【ネタバレ】映画「伊藤くんA to E」感想:この映画感想

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みなさんこんにちは。ゆうと申します。

 今回はですね映画「伊藤くんA to E」についてお話していこうと思います。
今回の記事はネタバレを含むと共に、映画に対してかなりネガティブな意見が主体となっております。

 当ブログでは、できるだけ作品に対するネガティブ一辺倒な記事は避けたいと考え、そういった記事はあまり書かないようにしているのですが、今回ばかりは我慢できません。本当に酷評せざるを得ない作品です。

 作品に対してネガティブな感想や意見を読みたくないという方がいらっしゃいましたら、ここで読むのを止めることをおすすめします。

 読んでくださる方、どうぞ先へお進みください

 

・概要

「ランチのアッコちゃん」など数々のヒット作を生み出す柚木麻子が2013年に発表し、直木賞候補作となった同名恋愛小説を、岡田将生&木村文乃主演、廣木隆一監督のメガホンにより映画化。かつては売れっ子だったが、今では過去の栄光でなんとかプライドを保っているアラサー脚本家・矢崎莉桜。腹黒くしたたかな彼女は、他人の恋の悩みをネタにドラマの脚本を作ることを思いつき、彼女の講演会に参加したA~Dの4人の女性への取材を開始する。彼女たちを振り回す男は容姿端麗、自意識過剰、幼稚で無神経という共通点があった。さらに彼女たちが頭を悩ませる男はいずれも「伊藤」という名前だった。そして、その「伊藤」とは、莉桜が講師を務めるシナリオスクールの生徒・伊藤誠二郎であることが発覚。やがて莉桜自身も「5番目の女=E」として伊藤に振り回されていく。5人の女性を振り回す伊藤役を岡田が、伊藤に振り回される莉桜役を木村がそれぞれ演じる。
映画com.より引用)

 

映画を製作する際に、どの層をターゲットにするのか?という点は間違いなく大切なことです。興行的な話で言えば、男性なのか女性なのか?年齢層はどのあたりなのか?といったマーケティングが重要になってきます。そして内容面の話ですが、今作のようなテレビドラマが先行して放送されていた作品であれば、テレビドラマを見てくれた人向けの内容にするのか?はたまた映画から参入してくれる新規ファン層に狙いを定めるのか?という選択をする必要があるでしょう。

 というのもその選択をはっきりさせておかなければ、どっちつかずな中途半端な作品になってしまうんですよね。その成れの果てがこの映画「伊藤くんA to E」という作品だと思います。

 この映画は、テレビドラマ版から見てくれていた人たちを退屈させ、さらには新規視聴者層を完全に置いていってしまうタイプの作品です。

 まずテレビドラマ版を見ていた(原作も読みました)自分の立場からの見解です。原作では、AからEまでのアルファベットに当たる女性と伊藤との関わりを章立てて展開させています。ドラマ版では、最後のEに当たる矢崎莉桜のエピソードを描いていません。全8話でもって、AからDの矢崎以外の女のエピソードを各2話で描いています。

 つまりドラマシリーズを鑑賞した人は、当然のごとく映画版にEの矢崎のエピソードを期待しますよね。ドラマの方では描かれなかったのですから当たり前です。しかしですよ、この映画の本編の8割近くがドラマ版で既に描いている物語の焼き直しなんですよね。最後の最後で少しだけEの矢崎パートが描かれます。そのため、ドラマを鑑賞した上でこの映画を見に行くと、ひたすらに退屈なんですよね。既にドラマで見たようなシーンと展開がただただ何の工夫もなく冗長に続くんです。

 次に原作を読んでいた場合ですね。これは本編の8割を占めているAからDの総集編パートも退屈せずに見れるかとは思うんですが、幾分Eと伊藤くんに関する描写が映画版は酷いです。原作で秀逸だった2人の独特な関係性はほとんど失われてしまっています。

 この点は後ほど詳しく解説しようかと考えているので、割愛しますが、とにかく原作の魅力を拾えてない上に、全てが劣化版仕様になっているので、本当に見るに耐えないです。

 最後に映画版からこの作品に入る人ですね。原作やドラマの前情報が無いですから、冒頭から続く伊藤とAからDの女性のエピソードはある程度楽しめると思います。しかし、映画版のAからDのエピソードっておそらくドラマ版を見た人向けに作っているんですよ。かなり重要なセリフや説明がごっそりと抜け落ちていますし、かなりカットが入っているので、登場人物をさほど魅力的に描けていないですし、彼女たちがなぜそんな行動をするのかも理解しづらいんですよね。

 特に顕著だったのが池田エライザ演じる相田聡子のパートですね。彼女が誕生日を誰にも祝ってもらったことが無いという情報は絶対に重要です。それを取りこぼすということは、彼女の神保に対する嫉妬心の正体を不明瞭にすることを意味しています。他にも彼女が親友の大好物であるチェリータルトを売っている店で働いていることも重要です。こういった細々したエピソードを拾わずに、相田聡子について描こうとしたがために、彼女の心情や行動原理が全く持って見えづらくなってしまいました。

 他にもたくさんこのような点があります。とにかく原作かドラマで予習をしておかないと、脳内補完して作品を理解しづらい作品になっているんです。ただですよ、先ほども書きましたが、原作かドラマを見ておくと確かに作品を理解しやすくはなるのですが、この映画が一気に退屈な作品になってしまいます。

 この映画は、新規層向けにするのか、ドラマから見てくれていた人向けにするのかを迷った挙句にどちらも獲得しようとして、どちら向けにもなっていないんですよね。

 ドラマ・原作を見ていないと理解しづらい。しかしドラマ・原作を見ていると、この映画は退屈。そんなジレンマをこの映画は抱えてしまっているわけです。

 だからこそどの層も楽しみづらい作品に仕上がってしまっているわけです。製作段階で、まずどの層にターゲットを絞るのかという決断をきちんとしておくべきでしたね。個人的には、ドラマをあんな形でぶつ切りにしたわけですから、映画版はドラマを見た人向けで、Eの矢崎にフォーカスした話にしても良かったと思うんですがね。つまりドラマの正統な続編という位置づけにしてしまうということです。

 新規層が楽しめないではないか?という声はもちろんあると思いますが、ドラマや原作まで見てみたいと思わせるだけの映画を作ればいいわけですよ。映画を見た人が「すごく面白かったけど、これはテレビドラマの延長戦にある話なんだ、じゃあそっちも見てみよう!」となるような映画を目指すべきだったんです。

 それを中途半端に新規層も取り込もうとドラマ版の総集編的な内容で本編の8割を消化し、結果的にドラマから見てくれていた層を退屈させる結果に終わっています。

 誰を楽しませたいのか?どの層をターゲットにした作品なのか?この辺りを明確にしないと、こんな映画ができてしまうんだという良い教訓になったと思います。