INTERVIEW:
あっこゴリラ
バンドのドラマーとして音楽シーンに登場し、解散後の2015年に『MC BATTLE THE罵倒』への参戦をキッカケにラッパーとしての活動を本格化。16年には「TOKYO BANANA」「Back to the Jungle」の2枚の作品をリリースし、17年1月にはフィメールMCによるバトル『CINDERELLA MC BATTLE』で優勝。そして、数々のメディアにも登場し、約2年強という短期間で一気にシーンの注目株になったあっこゴリラ。その彼女が新作「GREEN QUEEN」をリリースした。
「GREEN QUEEN」収録のあっこゴリラ x PARK GOLF“Green Queen”に、「セーラームーンなら月野うさぎ/千と千尋足して割ればそれわたし」という一節がある。
非常に大雑把な捉え方にはなるが、『セーラームーン』は、いわゆるモデル体型の、女性が憧れるとされるスタイルを持った、戦うカッコ良いヒロインであると同時に、様々な愛の形やスタンスという多様性を認める存在であった。
一方で、『千と千尋』の主人公:千は、自立心が弱く、異世界に入ってからは名前というアイデンティティを剥奪される存在である(もちろん、そこからの成長物語ではあるが)。
つまり、逞しく肯定を与える存在と、脆弱で自尊感情の弱い存在のふたつを、あっこゴリラは“わたし”として規定する。
本文でも語られる通り、あっこゴリラは弱い存在であった自分を認め、「いつでもそこに戻ってしまうかもしれない」と話す。しかし、彼女のライヴから感じるのは、非常にタフで、力強くオーディエンスを牽引していく姿だ。
その意味でも、彼女はそういった両面を肯定することで、“自分自身”をまず肯定しようとしているのだろう。「自分が自分であることを誇ろう」としているのだろう。だからこそ、“Green Queen”や“ウルトラジェンダー”からは圧倒的な肯定と優しさが溢れ出ており、そして、その言葉は彼女を伝って、リスナーにしっかりと届いていく。
向井太一やSTUTSなどとのコラボレーションが大きなファクターとなった本作で、彼女が明確にそういった内面性を書き出したのは、非常に興味深く、作品としてもこれまで以上の充実を感じさせられ、彼女のアーティストとしての深度が更に感じさせる一作となった。その言葉に耳を傾けてほしい。
■まず、本作の話に入る前に、今年1月に優勝を果たした『CINDERELLA MC BATTLE』(以下CMB)のお話から伺えればと思います。
「CMBは、優勝するために出たんですよね。だから、狙って、出て、獲った、って感じです(笑)」
■バトルだから優勝を目指すのは当然とはいえ、「優勝するために出る」という意識があったのは?
「『THE罵倒』に出たのが本格的にラップを始めたキッカケだったから、バトルMCって捉えられたり、コミカルな内容もやってるんで、ギャグ・ラッパーとか色モノって言われたりも今までしてて。そういうカテゴライズで自分の音楽が穿った見方をされるんだったら、いっそタイトルを獲ってやろうと思ったんですよ」
■ラッパーとして有無を言わさないための、ナメられないための称号が欲しかったというか。
「それに近いかも。色モノともどうでも思ってくれてもいいけど、だけど『私はカッコ良いから』って思ってたし、それを証明したかった。だから、私のスタイルで勝つ必要があったんですよね。でも、そう強く思ってたのは、そのときまでかもしれない」
■それは、優勝したことでそのフラストレーションが解消されたってことですか?
「いや、周りの評価を越えて『私は私だな』っていう感覚が、今年は強くなっていったんですよね。だから、正直、周りのこととか、どう捉えられるかをまったく気にしなくなってて。いわゆるHIP HOPヘッズの人に『TOKYO BANANA』のときは“色モノ・ギャグ・ラッパー”って言われて、2nd『Back to the Jungle』を出してCMBで優勝したら、今度は『HIP HOPじゃない』って言われるようになったんですよね。それは悔しくもあるけど、しょうがないのかな、とも思って。だって、まだマイク握って2年半のペーペーだと思うし、ラップをやればやるほど、まだまだ全然ペーペーだなって思うんです。“覚悟”や『人生を賭ける』とか、そういう気持ちの部分では負けてないと思うけど、『ラッパーとしてマイクに向かう姿勢』に関しては、まだまだ全然ひよっこ。だから、今の自分に誠実に進化するしかないと思うし、そこにすごく集中してるんですよね。そう思ったら『周りに認めさせる』よりも、『自分自身に向き合うこと』の方が大事だって気付いて、『周りに分からせたい』っていうような気持ちがどんどん消えていった」
■外側からの評価よりも、「自分で自分のことをラッパーとして認められるかどうか」に意識が向くようになったというか。
「それにすごく近いと思う。『対・自分』っていうか。褒められたら嬉しいし、貶されたら『はあ?』って思うけど、それが何かを生み出す原動力にはなってないですね」