そらの未来

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こんにちは。

 

最近、お子さんを閉じ込める事件、連日放送されていますね。

あの報道をみて思うこと。

報道では「子供の存在を隠したかった」とか報道されているけれど。

 

そもそも、どこも救済する場所がないから家でつきっきりで見なければならない

その孤独さがどんどん追い詰め、最終的に放棄などの結末に至ってるんじゃないかって思うのです。

 

そりゃね”救済”って書いちゃうと、「そもそも勝手に産んだお前の責任だ」なーんて言われるんでしょう。

確かに、産んだんですよ。知らずにね。

確かに、そうなっちゃったんですよ、途中にね。

なんならくじ引きでくじ引いたからみんなが健康だよなんて気持ちにもなっちゃったりして。

 

福祉は難しいと思う。

もっと途上国だったら、捨てられておかしくないから。

”いのち”を大事に、とかいってるけど、壊れた人間を、ふつうの人間でも暮らすの大変なのに、保護してあげなきゃいけないの?って思われるし、言ってることはわかる。

 

安心して育てたいよね。

海外は、なんていうけど、海外の本質的なところまでは知らないから、どういう扱いを受けているのかはわからない。

 

でも部分部分で切り取って拝見する限り、とても幸せそうな形が見える。

北欧や、欧州の一部地域では、体に困難を抱えた人が自立して暮らせるシェアハウスがあるようで。

ほんと普通の部屋。介護だったり病院のような無機質さもない、ほんと普通の部屋に、思い思いの家具を置いて。

一つ違うのは介助者がお手伝いしてくれるところ。

ドイツだったのかな。。。日本の方が日本だと暮らしづらいからと、単身海を渡り、そのお部屋で暮らしている特集があったんですよね。

 

今は小さいからへらへら暮らしてるけど、いつ、昨今の事件の親御さんになるかなんてわからないし、その可能性を大いにはらんでると思ってます。

でも、きっと行政に言ったところで何してくれるわけでもなく、「大変ですねー」とか頓珍漢なアドバイスで終わるんだろうな、と思う。

そもそも助成金や補助金も、自分からぐいぐい聞かないと教えてくれないと聞いた。

なるべく不利益になりそうな支出は避けたいかららしい。

 

 

そんな国です。

成熟していても、オリンピックをやるような選ばれし国でも、弱きものへのお恵みはないのです。

やまゆり園もそうだけど、施設もどんどん減らし”地域で”育てる風潮になっている。

つまり、親が見ろ、ということ。

そりゃね、責任です。いってることはわかる。

でも、追い詰められると思う。意思疎通のとれない、常に好奇の目にさらされる不良品と一緒に歩き、まるで「不良品をつくったのはこの私です」っていってるようなもの。

少なくとも、私はそう思って歩いてます。大げさでもなんでもなく。

表現は過激なので、不快に思う方も多いと思います。

でも、なぜ自分がここまで追い詰められ、張り詰めた気持ちで毎日過ごしているのかを考えるとここに行きつきます。

 

「障碍者年金だってもらえるじゃない」

って言われるけど、その額ご存知ですか?暮らせる額じゃないんですよ。

みんなどうやって暮らしてるのか?

そう、それはもうすでに成人されている方についてはもらって、かつ施設に入っているからそんなに関係ない。

むしろこれからがとにかく大変らしい。

そんな未来を見せつけられて、平常を装うのだけで精いっぱいだし、なんなら時折爆発しちゃうしww

 

 

そらがふつうに歩いて、ふつうにおしゃべりして、「なんだ、ちょっとゆっくりなのはやる気がなかったんだね」っていっている夢から覚めた時の絶望感。

お子さんが死産、あるいは生後すぐになくなってしまった方をいけないけど羨望の気持ちで見てしまう自分の気持ち。

どれもこれも、自分が大嫌いになることばかりです。

 

きっとどこかで早くお別れしたほうが”自分のためだ”なんて思ってしまってる。

(まぁそういう風に思う人は大概長生きすると思ってます)

それが正直な気持ち。

行ったり来たりです。そらがこの腕の中から消えてしまったら、という喪失感と

早くお別れしたほうがいいのではと思う罪悪感。

 

 

運命だから

試練だから

 

他人事だからそんなこといえる。

そんな運命なんていらないし、そんな試練なんていらないし、

そもそも意味づけなんてしないでほしい。

 

将来のことを考えると、いつだって暗くなる。

そら、がんばろうね♪

なんてピュアな気持ちを100%もって臨むことなんてできない。

 

そらが生きていくために、どうしたらいいのか、考える。

どこにも明るい答えがないから、今日も働いてるんだと思う。

 

 

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