(1)「どのような解答が求められていたのか?」
①この問題自体は新しい趣向を凝らした問題として作られたものと思います。とりわけ「AとBはノルウェー語とフィンランド語のいずれかを示している」という箇所については、判断の素材としてスウェーデン語の例があげられ、これをもとにスウェーデン語と似た言語であるノルウェー語がA、そうではないフィンランド語がBだと類推させる点で工夫が凝らされています。これは、スウェーデン語とノルウェー語がインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、フィンランド語がそうではないという点で、語族という考え方を教える地理Bの内容を踏まえた的確な出題だと思います。
②タの「ムーミン」とチの「小さなバイキング ビッケ」の選択については、例えば以下のような解答方法が考えられます。「ムーミンがフィンランドを舞台にしたアニメーションだと知らなくても、バイキングはノルウェーに関わるものだから、消去法からタの「ムーミン」がフィンランドに関するものだ。」この場合、地理Bで教えられる内容として「北欧は8〜12世紀に活躍したノルマン人(ゲルマン民族)の活躍した地域」というものがありますから、地理Bの問題として十分に答えられるものだと思います。他にもこの問題については、地理的特徴に関する第5問中の他の問題と挿絵に描かれている内容(森や船など)を組み合わせて解答を推測する方法など、答え方が複数あろうかと思います。解答方法はそれぞれですが、いずれにせよ、この設問は「「図5中のタとチはノルウェーとフィンランドを舞台にしたアニメーション…である」ことを前提としながらつくられています。
(2)「この設問のどこに問題があるのか?」
①この設問が抱える問題は、設問の文章中に「図5中のタとチはノルウェーとフィンランドを舞台にしたアニメーション…である」と記されている点です。スウェーデン語を母語とするスウェーデン語系フィンランド人の作家トーベ・ヤーンソンがスウェーデン語で書いた一連のムーミン関連の物語の舞台は、「ムーミン谷」とされています。スウェーデン語研究室に属する教員が現時点で原作(ただし現時点では全9作すべてのスウェーデン語原典を確認できてはおりません)やトーベ・ヤーンソン関連の評論・資料などから確認できている限りで、「ムーミン谷」は架空の場所であり、フィンランドが舞台だと明示されておりません。ムーミン谷は、ムーミントロールの冬眠の期間に数日間夜の闇に沈んでいるという設定があるので、これが「極夜」現象の起きる場所だろうということで北極圏のいずこかとは推測できます。またスウェーデン大使館のFacebookが「ムーミン谷のモデルになったのは、ヤーンソン一家が夏の日々を過ごしたスウェーデン群島にあるブリード島です」と記されているように、トーベ・ヤーンソンはスウェーデン領のブリード島での印象にインスパイアされましたが、それはあくまでもモデルのひとつであり、物語中のムーミン谷そのものではありません。以上、これらの点からムーミンがフィンランドを舞台としているものとは断定できません。
②くわえて、もし消去法で図5中のタを答えるにしても、スウェーデン人作家のルーネル・ヨンソンがスウェーデン語で記した『小さなバイキング』の舞台もまた、「ノルウェーとスウェーデンの海岸にはかつてバイキングと呼ばれる海賊たちが活躍していた」とあるだけで、ビッケと愉快な仲間たちが住んでいるフラーケ村がノルウェーだとは明示されていません。また原作中には、ビッケの属するフラーケ村の一族はスウェーデンの部族だとの記述があります。スウェーデンのバイキングたちがノルウェーに移住することは史実として確認できることですが、原作中にはビッケの一族がスウェーデンからノルウェーへ移住したとの記述はなく、この点から見てもノルウェーが舞台だとは言えません。さらに『小さなバイキング』の物語自体はスカンディナヴィアに限定されず、世界中を旅するものとなっています。従って、この作品がノルウェーを舞台としているとも断定できません。
(3)「問題を成立させるには何を確認する必要があるか?」
①この設問は、アニメーション作品の挿絵を見せて、舞台となっているフィンランドを答えさせるものとなっています。従って、もしこの設問を成立させるためには、『ムーミン』と『小さなバイキング ビッケ』の原作が日本で翻案、アニメーション化された時点で、アニメ作品のなかだけで「フィンランドのどこか」、「ノルウェーのどこか」という設定が加わっているということが前提となります。この設問を解答可能な問題として成立させるには、その根拠として『ムーミン』ならばアニメ作品(1969年版全65話、72年版全52話、90年版(第一期全78話、第二期全26話)、『小さなバイキング ビッケ』ならば1972〜74年に制作されたアニメ作品全78話のどこかに、「フィンランドを舞台としている」かつ「ノルウェーを舞台としている」という設定があることを確認する必要があるものと考えます。(より正確を期すならば、消去法による解答方法だけではなく、地理的特徴の観点から解答する方法にも対処できるよう、「タの「針葉樹の描かれたムーミンの挿絵」が、フィンランドを描いたシーンからの引用である」こと、かつ「チの「ロングシップ(ヴァイキング船)の描かれた小さなバイキング ビッケの挿絵」が、ノルウェーを描いたシーンからの引用である」ことについて、根拠となる情報を確認する必要があるものと考えます。)それらが見つからない場合、この設問は「ノルウェーとフィンランドを舞台とした」という前提がなくなりますので、解答不能となるのではないかと私どもは指摘します。
②阪大大学院言語文化研究科スウェーデン語研究室は、ひとえに大学入試センター試験の社会的信用を維持できるようにとの思いから、以上の(2)①と②の問題点を解消して第5問の問4の設問を成立させるために、(3)①に示した点について大学入試センターに確認を求めていきたいと思います。(注:平成30年1月15日時点ではまだ意見書を出していません。一両日中に対応します。)
(補足)「この問題がなぜ危険であるか?」
この設問の問題点について大学入試センターに説明を求めたい点は以上の通りです。以下につきましては、私どもスウェーデン語研究室が、スウェーデン語に基づく北欧の研究教育に携わる者の立場から、この設問がセンター試験の受験生をはじめ日本社会に与える危険性について危惧を表明するものです。
①この設問に添えられた言語のサンプルは、上からスウェーデン語、ノルウェー語、フィンランド語です。設問自体は選択肢のタと選択肢のBとの関連を問うものではありませんでした。しかし、解答へ至る判断材料としてこれらの言語を載せる限り、『ムーミン』の原作がスウェーデン語で記されているという事実を知らない者には、短絡的に「『ムーミン』はフィンランド語で書かれているのではないか」という誤ったイメージを植え付けかねません。既にフィンランド大使館が「フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語のふたつである」とツイートしていますが、本研究室は、短絡的なイメージを与えかねない設問のあり方は、フィンランド文化の多言語性、とりわけフィンランドにおいてはスウェーデン語のような少数言語の存在を無視する危険性を孕むものではないかとの危惧を表明します。
②本研究室は、日本アニメーション史において私たちの先人たちが作り上げた偉大な業績として『ムーミン』の一連の作品群と『小さなバイキング ビッケ』を評価しています。しかし、それはクリエイターたちの豊かな想像力によって翻案されたものであり、原作の内容や北欧文化の実像とは異なるところに位置させながら、評価を与えるべきものと思います。『ムーミン』のアニメーション作品群のうち、1969年版と72年版については、原作者のトーベ・ヤーンソンがあまりにも原作からかけ離れた内容だったために激怒し、放送を認めなかったという事実はよく知られています。また『小さなバイキング ビッケ』は、子供むけの世界冒険譚としてはよくできていましたが、海賊としての姿を強調するなど、バイキングの史実とかけ離れた姿を日本社会へ流布することになりました。
③大学で実践されている人文・社会系の学問は、現地語で記述された資料など、常に客観的な根拠に裏付けられながら文化や社会の実像に肉迫するものでなければなりません。日本アニメがつくりあげたステレオタイプな北欧イメージを根拠とする今回の設問は、第一にこれから大学で学問を学ぶ受験生たちに対しては、トーベ・ヤーンソンやルーネル・ヨンソンがスウェーデン語で記した情報に依拠せずとも(つまり現地語を学ばなくても)北欧の実像に迫ることができるといったような安易な発想を植え付けてしまう点、第二に日本社会に対しては、現地語情報に基づかないことで、多言語・多文化社会のようなリアルな北欧の実像から乖離したイメージを再び広げてしまう危険性を孕んでいるのではないかとの危惧を表明します。
平成30年1月15日
大阪大学大学院言語文化研究科スウェーデン語研究室
教授 高橋美恵子
准教授 古谷大輔
講師 當野能之