学位授与式はまだですが、もう博士と名乗って良いそうなのでブログに書いておきます。
2013年に慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(以降KMD)の後期博士課程に入学して、2018年1月に博士号の学位を取得しました。
学位は、博士(メディアデザイン学)となります。
英語表記だと、Ph.D. in Media Design ということになります。
大学院に行ったきっかけは、モバツイを手放した直後の2012年7月にTechLionでKMDの砂原先生と一緒に登壇したことがきっかけ。当時はTwitterの話だったのに、僕はモバツイを手放した直後、更に、一緒に登壇した現サムライズム代表の山本裕介氏は、「実はTwitter社を退職したんですよ」みたいなステータス。更に、当時まだSixApartの広報をやっていたまゆみんと一緒に登壇するイベントで、もはや、みんな違う場所で活躍されているというWeb業界あるあるですね。
TechLionで砂原先生KMDについてのプレゼンテーションをお聞きして、あぁそういう大学院なら行ってみたいなぁとなり、後日Facebook messenger経由で砂原先生に相談しました。僕の最終学歴は芝浦工大の学士なので、修士課程に行くつもりで相談したら、なんと飛び級で博士の受験が可能だということをお聞きして、後期博士課程を受けたという流れ。
決して前のめりで博士課程を受けたわけじゃなくて、「えふしんは博士の方がいいんじゃないか」という砂原先生の一言で決意。というか、博士課程が現実的に3年以上かかるすらこともわからないで受験していたわけですがw
ということで学士から博士への飛び級を認めてもらうために、モバツイや、これまでのWebでの活動実績などをまとめて受験させてもらいました。
ちなみにKMDの博士課程の受験には、指導教授が決まっている必要があり、通常であれば人脈が必要です。だから、一番順当な流れなら修士から博士に行くというコースだったり、社会人ドクターでも誰かの紹介が必要である可能性が高いのですが、僕は完全にTechLionで知り合った砂原先生に相談したことがきっかけでしたので、相当レアな動線だったんじゃないかと思います。
砂原先生のネットワークメディアという研究室(厳密には研究室制度ではないのだが、この表現が一番わかりやすいのでそう表現する)に来ている、他の社会人ドクターの人は、もっと下のインターネットレイヤーにいる通信系大企業や研究所の人だったり、もしくは、もっとWIDE寄りの人脈を持っている人だったり、ある種のインターネットの発展の歴史のど真ん中に近い人達が学位を取りに来ているのに対して、それに比べると、レイヤー7のWebでやってきた僕は結構、外様感があるわけです。
仮に、その人達を社会的な権威が高いパスと表現すると、僕は非権威的な流れで、たまたまTwitterに出会って、たまたまモバツイを作って、それがあたって、独立したり、いろんな経験をさせてもらって、その流れでTechLionに参加させてもらって大学院に行って学位を取るという流れですが、それ自体が、どこかインターネット的であり、わらしべ長者的な感覚さえ思っています。
よく社会人大学院を通じて、通常の受験と比べて比較的容易な学歴の取得パスを学歴ロンダリングなどと呼んだりしますが、まあある意味そうですよね。偏差値基準で言えば、大学生の時にはおそらく慶應に入ることはできなかったわけですから。それ故に未だに塾生感などのようなものは一切ないですし、理工学部の人や三田の学部出身の人と一緒になっても「同じ大学でしたね」とは言う感じにはなりません。あくまでもKMDを卒業したという感覚しか持っていないです。
そもそも博士課程を受けた理由
とは言え、別に何の理由もなく、その場の思いつきでKMDを受けたわけではありません。
大学院には、昔からずっと行きたいと思っていたからKMDの話をお伺いしてニーズが顕在化したという流れです。更に言うと、モバツイを譲渡した直後という人生のタイミングにおいても完璧なタイミングだったと思います。
そもそも大学院に行こうと思ったのは、2005年の頃。
当時、Web制作かつ動画のCMSを作っていた会社で開発リーダ兼プロダクトマネージャをやっていた頃は、当時は非常に高い評価を受けていて、個人的な感覚よりも明らかに高いお給料をいただいていたので、感覚との差額を大学院の学費に当てて知識のアップグレードを狙うか、給料を下げて経験を買いに行くべく転職しようかなどを考えていた頃でした。
趣旨としては、コードは書けるわけなのだが、「どういうコードを書くべきか」についての製品ビジョンの持ち方やサービスをデザインする力をつけたい。つまりWebサービスにおけるプロダクトデザインの力を身につけたいと思って大学院を探し始めました。
当時、mixiのコミュを通じて、技術者版MBOと言われる、技術経営(MOT)という大学院に着目します。
当時の仕事の中で通える週末や夜の時間を使う社会人向けの大学院として理科大、芝浦工大などのMOTの説明会に行ってみて、結果的には、自分が求めているニーズとは違うな、と思い諦めました。
僕がアプローチしたかったのは、技術よりもエモーショナルな世界、今時で言う「UXを考えて、Webサービスを設計するための方法論」でした。
それがKMDで言うならデザイン思考だったと思います。ちなみに、デザイン思考の授業をお聞きして、銀の弾丸はないということがわかったので安心しました。多分、自分のキャリアの中でやってきたことは間違ってなかったということを知れたのは成果でした。
2005年当時はデザイン思考のような考え方に出会うことはできなかったので、Webサービスの経験を求めて転職します。当時、給与は20%近く下がりましたが、それでも善処していただいての金額。
でも、その経験が後にモバツイに繋がり、7年越しにKMDに入学したので完全にリベンジできました。僕個人としては、完璧な流れです。
社会人ドクターについて
入学まで「研究」などという言葉の意味がわからずにいました。大学の頃も研究室でしたが、当時の研究室はどちらかというと実学を重視するロボットの研究室でしたので、何かをひたすら考える研究という感覚はありませんでした。
それは社会に出てからも同じで、新製品開発などをしていても「考える」などというプロセスは自覚することができずに、とにかく「手を動かすこと」だけが仕事だと思ってきたのが僕のエンジニアとしてのキャリアでした。後から考えると、技術者としてアーキテクトとして必要なプロセスにぽっかり穴が空いていたように思えます。それ故に、会社で「考える」という行為は、何もしていないとか遊んでいるようにしか思えず、もっぱら休日や夜中に「考える」というのが当たり前で、社会人たるもの、そういうものだと思っていました。
新製品などの開発をしている時に「考えたい」ときには、ホワイトボードに書くとか、オフィスの中を歩いたり、トイレに行くなどの行為をしながら考えていました。これは単純に頭を整理するための意味合いもありましたが、机で考えることに違和感があったわけです。
研究においては「考える」ことを明確なスキルとしての適応を求められます。ある意味、大学院での先生方の指導は、修士にせよ博士にせよ、その技術を学生の体に植え付けるプロセスだったと思います。
僕自身もこの「考える」ことについては苦労しています。
「アイディアの作り方」という研究者の間でバイブルになっている薄い本があります。
名著と呼ばれる本ですが、この本の真価は、自分の研究について「考えて考えて考えた後に見えてくる」という問題があります。まだ「考えきってない人」には、この本に書いてあること意味がわかりません。どこにも引っかかりなく、さらっと読み終えてしまい、ありがたみを感じるポイントに気が付かずつまらない本という評価をしかねないです。ある意味踏み絵のような本なのだと言うことは、研究の道筋が見えてきた後から気がつくことになります。
ソフトバンクの孫さんが「脳みそがちぎれるほど考えて考えて考えた先に見えてくる」的な発言をされていたと思いますが、僕も何かにたどり着いたのは、KMDに入学してから既に2年ぐらいは経った頃だと思います。お風呂に入っていて、ふとたどり着きました。その頃になって、ようやく考えるということがわかってきたように思えます。
そこでようやく研究の骨子が見えてきてからは比較的早かったと思います。ただいずれにせよ何らかしらのマイルストーンという期限を背に動くのが一番人間が生産的に動けることを改めて実感します。このマイルストーンを学位取得のプロセスとして強制的に与えられるのは大切で、これが学校に通っているメリットになると思います。
ちなみに何かを考えて、そのレビューを受けながら、指導を受けて考えていることをブラッシュアップするという方法論は、技術マネジメントにそのまま活かすことができます。BASEのエンジニアの人たちが読んでいたら、僕が、みんなに考えてもらって、レビューするというスタイルを取っていることを知っていると思いますが、それはKMDでの実体験を元にしています。要は技術マネジメントにも、社会人ドクターの経験は生きています。
研究の内容について
論文のタイトルは「インターネットの情報発信を用いた信頼指標に関する研究」というものです。
元々は、311の時にエレベータが止まるかもしれないという不安感の中で、一切話したこと無い同じマンションに住んでいる人たちと、その時に話をしたのがきっかけです。つまり、コミュニケーションにおいて、何か共通となる文脈さえあれば、人間は話すのではないか?というのを入り口として、そこから、「相手に期待するもの」=「信頼」という考え方にたどり着きます。
コミュニティサービスを作る時に、人だけ集めて「はい、あとはみんなでご歓談ください!」で、話すことができるのはコミュニケーション強者の人に限られます。ではなく、コミュニティには必ず話す文脈が存在するし、相手と共通文脈が存在し、「話しても受けれてくれる期待」というのが存在するからこそ、コミュニケーションができるわけです。
だから、クックパッドは料理についての情報を発信する人と、その情報を見に来る人たちが存在するし、nanaでは音楽を楽しみたい人たちだけが集まります。つまり、そこには、「コミュニケーションが成立する期待」が存在します。この文脈設計と実装に成功したサービスは、意図していたや否やに関わらず多数のユーザを獲得することができます。
しかし、それも考えていくと、すべての人が同じ目的を共有しているとは限らないです。最悪の場合は、そういう場を利用して相手を騙しに来ているかもしれないです。例えば出会い系サイトに来ている人全員が、出会いを求めているとは限りません。もっといろんな人達が集まっていて、最悪、ネットで期待していた人ではない人が現れる可能性も多々あるわけです。
つまり、サービスが提供しているコミュニケーションや情報発信の共通文脈に対して、情報発信者は、なんらかしらの意図を持って情報発信していて、それがどこまで信頼できるのか?を可視化しようとしたのがこの研究の考え方になります。
そこからいろいろブラッシュアップされていって、論文のタイトルのような内容になっていきます。
そこから考えていくと、インターネットのコミュニケーション設計というのは、概ね情報発信文脈をどのように切り取るか?ということがすべてなんだなということに気が付きます。あとは、それがわかりやすい形でUXが提供されているか?心地よいか?ヒーローが生まれるか?などの要素に落ちていきます。
例えば、僕が転職ドラフトを高く評価しているのは、参加者の意図がいい感じにぼやかされた転職ナンパ会場になっているからです。少なからずこの会場においては、自社のアピールをしてもいいし、転職しませんか?と誘っても問題ない文脈が提示されています。
そして僕らは、その文脈を成功報酬として買っているというのが実態です。
もし犬のように感情が尻尾で見えていたら、相手にひっかかりそうな言葉を沢山伝えて尻尾が動けば、そこから口説くことができます。しかし人間には尻尾がついていません。騙されるんじゃないか?と警戒すらしています。だから、路上のナンパのように、とりあえず声をかけてみるか、お見合い合コンのように、それが許されている状況下で口説くかのどちらかしかできません。もちろん、それ以外に、「なんとなく相思相愛だった」という近づき方もありますが、それは一般的にはレアですし、コミュ障な人の典型的な夢です。そして、それは受け身というものでしょう。そして僕はコミュ障です。
いずれにせよ人間とはかくも面倒くさい動物であることを痛感させられますが、コミュニケーションのチャレンジに必要なものとして「信頼への期待のされやすさ」という考え方を置きました。信頼というものがあくまでも結果論であるならば、その手前に必要なものは、この人は、この件については信頼できそうだという期待感です。
その期待があるから検索エンジンで探しただけのお店で商品を購入することができるわけです。一方で、それでは商品が届かないなどで騙されてしまう可能性もあるので、それを解決することが本研究でたどり着いたところになっています。
この研究そのものが人的投資と、その結果としての評価論になっています。だから人を採用する時や、新しい役割に抜擢する時などに必要としているものが「信頼への期待をもてるや否や」という考え方で動くことにしています。結果としての信頼は後からついてきて、それが評価に繋がります。
これって仕事にどう結びつくの?
僕がいる世界は研究者でもないし、技術系大企業の社員でもない世界です。学歴そのものが評価に関係ない世界で仕事していると、博士号がキャリアに影響を与えることはあまりないように思えます。デジハリ大学院の講師をたまたまやっていますので(これはKMDに関係なく誘われた)、そこでは今後、何かに生きてくるのかもしれませんね。
一方で、研究してきた内容はどんどん今の仕事に近づいていきました。
そもそも上に書いてあるような内容で、「検索エンジンで探しただけのお店をどのように信頼してもらって、悪意のあるお店を排除するか」というのは、今の仕事の重要テーマに他なりません。
また、信頼、信用というのは金融の基礎です。BASEという会社がフィンテックというジャンルで期待されているとするならば、ここでの研究の考え方は、インターネットのWebサービスという曖昧さを敷居の低さとしてグロースに結びつけるサービスから、どのように信頼を供与していくか?という技術は、完全に必要な技術であり、そこに近づいていったのがBASEで働いていることと無関係ではないでしょう。
実は、論文のプロポーザルの審査という、学位取得一歩手前のステータスになる審査会では、うっかり「インターネットの情報から与信を実現したい」と言って審査の教授陣から一度ボコボコにされています。これについては論文でも触れていきますが「そんな簡単じゃねーぞ」というところに繋がっています。
ここは語りだすと長いので詳細は差し控えますが、フィンテックなる言葉が出てきたおかげで、昔も今もソーシャルに発信された情報から、うっかり与信なんかができるんじゃないか?などの話を見かけるわけですが、「みんながんばってね」と生暖かく見ている感じです。
それが実現しないとも言いませんが、実現しにくい論拠も持っているので、そういうのにチャレンジしてるサービスや会話は否定的に見ていますが、それを解決するのもイノベーションだと思うので否定はしません。ただBASEの中で、そこの議論が出てきたら徹底的に議論することになるでしょう。まさに専門分野ですから。でも、時代のタイミングで、それまでできなかったことが、偶然成立してしまうことがあることも知っているので、すべての可能性は否定しません。やってみて、あぁダメだったね、っというのを検証するのはアリです。
途中でくじけたことはあるのか?
途中で諦めようと思ったことがなかったかというと、あったような気もしなくもないです。
奥さんからは「おまえはくじけてもやりきるところがすごい」などと言われましたが、くじけたという部分の真意はイマイチわかりませんw
(単純に覚えてない可能性があって、周りの人が見ている僕の姿の方が真実なのでしょう。ただ親戚づきあいは悪くなるわ、夜、家に帰ってこないわ、相応に周囲に迷惑をかけています。)
割とはっきりしているのは、僕が学位を取るに至ったのは、先生方の期待に応えたいという感覚のほうが大きかったと思います。当然、先生方のお時間をいただいているわけです。それが学費を払っている経済活動という感覚を超えているのは、他の学生に対する対応を見ていて十分理解しています。
個人的にはお金を払って怒られてるという感覚が楽しかったです。怒られると言っても、いわゆる感情的に怒られてるわけではないのですが、修士の若い子だと本気でそれに萎えてしまう不器用な子は、稀にいるような気もするのですが、社会人ともなると、それ自体が期待感に基づいた指導であることは、強く感じているわけです。
社会人においても、この「人に期待されている」という状況に置かれていることは結構大切な原動力になっていて、期待さえされていれば、どうにかなるような気さえしています。僕は褒めてもらう必要はないですが、期待されてることがわかれば頑張れます。
その反面、期待されてなさげなことを考えてしまうとメンヘラ的に心が萎えてしまう悪い癖があることも知っています。だから余計に、期待されていることへのありがたみを感じられるのだと思います。モバツイをやっていたころのインタビューや本の中でも、そんな話ばかりしているような気がしますね。
研究にかけた値段
学費以外で研究のために買ったもの。
・Thinpad X260の中古 5万円ぐらい
研究用途にGithubのアーカイブサイトからダウンロードできるMySQLのデータベースを扱うために、一時的にも500GBぐらいのストレージが必要になって、手持ちのMacBook Proで足りなかったので、しばらくAWSでやっていたのですが、最初様子見るために1TBのストレージなどを確保していたら、それだけで毎月1万円以上かかることがわかって、それならとThinkpadを買いました。vagrantでcent osを立ち上げて、その上で研究しています。
ちなみに、データ解析はPython + SQLAlchemyで処理しています。PAYチームのこともあって勉強も兼ねてPythonでやってました。
・iPad pro 12インチ + Apple pencil 10万円ぐらい?
モバツイ本を書いていて校正には目線を変える必要があったことを覚えていたので、論文のチェック用にiPadを買いました。最近、いろんな人に絶賛されているように、非常に当たりマシンでしたね。
・BOSEのBluetoothヘッドホン
作業を会社帰りの漫画喫茶で作業していたのですが、となりのブースのイビキを逃れるために静音ヘッドフォンを活用しています。
社会人Dなのであまりお金を気にせず、必要なものはガンガン買っています(って程でもないか)
それよりもなによりも学籍を持っていると海外の論文も大学のアカウントでガンガン読めるのは幸せですね。
学位取得までの時間軸
2013年4月 入学。初年度は同期の修士の授業に出たり、月一のmtgを通じて徐々に研究を作り上げていくプロセス
2013年12月 「第6回インターネットと運用技術シンポジウム(IOTS2013)」に参加 スマートフォンを「鍵」としたウェブサイトへの自動ログイン機構の提案
2015年7月 一回目の研究プロポーザル審査(失格)
2015年12月 二度目の研究プロポーザル審査(合格)
2016年1月 ここらでBASE社がメルカリ社から出資を受け、人事ノウハウの交流などが始まり、僕の忙しさが倍増し、2016年での学位取得を断念
2016年4月 4年目から学費がめっちゃ安くなる。研究プロポーザルが通っていると単位取得退学ができるようになり、学費ゼロで研究を続けていくことができるのですが、この年から学籍延長が非常にリーズナブルな学費になったため、論文指導にお金をお支払いするという本来の意図に沿うことと、keio.jpアカウントを維持することで論文アクセスへのフレキシビリティ確保のために学籍を延長しました。
2016年8月 情報処理学会の会誌への寄稿 「フィンテックスタートアップのビジネスモデル」
2017年5月 一度目の論文提出をしたもののクオリティの不足の指摘により出直し。公聴会、延期
2017年7月 Web系CTO 50人以上アンケート&インタビュー実施。
2017年8月 大人になって初めての入院w (ゴールデン街での遊びすぎと研究と仕事がセットで起きたことですが、人生と連動しているのも社会人Dの特性ですね)
2017年9月 KMDを単位取得退学、公聴会実施のフレキシビリティを確保する戦略の元で学籍延長をストップしました。
2017年12月 公聴会実施
審査委員は、Root DNSの構築運用をされていたり、日吉で実施されたYAPCの無線LANインフラなどでも協力していた加藤朗教授を主査として、元マイクロソフトの古川享教授、テレビでも見かける岸博幸先生、関東学院大学の折田明子先生にお願いしました。特に折田先生はネットコミュニケーションが専門で僕の研究に符合する部分も多く、多々、ご指導いただきました。また、岸先生には、初期フィルタリングのために使うという重要な研究の使い所についてのご指摘いただいて開眼したのと、古川教授、サムさんには、プロポーザル審査の時にGithubを通じてエンジニアへの期待のされやすさを指標化するという研究の重要な方向性をご教授いただきました。
2018年1月 学位承認
ということで、かかった時間は5年弱と言ったところでしょうか。
社会人Dを検討の方、ご相談お待ちしております
なんとなくtwitterなどで世の中の動向を見ていると、特にWeb系の社会人が博士課程に行く人が増えていくような気がします。大体、自分がやってることは他人より時代が少し早いことが多いという経験則がありまして、そう考えると、もっと今よりも良い環境で、大学院に行く人が増えるような気がします。
僕自身は博士課程に行く時に、ブロガー繋がりで、Geekなぺーじのあきみちさんに相談しました。あきみちさんはSFCで博士号取られていて、僕の知り合いにそういう人がいなかったので相談しました。そしたら論文審査の時に大変お世話になった関東学院大学の折田先生と同期だったことがあとでわかって驚きだったのですが、そうやって繋がっていくんですねぇ、と思ったりしてるので、僕も同じことを他の人にしてあげたいという気持ちがあります。もし社会人ドクターを検討している人で、仕事面、生活面での相談などがありましたら、是非、お声がけください。ランチでもしながら、僕が知ってることでお役に立てそうな部分があったらお話したいと思います。
【PR】ご意見、感想などは是非、mstdn.fmのローカルタイムラインでお聞かせください