日本の熟成したシーンから、近年成長中の韓国、そして台湾と、東アジアのエレクトロニックミュージックは絶え間なく動いている。この地域の現在を、エキサイティングな発展とチャレンジの両面から、Tobias Burgersがレポートする。
ベルリン、そしてBerghainの世界的な人気に台湾の人々が魅了され、一生に一度あるかないかのクラブカルチャー体験をするためにKornerに殺到したのだろう、と感じた人もいるかもしれないが、この満員のダンスフロアの一夜は、あくまで、台北のとある週末の出来事でしかないのである。台北でのここ数年に於けるエレクトロニックミュージックシーンの確かな台頭に伴い、このパーティーも延々と連なる長いイベントリストに載せられたものの一つなのだ。しかも、こうした動きは台北だけで起こっている話ではない。生き生きと活気に満ちたエレクトロニックミュージックのシーンは今、現地の慣習や決まり事、社会的な常識と対立しながらも、東アジア全域に広がっている。独自のサウンドを追求し、斬新なパーティーや新しいクラブ、レーベルやレコード店ができている。これら全てが地域独自の音楽カルチャーを底上げし、次第に世界的な注目を集めつつあるのだ。
これまで何十年もの間、東アジアのアンダーグラウンドシーンといえば、そのほとんどが日本で起こっているものだった。Rainbow Disco Club、Labyrinth、Ruralといった有名フェスティバル、Contact、Unit、そして閉店したAirやYellowなどのクラブ、世界クラスのレコードショップに、SHeLTeRやForest Limitといった音楽好きのためのバーなどが、東京の音楽シーンのクオリティを証明している。高い影響力を誇ったブログmnml ssg(現在は閉鎖済み)のオーナーにして、現在は東京のアンビエントを牽引するDJ兼音楽評論家のChris SSGによると、東京そして日本は今も、DJやプロデューサー達のツアー希望目的地リストの上位に挙げられている。それと同時にいま、日本人アーティストのブレイクの波がヨーロッパ中に押し寄せている。DJ Nobu、Wata Igarashi、Haruka、Powder、Sapphire Slows、Chee Shimuzu、Takaaki Itohらは、ヨーロッパと北米との両地域のクラウドの間で知名度を増しており、彼らのヨーロッパとアメリカでのブレイクという流れが、東アジアの音楽シーンへの関心の増加につながっているのだ。
日本:熟成
昨年のLabyrinthでは、印象的な出来事がいくつかあった。開催2日目、フェスティバルの期間中に最大風力で来襲した台風のなか、DJ Nobuが観客達をリードしていった様子もその一つだ。DJ Nobuのトレードマークであるヒプノティックでディープなサウンドは、風や雨、暗い空と完全な調和を見せていた。しかし、個人的に印象深い出来事はその翌日、Peter van Hoesenのプレイ中に起こった。セットの序盤、空が明るくなり、丸二日間ほぼ止む事なく降り続いた雨の果てにようやく薄雲の向こうから日の光が差しはじめたその時、幼い子供2人を乗せたカートが目の前を通った。子供達はカラフルに着飾り、落書き帳に絵を描いたり色を塗ったりしていたのだ。
日本のフェスティバルで子供を見かけるのは決して目新しいことではない。昨年前半に開催されたRuralでは、ASCのセット中に子供4人が父親達に連れられ、カラフルに光るグロースティックを手に、観客の間をキャラバンのように連なってすり抜けていく様子を目撃した。これはRainbow Disco Clubでも同様で、子供達を見かけるのはごく一般的なことになっている。日本のフェスティバルは世界一子供に優しいと言えるだろう。どのフェスティバルにも専用のキッズエリアが設けられ、子供と一緒に踊っている親もよく見かける。これは、日本の音楽シーンの包容力を物語っている一方、日本のダンスミュージックシーンに大きく迫り来る問題をも描き出している。高齢化だ。
日本の音楽シーンは年を追うごとに高年齢化しており、新しい世代のダンサー達はどうやら自宅にこもったままのようだ。Chris SSGは、この動向は厳しいダンス規制法の影響が大きかった為ではないかと見ているが、高齢化問題はここ数年でより大きく、差し迫った問題になってきた。シーンでも高くリスペクトされ、日本のテクノシーンをこの10年にわたってベルリンやヨーロッパに紹介してきたベルリン在住のジャーナリストYuko Asanumaも「日本は年をとってきた」と語る。日本は高齢者人口の比率が世界で最も多い国だとされており、日本のクラブシーンが将来向かう先は一体どうなるだろうか?という疑問が湧いてくる。フェスティバルであれば、親も子供を連れて参加することができ、フェスティバル自体も夜の浅いうちに終わるため、子供を連れてくるのは比較的容易いことだ。だがこの点でクラブは深刻な問題に直面している。クラウドが年々高年齢化することで、日曜朝のブランチのために、土曜の夜遊びをパスするダンサーが増えているのだ。
しかしこの状況も、必ずしも問題ばかりなわけではない。実際のところ、日本は未だに大規模でヴィヴィッドなアンダーグラウンドミュージックが存在する場所として認識されている。この2~30年の間、日本は東アジア地域のエレクトロニックミュージックの中心地であった。韓国、台湾、中国のDJ達は、東京に来てパーティーに参加し、新たな音楽を発見しては、レコードを買って帰国していた。海外のDJがアジアツアーを行うときには、金曜に大阪、土曜に東京、日曜に成田から帰国、というのが定番だったが、最近は、大阪もしくは他の日本の都市でのパーティーが台北やソウル、また他のアジア圏の都市でのパーティーにとって代わるようになり、かつて東京や大阪まで遠征していた台湾や韓国のDJ達が、今度は自国のクラブに東京や大阪のDJを呼ぶようになった。東アジア地域の動きが変わったことで、この地域の音楽的な光景もまた変化してきたのだ。
ここまでに挙げたもの以外にも、アンダーグラウンドミュージックの文化に若者を呼び込むのが近年次第に難しくなってきている理由がある。「失われた二十年」とも呼ばれる、20年間に及ぶ経済不況が、日本の若年世代の空気感を変えてしまったのだ。賃金が停滞しているため、学生にとって夜遊びはあまりにも金のかかりすぎるものになっている。クラブは過激でオルタナティブな層のものと見做されているため、未だに日本の若者の大部分には未知な存在だ。パーティーMelting Botの主催者であるShimpei Kaihoは「とにかく無難でいようというのが、今の日本全体を覆っているムードだ。過去が良かったために、日本はノスタルジーに浸るばかりで、斬新なアイデアや新しい物事に目を向けなくなったとも言える。これは、アンダーグラウンドのクラブにとっては悲しいほど不利な状況だ」と語る。
保守的な風潮の時代においては(日本では保守派政党が若い世代から大きな支持を得ているという)、新しい世代のダンサー達がアンダーグラウンドミュージックの文化を嫌厭するのも無理はない。Asanumaは、最近の日本の若者は自宅にいる安心感を好み、ダンスフロアに行くよりも、ソーシャルメディアを通してデジタルの世界で社会的なつながりを持つことを選ぶと説明する。かの有名な「何かに強くのめり込んでいる人々」を指す用語、「オタク」のカルチャーの最新型だ。
その結果、日本のダンスシーンは縮小し、シーンの平均年齢は30歳から40歳あたりとなっている。この厳しい状況の中、それでもアンダーグラウンドミュージックの文化に関わり続けているDJやブッカー、プロモーターらは、こうした問題へのカウンターとして新たなアイデアを考え始めている。この状況下で、東京のアンダーグラウンドミュージックのシーンの一体感やコミュニティとしての意識も高まっている。僕とのインタビューを快く引き受けてくれたどのアーティストも、ブッカーも、プロモーターも、東京のシーンをひとつの大家族のようにとらえていて、周囲の人々への尊敬や気遣い、理解といった言葉を標語のように掲げ、シーンの再活性化が自分たちのグループとしての使命であると語っていた。Rainbow Disco ClubのオーガナイザーであるMasahiro Tsuchiyaの言葉を借りると、東京のクラブシーンとコミュニティは「一丸となって」いるのだ。
見通しが暗く感じられてしまうが、東京の音楽シーンの再活性化の鍵はすでにそこにある。高齢化問題とはすなわち、シーンに何十年分もの経験とクオリティが備わっているという証拠でもある。経験とクオリティは東京の、ひいては日本の音楽シーンの再活性化に必須なものだ。日本各地には世界でも最良のサウンドシステムとクラブがあり、Yuko Asanuma、Chris SSG、DJ Nobu、そしてRuralのオーガナイザー達も皆、このクオリティこそが日本の音楽シーンの大きな資産であると述べている。経済的な問題に挑むにあたって、プロモーター達は学生や若い世代の優遇を打ち出した。Ruralのオーガナイザーはチケットの値段自体を抑えると共に、学生割引チケットも発行している。同様に、Contactでは23歳以下は入場料半額という方針を敷いている(こうした作戦はある程度成功を収めているようだ)。際立った成功例のひとつは、昨年の夏のはじめにChris SSGがオーガナイズしたパーティーだ。未来的な外見のアクアリウムで行われたこのパーティーでは、今まで見た事もない珍しい魚や海洋生物でいっぱいの色とりどりの巨大な水槽に囲まれる中、Chris SSGとWata Igarashiがアンビエントセットを披露した。このセッティングと、わずか1000円の入場料によって、パーティーは大盛況となった。
より顕著なアイデアとしては、海外アクトのかわりにローカルのアーティストに注目していくことがあげられる。DJ Nobu、そしてBoiler RoomのDavid Dicembreも、日本では基本的に海外のアーティストに注目が集まり、海外のビッグネームアーティストがクラウドを魅了してきた事を指摘している。加えて、素晴らしいローカルアクト達がいるにもかかわらず、日本の年功序列の文化が音楽シーンでもボトルネックとなり、新しい世代のDJの躍進を妨げているようだ。DJ Nobuですら、ようやく名を知られて都内の大箱クラブでプレイするようになる前に、すでに30代に突入していたのだ。彼の主催するパーティーFuture Terrorは地元の千葉で開催され、先述したボトルネック的状況に対抗うするムーブメントとして始まった。DJ Nobuは「本来パーティーのあり方はもっと多様であるべきだし、そのためには序列意識や既成概念から自由で、よりオープンに音楽を追求できる場を作る必要がある」と語っている。そうしてFuture Terrorは人気ブランドになり、Harukaら新世代のDJの活躍の場ともなった。
昨年のRuralのラインナップには、海外勢に加えて多くの日本人アクトが名を連ね、フェスティバルの中でも素晴らしいセットを披露した。これと同様の動きとして、この夏、DJ Soのオーガナイズで開催されたパーティーTokyo Techno Societyが挙げられる。DJ So本人に加え、東京のテクノシーンのオールスターラインナップといえる、DJ Nobu、Wata Igarashi、Iori、Harukaが一堂に会しプレイした。また、DJ NobuもFuture Terrorに続く新パーティーGongを開催し、Sapphire Slow、Chee Shimizu、Asyl Cahierをフィーチャーしつつ、海外アクトが出演するパーティーに比べて30~40%安いチケット価格を実現した。より若い世代の観客を動員したのは言うまでもない。Circus Tokyoでも日本人アーティストを推していく動きが見られる。同店のブッキング担当Mari Yamanakaは「若いDJを発見し、ピックアップしていくこと」が彼女の職務だと語る。こうした若いDJ達がクラブに友人を連れてくることも考慮に入れているのだ。
「オリジナリティや本物感をこれまで以上に問われる段階に突入した」とShimpei Kaihoが語る通り、東京のアンダーグラウンドミュージックのシーンに新世代の観客を惹きつけるためには、ローカルアクトにフォーカスすることで生まれる、オリジナリティや本物感こそが大切だ。音楽シーンは今、よりオープンなものになっていく過程にあると言えるだろう。アンダーグラウンドのパーティーのフォーマットやセッティング、環境は長い間変化がなく、過去20年間で通用していたもののままだ。デジタルカルチャーとサイバースペースが社会的なつながりを支配しているこの国では、アンダーグラウンドのパーティーのフォーマットはいささか時代遅れ感が否めないものだ。Dommuneとのコラボレーションで行われたBoiler Roomの東京イベントの成功がこの傾向をよく示している。David Dicembreが解説する通り、ヴィジュアル、ストリーミング配信、デジタルフォーマット、そして安い入場料というものが、東京の若者世代には非常にマッチしているのだ。さらに、こうしたパーティーはより若い世代の新たなDJ達のブレイクスルーにも向いており、現実のダンスフロアを超えてクラウドと出会うための場所にもなっている。
東京のアンダーグラウンドミュージックのシーンは次第に変化してきており、グライム、トラップ、ベースミュージックなど、新しいスタイルの音楽も次第に人気を高めてきている。WWWで開催されているShimpeiのパーティーでは、これまで東京のパーティーに存在していた伝統的な方向性を飛び越え、より幅広いアーティストをブッキングしている。DJ Nobuが言う「クラブに行かなくても遊ぶ選択肢はたくさんある」という状況の東京においては、アンダーグラウンドのクラブカルチャーも幅を広げていく必要があるだろう。東京の音楽シーンの人々は、未来を見るべき時が来たと気づいているようだ。シーンが持つ性質は年を経て変わってきた部分もあるかもしれないが、依然として強固なものであり、その価値も健在である。その上で今一番必要なものは、若い世代にその価値を伝え、彼らをダンスフロアに呼び込むことだと言えるだろう。
台湾:成熟
東京にはエレクトロニックミュージックの豊かな歴史がすでに存在している一方、台北そして台湾は エレクトロニックミュージックにとってまだまだ未知な部分が大きい地域である。90年代から2000年代初頭の世界的なエレクトロニックミュージックのブームの最中、東京と同様、台湾でもこのジャンルへの関心は否応なく高まった。当サイトのBreaking Through特集でも紹介した、台湾拠点のプロデューサーTzusingは、当時のことを「エレクトロニックミュージックが人気になるにつれて、メインストリームの音楽すらワイルドでクレイジーになっていった」と語る。エクスタシーの流行も手伝い、クラブは早朝まで盛り上がっていた。Kornerの最初のレジデントDJとして長年活躍しているAl Burroは、当時プログレッシブでトランシーな音が台北でいかに流行り、多くのクラウドを引き込んでいたのかを話してくれた。その頃のエレクトロニックミュージックのシーンはまさにブームといえる状況だったが、エクスタシーが警察の介入によって無くなったことで、狂乱の日々は早々に過ぎ去ってしまった。
そこに残されたのは、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画『Millennium Mambo』で美しく描かれた、小規模でアンダーグラウンドなシーンだった。ウェアハウスパーティーのオーガナイザーでDJの@llen、Species RecordsのオーナーA-Dao、そしてDatabassらは、当時から今もシーンで活躍中だ。地元のBass Kitchenコレクティブのメンバーであり、以前はKornerのレジデントを務めていたInitials B.B.は、踊りたい時には西門(シーメン)地区で行われているCampoというフリーマーケットに行くのが正解だったと話す。Campoでは、マーケットの出店者が様々な変わった品物を売る中で、A-DaoやDatabassが白昼堂々大きなサウンドシステムでテクノやハウスをプレイしていた。週末には、かつてのブームから今も残る数少ないテクノクラブTexsoundに向かっていた。こうした小規模なイベントは数ヶ月に1度の割合で開催され、LTJ Bukem、Technasia、Sasha、John Digweedといったビッグアーティストが出演する大規模なレイヴも時折行われていたが、新たなアンダーグラウンドサウンドは長い間見当たらないままだった。
しかし、2008年にゆっくりと、全ての状況が変わり始めた。進歩のない状況に業を煮やしたDatabassがEarwormというパーティーをスタートしたのだ。追ってInitials B.B.やVJ Monkeysunも合流したこのパーティーは、非常にDIYなものだった。バーガーレストランのような、50人位しか入れないような小さなヴェニューで開催されることが多く、ローカルのアーティストが主体で、時にはRobert Hoodなどの大物が招聘されることもあったが、その際はThe Wallというロック系ヴェニューを使って開催されていた。こうしたパーティーが、すっかり落ち着いていた台北のミュージックシーンを再活性化させ、街に新たな活気をもたらしたのである。翌年には熱狂的なテクノ愛好家クルーSmoke Machineによるパーティーがスタートし、続いてDJ MinijayのコレクティブBass Kitchenも復活した。もともとはDJ Minijayがブリストルに留学中に結成したBass Kitchenだが、そこにInitials B.B.とDJ Yoshi Noriが加わることでさらに強力な面子となった。Smoke Machineがダークなテクノにフォーカスする一方、Bass Kitchenはハウスとディスコのヴァイブを台北にもたらした。
しかし、ヴェニューや経験あるスタッフ、サウンドシステムといった、パーティーを開催するための設備が足りていなかった。どちらのコレクティブも街を飛び回り、ヴェニューを移りながらパーティーをし、イリーガルな場所もあればグレーな場所も、そしてリーガルな場所もと様々だった。こうした困難の中でもシーンはゆっくりと成長し、クラウドは増え続けた。Smoke MachineとBass Kitchenは、Chida、Rrose、Sleeparchiveといったアーティストを招聘し、変化の第一波は次第に前進し始めたのである。Smoke Machineは最初の成功に触発される形で、2012年、今やシーンの旗艦ブランドとも言えるOrganik Festivalの第一回目を開催するという大きな第一歩を踏み出した。太平洋側に面した美しい東海岸にある、思わず息を飲むような眺望の会場で、記念すべき第一回はローカルアクト主体で、Yukaなど少数の海外アクトを呼んで行われた。そしてOrganik Festivalの開催から数ヶ月後、台北のローカルシーンに大きな変化が現れた。Earwormのクルーがしばしば利用していたロック系ヴェニューThe Wallが、新たなクラブKornerをオープンしたのだ。アンダーグラウンドなエレクトロニックミュージックだけにフォーカスしたクラブの登場である。Smoke MachineはKornerを自身の拠点とし、Bass Kitchenも、まるで10年前の熱狂を思い起こさせるような、廃墟にて700人という記録的動員を叩き出したMove Dのパーティーののち、同クラブを拠点として活動するようになった。
Kornerは、台北のエレクトロニックミュージックシーンの発展に欠かせない、最重要クラブとなっていった。Bass Kitchen、Smoke Machineの両クルーにとっての安定した拠点であり、機材と、経験あるスタッフがいる。しかし最も大きな恩恵は、次第に増えてきたエレクトロニックミュージックに興味を持った層に、新たにアクセスしやすいロケーションを提供できたことといえるだろう。以前は、どこでどんなイベントが何時から開かれるかを自ら調べなければならず、なかなか大変なことである故に、クラウドの数も限られていた。Korner、Smoke Machine、Organik Festival、Bass Kitchen、その全てが年を追うごとに成長している。海外アクトも頻繁に呼ばれるようになり、Levon Vincent、Eddie C、DJ Nobu、Kobosil、Konstantin Siboldといったアクトが招聘された。台北は徐々に、DJツアーに欠かせない目的地としての位置を確立しつつある。
第二波といえる現在の台北の音楽シーンは、完全に民主的な状況下で成長してきたものだ。1988年以降に生まれたダンサー達にとって、独裁政治は遠い過去の話であり、リベラルな価値観がより一般的になっている。1988年以降の世代は、変化への希求を大いに主張する世代なのだ。クラブカルチャーは長い間タブーとされてきたが、台湾は加速的にリベラル度を上げており、ここ数年のうちには東アジアの国で初めて、同性婚が法的に認められることになる。新世代は突如として、自分たちが自由だということを自覚したのだ。自由の追求、新しいものの発見、親の世代が作りあげた主流な価値観とは異なる価値観。午前7時、8時までパーティーすることはまだそこまで受け入れられてはいないものの、以前ほど冷ややかな目で見られることはなくなった。台北の音楽シーンは青年期から成熟期に入ったと言って良いだろう。また、Kornerがサウンドシステムを向上させたことで、新たな音楽の方向性が追求されることになった。Smoke Machineがオーガナイズするもう一つのフェスティバルであるUncover festivalは、エレクトロニックミュージックのエクスペリメンタルな面、アンビエントな面にフォーカスしたもので、こちらもポッドキャストシリーズUncoverをきっかけに始まったものになる。
同時に、新世代のDJ達も台頭しつつある。彼らはKornerに新たな若い観客を動員しており、中でも注目株はAndy Chiuだろう。ベルリンで短期間働いていた彼は台北に帰ってきたのち、Kornerに来たのがきっかけでレコードを買い始め、つい最近KornerのレジデントDJの一員として加わった。Korner、Smoke Machine、Bass Kitchenが、エレクトロニックミュージックを探求したい人へのプラットフォームとして機能しているのだ。熱心な音楽好きの若い世代にとってはDJプレイを学び、DJスキルを磨く場となっている。こうした新たなローカルの才能達を惜しみなくサポートし、導いているBass KitchenのYoshi Noriは「そうすることで、台北の音楽シーンは成長し、強いものになっていく」と語っている。
最近では、KornerとSmoke Machineがそれぞれ新たなフェスティバルをローンチした。Kornerが主催するOdd Sound festivalでは、M.E.S.H.や、日本の著名なノイズアーティストMerzbowなどに加え、強力なローカルアーティスト達のパフォーマンスが行われた。一方、Smoke Machineは昨年12月頭にSpectrum Formosusを開催した。Tropic of Cancer、Andrea、Rabih Beaini、Vargといった様々なジャンルのアーティスト達に加え、国内の新進気鋭のアクト達が出演した。また、パーティーコレクティブRebels of the Neon Godも、従来の枠組みを超えていきたいという思いを打ち出している。コレクティブの主宰であるHsu Chiehは、女性、クィア、有色人種のアーティストもヘッドライナーとして加えるべきだと述べていて、この考え方に従い、Total Freedom、Lotic、Elisa Cramptonらをフィーチャーしてきた。Hsuは単に新奇な音楽を追い求めるのではなく、台北に包括的な音楽シーンを作り上げることを目指していて、そうすることで、既成のジャンルに頼らずに、自らの音楽を確立する音楽的センスを持つアーティスト達が台頭しやすくなると考えている。
台北のアンダーグラウンドシーンはさらに新たな観客層にも迫っている。Kornerで開催されている、LGBTQコミュニティにフォーカスしたマンスリーパーティーAdult Game Clubが、そうした動きの中心だ。台北は東アジアのLGBTQ文化の中心的都市として見られているが、アンダーグラウンドとLGBTQのシーンのオーバーラップは最小限でしかない。台北のLGBTQのシーンは韓国や日本のポップスが中心で、ダンスミュージックへの関心は皆無と言ってよい程だ。台湾のゲイ・ヴェニューの中心であるG-Starに行ったときには、EDMとK-POP、台湾のバラードなどがプレイされていた。Adult Game Clubはこの動向を変えようとしており、ローカルのディスコ/ハウス系DJを起用し、ドレスコードもリベラルで、毎回スペシャルなテーマを設定して開催している。こうした工夫が功を奏し、近頃のAdult Game Clubはチケットが完売しそうな盛況ぶりであり、非常に人気のあるパーティーということが実感できる。台北は、アンダーグラウンドなエレクトロニックミュージックシーンの最も大切な部分のひとつである、誰もが歓迎され、安心できる居場所を提供するまでに発展しているのだ。
韓国:成長
ソウルの音楽シーンはエネルギーの爆発といってよいだろう。エクスペリメンタルなレイヴにパーティー、それに皆で80年代の韓国ディスコを熱唱するDJバーなど、多くのイベントが開催され大いに賑わっているが、中でも際立っているのがConstant Valueクルーによってオーガナイズされているパーティーだ。ソウル東部の工業地帯にある、稼働中の製紙工場で行われたパーティーでは、僕自身も長らく経験していないほどのエネルギーが炸裂しており、テクノのギグというよりはまるでパンクのコンサートを思わせる程ワイルドに盛り上がる観客達を見ることができた。出演していたのはConstant Valueコレクティブの韓国人アーティスト達、日本のノイズアーティストTomohiko Sagae、そしてその夜のハイライトとして、台湾のDJ Katrinaがラフでインダストリアルかつノイジーなセットで、観客を歓喜の渦に巻き込んでいた。クラウドには、年長のヘッズから若い世代まで揃っていて、時折、変わり者の工場のオペレーターまでもが紛れ込んでいて、誰もが完全に音に没頭していた。
その後のConstant Valueのメンバーとのインタビューでも、先述のようなすさまじいエネルギーが感じられた。新鮮で勢いのあるソウルの音楽シーンは剥き出しのバイタリティに溢れていて、Constant Valueのクルーはこのシーンの中に、パーティーの参加者達が、ジェンダー、人種、文化的バックグラウンドといったものをエントランスで全て脱ぎ捨ててくることができる場を提供している。この国、そしてこの街も、未だ保守的な価値観が圧倒的であるものの、1987年の独裁政治終了以降に生まれた若い世代には、エレクトロニックミュージックのシーンが、自由という新たな感覚と共に享受されている。これは台湾の政治的な前進とも共通するところがあるように感じられる。どちらの国も、踊る自由や表現する自由を求める若者が増加しているのだ。
こうした感覚は、Clique recordsのオーナーとのインタビューの中でも感じることができた。Clique recordsはウルチロサムガ(乙支路3街)という製造業エリアにあり、滑らかに動く印刷機の音がずっと聞こえている。機械音がこの街のテーマソングのようだ。
3年前にオープンしたClique recordsには、昨年小さなバーが併設され、時にパーティー用のスペースにもなる。最近もバンクーバーのレーベルMood Hutがここでミニパーティーを開催した。ハウスやディスコの熱狂的ファン向けの新ヴェニューKontraでのレーベルパーティー翌日のことである。そのパーティーはConstant Valueのパーティーのような荒ぶり感ではなく、よりスムースで繊細なものであったが、そのエネルギーはやはり凄まじいものがあった。オーナーの一人であるAntoineは、今のソウルにあるこうした熱気を、若い世代が親世代の価値観から離れていっている事と結びつけて語っている。年上の世代が持つ価値観、常識感や精神性は、若い世代とはまったく違うものだ。惜しまれつつ閉鎖してしまったクラブMystikのMagicoは、彼の両親が未だに彼のDJとしてのキャリアを理解できず、どこかの結婚式に呼ばれて適当なレコードをかけている程度にしか思っていない、とこぼしていた。彼の両親がイメージするような音楽と、彼が実際にMystikの超満員の汗だくのダンスフロアでプレイしていたサウンドは、とてつもなくかけ離れたものだ。
しかしながら、僕がこの街でインタビューをした全員が、エレクトロニックミュージックのブームが過熱しすぎているのではないかと危惧していた。僕が訪れたContra、Cakeshop、Vurtのパーティーは、どこも相当の超満員であった。先日もConstant Value、Contra、Faustでそれぞれ別々のパーティーがあったが、その夜も3つのヴェニュー全てが大入りだったのだ。たった7年前にはMystikを中心とした極めて小規模なシーンがあるだけだったこともあり、これは前向きな動きで、大きな発展だという意見はもちろんあるだろう。だが、現在クラブに来ている大勢の観客達は、本当に音楽を求めてやって来ているのか、それともただ流行りだから来ているだけなのか?という疑問が湧き上がってくる。
クラブVurtのオーナーとディレクターとのインタビューでも、この流行についての事が話題になった。彼らはソウルの音楽シーンの急速な発展の中、シーンを持続可能な状態で成熟させていくのが自分たちの使命であると語る。ソウルの音楽シーンで長年活躍しているローカルDJ、Unjin Yeoの見解によると、急に観客層が増え、誰もがDJになりたがり、クラブでの伝説的な一夜を体験するといった、現在のソウルで起こっているシーンの急速な発展は、本来およそ15年分ぐらいに匹敵する変化だという。一度クラウドが新たな音楽的流行のほうに流れてしまえば、たった数年で沈静化し、終焉を迎えるリスクがあるとも指摘している。 こうした中、Vurtのオーナー達は2015年、イテウォン(梨泰院)やカンナム(江南)地区で人気の大箱クラブとは違う、音楽好きのためのスペースをソウルに新たに作るべく、同店をオープンした。Vurtは、ホンデ(弘大)地区のパッと見ではわかりにくい建物の中にあり、ここにソウルで一番のテクノクラブがあるとは気付かずに通り過ぎてしまいそうな場所だ。デコレーションも最小限度で、漆黒の空間が広がるシングルルームタイプのクラブで、室内はほぼダンスフロアとして使われている。このデザインはオーナー本人によるもので、音楽を体験することだけにフォーカスを当てて設計されていて、テーブルサービスやラウンジエリアがあることが一般的なこの街ではレアな造りだ。オーナー2人はどちらもレジデントDJであり、特にソウルのテクノシーンをリードする女性DJのSunaは、同店をオープンするにあたり、遊びに来るダンサー達、特に女性のダンサー達のために、音楽だけが一番大事という空間を作りたいという強い熱意をもっていた。さらに、Vurtにはセキュリティスタッフやバウンサーがいないと聞いて、このクラブには、クラウドも完全に音楽に集中している確かな音楽的コミュニティが存在していることを感じた。新世代のプロデューサーやDJ達がスキルを磨く場所としても機能している。
VurtやConstant Valueコレクティブとも緊密なつながりを持つレーベル、Oslatedのシーンへの貢献にも触れておこう。一昨年設立されたばかりのOslatedはテクノからアンビエント周辺の音楽をリリースするレーベルで、香港のDJ兼プロデューサーRomiをはじめとする、東アジア圏のプロデューサーによるトラックをリリースし、ポッドキャストを発表している。現在はデジタルのみのレーベルだが、近々ヴァイナルリリースにも着手する。
持続可能なローカルの音楽シーンを発展させるにあたり、まずは若い世代を呼び込み、彼らが自己表現できる場を作る必要があるという意見は、VurtやConstant Valueがテクノサウンドにフォーカスする一方で、DJ AirbearとJesse Youの2人は、韓国の影響が強く感じられるハウスやディスコをプレイする。僕がDJ AirbearとJesse Youのプレイを見た時は、韓国の80年代ポップス、Rush Hourからリイシューされた日本のレコード、そしてディスコクラシックなどをスムースに行き来するセットを披露していた。2人は揃って、楽曲の中に政治的な要素を入れ、伝統曲から始まり、80年代のディスコ、そして新たなプロデューサーによる楽曲という具合に、韓国の音楽史にスポットライトを当てることの重要性を語っている。
小規模なDJバーであるDisko SurfやManpyeongでも、彼らと同じ精神性を感じることができた。東京のDJバーと同様、ハイエンドなサウンドシステムを導入し、ローカルのハウスやディスコにフォーカスしている。Manpyeong barは、注目の集まるトレンドエリアであるホンデ(弘大)からは離れた住宅街にあり、新世代のDJが研鑽を積む場となっている。客も自分でレコードを持ってきてプレイすることができ、オーナーやクラウドが気に入れば丸々ひとセットプレイするように頼まれることもある。このバーの名前(만평)は「皆に平等」という意味であり、このバーの、ひいてはソウルの音楽シーンの精神性をそのまま表している。
Seoul Community Radio(SCR)もまた、先述したコンセプトを表す良い例といえるだろう。他のクルー、コレクティブ、クラブがより単一の音楽的方向性を目指している一方、SCRはより幅広いジャンルのローカルの楽曲及びアーティストをプロモートしている。最近ではアジア太平洋地域のベストオンラインラジオステーションとして賞を獲得するなど大きな成功を収めており、わずか開局1年で、東京のBlock FMなど先行するステーションを追い抜いた。スタジオはマルチカルチュラルな雰囲気を持つイテウォン(梨泰院)地区にあり、近くにはソウル唯一のモスクがある。スタジオ、ショップ、ライブストリーミングルームのある小さな建物だ。映像のストリーミングというフォーマットは大変な成功を収めており、リスナーやスタジオへの訪問者もどんどん増えている。SCRは新たなアーティストを育成する場、発見する場、そしてプロモートする場として機能しているのである。
ソウルから東京に向けて出発する際、僕はまだ週末のイベントの余韻にひたっており、意欲に溢れたDJ、プロデューサー、クラブやレコードショップのオーナー、プロモーターにダンサー達が、ソウルの音楽シーンを変えていこうとする姿勢について思いを巡らしていた。ソウルのシーンは成長中であり、困難にも面してはいるが、この先には明るい未来が開けていると言えるだろう。
国境を超えて
ソウル、台北、東京と、東アジアの音楽的ランドスケープは変化し、今やこの地域独自の音楽的ランドスケープが存在している。日本のDJは台湾や韓国に頻繁に行くようになり、それと同時に、台湾と韓国のDJもどんどん国境を越えるようになった。これがDJにも、各地のプロモーターにも利益をもたらしている。FaustからKorner、VurtからContactとVentというように、フライトのシェアが可能になったことで、より長期間の東アジアツアーをブッキングエージェンシーやDJに提案することができるようになり、ヨーロッパの新たなDJに対しても門戸を開くことになった。実際、東アジアのマーケットはアーティストがある程度の期間にわたって滞在できるところまで成長してきている。その良い例といえるのが、Honey SoundsytemのBézierだろう。彼は台湾に自身のルーツがあり、冬は台湾南部で過ごし、毎週のようにアジア地域でツアーをしながら新作アルバムを製作している。
プロモーター達も互いに協力しあうようになり、The Constant Valueコレクティブは東京と台北で定期的にパーティーを開催している。Rainbow Disco Clubは中国にも進出し、上海でイベントを行っている。観客側も同様に、積極的に国境を超えるようになった。近年のLCCの就航ブームも手伝い、フェスティバルやクラブの観客はより国際的になっている。昨年のRuralでは、クラウドの面々がまるで東アジア地域を体現する小宇宙のような様を見せていた。
こうした発展はローカルシーンに良い影響をもたらし、お互いが利益を受けている。台北は東京からクオリティ面での専門知識を得、ソウルは台北から持続可能なエレクトロニックミュージックシーンの作り方を学び、ソウルと台北はエネルギーと新たな場、新たなヴェニューをこの地域全体のアンダーグラウンドシーンに注入している。DJ Nobuの言葉を借りると、「それぞれのシーンが個々に成長し、互いに切磋琢磨しあえる関係になれば、アジアのシーンは今よりもっと刺激的で面白くなっていくと思います」。
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