『ファンダム・レボリューション』と、ビジネス書としての『夏フェス革命』(セルフライナーノーツ③にかえて)
レジー「『ファンダム・レボリューション』読みました」
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司会者「『誰が音楽をタダにした?』と同じく早川書房さんからですね」
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レジー「あと解説がWIRED、もう元WIREDになっちゃうのかな、若林さん。さらにタイトルがレボリューションということで『夏フェス革命』と親戚」
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司会者「それ関係ありますか」
レジー「や、関係あるんですよ。この前ときわ書房志津ステーションビル店さんが並べて紹介してくれてて嬉しかったんですけど」
司会者「ありがとうございました」
レジー「2冊とも大きく言えば、消費者、ファンの動きが事業のあり方に影響与えると言う話を書いている点において共通してるんですよね」
司会者「確かに『ファンダム・レボリューション』では、いわゆるファンコミュニティ的なものがどうやって形成されるか、というような話と合わせて、そういういったものに対して企業サイドがブランド管理のためにどう向き合っていくべきかというような話がさまざまな事例で語られています」
レジー「そうそう。夏フェス革命だと「協奏」というキーワードで説明したんだけど、SNSでユーザーの動きが可視化されるようになったことで、この人たちは単なる「売り先」ではなくて「一緒にビジネスの形を生む出していく存在」として本格的に生まれ変わったんだよね。少し前からコトラーが共創とか言い出してたことが、具体的に形になりつつあると。ただ、まだその辺のケースとしてまとまってるものもそんなにない。あと、これ系の話はとてもダイナミックな変化なのに、近しいこと扱ってる学術書からはそういう感じは伝わってこない」
司会者「そんなタイミングで、ユーザーの動きが企業に対する何らかの働きかけとして機能する様が描かれているこの2冊が近いタイミングで出た、というのはそれなりに示唆的ですね」
レジー「自分で言うのもあれですけど。僕が『夏フェス革命』はビジネス書だ、というような話をしてるのはここで、『夏フェス革命』も『ファンダム・レボリューション』も、企業と消費者の関わり方の新しい繋がり方を考えるうえで参考になるような話を扱ってると思います。ほんといろんな本屋で並べて置いてほしいです。マジで関係してる方々よろしくお願いします」
欅坂に対して「スマートファン」じゃいられない
司会者「『ファンダム・レボリューション』はビジネス的な話だけじゃなくて、「ファンダム」で楽しむ人たちのいろいろな姿が描かれています」
レジー「全編通して面白いけど特に僕がグッときたのはスマートファンという類の話で。要は、ファンはある程度は騙されていることをわかってそこに耽溺しているみたいな話なんですけど」
すべてのファンは、ある意味でスマートファンだ。自分の愛するオブジェクトが、ターゲットに訴求するように注意深く作られたものだということを、みんな理解している。ファンダムとは、少なくとも作りものの文脈にあえて乗るということだ。(P229)
ファンダムには、何らかの形での騙されたふりがつきものだ。一九九五年に出版された『恐ろしい夜の街』の中で、主人公は自分がドラキュラ伯爵の亡霊につきまとわれていると信じ込んでいる。と同時に、もし自分が信じたくなければ、それを信じないこともできるとしぶしぶ認めている。ファンの多くはこの気持ちがわかるだろう。ほとんどのファンは、自分が深く愛するオブジェクトが、正確な意味では、本物でないことに気づいている。ファンは自分たちが「カモ」にされていることをわかって、そのウソに乗ることを楽しんでいる。(P229)
すべてのファンダムは、疑いを脇に置くことが前提になる。ファンがオブジェクトに対して示す忠誠心がどれだけ強くとも、本物の忠誠はそのオブジェクトが体現する哲学に向けられている。そのふたつは全く別物だ。ファンはオブジェクトの商業的な本質に向き合うことを強いられない限り、愛するものに忠実でいられる。(P238)
司会者「心地よく騙してほしい、夢を見させてほしいみたいな話ですね」
レジー「あらゆるコンテンツに当てはまる話だと思うんですけど、僕がこの辺の話で思い出したのが女性アイドルの話で。何だかんだで活動できる期間は限定されるのが実情、将来の保証もない、そういう話を理解しつつも一旦は脇に置いて応援する、みたいな構造を改めて想起しました。で、最近思うのは、やっぱ「この騙しの関係」からふっと正気に返るようなことが起こった瞬間にこの構図は崩壊するんですよね。たとえば、年末年始は欅坂46の話題がいろいろありましたが、個人的にはもうあのグループに対して心地よく騙されるのは無理そうだなと」
司会者「紅白で平手さんはじめ壮絶な姿がテレビに流れてましたね。その影響か、平手さんがケガでダウンして武道館公演がひらがなけやきに差し替えられるという」
レジー「この辺は2012年のAKBのドキュメンタリーのときから「残酷ショーの是非」みたいな話が語られてたし、そもそも総選挙はどうなんだとかいろいろ意見はあると思うんだけど、なんか欅に関しては一線を越えちゃったような印象を個人的には受けてます。平手さんの資質を面白がるのはいいとして、それを育てるというより結果的に消費するみたいな方向に進んでるグループの方針とか、蚊帳の外になってる他のメンバーのプライドは保たれているのかとか、余計なことばかり気になってきた。で、そういう視点は何かに耽溺するのは不要なわけで。前香月さんと話した時に、このあたりの論点、「アイドルだって生身の人間である」ということに対して香月さんは慎重派で僕は「言っても面白けりゃいいじゃん」みたいなスタンスだったんですが、欅についてはそうも言ってられない気持ちになってきました」
司会者「演者の気持ち、もしくは大げさに言ってしまうと人権に踏み込んでいいのかみたいな話にこのあたりのトピックはなっていくと思うんですけど、ポリコレ的な話がコンテンツを生むにあたっての最低限のルールになりつつあるのではという点は現代ビジネスでの宇野さん柴さん対談でも指摘されてましたね。以下は宇野さんの発言です」
多くの日本人が誤解しているように思えるのは、ポリティカル・コレクトネスの問題って、別に政治的、社会的な問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。
好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクターが女性や黒人の若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。
ポリティカル・コレクトネスに配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。
レジー「プー・ルイのダイエット企画が燃えたけど昔のももクロの体重測定はそこまで燃えなかったのも時代なのかなとか。で、秋元康は基本的には一個前の時代のコードでエンタメを構築しようとしてるんじゃないかというのが欅で改めて垣間見えたように思えるんですが、この先ちゃんとアップデートがあるのかね。少なくとも2016年の時点では面白い素敵なグループだと思ってたので、このまま欅が「演者を痛めつけてそれを楽しむ」みたいな前時代的な話に引き続き突っ込んでいくなら結構悲しい」
司会者「「10年代型のアイドルカルチャーは一つの分岐点に」みたいな話は毎年言われてる気がしますが、2018年もまた違った角度からそういうことが言われそうですね」
レジー「まあ時代のせいなのか自分のせいなのかはわかんないですけどね。最初にAKB面白い可愛いと思った2009年くらい、そこから派生していろんなアイドルグループに興味持った2011年くらいと比べると、自分の価値観も行動規範もだいぶ変わってるから。この前リリスクのフリーライブ行って、みんな可愛いし曲もいいしでどう考えても盛り上がりポイント満載で、昔なら大興奮してた気がするんだけど、なんかうまく自分ごとにできなかったなという印象もあり。それがマクロな流れを自分が感じているのか、もっとミクロな自分のコンディションの問題なのかまだ判別がついてない。ただ、僕なんか完全にいわゆるアイドルブームからこの辺に足突っ込んだタイプのわけですが、そういう人がもう遠巻きにしか見れないかもなと思っているというのはn=1の話だけど事実としてあるわけで、他にもそういう人がいるのかとかは気になるところですね。僕自身のいわゆるアイドルカルチャーとの距離もだいぶ離れてしまった感じがあるので、今年はなぜそうなったかとかも折にふれて考えてみたいなというところです。今回はこんなところで」
司会者「去年までの記事よりは少し短めですかね」
レジー「今年は長くてもこのくらいのボリュームでアップ頻度を上げたいですね。むしろもっと短くしたいくらい。次のネタは決まってませんが、そこまで日を空けずに書けたらいいなと思ってます」
司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」