真顔日記

上田啓太のブログ

太るための才能がない

二ヶ月ほど筋トレをしているんだが、食事量はとくに増やしていない。一日に大きめの食事を一回と、パンなどの軽めの食事を一回。一日に一食半といったところだ。べつに小食のポリシーがあるわけじゃなく、自分の食欲にあわせるとこうなった。

しかしどれだけ筋トレしても、この食事量だと身体はそれほど大きくならない。それでどうしようかと悩んでいる。身体を大きくするならば食事の量と回数を増やさなくてはならないが、これが非常にしんどいのである。

むかし、岡田斗司夫のダイエット本で「デブとは太るための努力を惜しまない存在である」という一文を読んだ。あれがよくわかる。もちろん岡田斗司夫は皮肉として言ったわけだが(ダイエット本だし)、私はもう皮肉でもなんでもなく、太るために努力できる人には尊敬の念をおぼえる。とくに筋トレをしているときは。

私は日々の食事をルーチン化するのが好きで、コンビニで買うものや定食屋で頼むものは、すぐに固定してしまう。食べ物のことを考える時間がへると嬉しくなる。人生における食事の時間は、少なければ少ないほどよいと思っている。

これが「太るための才能がない」ということなんだろう。無自覚に努力できる人間には才能がある。というよりは、才能がない時にだけ「努力」などという野暮ったい言葉が登場するのであり、その意味で、私にはまったく太る才能がない。

めし好きの才能とはどのようなものか

めし好きの人間と行動していると、基本的な行動原理がちがうことを実感する。言動のふしぶしに、「この世界のどこかにもっと美味しいものがあるはずだし、私はそれを絶対に食べるべきだ」という信念を感じるというか。

このあいだ、めし好きの女子二人組とコンビニに入る機会があったんだが、私が5分で会計をすませたあとも二人はずーっと店内を物色しており、才能のちがいをひしひしと感じた。買う気のない商品までいちいち手に取っては感想を言いあい、さらにレジ近くのおでんコーナー前に立つと、二人でひそひそと何かを相談している(たぶん「どの具が一番おいしそうか」みたいな話)。

この二人は「食べたいものリスト」みたいな紙をいつも持ち歩いていて、そこに店の名前をズラーッと書いている。街を歩いていても、知らない店を見つけると立ちどまってチェックしている。よさそうだと思えばスマホで看板を撮影し、ますますリストが充実していく。

そのあげく、「太っちゃうんですよねー」とか言うんだが、これ、ブラジルのサッカー少年が毎日夢中でボールを蹴りつづけたあげく、「うまくなっちゃうんですよねー」と言うようなものじゃないか。天才の発言はこれだから困る。その脂肪は才能の証明でしょう!

最近になるまで、私は本屋にたくさんのグルメ雑誌が並んでいることにピンときていなかった。テレビのグルメ番組もそうである。どうしてそういうものが大量に存在しているのか、いまいち分からなかった。ダイエットという言葉がやたらと飛び交うことも疑問だった。「カロリーオフ」が売り文句になることも納得がいかなかった(むしろ損をした気持ちになる)。

もしかしてみんな、自分が思っていたよりもずっと、食べることが好きなのか。

才能のない人間ほどカロリーを気にする

一時期、スタバでコーヒーではなくソイラテを頼むようにしていた。そのときも私は体重を増やそうとしていたんだが、顔見知りの店員に言うと「べつにソイラテじゃ太らなくないですか……?」とつっこまれた。

このへん私は天然というか、ズレにズレている。ブラックコーヒーをソイラテにかえて太ろうというのが、そもそもヤセ型の発想なんだろう。しかし当時の私はわざわざカロリーも調べていた。コーヒーSが10kcalで、ソイラテSは140kcalだ。「14倍! すごい太っちゃうぞ!」と嬉しかった(ぜんぜん太りませんでした)。

おそらく、本当に太りたければフラペチーノのでかいやつでも飲めということなんだろうが、こうなると大変な努力が必要になる。過去に二度ほど飲んだことがあるんだが、フラペチーノというものを日常的に飲める人間、すごくないですか。

自分のなかで、あれはディズニーランドと同じところに入っている。人生で何度か行ければいい。フラペチーノはアミューズメントパークである。

しかし、そうやってソイラテSで太ろうとしている男の横には、「好き」という気持ちだけを原動力にダークモカチップフラペチーノのグランデサイズ(500kcal)を飲んでいる客がいたりするわけで、なんだかもう、そそりたつ才能の壁に絶句する。

そもそも、いちいちカロリーを確認するあたりもヤセ型なんでしょうね。せせこましいというか、けちくさいというか、いかにも太る才能のない人間がやりそうなこと。天才はカロリーなんて考えない。そういう次元で生きていないのだ。

これは先述のめし好き女子もそうだった。「食べたぶん運動しようかな」と言われたので、私は純粋な善意から、ジョギングの消費カロリーはこれくらいだが、ごはん一杯でこれくらいだし、運動でやせるよりも、食べる量そのものを減らしたほうがずっと早いんじゃないかと提案したんだが、彼女は「うーん」と言ったあと、

「でも私、ああいう数字ぜんぶ、うそだと思ってるんですよ」

そう返されて話が終わった。カロリーという概念自体が「うそ」の二文字で切り捨てられていた。圧倒的な才能の差を感じた。うそなわけないじゃん! 数値として出てるのに!

『アメトーーク』でサンドウィッチマンの伊達みきおが、「柿の種ってすごく小さいし、カロリーゼロだと思うんですよ」と言っていた。あのときの衝撃を思い出した。ほんとにもう、世の中天才だらけ。全然ついてけない。太るための才能ないです。

いつまでもデブと思うなよ・電子版プラス

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