2018年01月15日

図書館くらい「安心して孤立出来る場所」にしておいてあげて欲しいなあ、と思った話

こんな記事を読みました。


生徒のなかには、学校や家庭で居場所がないと感じている子どもたちがいます。また、卒業後に学校や就職先といった「所属」を失ったまま孤立し、支援につながれなくなる子どもたちも。

”孤立”は、引きこもりにつながったり、ネットに居場所を求め犯罪に巻き込まれたり、と様々なリスクと隣り合わせでもあります。

カフェが掲げるのは、生徒たちへの「予防型支援」。

孤立している、もしくは卒業後に孤立する恐れのある高校生たちに居場所を作ることで、彼らに起こりうる困難を予防すること。これが、ぴっかりカフェの目的です。

これを読んだ時の第一感は、「図書室くらい「安心して孤立出来る」場所にしておいてあげて欲しいなあ」でした。

いや、この試み自体は別にいいと思うんですよ。週一みたいですし、実際にこういう空間があることで救われている生徒もいれば、対人関係が改善された子も、居場所が出来て喜んでいる子も恐らくいるのでしょう。それは良いことだと思うんです。

ただ、これを見て全国の図書館、全国の図書室がどんどんこういう試みを始めて、活動の期間も広がっていって、みたいな展開には、出来れば慎重であって頂きたいなあ、と。

何故かというと、「教室に居場所がない子」に必要なのは、むしろ「誰ともコミュニケーションを取らないで済む空間」ではないかなー、と思うからです。

コーンポタージュとトルコのおやつだってー!!!!いえーい!!!

ハイテンションで飛び込んできた男子生徒は、ぴっかりカフェ常連の高校1年生。そのあとも続々と生徒がやってきて、ソファや椅子はあっというまに満席に!高校生たちの笑いさざめく声であふれ、図書館とは思えないほどのにぎやかさです。
いや、当然のことながら、こういうノリが嫌いというか、根本的に苦手な子もいる訳じゃないですか。中には、普段教室にいる時の「コミュニケーションをとらなくてはいけない」という、言ってみればコミュニケーション圧力に疲れ果てて、一人でじっと本を読んでいても誰にも文句を言われない、静かな図書館を心の救いにしている子も勿論いると思うんですよね。

「学校にいなくてはいけない」ということ自体が戦いであるような生徒の中には、図書館がむしろ、唯一平和に、安全に孤立出来る、シェルターのような場所だという子もいたと思うんですよ。

そういう唯一の「孤立出来る場所」が、陽性のふるまいも出来る子どもたちや大人にとっての社交的な空間になった時、そういう子がどう感じるか、というのは想像に難くありません。

というか、「いえーーーい!!」とか言いながらハイテンションで飛び込んでくることが「出来る」子は、その時点でそこそこコミュニケーション能力が高いような気がしないでもありません。少なくとも、陽性のコミュニケーションをとる資質は確実に持った子である、とは言えると思います。

一方、陽性のコミュニケーションが苦手な子に対して、無理やり「さあこういうコミュニケーションの場もあるんだよ!!」と陽の当たる場所に引っ張りだすのは、聊か乱暴な措置だと感じないでもありません。



ちょっと思ったんですが、「孤立」って言葉がちょっと無条件で悪役にされ過ぎなんじゃないかな、と。

勿論、心の内ではコミュニケーションに飢えていて、けれど友人関係や大人との関係が上手くいかなくって、結果的に孤立してしまっている子、というのもいると思うんですよ。それは否定しません。

ただ、そういうこととは何の関係もなく、ただ一人でいたい、コミュニケーションについて気にする必要がない時間が欲しい、一言で言えば放っておいて欲しい。そういう子も間違いなくいるんです。

「何も気にすることなく一人でいられる時間」というのも、心の成長には大事なものだと思うんですよね。もしかすると、そういう時間を得ようにも得られなくて、図書館を唯一の摂取源にしている子だっているのかも知れない。

前者の子に対するケアはそりゃ大事かも知れませんが、後者の子に対するケアはどうすればいいのかな、と。どちらかというとそれって、「適切に、安全に孤立出来る場所の提供」だと思うんですよ。で、図書館ってその為には結構絶好の空間なんじゃないいかなあと。

なんか、こういう話の時って「実際にはコミュニケーションに飢えているけれど結果的に孤立している子」にばかりスポットライトがいくような気がするんです。ただ、「そもそも学校でのコミュニケーションを望んでいない子」というのも世の中にはいるんじゃないかな、その子に無理やりコミュニケーションを取らせるのは正しいのかな、と思うんですよ。

そこから考えると、カフェはカフェで、図書館とはまた全然別の場所に作る方が、個人的にはしっくりきます。


繰り返しになりますが、冒頭リンクのような試みが悪いことだと言っている訳ではないんです。時間も限定されていますし、ここで書いたようなことなんて既に考慮されている可能性もあるでしょう。陽性のコミュニケーションが苦手な子に対する、記事からでは読み取れない工夫も色々とされているのかも知れません。例えば、実際にはにぎやかな場所と静かな場所が分離されていて、静かな場所は静かな場所としてちゃんと確保されている、みたいなこともあるのかも知れません。

ただ、この記事だけを読んで、「おっ、いい試みだな」と考え、単純にコピーする、図書館をどんどん「コミュニケ―ションの場」に変えていく。そういう動きをする時は、ちょっと立ち止まって考えて欲しいなあと。


一言で孤立っていっても、色んな孤立があるんじゃないでしょうか、と。

「安全に孤立出来る場所」は不要でしょうか、と。

新たなコミュニケーション空間が増えることによって、却って居場所を追われてしまう子もいるんじゃないでしょうか、と。

「コミュニケーションから離れたい」という欲求も勘案してあげてもいいんじゃないでしょうか、と。


その辺、ご検討いただけたらと思う次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 08:03 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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