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梔子のなみだ 作者:水無月

女王時代

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春の祭り 1



喇叭(ラッパ)の音が、抜けるような青い空に甲高く響く。
それと同時に、色とりどりの花びらが城下のあらゆる建物からばらまかれ、風に舞い上がった。
いたるところに花が飾られ、誰もが明るい笑顔を浮かべている。
その胸元には、それぞれが好む花を飾っている。

屋台を開く商人や、飲食業を営む人々は忙しなく動き回っている。
だが、その表情は酷く楽しそうで、見ている人へもその感情を伝染させる。
子供たちは、この日ばかりは遊びつくすと言わんばかりに走り回る。
いつもであれば怒られるそれも、今日から三日間だけは怒られないのだ。
そして多くの城下に住まう人々は、こぞって城のバルコニーへと詰めかける。
ただひとつ、開始の言葉を聞くためだけに。

「―――ヴェルムンド国民よ、共に春を喜ぼう。
 これより、”春の祭り”を開催する」

ヴェルムンド国女王であるイルミナの宣誓によって、春の祭りは始まった。






「―――では、次」

ヴェルナーが声をかけると、すぐさま入れ替わりで男が入室してくる。

「この度はお時間を頂きまして、誠にありがとうございます、女王陛下」

「構いません」

「ブラン伯爵領のエドモンド・トリオール殿ですね。
 時前の書類は届いています」

「あぁ、ありがとうございます・・・!そのことで・・・」

祭りの期間中、イルミナは一番最初に挨拶をするのみでほとんど謁見室から出ることはない。
人の出入りが最も激しい為、イルミナの警護の関係上で基本的には謁見室にとどまるようになっているのだ。
唯一、イルミナが出られるとすれば最終日に開催される舞踏会のみ。
そこでファースト・ダンスをグランと踊り、挨拶をすればイルミナの女王としての役目は一旦終える。
なんてつまらないと言われればそれまでだが、今までの春の祭りも似たような感じだったので、イルミナに不満はない。
むしろ舞踏会で踊らなければならない、それだけで疲れるような気すらした。

「―――しばしの間、休憩とします。
 次は二時間後です」

何人目か覚えていない対応の後、ヴェルナーは言った。
きっとイルミナの疲れが見て取れたのだろう。
朝議などで人と話すことは増えても、このように人の話を聞き続ける状態に慣れていないイルミナは、人より数倍神経の消耗が早いのだ。

「・・・大丈夫ですか、陛下」

「アーサー・・・、なんとか、大丈夫です。これが終わったら、馬乗りをしたいですね」

遠い目をしながら話すイルミナに、アーサーベルトは危ないと思いながら焦る。
その横ではヴェルナーですら危険なものを見る目だ。

「へ、陛下、そうですね、終わったら少しお休みを取りましょう!!グラン殿と遠乗りでもよろしいですなっ!そう思うだろう、ヴェルナー!」

「あ、あぁ・・・!即位されてからほとんどお休みを取られておりませんからね!こちらで調整しておきます」

「・・・ありがとう、二人とも」

イルミナは二人の優しさに涙しそうになる。
確かに疲れが溜まってきているのはある。
以前であれば稽古をつけてもらって発散していたが、これからはそう簡単にはいかない。
うまく付き合っていかねばならないのは分かるのだが、それまでにはまだ時間がかかりそうだ。

「・・・グランは?」

「あぁ、先ほど料理長に陛下の軽食を頼まれているのを見ましたよ。
 そろそろ来るのでは・・・」

と、ちょうどよく扉が鳴る。
ドア前の近衛兵が扉を開いたようで、グランが両手にお盆を持ちながら入室してきた。

「お疲れ様、イルミナ。
 慣れないから疲れるだろう」

「グラン、そうですね・・・、こんなに長時間座りっぱなしっていうのもなかなかないですね」

グランはイルミナの座るテーブルに、持ってきたお盆を置く。
そこからはほのかに食欲誘う香りが漂ってくる。

「料理長に頼んでおいた。
 冷めないうちに食べてくれ」

「ありがとうございます、三人の食事は?」

「我々は大丈夫です。
 隣室に用意していたものがあるので」

アーサーベルトとヴェルナーは即座に空気を読んでそう返す。
別に邪魔をしようというわけではないが、この二人の空気は毒だ。
気を使わせてしまったことに、イルミナは少しだけ申し訳ない気持ちが生まれるが、グランと二人きりにしてくれることに感謝の念が生まれる。

「では陛下、二時間後に」

「わかりました」

アーサーベルトとヴェルナーが隣室へと姿を消す。
少しだけ開かれた扉は、イルミナのことを考えてくれてのことだと理解しているが、少しだけ気恥ずかしくもある。

「イルミナ」

グランがイルミナを隣へと呼ぶ。
それに誘われるようにイルミナはグランの隣へと腰掛ける。
最近になってようやく慣れてきたその体温に、イルミナはほっと息をつく。
自分でも想像していたより、体は緊張していたらしい。
害悪でしかない貴族を切り捨てたとはいえ、貴族には彼らよりもっと狡猾な人たちがいる。
そういった人たちの方が、よっぽどたちが悪いのだと教えられている身としては、一部の隙すら見せるわけにはいかない。
無意識にそうしていた為か、気づいてしまったら肩が酷く重く感じた。

「大丈夫か、イルミナ。
 だいぶ疲れているだろう。
 私が知って居る限りでも食えない奴らは多い。
 そういう相手によくやっている」

グランはそういいながらイルミナの顔をするりと撫でた。

「大丈夫です・・・。
 いずれは通らなくてはならない道ですから。
 ・・・でも、少しだけ疲れました・・・」

アーサーベルトやヴェルナーの前では吐かなかった弱音が、グランの前だとするりと口を出る。
いくら大人びて女王として評価が高くとも、イルミナ自身にそこまでの経験はない。
確かに王女にあるまじき鍛練や体制をつけ、一部の貴族相手に一時とはいえ対等にやり合ったとしても、そもそもの場数が圧倒的に足りないのだ。
それを補うために今回の面会を今までの通りのように敢行したのだ。
荒業ともいえなくないそれは、イルミナに必要なことだったのだ。

「少し休むか?」

心配そうに見てくるグランに、イルミナは首を横に振る。
これくらいで音をあげているわけにはいかない。
疲れを上手く取るのも、必要なことなのだ。

「食事をしましょう、グラン。
 お腹が空いては頭も回りません。
 それから少しだけ、話しましょう?」

イルミナの言葉に、グランは仕方ないな、とでもいうように苦笑を浮かべると、持って来た軽食をテーブルの上に並べ始めた。






**********





「本日はお疲れ様でした、陛下。
 今日はここまでで、また明日同じ時間帯から始めます」

「わかりました。
 ヴェルナーもご苦労様です。
 今日はゆっくり休んで、明日に備えて下さい。
 アーサーもですよ」

「ですが陛下」

難色を示すアーサーベルトに、ヴェルナーも頷く。
それはアーサーベルトの言葉に同意してのことのようだ。

「陛下、いくら国内の祭りだからといって、不埒なものが居ないとは限りません。
 この男は三日位眠らずとも大丈夫ですよ」

酷い物言いだが、それだけアーサーベルトという男を知り、そして信じているからだ。
そしてそれはイルミナも同じ気持ちだ。
だが、休まずに仕事をしてもらうということに忌避感を覚えているイルミナは、どうしても難色を示してしまう。

「ですが・・・」

「大丈夫です、陛下。
 私にも腕に覚えはありますし、仮眠で少しの交代はしますから。
 もし陛下に何かあったら、私は一生自分を許せなくなります」

アーサーベルトにそこまで言われ、イルミナは渋々頷く。
確かに、アーサーベルト以上の腕前のものは現段階でこの国にはいない。
そして彼ほど、国内外に名を馳せている騎士もいないのだ。
いくら国内のみの祭りといっても、人の出入りは激しい。
そのなかで最上の警護をするのは当然のことだ。

「・・・わかりました、無理はしないようにしてくださいね」

「もちろんです」

イルミナはその言葉に頷き、そして自室へと戻る。
体が泥のように重いが、それでも一日目を問題なく終えた充足感がそれ以上に体を支配する。
今まで、イルミナは春の祭りには王族として挨拶のみを行い、あとはずっと自室に篭っていた。
春の代名詞のようなリリアナだけがいれば、誰もが満足していたから、自分は居ない方がいいと考えていたのだ。
だから、こんなにも大変な行事だとは知らなかった。
そして知れたことに、喜びを覚えていた。

まだまだ未熟な自分だが、この祭りが上手くいけば自信に繋がるだろうことを確信している。
そうして一つ一つ、誰もが認める女王となるのだ。


「お帰りなさいませ、陛下。
 湯浴みの準備は整っております」

「ありがとう、ナンシー」

部屋に戻り、出迎えてくれたナンシーに礼を言い、汗と共に一日の疲れを湯に浸かって癒す。
疲れている自分のことを考えてくれたのだろう、リラックス効果の高いハーブをまとめて入れた袋が浮かんでいる。

あと、二日。
そして二日目の夜には、女王となり初めて自分主催の舞踏会を開く。
そこでは成人した貴族の令息令嬢への祝いの言葉を送り、グランとファーストダンスを踊る。
自分たちのダンスが終わった後、貴族令息たちが踊り、一つの出会いの場と・・・と、そこまで考えた時、イルミナははたと気付いた。
いや、本来であればもっと早くに気付くべきことだった。
忙しくして、完全に失念していたというのは言い訳にはならない、そう理解しているが。

「・・・私、最後にいつ踊った・・・?」

イルミナは必死に記憶を洗い出す。
幼少期に、少し練習したのは覚えている・・・だが、その後は?
そして思いだせないほど踊っていないことに、愕然とした。

しかし考えてみれば当然だ。
アーサーベルトとの鍛練やヴェルナーから受ける講義ばかりを受け、更に耐性をつけていた時は踊るなんて不可能だった。
その後も精力的に視察に出掛け続け、城に戻って来ても何かしら施政者になる為の勉強ばかりをしていたのだ。

血がざっと下がっていくような気がした。
女王たる自分が、踊れない。
それは、国の威信にかかわるし、ロッソの二人はダンス映えするドレスを作成してくれた。
踊らないということは出来ない。
いや、そもそも自分が踊らなければ始まることすら出来ない。

「・・・な、ナンシーー!」

イルミナのかつてない悲鳴に、ナンシーは転がるように浴室へと姿を現す。

「へ、陛下!?
 何事ですか!?」

「っ・・・ぐ、グランを・・・!!
 グランを呼んで・・・!!」

「ぐ、グラン様、ですか・・・?」

「私、ダンス踊れないかもしれないー・・・!!」

イルミナの絶叫に、ナンシーも一瞬で顔色を変えた。
そしてすぐさま自分には荷が重いということを判断し、ジョアンナに指示を仰ぐべく、ドア前の近衛兵に伝令を頼んだ。

「メイド長を!!
 陛下の大事です!!」






「・・・申し訳ありません、陛下・・・。
 完全にこちらの落ち度ですわ・・・」

急に呼び出されたジョアンナは、項垂れながら謝罪を口にした。
しかしイルミナのほうが恐縮する。
そもそも王族が踊れないということ自体がありえないのだ。
前提として自分が悪かったのだとイルミナは考えている。

「いいえ、ジョアンナのせいでは・・・。
 私も気付くのが遅れて・・・」

舞踏会でイルミナが踊る予定だったのは一曲。
だが、比較的に難易度が高めで初心者ではまず踊れないような・・・だが貴族・王族であれば誰もが学ぶだろうそれが、ファーストダンスの曲としての決まりだ。


「・・・とりあえず、陛下は簡単なドレスに着替えて頂き、グラン様をお呼びしましょう」

「でも、こんな時間では・・・」

「駄目です、陛下。
 グラン殿は王配となられる方ですから、問題をお二人で解決されないといけません。
 というより、グラン殿と踊って感覚だけでも掴みませんと。
 パートナーが変わらないで覚えるほうが楽ですから」

「・・・やはり曲を変えることは」

イルミナは精一杯の抵抗をした。
踊れないのは自分が悪いことは分かっている。
でも、このぎちぎちのスケジュールの状態でダンスレッスンの時間を捻出しようものなら、時間帯など必然的に決まってくる。

「無理です。
 ヴェルムンドの決まりです」

ジョアンナン言葉に、イルミナは項垂れた。
もし簡単な曲に出来れば、そうたくさん練習せずともいいような気がしたが、さすがにそれは許されないらしい。
イルミナは諦めたように、着替えるために立ち上がった。





「イルミナ?
 何か緊急な事態でも起こったのか?」

呼び出されたグランは、入室した先のイルミナの姿を上から下まで確認するように目を走らせた。
もう休むと言っていたのに、なぜか簡単なドレスを着ている彼女の顔色は悪い。
そこまでの緊急事態か、とグランが考えを巡らせる。

呼びに来たメイドは、詳細を一切話そうとはしなかった。
ただただ、陛下がお待ちです、としか言わなかった為、そこまで重くは考えていなかったのだ。
少なくとも、今の彼女の姿を見るまでは。

「グラン・・・」

イルミナの声は、今にも泣きそうだ、とグランは感じる。
そして滅多に泣くことの無い彼女がそうなる事態というのは、一体何なのだと警戒する。

「・・・グラン、私、ダンスが踊れません」

「・・・なんだって?」

グランは、言われた言葉が一瞬理解できず、聞き返した。
それに、イルミナはぐっと唇を噛むともう一度同じことを言った。

「私っ、ダンスが踊れないんです・・・!!」

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