サワコの朝【藤真利子▽最多犯人役の美学!】[解][字] 2018.01.13
(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストはサスペンスドラマの犯人役の最多出演記録をお持ちでいらっしゃる女優の藤真利子さんにおいでいただいております。
どうも。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
きれいなお着物で来ていただいてすみません。
私…こんな格好ではございますけども。
(藤)最多犯人役記録をお持ちの藤でございます。
失礼よねそれってね女優として。
どうなんですか?いえいえ…。
あのねダミーに最近は使われるんですよ。
私が出ると犯人と思うから実は犯人じゃないっていう。
犯人かもしれないって最後まで引っ張る役。
もうず〜っと犯人ってみんなが思ってて最後にどんでんって違うの。
ほんとはそんな人じゃないんです。
ほんとに違う全然…。
どんな人か今日は聞いてみようと…超いい人なんだって。
(ナレーション)今日のゲストは直木賞作家藤原審爾さんの娘として生まれ大学生のとき連続ドラマ「文子とはつ」で女優デビュー。
よかったな〜。
その後五社英雄監督の映画「吉原炎上」では遊女を演じるなど幅広く活躍。
いい気になるんじゃねぇってんだ!勝手に決めないでちょうだい。
(米倉)あっ!ヤンキーの番長だ…。
そして最近は人気ドラマ「ドクターX」に出演。
アクの強い院長夫人を演じ話題に。
ごめんあそばせ。
人生最高の瞬間。
ふふふっあははっ!あははっ!どんな役でも体当たりで演じる藤さん。
時にはこんなことも…。
そうなんですか?うん。
もう余計なこと言う必要ない…ごめんなさい。
今日は藤真利子さんが女優として力強く生きて来た人生を語ります。
しつこいようですけどもなんでそういう犯人役が多くなっちゃったんですか?あっあのね当時はね2時間ドラマがたくさんあったからいっぱいお話を頂いたのでそれを全部お受けしたの。
はい。
全部お受けしたら全部犯人で。
ふふふっ…。
(藤)もう年間360日ぐらい犯人をやって。
たまには刑事役とか奥さんの役とか…。
うんあんまりない。
やっぱり犯人としての…。
それとね主役が2人いるとするじゃないですか。
でもまあこっちがメイン主役。
でこっちはサブ。
サブ主役。
主役はいい人なの。
ただ受け。
で受けの芝居っておもしろくない。
でサブはこっちは動くドラマがある。
そうするとこっちは悪いんですよだいたいが。
じゃあどっちを選びますかっていったときに私はだからこっちの役ばっかりを選んで。
その方がおもしろいもん。
こうドラマがあるからここでこうしてこうしてみたいな自分でも考えるんですよいろいろ。
最初ものすごいいい人にしててで実は犯人だったとかね。
途中で豹変するわけですか。
いい人が人を殺したりする方が怖いじゃない。
まさかあの人があんなことをするとは思わなかったっていう。
そう。
でもそれも回を重ねるとほとんどみんな最初から私が犯人と思ってるけど。
あははっ!なんかいい人でやればやるほどいやそんなわけねぇだろうみたいなつっこみがお茶の間から入るんですよ。
あははっ!
(藤)私はねたぶん地獄に行くと思う。
何言ってんの?ふふっ…だってこんな人を殺してて…。
殺してないし。
いや天国に行くわけない。
もうねその殺す寸前なんてほんとに人を殺すみたいになっちゃうんですよ気持ちが。
やだ怖い。
うわぁ〜!みたいになって。
そこまで監督が求めてないのに?求めてないんですよ。
なんか乗り移っちゃったりして。
そうなんです。
では2曲選んでいただいている1曲目をいいですか?はい。
今でも記憶に残っている曲。
(藤)荒井由実さんの…今は松任谷由実さんですけど「ベルベット・イースター」を。
仲よしなんですよね?ユーミンとはあの〜もうほんとにあれ24歳ぐらい25歳ぐらいかな。
私のあの…当時のレコードの作詞作曲とかをしていただいた縁で。
でそのレコードのあの…う〜んとデビュー曲がユーミンの作曲だったんです。
へえ〜。
それでユーミンがもう大好きですごい影響を受けたのね。
じゃあ25歳ぐらいのときにはしょっちゅう会って仕事もするわ飲みにも行くわ。
そうそうそう…そうなの。
んん〜なんかいろいろよみがえりますね。
ねえ。
真利子さんも女学校に通ってこう大学にいってっていうときにちょうどユーミンがはやってて。
そう。
私はね大学にいってそれであの…お友達に教わったの。
それで何枚もレコードを借りて。
でびっくりしてあんまりすてきで。
大好き。
そのころはもう女優になりたいって気持ちはおありだったんですか?女優はね小さいときからなりたかった。
小さいときからなりたかったんですか?なんでですか?なんかいろんな仕事に憧れたけど最初のうちは。
なんか郵便局でスタンプを押す人とかおもちゃ屋さんとか言ってみればこう近くにいるおもしろそうなお仕事から始まってそれからお姫様まで。
お姫様ね。
なんかいちばんお姫様に近いきれいな人っていう感じで思ったからかな。
ああ〜。
藤原審爾さんのお嬢様でいらして。
藤原さんは直木賞作家でいらっしゃるけれどもすごく演劇とも近かったんですよね?映画をね随分。
映画を作ってらしたり。
映画の原作をやってたりしたから。
でそのときにあの〜倍賞千恵子さんとかうちにいらしてなんかねこう隙間からのぞいたりしてた。
いくつぐらいのとき?小学校ぐらいかな。
やっぱりちょっとねそれはお祭りだもんね女優さんがうちに来るって。
そう。
こんな隙間からのぞくぐらいドキドキしながら。
(娘)《母のための高さを見つけてくれたのは福祉が分かる建築士さん》
(母)もうちょっと下げてみてください。
《出来なくなっていたことがまた出来るようになる》色はいろいろあるのね?
(建築士)色あります。
《好き勝手言っちゃってもう》
(ナレーター)介護リフォームはパナソニック。
ご相談は0120−874−872最初はこの局の…。
そうそうそう。
それがね「文子とはつ」っていう朝のテレビ小説でデビューして。
ここのね。
そうです。
ちょっとその映像があるんで。
おや。
懐かしい映像をご覧いただきましょう。
「文子とはつ」です。
藤真利子さんのデビュー作ドラマ「文子とはつ」。
文子お嬢様とおら同い年でおっかやんの乳一緒に飲んで育った。
なあおらよりもお嬢様の方にたんと乳を飲ませたずら。
貧しくも懸命に生きる女中「はつ役」を演じた藤さん。
(阿川・スタジオ)かわいい。
この作品は視聴率20%を超える人気ドラマとなりました。
ああっ…うわぁ〜ん!
(阿川・スタジオ)ああ泣いてる。
(藤・スタジオ)うわぁ〜ん!今と変わんないでしょ。
(阿川・スタジオ)あははっ!うわぁ〜ん!ええ〜ん…ほら変わんないでしょ。
変わんない変わんない。
ねっ。
整形してないし。
何言ってんだか…あははっ!初めてのテレビドラマはどうだったんですか?
(藤)いやもうそれは全然違いますよ。
違いました?うん。
今ここで泣けって言われたって…必死ですよ。
ここでやんなきゃもう女が廃ると思って。
覚悟を決めて。
それを経験してなんと「文子とはつ」の翌年ぐらいにもう「飢餓海峡」のドラマに出ていらっしゃるんでしょ?そうそうそうそう…。
相当激しい役じゃなかったですか。
うんうん。
藤真利子さんの女優人生の大きな転機となった作品ドラマ「飢餓海峡」。
(阿川・スタジオ)格好いい。
強盗殺人事件を起こし逃げている男にひかれてしまう娼婦の役を熱演しました。
待って!びっくりしたべ。
上がってって。
このドラマで初めてヌードになるなど…。
お金はいいんだよ。
いらないの。
おお〜。
堂々たるものじゃござんせんか。
これは監督がね浦山桐郎監督ってもう超怖い監督で。
怖い人だったんですか。
ちょっとね余計なことをするとねウワ〜って怒鳴られて細工すると余計子供っぽくなるからやめろって言われて。
もう怖かった。
昔はそういう怖い監督がいっぱいいたんですよ。
そうなんですか。
うん。
今は私の方が怖いって言われますけどね。
あははっ!余計なこと言う必要ない…ごめんなさい。
あははっ!だってさっきの「文子とはつ」。
「うわぁ〜ん!」。
あれが今度ヌードですかって突然。
それはどう思ったんですか?あの〜実は多岐川裕美さんがヌードを拒否されて嫌だって言って。
東北の現場で降板されたんですよ。
現場まで行ってから?うん。
それで急きょ代役を探して…。
それが今村昌平監督がプロデューサーだったの。
事務所の社長さんが私を連れてプロデューサーの今村昌平監督の事務所まで連れていったんですよ。
最初なんだか分かんないけどすぐタクシー乗せられて何なんですか何なんですかって。
そして行ったらこの本を読んでくださいって言われてなんか2か所ぐらい読んで。
そしたら明日東北行かれますか?って。
明日って急じゃないですか。
それとそこでヌードにならなきゃいけないっていう。
それも話されたんですね。
そうそうそう。
どうしようどうしようどうしよう…って悩んだんですけどね。
やっぱりねお嬢様役ばっかりやっててもおもしろくないかなってちょっと思ったの。
でやっぱり私なんで女優になったんだろうって思ったときに自分でない何かになりたかったのね。
自分でないいろんな人になってみたい。
それはできるとしたら女優だって思ったの。
だからやっぱりおもしろい役はやりたいしドラマチックな女性の役をやりたいと思って。
やります!って言っちゃって。
お母様にもお父様にも相談せず?相談してる時間がなかったの。
もう外にいたんで。
で決めてからうちに帰ってもう次の日行かなきゃなんないから。
でもううちの父親に次の日言ったんですよ。
そしたら今村は自分の子供だからねそうやって主役にやってくれたんだよって。
七光りだって言われてすごい悔しくて…。
うちの父の作品を…「赤い殺意」とかを映画化されてるんですよ。
ああ〜今村さんは。
だから私はもう前の日にあんだけ悩んでねオーディションだって受けてるのにまあ俺のおかげだよみたいに言われちゃってくそ〜とか思って。
(妻)よいしょ。
(夫)大丈夫か?
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
洗濯槽を浅く取り出し口を広く。
奥の物まで取り出しやすい洗濯機。
驚きの軽さ2キログラム。
体への負担を軽くする掃除機。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」でその…女優になられてからというか少し大きくなってからお父様とは結構親密に話したり…。
いやあのね女優になってからやっぱりあの〜当時の事務所の方針でね父の七光りっていうのを払拭するためにちょっと距離を…。
真利子さんの方から距離を置いたの。
空けたのよ。
まあ父とはね小さい頃から別れて暮らしてたんだけども。
お母様とお父様が真利子さんがちっちゃい頃にもう別れちゃった。
そう。
だってお父様が悪いんでしょ?もちろん。
あははっ。
新しい女の人をつくっちゃったりしたんでしょ?ねえ〜。
お母様を悲しませたっていうことについては…。
(藤)ものすごく父親のことが大嫌いそういう意味では。
でもそれがやっぱり亡くなるときにね父は病気を明かされたときにもう後悔して後悔してね…。
がんでいらした?うんがんで。
あの〜肝細胞がんっていうんですけどね。
私が10月の中旬ぐらいに知ったときにはもう春までもてばって言われたんですけど12月に亡くなっちゃったのね。
ふ〜ん…。
でまあその1か月ちょっとの間なんとか一緒にいたいと思って事務所を辞めてで父のそばにずっといたの。
じゃあ事務所を辞めてからずっとお父様の付き添いとかお見舞いとか毎日やってたの。
毎日。
それで病院に泊まったりもしてたの。
それはでもうれしかったでしょうねお父様はね。
いろんな意味で私を応援してくれるようになったの。
これで頑張ってあの…ママを助けて生きていきなさいって。
初めて言ってくれたのよ。
それまではもう一切言わない。
それであの〜父が亡くなったんでそしたらもう私が生活なんとか収入を得なければならない…。
お母様と一緒に生活するためには。
っていうふうになったのね。
今まではアルバイトみたいなもんだったのね。
甘ったれてたっていうか。
だってもし女優が駄目だったとしたってじゃあ父のなんかお手伝いをすればお小遣いをもらえるでしょ。
なんとか生活はできたと思うの。
ただ父が亡くなったらもう生活はできないから。
それでそのあと父が亡くなってきっかけになった映画だったから「薄化粧」っていうのは。
五社監督の…。
(藤)それが第1作目だったんですごく気合いが入ってたと思う。
これで生きていくんだっていう自分がね。
女優として。
もう生半可な気持ちじゃやってられないよっていう。
そのとおりそのとおり。
女優として生きていくと思いも新たに挑んだ映画が五社英雄監督の「薄化粧」。
この作品で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しました。
その2年後再び五社英雄監督の作品に出演。
「吉原炎上」です。
(女性)それでは…。
客に恵まれず借金まみれの悲しい花魁の役を演じました。
起きて。
起きろってんだよ。
(悲鳴)
(悲鳴)
(木下)何しやがる!
(藤)なんだ!どいつもこいつも。
女郎の上前はねて食ってやがるくせに!うわぁ〜!32歳にして。
でも五社監督っていう人も厳しい方だったんでしょ?厳しいけどねすごくいいところを撮ってくれる。
そうそうそう。
だからこう見てて用意用意用意用意用意用意…用意!ってなってスタート!ちゃんと役者の顔を見てそのタイミングで本番の…。
そうそうそうそう。
だから悪く映るわけがないの女優さんとか。
五社監督を怒鳴ったことがあるっていうのはほんとですか?どっから聞いたんですか?ちょいと。
ああ〜そうそうそうそう。
これまじになっちゃうのこの話をすると。
あのね「吉原炎上」の撮影がず〜っと遅くなっちゃって。
で私次に実は五社監督が演出する舞台に入ってたの。
もうじゃあ続けざまに五社監督の映画の次五社監督の舞台をやって。
そうなの。
そしたら監督が入れなくなっちゃったの稽古に。
あっ映画の方が残ってるから。
そうそうそうそう。
そして別の方に演出を頼んで…。
まあいわば助監督みたいな人がいてね。
そうそうそう。
それでず〜っと稽古をしてたんですよ。
それで1か月ぐらいそれを稽古してそしてようやくもう舞台稽古の寸前に監督がいらしたのね。
で舞台稽古になったときにもう全部こう見せ合わせは決まってるわけよ。
見せ合わせって動きがね。
だって役者さんはもう出来上がってる。
ほぼ出来上がった状態。
そのときにあの〜ここで座れって言われたの。
でもその前までずっと立って芝居してたから私は座れないって言ったら「座れったら座れ!」って言われたんでもう怒っちゃったの私。
今まで欠席してたのはあんただろ!っていう。
いいとこばっか取りやがって!みたいな。
あははっ!
(スタッフ)あははっ!舞台ってやっぱり積み重ねだったりするからいきなり座れって言われてあの…はいっていうような感じじゃなかったのね。
美しい言い方をするとその演出補の人も認めてほしかったわけよ。
みんなでやってきたことを。
ただ私言い方がもうきついからそんときにはすごい言い方したからあとからその演出補の方が私のとこ来て「藤さんありがとうございました」って言ってくださった。
でもみんなはもうこれで幕は開かないと思ったって。
監督も怒っちゃったの?もう私もブンブンだし。
あははっ!五社監督を対等にしてケンカする女優はいないんじゃないですか?今はないと思う。
うちの母がこういうとこあるの。
あっそうなんですか。
築地のちゃきちゃきだから。
もう男の人相手にねケンカしちゃうの。
じゃあその血を受けてるんですね。
そうなのそう言われてみたら。
今頃思い出さないでくださいよ。
そうですね。
すみません。
でお父様をまあ63歳で亡くされたあとにお母様と2人暮らしをなさってあるときお母様の介護生活が始まって。
そうなのよ。
これがもうほんとに…最近本を出されたんですけどもその。
脳梗塞やってらっしゃったの。
そう。
心原性脳塞栓症ってね心臓から血の塊が頭に飛んだっていうんだけど。
へえ〜。
脳梗塞の後遺症で右半身が不随でまったく言葉もしゃべれなくなっちゃったの。
だからこう意思疎通っていうのかなこっちから言えば「こうなの?こうなの?」って言うと「うん」とかっていうふうに言ったりするんだけど…。
聞こえて理解はできるんですね。
だいたいね。
でもできないときもある。
でもしゃべれないのよ基本が。
でそれから11年頑張ったの。
11年。
うん。
11年ですよ。
でもまあそこまでその介護を頑張れた理由は何なんですか?いやもうやっぱりうちの母が苦労したから。
でもう一卵性親子って言われてたし。
双子って言う人もいるし。
ああそう。
仲よかったんですね。
(藤)そうね。
外から見たらすごく仲よかったと思うし。
今も亡くなってもねもう毎日のように泣いてる。
ええ〜!今でも?
(藤)ほんと。
ほんとにさみしくてたまらないしどうにも手がつけられなくて母が使ってたコップとかね吸い飲みとかね全部そのままで置いてあんの。
真利子さんにとってお母様はどんな方だったんですか?もうね明るいの。
明るいの?うん。
でなんか物事をね悪いふうに取らないの。
なんかちょっと失敗とかするじゃないそうすると必ずねこれですんだと思えって言うの。
だから今もそう思おうと思うんだけどもとにかくね前向きだったどんなときでも。
私はうじうじして泣いてばっかりいたけど。
お母さんも頑張ったけれども真利子さんの頑張りようが…だって仕事も相当セーブして。
(藤)うんあのねなんか世界がそっちにまわんなくなっちゃって。
お母様のことで一途になって。
そうそう。
仕事をしないと収入は減っちゃう。
そうそうそう。
そうするとお母様にもお金がかかることの万全の態勢をとれなくなって「UNIQLO」に行くのも我慢しようかと。
もうねなんにも欲しいものないの。
あっ無欲になっちゃうの?なんにも。
今でもそうなの。
もう私大好きなデパートがあるんだけどそこで10周してもねないの。
昔は「CHANEL」に行ったらもうこれどうしても欲しいって何十万もするものをねもう何回も見に行ってどうしても欲しい欲しいってこともあったんですけど今はねなんにもないの欲しいもんが。
ただね私はねきっとね母だけのためにやってきた気がする。
今になると。
でうちの母はしゃべれなかったけどねすごく厳しい目があってね私がねよく時代劇とかあの…寒いとねいっぱい中に着込むのね。
それをよく怒ってたの私に。
「あんた着過ぎだ」って。
「だって風邪ひいちゃうもん」「そんなのおかしいよ!」とかっていって怒ってたのね。
そしたらこうやってあの〜しゃべれないんだけど見たときにこうやって。
分かるの私。
「ああ着過ぎ?」って言って。
あっちゃんとチェックしてらっしゃるの。
その自分では口が利けなくなられても。
はあ〜。
みたいなね。
やっぱりそういう厳しい目っていうかな…ありがたかったしねとにかくねなんか二人三脚でやってきたからね。
まあそんなときに伺うのもなんだけど2曲目は…。
(藤)うん。
あの〜辻井伸行君の「ラ・カンパネラ」を。
「ラ・カンパネラ」。
その「ラ・カンパネラ」を選ばれた理由は?昨年ですね私ドラマでこれ犯人じゃないんだけど…。
(一同)あははっ。
「ラ・カンパネラ」を弾くシーンがあったんですよ。
それで…。
ピアニストの役なんですか?うん元ピアニストなの。
でまずあの〜動画で見たの。
そしたらこの辻井君のが出てて。
参考にしなさいっていうんで。
そう。
弾いてみました?弾けもしないし形もできない。
前半1ページ半後半1ページ半のふりだけでいいの。
ふりだけ。
ふりだけするのに1か月かかったの。
ものすごい難しい。
ほんとすごい曲なのよ。
はい。
天才っているなって。
心が洗われた。
感動した。
本当に。
すばらしい〜。
すばらしかった。
辻井君が3歳のときにこんなちっちゃいピアノで…。
おもちゃピアノでね。
うん。
ジングルベルの曲を聴いただけでいきなり弾きだしたって。
2回歌うと弾いちゃうんだって。
だってお母さんが鼻歌で「・ニャンニャンニャ〜ンニャンニャンニャ〜ン」って言ってたのを3歳のときにもう次弾いてたっていう。
まあ〜すごい天才ですよね。
辻井君ってすごいなって思ってたところで去年ね安倍首相の「桜を見る会」でたまたまご一緒したんですよ同じ場所で。
お隣になったの?うん。
私のねほんとは後ろにいたの。
でね私のね隣はねKABA.ちゃんだったの。
KABA.ちゃんの隣ははるな愛さんだったの。
はるな愛さんの隣はねクリス松村さんだったの。
私ってどういうくくりになんのかなって…。
ひゃあ〜!あははっ!今後も…。
多彩なゲストが続々登場!お楽しみに!2018/01/13(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝【藤真利子▽最多犯人役の美学!】[解][字]
女優/藤真利子▽2時間ドラマがたくさんあった時代「年間360日ぐらい犯人やった」!?母を介護し続けた11年…藤真利子の人生の軌跡をサワコが辿ります
詳細情報
番組内容
ゲストは女優の藤真利子さん。大学在学中にTBSドラマ『文子とはつ』で女優デビュー。視聴率20%を超す話題作で、健気に生きる女中“はつ”を好演し一躍有名に。翌年のドラマ『飢餓海峡』では清純派から一転、娼婦という妖艶な役柄を体当たりで熱演。その後も実力派女優として映画『吉原炎上』やドラマ『ドクターX』など多くの作品で輝き続けています。
そんな藤さんは「火曜サスペンス」で“犯人役最多出演記録”を保持!
番組内容2
年間360日、犯人役を演じてきた藤さんは、何故こんなにも犯人役を演じることになったのか…。役作りの難しさと共に胸中を語ります。
プライベートでは脳梗塞で倒れた母のため、11年間仕事をセーブしながら介護に努めました。一卵性親子と言われるほど仲が良かった母との思い出をはじめ、直木賞作家の父とのエピソードや幼い頃から女優になることを夢見ていた“女優魂”にサワコが迫ります。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
藤真利子(女優)
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
お知らせ
【解説放送あり】
公式ページ
◇番組HP http://www.mbs.jp/sawako/
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
おことわり
番組の内容と放送時間は変更になる場合があります。
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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