【衝撃&感動のジュリーコンサート】
お友達が行けなくなったということで、代わりに行ってきました!沢田研二50周年記念ライブ!
私より少し年上のお兄様お姉様がNHKホールを目指してゾロゾロと歩く中、つられるようにホールの中へ。
開演までは、ジュリーの歌声がボリューム低めに流れ、郷愁感ただよう~。
私は特にジュリーのファンというわけではないが、初めてジュリーを知ったときのことを覚えている。小3のときに、新潟から転校してきたら東京の子たちはジュリーの下敷きを持っていたのだ。その下敷きに大写しの歌手を私は知らなかった。
私にはあまり恰好いいと思えなかったが、「ジュリーだよ。知らないの?」ってバカにされたなあ。「じゅりー?」って思わず聞き返したよね。
中2のときに、初めて行ったコンサートは何かラジオ番組のコンサートで「セイヤング」とか「オールナイトニッポン」のコンサートかな?いやそれならジュリーは関係ないな。なんだったろう。
とにかく、いろいろな歌手が出てくるコンサートに初めて行ったのだけれど、ジュリーが、(タイガース?)が最後に出てきたら、その場の空気が一変した。オーラがあるってこういうことかと思った。それまでの雰囲気、全部もってった。
そのとき歌ったのは多分、「君だけを」と「シーサイドバウンド」だったと思う。場所は東京体育館。(記憶はいい加減)
その程度の思い出だけれど、その間の彼の活躍を知らないわけではない。何せ今のような「ファンではないと、曲も顔も全然知らない」という時代ではなく、「歌番組を家族全員で楽しみにみる時代」だったから、家族全員が今流行っている歌謡曲は知っていて、口ずさんでいたのだ。「君だけを!」なんて本当に流行っていたから、そのフリは、クラスでも流行っていたな。
そんな背景。1967年から1972年くらいにかけてのこと。
で、50年後、2018年だ。今日は、最初に大きなスクリーンに若いころのジュリーがどんどん出てきて、それがものすごくかっこいいのだ。なんだ、こんな格好良かったんだ。キムタクがもっと色気があって、男っぽさもある感じかな。
これでもかこれでもかと若きころのジュリーが出た後で、年取ってからのジュリーのコンサートの様子(何年か前)がでて、最後にバン!と今の太ってひげ生やした迫力爺さんみたいなジュリーの大写しの顔が出る。
「わー。ははは!」と会場は笑いでどよめく。でも、なんか私はそのときボロっと涙が出てしまった。
「いいじゃねえか、年取ったら腹も出るし、はげるし、白髪にもなるよ。それがどうした。俺は俺だ。君だってそうだろう。それでいいんだよ」っていうメッセージを強烈に感じたからだ。
ボロボロっと涙が出た。そして止まらなくなった。
そして、ジュリーが出てきて、挨拶。力強く、(何せ太っているからね)しっかりとしたお辞儀が印象的。「お互い年を取りましたね。いろいろありましたけれど。(中略)今日は私、最後まで」
なんていうのかな?今日は、最後まで、ジュリー、どういう気持ちでやるのかな?
と思ったら
「今日は最後まで、上機嫌で歌をお届けします!」って言ったんだよね。いいよね!
そこから歌う歌う。懐かしい歌だから、またボロボロって涙が出てきちゃうんだよね。歌に感動するというより、これを聞いていた甘い甘い子どものころのこと。
なんでも自分の思う通りだと思っていた。自分が世界の中心だと思っていたころのことを思って、泣けたよね。題名よくわからないから書かないけれど。
これを幼き頃に聞いてから、どれほどいろいろなことが自分の人生にあっただろう。ジュリーにも。と思ったらまた泣けたよね。
私なんかてんで大した大事件も苦労もない平凡な人生だけれど、それでも少しは人の心の痛みもわかるようになったし、人生なんて全然思う通りに行かないこともわかった。
何にも知らなかったころのことを思い出した。そして、ジュリーは太っていて、白髪で、目の下がたるんでいて、格好悪いはずなのに、すごく恰好良かった。声は甘く、張りがあって、昔のままだった。すごいよね。
ゆっくりでしっかりとメッセージが伝わる歌。昔の歌っていいなあ。
舞台のセットは何もなく、バックバンドがいるだけ。
ジュリーの衣裳も派手さはなし。最初ジャケットを着ていたのを脱ぎ捨てて、ちょろりと巻いていたひもみたいなネクタイをぶん投げて、白いシャツの袖をまくっただけ。豪華な衣装も何もない。舞台装置もない。照明のみ。
1曲終わると、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」と三方をむいて感謝して深くお辞儀。「メルシー」のこともあれば「サンキュー」のこともある。でもすごく観客に感謝していることがわかる。そして心のこもったお辞儀が終わればすぐ次の歌。
立ちっぱなし。途中でだるいトークもなし。踊るし、ジャンプするし(見ているほうはちょっとハラハラ)、走るし、ステップ踏むし、ペットボトルの水を口に含んで「ブハ!」と噴射。2度3度。そして、歌う。歌う。歌う。
憎みきれないろくでなし。
ときの過行くままに。
「時はあまりにも早く過行く。どこで自分は間違えたのか。喜びも悲しみもすべてつかのま」ほんまやなあ~。
アップテンポ。そしてバラード。
25曲終わったところで、
「半分ですよ。50曲歌うの大変なんで、ワンコーラスで終わっちゃったり極端に短くしたものもありますが、何かご不満な点でもありますか?」なんて。
「ありませーん!」と会場から声。
後半も引き続きガンガンいく。
まったく衰えない。後半には、東日本に寄り添う歌。原発にノーを言う歌も。とても共感した。作詞はジュリーだ。
シーサイドバウンドなど古い歌も入って、何曲も歌い切ってさっと手を振って、はけた。
え?終わったの?コンサート終わり?すごいけど、さすがにまったくトークなしは寂しいぜと思ったら、またスクリーン。数年前にワイルドワンズとコラボしたときの渚のシャララが映し出された。
その間に着替えたみたいで、ジャケットとズボンをはきかえたジュリーが登場して、デビューから今までのお話をサラリと。時折笑いも織り交ぜて軽妙洒脱。重くもできる話をサラリとする、いい話だった。
デビューのころ。人気絶頂となったが、解散となってしまったこと。
トッポがやめ、シローが入り、またピーがやめるとなったときに、シロー、サリー、タローの3人が集まり「『今後赤の他人を入れるくらいならいっそのこと解散にしよう』ということになった。沢田。解散だ」と突然言われたこと。とても悲しかったこと。
ソロになるのではないかと言われたが、世間的には人気に実力が追い付いていないといわれていたこと。6人で過ごした時間は楽しく貴重だったこと。
ソロになったものの80年代にはいると、病気になって1カ月入院するなどしたこと。レコードからCDの時代となり、売れなくなったこと。地方回りをしながら悩んでいたこと。
「人間は順風満帆な時は悩みもありません。どうにもうまくいかなくなるとどうにかしないといけないと、一生懸命考えるものでございます」
ジュリーはきらびやかな世界が似合うから地方のどさ回りは似合わないという意見もあったが、それはおかしいと思った。地方回りをする中で、全国を回ってしっかりと歌い続けている人はたくさんいたからだ。
映画、舞台といろいろとやった中で、振り返ってみれば一番好きなのは歌であり、生のステージであるということに思い至り、悩まずライブを続けようと思ったこと。
売れるとか、変な期待をせず淡々と新曲を作り続けようと思ったこと。
一生懸命歌おうと思った。
「ジュリーに一生懸命は似合わない」と言われて、「一生懸命」というのはジュリーにとってはハンデですらあったけれど、一生懸命歌い続けたこと。
3年、4年、5,6,7年。10年かかったけれど、全国どこに行っても満員の会場で歌えるようになった。
「なぜ、そうなったのか、わかりません。分析するのも意味はありません。これからの足しにもなりません。ただ、一生懸命やってきたと思えることが何よりの救いです。歌い手として、こうやって歌えることはこの上もない幸せです」
こうやって文章にすると、固い話に感じるかもしれないけれど、時々笑いもはさみながらとてもサラリと話していて、ああ苦労したんだなあと感じた。
そして、最後の50曲目を歌い上げて幕。
ジュリーすごいよ。すごいよ、ジュリー。
どのくらいすごいかというと、もし身近の元気のないシニアを連れていけば、一発で軽い認知症くらい治っちゃうレベルのすごさ。いや、冗談じゃなく。
ジュリーの歌ならシニアであればだれだって知っているし、歌えちゃうからめっちゃ元気出ちゃうと思う。マジで。
今日の観客だって、前のほうは総立ち。私は3階だったけれどそれでも結構スタンディングの人もいたし。
やあ~元気もらいました。
私は、最初に書いたように「いいじゃん。白髪だって、おなか出ていたって!」というメッセージとともに「君ができることは、まだあるでしょ。しっかりしなさい」とも言われたような気がした。だってあんなにジュリーがんばっているんだもん。
周りに惑わされず、淡々とやろう。
言い訳を考えず、一生懸命やろう。
ジュリーって今日1曲につき3回ずつ「ありがとう」と言っているから、150回。さらに前後にも言っているから160回くらい「ありがとう」って言っているんだよね。
私も一回くらい言わなくちゃ。
ジュリー。ありがとう。