アラブ首長国連邦(UAE)が韓国に400億ドル(約4兆4600億円)相当の原子力発電所の建設を発注すると伝えてきたのは2009年12月15日だ。公式発表までは秘密にしてくれと求められた。UAEはフランスから強い圧力を受けていた。既に数カ月前にフランスの原子炉を買うとフランス側に通告しており、両国による調印の日取りまで決まっていた。しかし、1カ月余りで形勢が逆転した。韓国の産業史に残るドラマだと思う。
UAEがフランスに原発の建設を委ねたのは至極当然の成り行きだった。世界の原発市場は米国、フランス、日本が分け合っていた。カナダの技術は遅れ、ロシアは原発事故で後退していた。韓国はどこにも名前が挙がらない存在だった。原発の輸出経験も皆無だった。技術やノウハウ以外にも問題はあった。ライバル国は国際的な影響力では比べ物にならない先進国だ。フランスの原発を購入することで副次的に得られる利益も韓国には期待できなかった。向こうの立場で考えれば、我々が「韓国」のような国に原発を発注すれば、国会でつるし上げられただろう。
UAEは09年11月初め、柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商部長官(当時)を招き、「フランスに決まった」と告げた。原発受注でまたも苦杯をなめた格好だ。報告を受けた李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)は、UAEの実力者であるムハンマド皇太子と最後の電話交渉を試みた。電話はなかなかつながらず、相手が避けているのは明らかだった。外交上の儀礼にも反した。ブレーンの中には「そこまでするのか」と言う人もいた。数日かけてつながった電話で李大統領が経済開発と教育支援に安全保障協力のカードも切った。UAEはカネがあっても人口が少なく、防衛力も弱いアンバランスな国だった。