つである『里山資本主義』
仕事で『里山』に関わることが増えており、日本人が長い年月をかけて編み出した里山づくりの一部を学び、深い感銘を受けました。
『里山』と聞くと、古くて暗い昔ながらの暮らしをイメージされる方もいらっしゃると思います。
実際、私もその一人でした。現代の生活をやめ、昔ながらの不便な生活に戻る・・・それは現実的ではなく、いくらそれが良いと提唱してもそうはならないわけです。
この里山資本主義では「不便だけど永続可能な昔の生活に戻しましょう」と言っているわけではありません。
今の利便性は極力残しつつ、最新の技術を取り入れ、昔の里山に学び、持続可能で安らぎのある地域社会が創れるはず。温故知新、不易流行を踏まえた”新しい里山”を創ろうという発想。そこに私も共感しています。
里山型ライフスタイル
例えば次のような生き方をしている二人。
Aさんは日々忙しく働いており、時間がないのでファーストフードをよく食べます。
その食材は遠路はるばる遠くから、多くのエネルギーをかけて運んできた食材・・・
食事は味付けも濃く、カロリーが高い。
さらに、仕事で忙しく運動する時間もないのでどうしても太ってしまう。
そこで月に何度かフィットネスクラブに通う。
体調を崩すことも多いので病院へ診察に行き、薬もよく飲む・・・
懸命に働いたお金で買ったお気に入りの車。
その車に乗り、年に何度かトレッキングに行きます。
燃費が悪く維持費もかかるので何度か手放そうかと考えましたが、ローンも残っているので今のところはそのままになっています。
続いてBさん。地域の観光・トレッキングガイドをしています。
一日一食程度は自炊をします。
地域の方々から頂いた旬の野菜やお漬物。ときには「作りすぎた」とお惣菜を頂くことも。
地道に更新しているブログやfacebookページを観て訪れるお客様も増えています。
日常が運動なので、特別な運動は何もしていません。年に一度、定期健診を受けるために病院へ行きますが、病気もなく穏やかに毎日を過ごしています。
さて、この二人。どちらも実際に存在する人で、いまでも時々連絡を取り合う方々です。
忙しく働き、たくさんのお金を使うAさんのほうが、経済的な視点から見れば裕福かもしれません。
安定した収入もあり、外食も多く、好きなものもある程度は購入できる。でも、いつの日かBさんのような生活をしたいとAさんは言います。
理由を聞くと、「そのほうが、本当の意味で”豊か”だと思うから」と。
・・・本当の豊かさとは何か?と深く考えさせられました。
世界へ発信しはじめた、日本のSATOYAMA
生物多様性にとっては、原生的な自然の保護のみならず、人々が古くから持続的に利用や管理してきた農地や二次林など、人間活動の影響を受けて形成・維持されている二次的自然環境の保全も同様に重要です。これらの二次的自然環境には、多様な種がその生存のために適応・依存しており、その維持・再構築が生物多様性の維持・向上に重要な役割を果たします。しかしながら、これらの自然環境やそれが象徴する持続可能な慣行や知識は、都市化、産業化、地方の人口の急激な増減等により、世界の多くの地域で危機に瀕しています。これらの二次的自然環境を持続可能な形で保全していくために、その価値を世界で広く再認識するとともに、早急かつ効果的な対策を講じていくことが求められています。
SATOYAMAイニシアティブの公式ホームページより
SATOYAMAは、多くの国々やグローバルに活動するNGOにも知られた言葉になってきています。企業も、環境問題というよりも”永続可能な事業”として里山のような循環型社会に注目しているようです。
そもそも里山は、日本人が数千年の年月をかけ、失敗を繰り返しながら確立してきたもの。人と自然の調和を考え抜いた末にたどり着いた生き方の一つだと言えます。
日本列島において、継続的に人間の手が入る森林が出現した時期は、少なくとも縄文時代までは遡ることが出来る。三内丸山遺跡の研究によって、この遺跡に起居していた縄文人集団が近隣の森に栽培種のクリやウルシを植えて利用していたことが明らかとなっている。
しかし歴史時代に入るとともに日本列島の里山は乱伐と保護を繰り返していくこととなる。最初に里山のオーバーユースによる森林破壊が顕在化したのは畿内であり、日本書紀によると、天武天皇の6年(676年)には南淵山、細川山などで木を伐採することを禁じる勅令が出されている。
だが日本列島における森林破壊は進行し、800年代までには畿内の森林の相当部分が、また1000年頃までには四国の森林も失われ、1550年代までにこの二つの地域の森林を中心にして日本列島全体の25%の森林が失われたと考えられている。
ウィキペディアより
ライフスタイルの変化や技術の進歩に合わせ、成功と失敗を繰り返しながら現在にたる日本の里山。
私自身、自然が好きです。子供たちや孫たちに、里山のような適度に人の手が加えられた自然を残したいという想いは昔からありました。今年に入り、本格的にこのテーマと向き合うようになれたことをうれしく感じています。
里山資本主義、さまざまな事例に学び、自分自身も実践していきます。