長すぎて文体がイロイロと変わっているのはご容赦。
まずライブがあって、それに行った。
https://twitter.com/wai_bar/status/950605111604035584
健さんだけでなくて、梅崎さんや、Glassのお一方は風邪でお休みだったので、もう一方のソロライブになった。
梅崎さんは、めちゃくちゃ面白おかしい自作の歌を歌って、笑ってしまった。
とりわけ、昔話で男の子が生まれるところ、女の子が生まれて、その子を”泡姫”と名付けて、その子が働くことでおじいさんとおばあさんが幸せになる、みたいな歌詞が、皮肉すぎて笑えた。
大工さんがイェーイ!とか。
梅崎さんは歌われた後に帰られたけれども、後で健さんに、そこがとりわけ面白かったと話したら、健さんは、昔は放送禁止用語とか、ライブでいっぱい歌っていたけど、いまはライブでも放送禁止コードとか気にして歌わない、それではダメ、と言われた。
私の考えだけれども、確かに、テレビに出してもらえるくらいに有名になったら、そのときにはじめて放送禁止コードとか気にしたらいいのであって、正直下手なうちは、なにを歌ってもいいと思う。
だって無名なんだから。
無名なうちは、なにやってもいいよ。
それで世間が問題視してくれたら、炎上商法に乗っかれるやん?
・・・・まあ私はそんな気持ちで、無名だし、自分のブログだし、エッチしたいだのなんだの書いていたら、それを警視庁が問題視してストーカー規制法違反容疑までデッチ上げてきたのだけれども。
ホンマはそれで炎上するはずなんやけど、そこが言論統制・報道統制が行きわたっとるとこと思うなあ。
ついでに、健さんから、昔めっちゃオモロイのがいて、
「俺はオマエのパンツになりたい!パンツになってお尻のナントカカントカ・・・」
とか歌ったのがいたって。
聞いて爆笑したよ。
いややっぱオトコっておっぱいとかよりも、自分にはない股間にどうしても興味がいくよなあ。
それは間違いない。
だから、ものすごく爆笑した。
・・・・・・・・・・けど、冷静に考えて、パンツってなんもできんのやぞ。
生理の日とか、アソコに直接じゃなくて詰め物があって、詰め物と接触しとるだけやぞ。
そうでなくてもなんとかシート越しかもワカランけど。
しかも、パンツってそもそも1回履いたらその後洗濯されて、その後違うパンツを履かれて、自分が回ってくるのはめっちゃ何日も後やん。
めっちゃ笑ってみたけど、そこまで考えたら、私パンツになんてなりたくない。
・・・だいたいパンツなんて捨てられる運命やからな。
一緒に火葬して欲しいパンツなんてないやろ。
私はオトコやけど、この下着はお気に入りだ、なんてのはゼンゼンない。
やっぱ私は、あなたのナントカになりたい、なんてないなあ。
・・・・・・・・けど、私はそう思うけれども、
「俺はオマエのパンツになりたい!」
って直球で言えたヤツってすごいと思う。
そういう発想するヤツってまあいないから。
ちなみに私は、パンツにはなりたくないけど、そりゃ触ってみたいとは妄想してまうよなあ・・・・
・・・コホン。
それで、Glassのお一方のほうに移ると、この方は結婚ソングを歌われていた。
なんでも、仲間の方で、男の方がやむを得ない事情で退職しないといけなくなって、そのタイミングで取引先の女の方に対して、好きという気持ちを伝えて、それで結婚に至って、その内容を歌にした、と言われた。
それで、歌われた後に、カウンターで一個空けて右隣の席が空いたので、健さんがコッチに移ったらいいよと言われたので、あの歌詞はリアルなのですか、と聞いてみたら、想像のところもあるとに言われた。・・・てかそこで健さんが私のさらに右隣に座って、いやそこは左隣の席じゃないのか!と思ったけど。
結婚ソングにするならば、リアルのままだと自分らをさらけ出しているようで恥ずかしくて、どこかこうなりたいというような願望とか違いとか、そんな部分があったほうが、題材にされた方のためにもなる、と、言われたか私が思ったか、
言われたことと、私の想像とがごっちゃになっていて、どこまでが私の考えなのか、いまは判然としないけれども。
それでも、そんな内容の話はした。
もちろん、結婚する以外の人々にとっては、当事者のリアルを描いてもらったほうが参考になるかもワカランし、そのへんは想像&創造の世界やと思う。
けど、結婚する人々のために作るならば、結婚する人々のリアルはやっぱ描いてもらいたくなくて、ちょっとファンタジーがあったほうが感動するし、「こうなりたい」というのもあるかなあ。
そうそう、だからか、この方は、夫婦のいま、じゃなくて、夫婦が20年後に想うこと、とされていた。
そういう発想が良かったかなあ。
あと、この方は、結婚はしたけど別れたとかで、元奥さんは実家の田舎に帰って、お子さんと暮らされているとか。
それを聞いて、私は、この方に問題があったわけじゃなくて、元奥さんは、誰と結婚しようが、実家の田舎に帰りたかったのだと思った。
そう伝えた。
だから、私の両親(とりわけ実母の弘子)は、私は田舎に帰ってくるものと思っていたからこそ、私が日立製作所を相手に闘おうとしたとき、私を精神疾患ということにしてさえも、私を田舎に戻そうとして裏切ったし、だからこそ私は両親を捨てたのだ、と、私はそんな話をした。(日立製作所とまでは言わなかったけど)
よく、離婚の原因で、男女のすれ違い、とカンタンに言われるけれども、それはいっときの気の迷いの感情的なものなのか、そもそもお互いが生まれつき持っている譲れないモノなのか、という違いだってあると思う。
オトコが東京で暮らしたいと思って、オンナが田舎に帰りたいと思って、お互いで歩み寄ることができなければ、本来は結婚できないはずだ。
それでも、「相手がいずれ変わってくれるかも」なんて期待して結婚することはあるだろうけど、相手が変わらなければ離婚しかなくなる。
だいたい、夫婦なんて、一緒に暮らすことが重要なのであって、どこで暮らすかは実は重要じゃない。
・・・ウラを返せば、実は重要じゃないからこそ、人は人を求めて東京に集まる、というのもあるけど。
だって、人間、もし田舎で暮らさねばならないならば、いまもって人間はアフリカから出られないことになる。
そんな、故郷に居座る発想って人間しかないんじゃないか?
どんな生物だって、生きるために場所を移動する。
自分はココから離れたくない、という人とは、私は仲良くできん気がする。
・・・・まあそんなこと言えば健さんだって幡ヶ谷を離れないわけで、しかしそれは生まれたところに居続けたいという本能ではないから、それは意思と思う。
それで、健さんについて。
健さんは「神田川」が持ち歌みたいで、今回も歌われた。
それで、「神田川」って、AKB劇場の神田寄りを流れている川だけれども、あのどのへんのことを歌っているのかなあ?と改めて思った。
それで、インターネットで検索したらあったけど、それを健さんに聞いたら、健さんはそんなのは考えたこともないとか。
・・・・けど、作詞する側からしたら、神田川のどこか?を当然のように想定して書いているはずである。
(そう考えると、”どのへん”というのを全く想像せずに書ける秋元康の歌詞って、私は正直あまり好きではない。イロイロと書いていながら、いろんな意味でイデオロギッシュには振れるけど、なにを見てどう思った、とかいうのは非常に抽象的で、具体的なモノは出てこない。
たとえば「7時12分の初恋」という歌があって、”7時12分”なんてめっちゃ具体的に言っているようであって、それは単に時間の一部分に付けた名前で、”正午”とかいうのとなんも変わらなくて、なんら具体的じゃない。
だって”7時12分”って見えないもん。
けど、”三畳一間の小さな下宿”等々はリアルやん。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D_(%E6%9B%B2)
1970年代の若者文化を象徴する作品のひとつに数えられており、中野区内の末広橋近くの公園には「神田川」の歌碑が建てられている。なお、実際の歌の舞台はもっと下流の戸田平橋付近で、喜多条が住んでいた「三畳一間の小さな下宿」は豊島区高田3丁目7-17に所在した「千登世旅館」(2008年廃業)の隣にあったといわれる。
健さんはそこまで考えてなかった。
考えてないフリをされたのかもだけど。
娘の優花さんは昨日こんなこと書かれていた。
https://twitter.com/tanoyuka_0307/status/951856965516378114
@tanoyuka_0307
え!ありがとう!
いまみて理解した!笑
あとぜんぜん酔っ払いでもなんでもないし、会計の時コンビニのおでんコーナーをふとみたときに卵としらたきとちくわしかなくてその中でしらたきの製造過程だけわからなかったから気になっただけです、、笑
さすがにこの発想は、健さんから出てこないと思う。
・・・いや、やっぱ出てくるか。
健さん料理は一通りやるし、演奏もデザインもできるし、そうすると、製造過程とか考えてないとも思いづらいし。
まあけっきょくどっちかは置いといても、優花さんの目線はかなりいい。
昨日、というか一昨日、堤監督はそういう発想で、オーディションで、なにを食べたか具体的に表現するように、「お米が光っている!」とかまで例に出されて指示されているのに、受けるほうが、食べ物の説明はひとことだけで、自分がコレを食べると太ってしまう!とかいう発想ばかりになっていてげんなりした。
優花さんがおでんの具材の製造過程まで考えているということは、その課題を出されても、しらたきがどんなに美味しそうか見えて悲しかったとか言えるやろ!
てかむしろ直球で、
「会計の時コンビニのおでんコーナーをふとみたときに卵としらたきとちくわしかなくてその中でしらたきの製造過程だけわからなかっ田野~!」
って大泣きしたら、それだけでみんな大爆笑だし、それもまた演出意図に合っていて主演抜擢だったかなあ、と想像する。
というか私がゆかるんを褒めたのも、「コンビニのおでんコーナーにはんぺんがプカプカ浮かんでいる!」なんて言っているのがいい!とめっちゃ書いていたので、田野も昨日それを読んでくれたのかなあ、なんて想像する。
・・・それで、劇団れなっちに出られない仕事っていうのは、主演か準主演クラスなのかな?
まあ劇団れなっちのオーディションを見ていても改めて思ったけど、舞台に立って演技にちゃんと向き合った人間は雰囲気が違うし、それは大きな役じゃなくたって勉強になるし、いろんな人に会っていろんな演技を身に付けたほうがいいかなあとも思うけど。
だから、その作品に出るかどうかは、役の大きさとか舞台の大きさだけで決めていいともいえないと思う。
まあしかし、他に仕事があってオーディションを受けられない、なんてのはだいぶ役者として成功しているほうで、フツーはオーディションを受けても受けても仕事がない。
まあまだまだだけれども。
それと、健さんのオリジナルの曲があって、オンナのことを切々と歌っていた。
たぶん、オンナにモテたい若い頃に書いた歌だろうなあと想像しながら聴いていたら、25,6歳のときに書いた歌だって。
健さんは25,6歳のときに作詞作曲もしていて、なかなかAKBでそこまでやるメンバーは竹内美宥くらいしかいないみたいだけれども(それもネットで配信しているけど、まだみんながウワサするくらいまでにはなってない)、よくよく考えたらバンドとか若い時からガンガン作詞作曲しているんだから、やっぱもっとじゃんじゃん失敗したらいいと思う。
AKBのメンバーが作詞作曲して変なこと言っている、というのがあると、どう問題になるのかわからないけれども、世間一般を見たら、AKBの管理責任、とかいうことにして、けっきょく言論統制の道具にしているんじゃないか?と思う。
いやこれは健さんから言われたことではなくて、私が日立製作所とかJR東日本テクノハートTESSEIとかその他とかいろいろと渡り歩いて、全部、日立製作所とかJR東日本とかの名前を背負っているのだから責任が重い、とか言われてきた。
けれども、”日立製作所とかJR東日本とかの名前を背負っている”もなにも、個人がなんかを起こしたところで、その企業のイメージダウンにはならない。
なのに、コンビニの冷蔵庫に入ったとかみたいな、やっちゃいけない悪ふざけをインターネット上でめちゃくちゃ糾弾して炎上して、やったらダメと言われていることが世の中には多すぎる。
いや、やったらダメなのはダメだけれども、コラ!って叱られるだけで、いくら炎上したからといったってそれで解雇が罷り通るというのは違うんじゃないか?
企業の論理ですぐ「損害を与えた」とかいうけど、人間のミスとか故障とかっていっぱいあって、そんな費用は当然のように想定している。
若者の悪ふざけだって当然のように企業なり日本政府なりは想定しているはずで、それを、若者を育てるためじゃなくて、若者を潰す論理で糾弾していく、そういうのを当然のこととしてみんなが受け入れてきたから、こんなに生きづらい世の中になっているのだと私は考える。
あと、思い出した、田野優花は小学校低学年の頃に、他の同級生がジャニーズとかに興味がある中で、一人ショーヤとか言っていて、誰も知らなかった、と。
SHOW-YA
https://ja.wikipedia.org/wiki/SHOW-YA
SHOW-YA(ショーヤ)は、日本の女性5人組ロックバンド。1980年代からのバンドブーム、特に女性だけのバンドとしては先駆け的な存在であり、それを牽引してきたバンドの一つである[1][2]。
私、SHOW-YA って名前だけは覚えている。
学年のマドンナというか、まあアイドルといってもいい、中山さん(もう結婚して違う姓になっとるやろ)が、先生から、
「いまいちばん先端なのはSHOW-YAです、知っていますか?」
みたいなことを言われて、知っていたのが中山さん一人だけだった。
小学校高学年の頃と思い込んでいたけど、健さんと話していて、そういえば中山さんと同じクラスになったのは、幼稚園、小学校1,2年、中学1年のときの3回だから、中学1年のとき(1988年、昭和63年)だったな、と思い直した。
私は、中学1年のときは、だいたい流行りのものに興味なかったし、音楽だって授業で習う以外になんかやっていたわけじゃないし(弘子にピアノは通わせられたけど、それも私のことを思ってのことじゃなくて、周りの見た目とか経済状況とか優先だったから、数回習っただけで借金ができてすぐやめさせられた)、そもそも私は貧乏で弘子からいいものを買ってもらったことがない。
たとえば思い出すけど、小学校高学年の頃か、同じくらいの値段で売っている服があって、ひとつはもっと高いものが50%引きとか書いてあって、もうひとつは値引きされてなかったけれども、私は値引きされてない服のほうがいいカンジに見えたから、これが欲しいと言った。
けれども弘子は、50%引きと書いてあったことに固執して、こっちのほうがいいと言って無理やり買わせて、私はその服が嫌いであまり着なかった。
弘子って本当に私のことを理解する気がなくて、シャツとかでも平気でブラウス、ブラウスと、店員に向かって言っていて、店員も困惑していたのに、弘子は直さなかった。
いやブラウスって女物やろ!私はオトコやからな。
服の話題に戻ると、私は小学生のときに、この2つの服を見て、50%引きになるということは、もともとの値段の価値がないと判断されて売れ残ったからで、50%引きになったからといってその値段の価値があるか疑わしい。
それよりも、定価で売っているもののほうが、みんなが買いたいと思うのだから、値段の価値があるのだ、と、小学生のときにだよ、弘子に対して説明したのだけれども(だいぶ後から、それは経済学の考え方の根本と知ったけれども)、弘子は最初に誰かがつけたとされる値段に翻弄されていて、私は親ながらコイツは「安物買いの銭失い」だと思っていた。
小学生のときにそこまで見切っていた親と、仲良くできるはずなんてないよ。
というか、私はこれだけブログで主張していて、そのひとつでも取って理解しようとしたら理解できるはずなのに、弘子とか、親戚連中とかど田舎のヤツらも含めてだけれども、理解しようなんて気が一切ないのもすごいと思う。
人間として呆れる。
ああ、なんかヘンなことを書いた。
それで、中学1年のときには、親の抑圧がすごかった。
だからか流行りのモノにも興味を持ってなくて、単に中山さんが美人だなあと思っていた。
前に書いたけど、AKBでいうと谷口もかみたいな顔だったなあ。
けど、私も、ショーヤと言われても、どうせ興味ないからと思って調べもせず、歌を歌っているらしいけど、それがなんなのかって知らなかった。
健さんが先日もショーヤと言われて、昨日もショーヤショーヤと言われたから、・・・しょうやなあ、私も調べたことないよなあと思って調べて、女性5人組ロックバンドって昨日初めて知った。
それで、私は、中学1年のときは、中山さんについてゼンゼン知ろうとしてなかったよなあ、と思い返した。
まあそれからの私の人生は、好きな女の子の興味をどう引くか?を考えて、宮崎駿のアニメを知って、そこから映画を知って、近藤喜文さんからサイン色紙をもらったりして、制作側の人だって、自分の作品がどのように見えるのか、自分の言葉で伝えてもらうのはうれしいものなのだ、と思って、制作側の人を含めて、一歩一歩ヒトを理解して感想を述べることを続けてきた。
というか、近藤喜文さんからサイン色紙をもらったときから、だから「耳をすませば」のときからか、感想文って自分で閉じこもるんじゃなくて、制作側に対して、次はどういう作品を作ろうか?の参考になるもの、・・・次の作品の参考になるものを、と思って書いている。
・・・・なのにいまだ、彼女もできず、それどころかこの歳でエッチもできず、エッチのことを書いて警視総監名義でストーカー規制法違反容疑で警告書を受けるようになってしまった。
まあでも、いろんなヒトのココロは掴めるようになったかな。
中学1年の頃に戻ってショーヤについて調べる気になれたんだし。
あ、”中学1年の頃に戻って”で思い出したけれども、健さんが歌った歌詞で、
”過去から逃げて”
という言い回しがあまりに強烈過ぎたから、
「こういう言いかたはしないですよね?私が見てきた人々は、過去にすがっている人間ばかりで、過去から逃げている人間なんて見たことないです。
・・・・というか、過去から逃げる方法って自殺くらいしかないんじゃないでしょうか?」
と聞いたら、そんな難しいこと知らねえ、みたいなこと言われた。
けど、やっぱり、私が思った通り、”過去から逃げて 歌詞” でググったら一瞬で出てきた。
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&ei=LV9ZWrvyA8Xc8QXiy5X4Ag&q=%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E9%80%83%E3%81%92%E3%81%A6%E3%80%80%E6%AD%8C%E8%A9%9E&oq=%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E9%80%83%E3%81%92%E3%81%A6%E3%80%80%E6%AD%8C%E8%A9%9E&gs_l=psy-ab.3..35i39k1.1496.1496.0.2631.3.2.0.0.0.0.417.417.4-1.2.0....0...1c.1.64.psy-ab..1.2.542.6...125.5Q_DzZo6qrw
奥村チヨさんの終着駅
http://j-lyric.net/artist/a000b11/l003fcf.html
改めて歌詞を読んだら、どうも水商売の女の歌っぽい。
まあ、そういう意味で言うと、過去から逃げているといえなくないけど、”未来を求めて来た”と言ってもいいと思う。
ものすごくセンスある歌詞だけれども、人間悲しい方向に持ってったら気分がふさぎ込んでまうし・・・。
この歌詞を読んで、そういえば私の父親の博昭は、クルマに乗っているときも、なぜかこの歌ばかり歌っていた。
昔の名前で出ています
http://j-lyric.net/artist/a000d3b/l005c9e.html
いまから考えたら、弘子じゃなくて、誰か好きなオンナが他にいた、ということと思える。
そんな心境じゃないとこの歌は好きになれないよ。
私は親の過去さえもイロイロと考えてしまう。
まあ、よくもまあ一晩についてこれだけ想像したなあと思うけれども。
私のブログって圧倒的に女性から読まれていて、つぶやき系はtwitterに移って、工作コメントも少なくなって、今月に入って女性率91%になった。
記事のほとんどがAKBのことだし、やはりAKBのメンバーが見ているというのが妥当だろう。
年齢が30代が最多になっているけれども、私は以前から言っているように、年齢はどうもウソ臭い。
だいたいniftyがそこまで判断できんし。
けど、閲覧しているサイトをいくつかチェックしたら、男女くらいはほぼ正確にチェックできるやろ。
ガチのおかまもおるやろけど、ガチのオカマは人口でいったら感覚的に1%未満やし。だから”マイノリティ”なんやし。
twitterのほうが年齢正確と思うけれども、
年齢カテゴリー オーディエンスの割合
13~17歳 5%
18~24歳 44%
で、24歳までで実に49%のインプレッションを獲得していて、政治的なこともいっぱい書いているにもかかわらず、3割も女性がいるとか。
やっぱブログの9割女性はガチと思うなあ。
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