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「ミカツ」さん達へ

ミカツという人々が世に存在しています。先日(去年12月)、「彼等ミカツからの噂話を聞いて…」と言うコメントが寄せられました。

コメント者の彼(彼女)は自称「創価学会員」…。
「当MonLinGenブログの記事が、ミカツさん達にかなりの不評」との理由で、彼等を代表して意見送ってきたとのこと。要旨は…管理人(つまり私)が「慢心している」と…。「どれだけこの管理人はエライんだ」「信心を何だと思っているんだ…」等云々。
コメント自体は有難いとは思っています。でも、何となく、気持ちの悪さも感じます。

彼(彼女)は、自分の事を「創価学会員」だと主張します。まあ、それは素直に受け取ります。多分、活動家でもあるんでしょう。しかしそうだとして、その「活動家」が何故、未活動家の「噂話」を真に受けて、活動家(一応…私)の運営するブログに批判を寄せてきたのか…。納得の出来ない話に感じます。
単なるミカツの井戸端話に心を動かされると言う事自体、活動家としては奇妙なお話です。おまけにこの人、私との対話途中で何故か消えてしまいました。忙しそうな人ではありましたが、最後まで自分の言葉に責任を持って欲しかったと言う思いが残ります…。
との前置きは兎も角、今回扱うのは「ミカツ」さんへの「一言申す」話です。

今更な定義ですが、「ミカツ」とは「創価学会未活動家」の意味です。何となく「オタク」や「フリーター」的な分類言語にも見えます。
でも、私にとってはそれが「アンチ」の意味だとしても、大して驚きはしません。何故なら、「ミカツ」、「アンチ」は共々学会に背を向けながら、一方は反発を表に出し、もう片方は静かに内に籠(こ)もっているだけの違いでしかありません。本質は全く同じと言えます。見る角度が変わると…と言う、程度の差です。
「ミカツ」は一見無害に見えますが、内輪の仲間同士では学会(活動家)に対して、あること無いこと色々な非難・中傷もしているようです。話のソースが表に出て来ないと言う事は、彼等の「活動現場」は社会の裏側なんでしょうか。
変な云い方ですが、自分の意見を堂々と「表に出す・出さない」と言う意味に於いては、アンチ系の方が人間として健康的にも感じます。性格の違いもあるのでしょうか…。
でも、陰々滅々と内緒の話の生活って、どうなんでしょうか…面白いのでしょうか?
…などと、いらぬお世話もしたくなります。

地区や支部には、必ず何人かミカツさんは存在しています。勿論様々な理由でのその状態なんでしょうけど、私個人としては、

どうしてスパッと学会を止めてしまわないのだろう…?

と言う思いを持っています。
勿論ミカツからの言い分もあるとは思います。

「勝手に学会に登録されている」
「来るなと言っても訪問してくる」
などなど…。

しかし、知らないかもしれませんけど、完全な学会からの登録削除方法は、様々に存在しています。難しいことではありません。
…こんな話をすると、それこそ非難囂々(ごうごう)の返信・余震がまた振り返しそうです。でも、よく考えてみるべきです。これからもずっと、学会から離れもしない、かと言って寄り添いもしない人生って、余り楽しいものではありません。そもそも自分の事を「ミカツ」と呼ばれて嬉しいのでしょうか…?
中途半端は、何百年経っても中途半端のままです。自分の中に何処かではっきりケジメを付けるべきです。で、後は「アンチ」でも「カタギ」でも、好きな生き方を選べば良い話です。
と言っても、「退転」を進めることは私の本意ではありません。赤の他人の、そんな宿業まで背負いたくも被(かぶ)りたくもありません。でも、どっち付かずな「信心」への思いは、百害あって一利も無いと信じていますので、「体験」としての学会離れを勧(すす)めるのです。
懐かしい言葉になりますけど、「食べてみないとリンゴの味は分かりませんよ」。旨いか、酷いかは貴方自身の身で…。
こう書くと何故か反発を受けます。日本人的になあなあにして置いてくれ、と言う事なんでしょうか…。

それとも本当は罰が怖いのかもしれません。

そもそも論として、「三世の生命観」や「宿業」を信じていないのがミカツの在り方。「自分の宿業」を無視出来る人間なら、「自分の罰」も無視出来るはずです。恐れるものは何もないはず。
「ミカツ」として毅然(きぜん)とした態度を取れば、「自分の宿業」だって若しかして出ないかもしれません。三障四魔も無視出来そうだし、仏罰なんて何のその!……。楽しい人生が始まりそうです。

で、十数年経った後、もう一度自分の人生を振り返ってみればいい訳です。
…吉と出るか、凶と出るのか…。ある種、博打の世界なんでしょうか…。

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「ミカツ」さん達へ” への1件のコメント
  1. シェイフォン より:

    お久しぶりです、シェイフォンです。
    さて、ミカツさん達が文句を言いながらも止めない理由は呆れるほどに単純だと思いますよ。
    一言で言うなら「抜けるのが面倒くさいから」

    どこの世界にも組織にもいると思います。
    「この会社は嫌だ」「今の日本は腐っている」等々、毒を垂れ流すが具体的な行動は起こさない。
    その会社が嫌なら辞めればいいし、今の日本が腐っていると思うなら日本を出て行けば良い。
    まあ、中には「腐っている組織に敢えて残っている自分は格好良い」という自己陶酔に嵌っている方もいますが、この輩は相手にするだけ徒労に終わります。

    MonLinGenさんの仰る自称創価学会員は多分これだと思うんですよね。
    「こういった意見を吸い上げ、表に出している自分は格好良い」という美意識があるのでしょう。

    失礼しました。

    • monlingen より:

      シェイフォンさんへ

      先ず、明けましておめでとうございます。今年も、宜しくお願いします。

      目から鱗って、こういうことなんですね。
      「成る程…」と感心してしまいました。結構身近な問題でもあるんですね…。
      私は、少々難しく考えていた様です。ありがとうございます。
      そう考えてみると、凄く単純で、そしてとっても情けない在り方なんですね…彼等の生き方って…。

      気を付けねば…。そんな信心に陥らないように……。

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