柴 テレビの話題では、2017年の大晦日に放送された『絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時』でのブラックフェイス問題が、年明け早々、世界中の主要メディアで報じられるという事態が起こってますね。
宇野 うーん、あれに関する国内の擁護コメントとかを見てると、ちょっと絶望的な気持ちになってくる(苦笑)。
柴 というと?
宇野 簡単に言うと、あれを擁護するということは、「これからも日本は文化的鎖国をしていこうぜ」って話でしょ?
確かに文化的鎖国をしたところには様々な既得権も存在していて、そこで生活をしてきた人はその構造を変えたくないんだろうけれど、さすがにもう無理なんじゃないかな。
柴 ネットによって一瞬で世界に広まっちゃいますしね。
宇野 それもあるし、多くの日本人が誤解しているように思えるのは、ポリティカル・コレクトネスの問題って、別に政治的、社会的な問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。
好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクターが女性や黒人の若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。
ポリティカル・コレクトネスに配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。
柴 まさにそうですね。日本でも、特に若い世代ほど家父長的な価値観にそっぽを向くようになってきている気がします。
宇野 現在のエンタテインメントの活路って、まさにそこにあるんだよね。それは例えば、ストリッパー出身のカーディ・Bみたいな新しいタイプの黒人女性のスターが台頭している音楽シーンにも表れている。
柴 そういう意味では、『逃げ恥』でのLGBTの描かれ方や、あの作品が放っていたメッセージもすごく現代的でしたよね。
ポリティカル・コレクトネスは配慮するものではなくって、あまりいい言い方じゃないかもしれないけれど、むしろそれを利用することがヒットの条件になりつつある。
宇野 うん。さっき「そこが見えているのと見えていないのとでは、数年後に圧倒的な差が生まれてくる」と言った理由の一つも、そういうことです。
柴 日本にはそういうメッセージを発していく意識的なカルチャーの担い手がまだ少ないですよね。
宇野 でも、紅白で紅でも白でもないスロットにこだわって、トータス松本と一緒にNHKホールで「目抜き通り」を披露した椎名林檎とか、本当にいろいろ考えてるよね。
だって、みんな昔からずっと思ってたでしょ。「なんでドリカムやいきものがかりが紅組なんだ?」って。
柴 たしかにそうですね。AAAは一体どっちなんだ、とか。そういう意味でも紅白に足りなかったのは「打上花火」だったかもしれない。