私が成人の日を迎えた翌々日のこと。
当時私は神戸に住んでいて、阪神淡路大震災で被災しました。
揺れがきたのは早朝だったし、私は自分の部屋で一人で寝ていたのですが、あの揺れの中でも実は目が覚めずに寝続けていまして……😅
言い訳ですが、私は神戸の郊外に住んでいたので、被害が激甚だった地区に比べると、揺れも多少弱かったのではないかと思っています。事実、私の住んでいたアパートの周りでは、倒壊家屋は一切なかったですしね……。
揺れの直後、彼女から電話が
揺れがあった直後、当時付き合っていた彼女から電話があった。彼女も私も一人暮らしをしていた。
彼女「今の何?」
私「たぶん地震だと思う。大丈夫だった?」
彼女「なんとか。それよりね、部屋がすごいことになってる。電気がつかないからよくわからないけど、家具が散乱して足の踏み場もないみたい」
私は、そんなことが起こり得るのだろうかと思っていた。
彼女「それとね、近くで火事が起きてるみたい。叫び声も聞こえてくる。ねぇ、どうしたらいい?」
彼女は冷静に話そうとしているが、少し取り乱しているのがわかる。
私「とにかく落ち着こう。火事もきっと消防車が来てくれるだろうから、心配しないで。危ないからそこにいるんだ。あまり出歩いちゃいけない」
彼女「うん。ねぇ、助けにきてくれないの?」
彼女はいつも以上にナーバスになっているようだった。
私「そう言っても今日は授業だし、僕には原付しかないから、君は乗せられないよ。大丈夫だから、心配するなよ」
被災地にいながらも重大さに気づくのが遅れた
私が地震の重大さに気がついたのは、かなり後になってからだ。近所の人がラジオを持っていて、それを聴かせてもらっていたのだけども、ラジオから入ってくる情報に愕然とした。
「……須磨区の○○病院では、六階建ての建物が五階になっています。繰り返します。須磨区の……」
私は、ラジオが何を伝えようとしているのか、全く理解することができなかった。六階建ての建物が五階になっていたら、無くなった階にいた人はどうなっているのか。
やがて昼過ぎになり、電気が復旧した。私は急いでテレビをつけた。すると、大きく倒壊した阪神高速や、天井が崩れた三宮のセンター街の映像が映しだされた。テレビでは、神戸震度6というテロップが大きく映しだされていた。
(余談だけれども、当時の震度7は即時に観測されるものではなく、地震の被害を測定し、後日認定するというのが決まりだった。この震災を契機に見直されたけど)
彼女の部屋へと動き始めたのは、揺れてから7時間も経ってから
私は、近所に住む友人の部屋を急いでノックした。友人は250ccのバイクに乗っていて、彼のバイクを使えば、彼女を二人乗りさせられると思ったからだ。
(ここでもまだ二人乗りにこだわっている私)
彼女の家に向かう途中、私は信じられない光景を目にした。彼女の住む地域では、木造家屋のほとんどは崩れていて、道端には横たわる人や膝を抱えてうつぶせる人、呆然と道を歩く人、泣き喚く人など、普段絶対に見ることのない光景が広がっていた。
彼女の部屋にたどり着くと、彼女は部屋でじっとしていた。コンタクトレンズをなくしてしまったので、ほとんど身動きが取れなかったようだ。
「バカ!なんですぐに来てくれなかったの!」
彼女は泣きながら私を激しく責める。
「ごめん。不安だったのに、放ったらかしにしてしまって」
私はどうすれば彼女の気持ちを落ち着かせることができるかわからなかった。
「ごめんよ。君のところの近所があんな状況だとは思わなかったから……」
そう言い訳をした瞬間、そんなことは言わなければよかったと後悔した。私は彼女に責められても仕方ないと思っていた。あんな場面に遭遇して、約束もなくただ待たされて、本当に心細かっただろう。私は彼女を抱きしめて、ただひたすらにごめんと謝るしかできなかった。
「私のマンションのとなりの家が潰れて、おばあちゃんが亡くなったの」
彼女は嗚咽しながらそう話している。
「おばあちゃんの家族の人達、泣きながらおばあちゃんを家から助けだそうとしてたんだよ。私はそれを見ていることしかできなくて……。昨日まで元気だった人が今日はもういないってこと、理解できる?あのおばあちゃんに起こったことは、私のお父さんやお母さんにも起こったかもしれない。私に起きたかもしれないし、ミナオくんにも起こったかもしれないんだよ」
私には相づちを打つ以外に、かける言葉がやはりない。
「私はミナオくんのこと、家族だと思ってるのに。だから、ちょっとでもいいから、私のことも考えてよ。お願いだから」
常識にとらわれて行動できない私
振り返って思うことだけど、私にはコトの重要性がわかっていなかった。
私は原付は二人乗りをしてはいけないだとか、授業があるから助けにはいけないだとか、日常の延長線上でしか事態を解釈することができなかった。
そして彼女は震災の被害が甚大だった地区に住んでいて、近くでは亡くなった方やけが人もたくさんいた。一方、私のところの被害はそうでもなかったのだけども、そのギャップが私たちの意識のずれを生んでいた。だから彼女の置かれている状況に対する想像力がなく、寄り添うことができなかった。
その後、報道では政府や行政の初動の遅れが批難されることになるのだけれども、私も自分の思い込みで行動がとれず、初動が遅れたという点では批難されてしかるべきだと思う。
幸いにして私の身近な人で命を落とした人はいなかった。でも、私自身の甘さを喉元に突きつけられたこの経験は、強烈な印象として今の私に根付いている。
いみじくも私の当時の彼女が申したように、私の想定や想像を超えることなど、いつ、誰に起きても不思議ではないのだ。