で、これに対する具体的な方策としては、こちらの記事にちょっとだけ記載があります。静岡県職員の自殺者が、2009年から2016年の過去8年間で41人に上ることが分かった。川勝平太県知事が12月18日の定例記者会見で明らかにし、朝日新聞等が報じた。
41人の内訳は、知事部局が17人、教育委員会や県警本部が合わせて24人。知事部局とは企業局とがんセンターを除く県庁内の部局の総称で、特定の部局を指すものではない。川勝知事は会見で「鬱積したものがあれば言える環境、言える職場の空気を作っていきたい」とコメントしている。「職員数100人削減」の目標は取り下げたが、人手不足は依然解消せず
自治体職員1000人あたりの年間自殺者数(2015年)は、全国の都道府県・政令指定都市の平均値が0.18なのに比べ、静岡県は0.34と約2倍だ。
過去8年間は、現在知事を務める川勝知事の就任時期と重なる。就任前の8年間(2001年から2008年)の自殺者数が12人だったことを踏まえると、就任後の仕事の進め方や方針転換が影響している可能性もある。
県の担当者は会見で、「自殺の原因は本人の健康状態、仕事、家庭など様々」と語っていたが、静岡県職員労組はキャリコネニュースの取材に対し、「人員不足が大きいのでは」との見方を示した。
労組の担当者によると、2015年時点で、年間360時間以上の時間外労働をした職員は1000人を超えていたという。元々予算あたりの職員数が少なかった静岡県だが、ここから更に人員削減を進めたため、職員一人にかかる業務負荷が大きくなっていたようだ。県は昨年12月、行政改革大綱の中にあった「職員数100人削減」の目標を取り下げたが、人手不足は依然解消していないという。残業削減指導するも「声かけが行き過ぎ、かえって時間外勤務を申請しない人も増えた」
(略)
最近では電通の過労死事件を受け、管理職から部下へ、時間外労働を減らすよう指導していたというが、「声かけが行き過ぎ、かえって時間外勤務を申請しない人も増えた」と言う。組合の担当者は「静岡県の労働環境が他と比べて劣悪ということはありませんが、人員不足は課題。長時間労働の削減方法も、現場から提案するだけでは限界があります。県には、減らす手法を考え提示するよう今後も対応していきたいです」
と話していた。
静岡県職員、過去8年で41人自殺という異常な事態 職員労組は「人員不足が大きな原因」と分析(キャリコネニュース 2017.12.20)
※ 以下、強調は引用者による。
静岡県知事は「驚いた」とのことですから、ご自身にとってはこのくらい自殺するのが当たり前という認識だったのでしょうか。まあもしかすると、こちらの知事にとっては「俺は死ぬほど苦労して学位も取って経済学の分野で名をなしてきたのに、公務員程度の仕事で音を上げるなんてチョロいもんだな」ということかもしれませんが、そのような御仁には「日本型雇用慣行が「社会が要求するレベルの非現実的な高さ」の原因となっていることをもう少し丁寧に議論すべき」ということが理解されることはなさそうだなあと毎度ながら落胆させられます。知事部局職員、8年で17人自殺 静岡、全国平均の2倍(朝日新聞 大内悟史 2017年12月20日09時16分)
2009~16年度の8年間で、知事部局の静岡県職員の自殺者が17人いたことが分かった。川勝平太知事が18日の定例記者会見で記者団の質問に答えた。県によると、うち2人が公務災害に認定。県は職員向けの相談・通報窓口への連絡を呼びかけているほか、昨年度からストレス調査を導入するなど対策を講じている。
県によると、職員数がおおむね6千人弱で推移する中、14年度は最多の5人、15年度は2人、昨年度は2人が亡くなった。15年度の県職員の千人当たりの自殺死亡率は0・34と、都道府県・政令指定都市職員の平均(0・18)の約2倍だった。知事部局が8年間で17人だったのに対し、教育委員会や県警本部などでも同時期に計24人が自殺した。
今年度は11月末現在で2人が自殺したといい、18日の会見で藤原学・県職員局長は「亡くなった方の苦しい心の叫びを聞くこと、気づくことができなかった責任を感じる」と話した。
県によると、公務災害に認定された2人は職責の重さや多忙が自殺した要因の一つとみられる。県は昨年度からストレス調査を導入し、ストレス度が高い職員に受診やカウンセリングを勧めているという。
川勝知事は「全国平均の2倍と聞いて驚いた。相談しやすい職場の空気を作っていきたい」と述べた。(大内悟史)
実は静岡県については、拙ブログでも8年前に取り上げておりまして、
というエントリが既に8年前となっているということは、16年前から人員削減で生産性向上に取り組んでいる中で、さらに8年前からは現在の川勝知事が就任して「行政改革大綱の中にあった「職員数100人削減」の目標」を掲げていたということですね。まあ私自身は静岡県から遠く離れた自治体の下っ端公務員ですから静岡県庁の内実はよくわかりませんが、とはいえこの光景は公務員なら身近でよく見る光景ではないかと思うところですね。このSDOからは、伝票関係のマニュアルやQ&Aが参照できるので、ある程度の疑問は自席のパソコン上で自分で解決できる。もちろん、それで総務事務センターへの問い合わせがゼロになるわけではないが、総務事務の人員を削減する以上、職員が「自分のことは自分でやる」という環境を用意しておくことは、集中化の前提条件となる。さらに今後、電子決裁の範囲が広がれば、集中化のメリットはもっと出てくるはずだ(今のところ、総務事務センターの関連業務で電子決裁が導入されているのは旅費のみ)。
(略)
総務事務の改革を行えば、これまでは身近にいた総務担当者にお願いすれば済んだことでも、必然的に自分でやるしかなくなる。これを「サービスの低下」と感じる職員もいるだろう。しかし、自治体財政が厳しい中で、“全体最適”を考えるなら「自分のことは自分でやる」という方向での業務改革は避けては通れない。
「【静岡県】本庁の総務事務を集中化、アウトソーシング ルーチンワーク外注で県職員の生産性向上を目指す(4)[2002/12/27]」(ITpro)
前段の引用部によると、この総務事務の外注化によって削減される人員は20名弱なわけですが、その人員を企画的な業務に就かせることによって生産性を上げる*2のが狙いとのことです。一方で、後段の引用部によると、総務担当にお願いすれば済んでいたことを自分でやるという「サービスの低下」の影響はすべての県庁職員に及びます。これを「トータルで見ての効果は十分上がっていると静岡県では考えている」とする静岡県は、どのような「現場」をご覧になっているのか大変興味深いところです。
「生産性」という言葉は時間当たりとか人当たりとか多義的に用いられるので、ここで静岡県が考えている生産性の定義は推測するしかありませんが、人を減らして生産性を上げるということであれば「生産性=業務/人員」のようなイメージでしょうか。分母の「人員」を減らすことによって生産性が向上するというシナリオですね。しかし、これまで各部署に置いていた総務担当者を削減してその事務を一か所に集中するとなれば、その分「現場」の担当者に事務が降りてくるのは前回エントリで指摘したとおりですし、議会や監査に提出する事務そのものが減少したのでなければ、それはトータルで分子の「業務」を増やすことにつながります。20名弱の人員削減の効果がそれによる業務の分散化に伴う業務増を補うかどうかは慎重な判断が求められるのではないでしょうか。
それよりも、そうした「ルーチンワーク」が総務担当者に集約されていたことが、どれだけ生産性向上に貢献していたかという効果が十分に検証されていたのかが気になります。むしろ、そうした「ルーチンワーク」を担当する職員を「外にも出ないで内勤ばかりしている使えないヤツ」と評価していたからこその外注化だった面があると思われるわけで、ノウハウを知る職員がいなくなるにつれて役所が回らなくなるのも時間の問題なのでしょうね。というか、この記事自体が8年前のものですから、もうそうなっているところもあると思いますが・・・
「内部労働市場とキャリア形成(2010年05月16日 (日))」
※ 引用部以外の強調は引用時
(2018.1.15追記)
役所というか日本社会で静岡県のような考え方が何の違和感もなく受け入れられるのは、日本型雇用慣行(日本社会の雇用システム)でほぼ説明できることだというのが、ちょうどhamachan先生のところで取り上げられていますね。
ことがスキルの話であれば、ここでhamachan先生が指摘されていることはまさに「当たり前の話」で済ますこともできるのですが、仕事の量とか分担が絡んでくると途端にきな臭くなります。というのも、このような思考回路しかもたない日本の労働者が仕事の分担を考えると、「これまでできないことはないと言ってやってきたんだから、どんな仕事でもどんな量でもできるはずだ」となりがちです。つまり、(正規)労働者が元々何もできない若者だったという前提がある限り、その(正規)労働者はどんな仕事でもどんな量でもこなすことができるはずだし、組織が新しい仕事に取り組むときも現存の(正規)労働者が超勤で試行錯誤しながら何とかしてくれるはずだということになり、結局(正規)労働者を増やすことなく仕事を増やすことができるという幻想が生まれることになるわけですね。仕事量が減らないのはこうした側面が大きいわけですが、さて静岡県はどのような対策を取られるのか生暖かく見守りたいところです。会社とは社員と呼ばれる人間の束であり、その各人間に対して、採用当時はそもそもできない仕事を習い覚えてやれるようになっていくことを大前提に社員という身分を付与することが採用であり、労働者側からすれば(間違って「就職」と呼ばれている)入社である社会において、その入社当時には全然できない仕事をできるように努力することが正社員たるものの心得第一条であり、そういう心構えを教えるのが上司や先輩であるのもあまりにも当たり前の話なわけです。
どちらのシステムにもメリットとデメリットがあるということも、繰り返し論じてきたところ。
欧米型のデメリットは、そもそも新規学卒者という、仕事ができないことが大前提である人間は「できないことはできなと言え」という社会では、「ああ、仕事ができないんなら採用できませんね」で、なかなか就職できないということに尽きます。
逆に言うと、何にも仕事ができないことがほぼ確実な若者が労働市場で「仕事ができないなんて言わずに頑張ります」でもって一番有利な立場に立てるような社会は日本以外にはまったく存在しないということでもあります。
「だからそれが雇用システムの違い(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳) 2018年1月14日 (日))」