コトキロクーShukadiary

今思うコト、日々のキロク

「いじり」は相手を傷つける「無自覚ないじめ」になりうる。

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息子が不登校になってから2か月が経つわけですが・・・。
色々考えたり、こうしてブログや先生にお手紙を書いたりして、ふと「学校に行けなくなるのはだいたい被害を受けた側・・・なんでこんな理不尽なんだろう」という気持ちがふつふつと湧いてきて。

 

息子が不登校になる大きな原因にもなったクラスメイトが学校へ行けていて、息子が学校へ行けなくなって。
なんかおかしいよなと思えてきて。
(息子が学校に来ないことで、クラスメイトはすっかり元気がないらしいけど・・・そんなことは知ったこっちゃないです)

 

いじめにあっているわけではなかったけど、クラスメイトのしつこさや執着心、息子のことが大好きすぎるあまりの行動が結局息子を傷つけていたわけで。
息子が反抗や反論ができないことと、2人でいる時間が増えてしまったことが余計に事態を悪くしてしまって。

 

「すごく仲良さそうにいつも一緒ですよ~」なんて先生の言葉を信じてしまった私がバカだった。
息子はきっと、ヘルプを出せなかったんだ。
そう思ったのが、運動会での2人の様子を目の当たりにしたときでした。

 

無理やりにでも遊ぼうと、ケガするかもというものすごい力で息子の腕を引っ張るクラスメイト。
でもイヤと言えなかった息子。
あの場に大人がいなかったら。

 

そう思うと、仲良く見えていたのは助けを求めることができなかったからじゃないかと。
大好きすぎてちょっかいを出すことに悪意はないかもしれない。
でもその「いじり」とも言えるクラスメイトの行動は、「無自覚ないじめ」にもなるんじゃないかなと・・・。

 


いつだったか、道徳番組でこんなフレーズが出てきて。
「わざとじゃなくても、ごめんなさい」
これを見たとき、子供たちには絶対に教えなきゃならないことだと思って。

 

「わざとじゃない」「悪気はなかった」「イヤな思いをするとは思わなかった」など、悪意はないのにどうして謝らなきゃならないの?というような言葉が出てきたとき、いつも言ってきたことがあります。

「自分に悪意がなくても、人を傷つけてしまうことはある」
「たとえ悪意がなくても、その人を傷つけてしまったら謝る」
「自分がされてイヤなことは、人には絶対にしない」

とずっと言い続けてきました。

 

これは基本的なことのようで、案外できていない人が多くて。
自分もしかり、ですが。

 

これと同じで、「悪意のないいじり」で相手が傷ついたり、辛い思いをしているとしたら。
それは「無自覚ないじめ」なんじゃないかと思って。

 

息子のクラスメイトは知的障害もあり、おそらく全く自覚していません。
いや、もしかして自覚していたのかもしれないし・・・そこはわからないけど。

クラスメイトに対してイヤな気持ちになり、辛くなったことは確かで。
「理解できないから仕方ない」で済ませていけない。
ただあと2か月くらいで卒業することと、親御さんがけっこう厄介な性格の方で。
ことを荒立てたくないなという思いもあって。

 

でもクラスメイトのためにも教えていかなければならないことだと思うし。
(本来は親御さんが教えなくてはならないところなのですが、大目に見てよというタイプです)

 

来年度はクラスメイトが卒業していなくなるから、クラス編成もまた変わります。
イヤな友達がいなくなることで息子の気持ちも少しラクになる。学校へ行くかどうかはわからないけど、ちょっと安心できるかもしれない。

 

「悪意のないいじり=無自覚ないじめ」
これで悩んでいる子供も少なくないんじゃないだろうか。
子供だけでなく、大人の世界でもあるはず。

 

私も肝に銘じて、気を付けていきたいなと思います。

 

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