どうも。
ゲーム内のアイテムは整理整頓するのに、自分の部屋は散らかったままのめぐめです。
Nintendo Switchの人気が猛威を振るっていますが、その人気を集める要因のひとつであるソフト群は、1年前の2017年1月13日〜15日に詳細が発表されました。プレゼンテーションは13日でしたが、体験会を開催していた14日、15日もステージイベントがあり、実演などが行われました。
体験会があった14日15日は、両日ともに参加していました。とても濃い2日間で、特に1日目は強く記憶に残っています。
ちょうど1年ということで、体験会で私がお会いしたある方々のことを振り返ってみようと思い立ち、記事を書きました。
注意
この記事は何日か経つと消えます。
URLのコピペで広めていただくのは構いませんが、消えることが前提の記事でありますので、スクリーンショットなどを使用して広めるのはお控えしていただければ幸いです(1年前の出来事を思い出しながら書いているので、実際にあったことと差異があると思われます。また、私がお会いした方々は仕事でその場にいたわけですが、内容はほぼ個人同士のやり取りに近く、会社の公式発表と誤解されてしまうのだけは避けたいのです)。
記事内で使用している写真の被写体は、全てネット上に掲載してもよいとご本人に許可をいただいています。
まず最初に、簡単に自己紹介をしたいと思います。
私は11年くらい任天堂ファンをやっていますが、全体から見れば特殊なほうです。ゲームも好きですが、それ以上の勢いで任天堂社員さんのことも好きなのです。どれくらい好きなのかは、描く絵のジャンルはゲームキャラより社員さんのほうが多いとか、岩田さんと宮本さんのbotをつくったとか、その辺りで察せると思います。ただ、基本的には、ゲーム開発者よりも前にゲームを好きでいようと心がけています。
しかし、この体験会では、2日目に1-2-Switchを体験しただけで、そのほかはステージイベントの視聴と会場をうろついただけで終わっています。この時ばかりは、「ゲーム開発者よりも前にゲームを好きでいよう」という心がけは、無に等しかったなぁと思います(笑)。
それでも、Switchの体験会は任天堂の新ハードと新作ソフトを最速で体験できるだけでなく、関係者がたくさん来る可能性が高い、逃すわけにはいかない機会でありました。そこは、ご理解いただけるかなと思います。
会場内で1番最初に声をかけたのは、スプラトゥーン2やどうぶつの森シリーズのプロデューサーである、野上恒さんでした。
サインをお願いすると、まずイカを描いてくれました。途中私が「どうぶつの森も結構……」とつぶやくと、追加でネコも描いてくれました(情けない話、どのネコなのかが分かりません……ご存知の方、教えてください〔涙〕)。
私が話しかけた時、1日目の最初のステージイベントであるロックバンドライブは終わっていたので、その楽曲の話を少ししたと思います。その際、野上さんより「スプラトゥーンはまた曲が変わるので、楽しみにしていてください」というようなことを教えていただきました。先のサインといい、サービス精神のある方だなぁという印象をもちました。
あまり長く引き留めるわけにもいかなかったので、「明日も来ます! ステージイベント、楽しみにしてます」と言い、最後に挨拶をしてその場を後にしました。
確か最後の挨拶の際、野上さんはマスクをしていたのですが、このタイミングでマスクを下げて挨拶をしてくれました。また私は礼をしたのですが、その際野上さんの靴が目に留まりました。赤のキャンバスシューズでした。前日のプレゼンで、壇上にイカ研究員として登場した際に履いていた靴とおそらく同じものです。「これ履いて京都から来たんだ……私物なんだ……」と思いました。
とてもおとなしく、穏やかな方でしたが、そんな方が、イカ研究員として壇上に上がり、泣いたりパフォーマンスをしていると考えると、やはり内に秘めているものは熱いんだろうなぁと思います。
明日は行かなくてもいいかなと思っていましたが、野上さんに「明日も来ます」と言ってしまったので、この時点で群馬からまた幕張メッセに行くことが確定しました。
次に声をかけたのは、マリオシリーズに長く関わる手塚卓志さんでした。秘書の方? と一緒に会場内を見て回っていたところだったようでしたが、サインと記念撮影を快く承諾していただきました。
記念撮影の際、手塚さんが私のレゴのスマホケースを見て、「あ、レゴの」とつぶやきました。心の中で「マイペースかッ!!」と叫びました……色々なインタビューから、おっとりした方なんだろうなという印象があったのですが、そのままだなぁと思いました。
私が声をかけたのをきっかけに、周りにいたマリオファンが集まって、ミニサイン会になってしまいました。それでも、希望者全員分のサインや記念撮影をされていて、真摯に対応していた姿に貫禄を感じました。ミニサイン会中、私のサインペンをずっと使っていたのが、ちょっと嬉しかったです。
ファンのみんなとお礼を言い、手塚さんはその場を去っていきました。
次に声をかけたのは、韓国任天堂(한국 닌텐도) の社長である福田裕之(후쿠다 히로유키)さんでした。
元々声をかけるつもりではなかったのですが、私と一緒に行動していた方に押していただいて、おそるおそる声をかけさせていただきました……そうだとは思っていましたが、まさか本当にご本人だとは……。
会話を繋げるために、知識を掘り起こそうと焦ってしまったことを覚えていますが、そうした会話の中で印象的だったのは、ニンテンドーダイレクトのことと、韓国任天堂に出向する際の話でした。
「韓国のニンテンドーダイレクトを実は見ていて」と私が言うと、収録の際のエピソードを話してくれました。「最初の頃は40回くらいNGを出してしまって(私の記憶が曖昧になってきており、実際はもうちょっと少ないかもしれないです)、スタッフから『福田さん、次はお願いします』と頼まれてしまいました(笑)」。
流れは忘れてしまいましたが、ふと興味が湧いたことを、こう質問しました。
「あの、福田さんは、確か韓国に行かれる前は営業のほうにいらっしゃったんですよね?」
「そうですね」
「あれですか、元々韓国語は……?」
「韓国行きが決まってから勉強しました」
「韓国語は後からなんですか?!」
確か、このような会話をしたと思います。今思えば、その土地の言語が出来る出来ないに関わらず、能力があれば選ばれるのはわりと妥当だとは思いますが、当時は率直に驚きました。
任天堂ファンに声をかけられること自体に驚かれていたのではないかと思いますが、数分の雑談だけでなく、サインと記念撮影まで応じていただけて、とても嬉しかったです。最後にお礼と、「陰ながら応援させていただきます」と言って、その場を後にしました。
福田さんが初期のニンテンドーダイレクトで多くのNGを出したエピソードは、そもそもニンテンドーダイレクト自体の舞台裏がほぼ表に出てこないため、とても貴重な話であったと思います。
「直接ユーザーに情報を届ける」という、岩田さんが始めたスタイルの余波が、韓国を担当された福田さんの多くのNGだと思うと、今のダイレクトが喋りのプロとニュース番組風の構成になったのは、なるべくしてなったことなのかもなぁと、私は思います。
福田さんと別れた直後、ゼノブレイド2をはじめとした多くのゲームのプロデューサーをされている、山上仁志さんとお会いしました。
とにかく、山上さんはヤバい。今まで見てきた人物の中で、断トツトップでヤバい。おそらく、任天堂の何人もいるプロデューサーの中で1番ヤバい。たぶん。
私は山上さんに声をかける際、こう考えていました。「山上さんはE3に行ってるし、そうなると海外のファンからサインとか求められているに違いない。世界の山上仁志を海外ファンが放っておくわけがない。」
ですが、現実は「サインは無いので……」でした。
「私の価値観が世間とかけ離れていたァーッッ!!」私は反省しました。この記事を読んでいるそこのアナタ、アナタはサインを持っているでしょうか。持っていない方のほうが、多いのではないでしょうか。そうです、自然と湧いて出たりしません。絵を描いたり、何か特別なことでもない限り、サインは無いのです。何も、驚くべきことはありません。
しかしその直後、山上さんは、一緒にいた“専属デザイナー”の方と何か話し合いをして、「サイン、作っておくね」と答えました。まさかの展開に驚き、嬉しく思いましたが、そのサイン、仮に見れるとしたらもっともっと先になるだろうなぁとも思いました。まさかその後、1日限定で公式に公開されるとは夢にも思わず……(公開後のあるインタビューでサインの件が触れられていましたが、上記のことは一切書かれておらず、別の経緯で作られたことになっています。公式発表と食い違ってしまうというのも、この記事が後日消えてしまう理由の1つです。そういう意味では、“何を信じるのか”は、あなた次第ということなのです)。
後日談が混ざりましたが、この時点で山上さんがヤバいことはなんとなく感じていただけるのではないでしょうか。
あるゲームを楽しく遊んだことを伝えると、「いや俺は〇〇やりたくなかったんだけどさぁ〜(笑)」と、私はそのことについて触れていないのに、突然悔い始める山上さん。その〇〇については、確かに賛否両論ではあったのですが、私は好意的に見ていたので、思ってもいない反応で拍子抜けしました。デザイナーの方が「でも最終的に〇〇やってたよね(笑)」と言います。
そのゲームの話をした途端に出てきた言葉があれということは、どれだけ申し訳なく思ってるんだろう……と、私は思いました。言葉にはできませんでしたが、少なくとも目の前にいる人間は楽しみましたよと、心の中でつぶやきました。
幻影異聞録♯FEの話で、私がフォルティッシモエディションを買ったと伝えると、山上さんは本体同梱版を買ったと答えました。
続編の話をすると、「広めて(笑)、布教して(笑)」と答えます。なので私は、それから1年で大体17本前後売りさばきました(参考資料 真面目な話、この時売れたのは私以外の熱烈なファンが結集したからだと思います)。
また、私が1番伝えたかった、「今までキャラソンには興味がなかったのですが、幻影異聞録の曲はすごく良くて、サントラまで買ってしまいました」という、とても影響され、価値観が変わったことを伝えることができました。
曲については、私の記憶が曖昧になってきているのですが、確かスタッフの知り合いに良い曲を作る人がいて、その人にやらせたいというところから始まったと聞きました。ただ、そういう始まりはよくないことが多いそうで、1曲作らせて判断することになったといいます。その最初の1曲が、ゲーム内のOPでも使われた「Reincarnation」だったそうです。山上さんは、開始1秒ほどでこの曲を気に入ったそうですが、そこで即決するのもアレなので、最後まで聴いてから、ゴーサインを出したそうです。記憶が曖昧なので、鵜呑みにはしないでください(笑)。
そんな幻影異聞録の裏話をして、一言、「そういう話をねー……岩田さんにもしたかったよね」と意味深に言う山上さん。「最後の社長が訊く、俺だった」とも。それを話しているこの私が、自称群馬一の岩田さんファンだと知ってか知らずか……。
「俺の社長が訊く、面白いでしょ」と、山上さん。「どう言ったら面白いか、考えるんだ」といいます。
「わがままファッション GIRLS MODE よくばり宣言!」の回の服部由里絵さんの話を出すと、「うちの服部、面白いでしょ」と話します。その言い方が、良いなぁと思いました。
岩田さんの話は詳しくはしませんでしたが、上記の話や、山上さんの、書類を岩田さんに提出する際の仕草が記憶に残っています。岩田さんと近い場所で実際に働いていた方から、ふとそういった関連話を聞けることになるとは思ってもいなくて、とても貴重な経験をしたと思います。
私は体験会には岩田さんのコスプレ(意味不明)で参加したのですが、山上さんが、私のカバンに刺さっていた黄ピクミンを見て「あ、黄ピクミン(笑)」とつぶやいた時、「気づいて!!! これ岩田さん!!! カバンと黄ピクミンとマフラーとネクタイ岩田さんイメージ!!!」と心の中で訴えました……しかし、当然気づかれませんでした。後々別件で、別の人物から「なんでスーツを着てるのか不思議だった」と言われて、初めて、この格好がコスプレ以前の難解服装だったことに気がつきました。よくよく考えたら、私は岩田さんと、性別も、体系も身長も、何もかもが違いすぎて、格好を整えてもそうは見えないんですよね……。パンに「ごはんですよ」を塗っても、パンはごはんにはならないわけで。もう、あの格好はしません(笑)。
記念撮影をしてもらえる話になり、撮影場所を探すことに。「俺の色じゃない…」と辺りを見回す山上さん。
その時、事件は起こります。
撮影場所を見つけた山上さんが突然、私のコートの袖を掴み、ゼルダブースまで3mほど引っ張ったのです。
あの、私は任天堂ファンですが、山上さんのファンでもあるので、もちろん、言葉はアレですがお触り厳禁なわけです。常識的に考えて、数分前に始めて会った人物に対して、服でもなんでも触ったりすることはほぼないし、まず接触するという発想さえもない。それ以前に、私自身が、世界的に有名だと思っている人物の半径1m付近にいること自体がありえなくて、本来だったら自分自身に接近禁止命令を出してるところなのです。
そんな感じだったところで、向こうから、まさかくるとは、思わないですよね。
もちろん、イヤだった訳では決してありません! 嬉しいという感情とはちょっと違いますが、とにかくあの瞬間、頭に血が上って、血管が切れて鼻血が出るんじゃないかってレベルで血圧が急激に高くなった感覚がしました。漫画でよく、女の子が頬を赤くして「カァァ…」となる描写がありますが、あれに近いですね。
引っ張られるということは、自分自身が、引っ張ってる人間の力で動いてるということなんですが、これヤバくないですか? 山上さんは身長が2mくらいあって(大げさ)、私とは30cm近く背が違っていたんです。私の袖を掴んで、引っ張るということは、山上さんが屈んで、そのまま歩くということなんです。これヤバくないですか?
頭の中が真っ白になって、一瞬放心状態になって、撮影の時にデザイナーさんから「笑って〜」と言われても、大混乱でまともに笑えませんでした(笑)。写真を見返すと、ヒドい顔をしている自分がいて、なんとも言えない気分……撮り直せるなら撮り直したい。
おそらく20分くらい、体感的にはもっとそれ以上の時間、ずーっと話をしていましたが、時が経つのを忘れるくらい、私は夢中になっていました。それくらい、山上さんが真正面から向き合ってくれていたのではないかと、私は思います。
話は少し脱線しますが……中学生や高校生という思春期の頃は、少し背伸びをして、モンハンやFFのような、ポケモンやマリオよりもよりシャープでクールな方面の、コアゲーマー向けゲームを好む傾向があると思います。
私も例外ではなく、中学生から高校生にかけて、遊ぶゲームの毛色が変化していきました。それでも私が任天堂から離れなかったのは、その時期に任天堂が発売したゲームが、思春期の頃の私をがっちりと掴んでいたからなんですね。
特に密度があったのは、「罪と罰 宇宙の後継者」から「ゴールデンアイ 007」まで。大体2009年秋から2011年春までで、私は中学3年生〜高校2年生でした。あの頃に遊んだシャープでクールっぽい方面のゲームといえば、「罪と罰 宇宙の後継者」「斬撃のREGINLEIV」「ゼノブレイド」「METROID Other M」「ラストストーリー」「パンドラの塔 君のもとへ帰るまで」でした……VCも入れれば、「罪と罰 地球の継承者」もやりました。
思春期なり、受験なり、家庭の事情なりですごく辛かった時に、私は山上さんが関わられたゲームに非常にお世話になっているんです(メトロイドは違いますが)。うつ病で連日気が狂う親の目を盗み、深夜、灯りと音量を最小限にして、起きてしまうのではないかと怯えながら、Wiiで罪と罰をやったのをよく覚えています。あの頃の支えみたいなものだったんです。
外部のソフトメーカーとやり取りをする部署でなければ、こういった密度の濃いことにはならなかったでしょう。任天堂以外の、それぞれのメーカーの味を楽しむことを覚えたのもこの頃です。もちろん、社長が訊くがあったから知れた、という部分もあるんですけれど。
そんな、本当だったら「あれもやった、これもやった」とたくさんの思いをぶつけたいところなのに、本人を目の前にした途端、全部吹っ飛びました。その後頭に残ったのは、「幻影異聞録♯FE」や「わがままファッション GIRLS MODE よくばり宣言!」などのゲーム3本ほどのみ。社長が訊くは全て読んでいるのに、色々なものを忘れていて、思考回路がパンクして考えることさえもできませんでした。
体験会への準備中、いると想定できる人物(野上さんや矢吹さん)に関しては予習をしていたのですが、山上さんは想定しておらず……ぶっつけ本番で、その場で用意できる知識を展開した結果があれかと……恥ずかしかった、悲惨だったと当時の自分を振り返って思います。それでも、とても楽しくて、忘れられない思い出になりました。
今、体験会当時の会話を振り返ると、「私のことを信用しているのならば、その信用を裏切らない人間でありたい」と思うのです。
話しかけた時点で、私が任天堂ファンであることは、山上さんはすぐに察せたとは思います。しかしそれでも、「群馬から来た任天堂ファン」以外の情報がなく、私が素性の知れない人間であることは変わりがないはずなのです。それなのに、私が冷や汗をかくくらい、山上さんがヤバい。私がもしあくどい人間だったら、あんなことやこんなことを悪用されてしまうのではないかと、今思えばゾッとするのです。
どこの馬の骨とも分からない人間に対して、袖を掴んで引っ張るでしょうか。それほど初対面の私のことを信用していた(のかもしれない)……そうだとしたら、すごくありがたい話だなと思うのです。
良いことも、悪いことも、過去にしたことはずっと残ります。それらを踏まえて、今のこの私が、関わってもわりと大丈夫な人間であると認識されたい。信用してくれた人たちを裏切りたくない。応えたい。完璧にはできないけれど、そうありたいと思います。
あぁ、そんなことを書いていたら、薄っすらとまた思い出してきました。こんなことを言われたような気がする。
「任天堂ファンに悪い人はいないから」
……そうだ、私は確か、この言葉に応えたいと思ったんじゃないかなぁ。
山上さんと別れ、マリオオデッセイブースに行くと、そこにはマリオオデッセイディレクターの元倉健太さんと、“任天堂のオーケストラ担当”であり、「アタリメ司令の中の人である」と衝撃を与えたばかりの横田真人さんがいました。
元倉さんはステージイベントに登場した時と同じ服装で、マリオとオデッセイ号のオブジェを背景に、来場者と記念撮影をしたり、カメラマンをしたりしていました。私が訪れた時はマリオファンが何人かおり、横田さんと一緒にサイン&記念撮影攻めにあっていました。私もサインと、記念撮影をお願いしました。一般の来場者が、元倉さんと一緒に記念撮影をしていたような光景もあり、ちょっと嬉しかったです。
小泉さんが元倉さんのことを「寡黙である」と言っていましたが、確かにおとなしめで、黙々とカメラマンをしていた印象がありました。
横田さんは、過去にサインを貰っているファンに対しても、2度目のサインを快諾する、柔軟で優しく、サービス精神のある方だという印象を受けました。サインをいただいた方々の中で、唯一名前をきいてくれた方でもあります。
「お名前は?」と言われ、本名を言うか、ペンネームを言うか、焦りうろたえる私。5秒ほど混乱し、当たり障りのない名前でお願いをしました。
完全に会場スタッフと化していた元倉さん。仕事で場を離れなければならなくなった横田さん。ともにお時間をとらせるわけにはいかず、特にお話はせず、その場にいたファンと一緒に、お礼を言ってお別れしました。
ちなみに、横田さんとは閉場の際にもお会いすることができました。会場出口で、退場する来場者に挨拶をしていたようです。その時は私含めファンが10人近くいたと思いますが、全員で横田さんに「ありがとうございました!」と、再度お礼を言いました。
マリオファンから、近くにARMSプロデューサーの矢吹さんがいるとの情報を入手し、再び会場を捜索する私。しかし、ある人物とすれ違い、ふら〜っとUターンし追跡を始めます。
スーパーマリオ3Dランドではディレクターを務め、自称宮本ウォッチャーの岩田前社長に「ライバル」とまで言われた、林田宏一さんが会場にいました。
スタッフオンリーのスペースに入られる直前に声をかけたので、サインを貰っただけで終わってしまいました。とてもクールな印象でしたが、サインの最後がタヌキのしっぽなのが、ちょっとお茶目で可愛らしいです。実際はどんな方なのかなぁと、興味の湧いた人物です。
林田さんと別れた直後、探していたARMSプロデューサー矢吹光佑さんに会うことができました。
私と行動を共にしていた方が矢吹さんのお知り合いで、私はお2人の会話を聞くだけで、特に会話はしませんでした。
ただ、別れ際、わざわざマリオカート8DXのブースまで移動していただき、サインと記念撮影をもらうことができました(矢吹さんは、マリカ8ではディレクターを、8DXではプロデューサーをそれぞれ務めています)。そして、「ARMS、楽しみにしてます!」と、最後、一言伝えることができました。矢吹さんは、「ARMS!」という掛け声と、いいね持ちポーズで応えてくれました。
この時点では、ARMSどころかなんのソフトも体験していなかったので、「矢吹さんにああ言ったのだから、ARMSは絶対に買おう」と心に決めました。
また、これは2日目の出来事ですが、矢吹さんの人柄を知れる場面を目撃しました。
ARMSブースの出口で、出て行く1組1組に「ありがとうございました」と声をかけ、お辞儀をする矢吹さんがいました。時には来場者に声をかけられ、すぐ隣の撮影スペースで記念撮影もしていました。
私は、体験会というものには、任天堂が主催した3DSとSwitchの2回しか行ったことがありませんが、プロデューサーという立場のスタッフが、体験を終えブースを出て行く来場者1組1組にお礼を言うという光景は、この矢吹さんしか見たことがないし、聞いたこともないです。もちろん、矢吹さんも会場を見回ることもありましたし、ずっと出口に待機していたわけではありませんでした。しかし、待機していた時間は短くはなかったです。
「あぁ、矢吹さんという方は、とても真面目な方なんだ」と感じました。矢吹さんに対しても、この姿勢に応えたくなりました。
1日目の閉場の時間になり、会場スタッフが来場者を退場させる波を作り始めます。その時、ある方から「めぐめさん、そこに小泉さんいるよ」と声をかけられます。
野上さんや山上さんに声をかける時は、話しかけてよいものか、尻込みをしていました。しかしもう、ここまで何人もの“憧れの人”とお会いしてきた私には、迷いはありませんでした。「今行かなきゃ、絶対に次はない!!」
人の波に逆らってすぐ、Switchの総合プロデューサーであり、マリオオデッセイのプロデューサーでもある、小泉歓晃さんがいました。
黒服の任天堂社員さんが、「近づいてくるやつ全員消すぞオーラ」を出していました(失礼)が、そのオーラをかき分けるように、私は小泉さんに話しかけました。
「お仕事中失礼します。差し支えなければ、サインをいただいてもよろしいでしょうか?」
すると、
「サイン、無い……」
こう、答えたのです。
山上さんのように、サインが無いプロデューサーもいると知った上で、「小泉さんは確か過去に書いていたはずだ」と思っていた矢先のこと。「私の記憶にある小泉さんのサインは一体……???」と、頭の中は大パニック。
「もしかして、失礼なことをしてしまった……??!!」
頭の中で物事を処理できなくなり、次の瞬間
「ひ、ひいぃぃぃいい!!!」
と、悲鳴を発してしまいました……完全に不審者です……。
ただその後、「どうしよう……」とつぶやき固まっている私の手から、小泉さんがスケッチブックとサインペンを取り、サインを書きました。
この記事を書く際確認しましたが、2012年2月号のニンテンドードリームに、同じ形のサインが掲載されているので、実際サインはあったのです。小泉さんが、冗談を言っただけだったようです(本当のところは、小泉さんにしか分かりませんけどね……)。
“ない”のに書いていただいたので、私は安堵し、そしてすごくありがたく思いました。
閉場の時間はとっくに過ぎているので、迷惑にならないよう、お礼と、「マリオオデッセイ、楽しみにしてます!」と言って、すぐに立ち去りました。
ちなみに、小泉さんは2日目、企画制作本部長である高橋伸也さんと、黒服の任天堂社員さんの3人ほどで、マリオオデッセイブースで記念撮影をしていました。
次の日、2日目の会場には、前日にはいたスタッフさんでも見かけない方が数名おり、どうやら帰ってしまったような雰囲気がありました。前述のように、矢吹さんや小泉さんは、核である人物だからか、2日目にもいました。
会場のトイレ付近でまったりしていたところ、明らかに周りの人とは違うオーラを出している人物が、スタッフオンリーの通路へと入って行きました。顔は確認できず、後ろ姿だけでしたが、私のセンサーが反応しており、すぐに「河本さんだ」と思いました。
しばらくしてその人物が通路から出てきました。顔を確認し、確実に河本さんであると認識。意を決して声をかけました。
Switchの総合ディレクターであり、1-2-Switchのプロデューサーでもある、河本浩一さん。
私はWiiのチャンネルや、「おどるメイドインワリオ」がきっかけで知り、体験会当時だと9年近く前から要チェック人物として見ていました。
社長が訊く以外はほぼ表に出てこない方でしたが、「Miitopia」のプロデューサーとして各メディアでインタビューを受けていた直後でもあり、こうして公の場に露出している光景に、私はなぜか感動していました。
おそるおそる「サインは書かれたことはありますか……?」と訊くと、「ないですね……」と答える河本さん。
「どうしよう……差し支えなければ、その、お名前だけでも書いていただくことはできますでしょうか……?」と、今にもスケッチブックを落としそうなくらい脱力した私が訊くと、確か「いいですよ……えっ、ここのどこでもいいですか?」と答えてもらえ、本当にただ名前を書いただけの超貴重なサインをもらうことができました。
河本さんにまず伝えたかったのは、Miitopiaのことでした。
「Miiが主役のゲームで、あの素晴らしいストーリーと世界観を作り出してくれて、ありがとうございます。私はMiiが好きなので、すごく嬉しかったです」と、開発者に1番伝えたかったことを精一杯短くまとめて言いました。すると、河本さんが「あっ、ありがとうございます。ストーリーは、ディレクターが頑張って書いていたんですよ」と、紙にペンで文字を書くジェスチャーをしながら答えます。心の中で私は「部下の手柄を立てるプロデューサーの鑑……」と思いました。
ストーリーはディレクターが書いたというのは事前に知っていたので、「あ、あの、ニンテンドードリームのインタビューも、読ませていただきました」と私は言いました。河本さんはそれを聞き、俯きながら「あっ、恥ずかしい……」とつぶやきました。
この瞬間から、私の頭の中は「河本さんめちゃくちゃ可愛すぎる……」でいっぱいになりました。私と身長があまり変わらず、小柄な体型なのも拍車をかけます。河本さん、カッコいいだけじゃなく、めちゃくちゃ可愛い。
頭が沸騰してしまったので、それ以降の会話があまり頭に入ってこなかったのですが、私が「あれとか……これとか……」と続けて言うと、その都度河本さんは「恥ずかしい……」と連呼していたような記憶があります。
Miitopiaとあともう1つ伝えたかったのは、体験したばかりの1-2-Switchのことでした。
「先程1-2-Switchを体験してきまして、特にカウントボールのHD振動がすごかったです! あれって実際に触ってみないと分からないすごさだと思うので、私、1-2-Switch絶対買います! 買って、みんなにSwitchのすごさを広めたいです!」と、私は訴えるように言いました。河本さんは、「ありがとうございます」と言ったと思います。
河本さん……私、有言実行しましたよ……(参考資料)。
会場に戻ったところを引き留めた形だったので、会話はそこそこにし、お礼を言って、河本さんは人混みの中へ消えていきました。
別れた瞬間、サインをネット上にアップしてもよいか、確認をとるのを忘れていたことに気がつきました。追いかけて訊こうと思いましが、上記の通り“ただ名前を書いただけ”だったので、「もうこれ以上困らせるのはやめよう」と思い、そのまま見送りました。
去っていく河本さんを見ながら、私は「周りの人と明らかにオーラが違うのに……というか可視化できるくらいの強い波動を感じるのに……こんなにカッコよくて可愛いのに、なんで今までも、今も、野放しになってるんだろう……なんで周りのみんなは気づかないんだろう……」と、しばらく考えていました。
余談ですが、ご本人と会った当時は気づかなかったのですが、Webメディアにて掲載された河本さんの写真を見て、気づいたことがありました。
写真には、3つボタンタイプのスーツを着た河本さんが写っていましたが、ボタンが全てとめられていて、シワが割れた腹筋みたいになっていました。
スーツの上着で、3つボタンが付いているものは、タイプにもよるそうですが、少なくとも1番下のボタンは外すのが基本だそうです。前社長の岩田さんも、2008年ぐらいまでは3つボタンタイプのスーツを着ていることがありましたが、その際1番下のボタンは外していました。
河本さんは基本的に任天堂の制服しか着ない方のようで、「おどるメイドインワリオ」でもベージュの制服で登場しています。スーツを着る機会が少なかったのかなぁと思います。
そのスーツの件に気づいた時、私が少し騒いだのが影響しているのか(たった1人の声が反映されるとは思えませんが)、数ヶ月後に公開されたCSRレポートでは、小泉さんがスーツだったのに対し、河本さんは制服でした(参考資料)。
しかし! 私は声を大にして言いたい。
「スーツを着た河本さんはめちゃくちゃイケメンだった」
周りの人とは違う、只者ではないオーラが本当に出ていたんです。それくらい、スーツを着た河本さんはヤバかったんです。私のセンサーが反応していたんですもの。
制服姿も見れるなら、見れるだけ見ます。でもね、スーツ姿はヤバい。普通のスーツであれだけヤバいなら、より整ったものを着たらどうなる……? それはもう、全国の任天堂ファンが落ちます。奥さんがいらっしゃる方にこう言うのもなんですが、女性も男性も関係なく、落ちます。
もしまた機会があるならば、是非とももう1度、スーツを着てほしい!! プレゼンで着ていたようなおしゃれスーツじゃなくていいんです!! 普通のグレーだかブラックだかでいいんです!!! 頼む!! あの美をもう1度!!! スタイリストさん雇ってダイレクトに出して!!!!
……とまあこんな感じで、私が1年前のSwitch体験会で会った社員さんのお話は、これで全部になります。
私が緊張しまくって、焦って話しを無理に繋げようとしたりするなどして、失敗してしまったところも多々ありました。しかし、どの方とも1番伝えたいことはお話しすることができ、時には貴重で面白いお話も聞かせていただき、楽しく会話をすることができました。
また、これは当たり前のことではありますが……話しているうちに緊張が少しずつ解けていき、次第に「憧れの人」から、「ひとりの人間」と話しているような感覚に変わっていったのです。もちろん、完全に親しくなったりなどしませんが、写真や映像でしか見たことのない方を、ひとりの生きている人間として見られるようになったのは、ちょっぴり嬉しいことだったりします。
そして、少しでもお話ができたり、人柄を知れた方に対しては、「この人が関わったゲームを遊びたい」と、より強く思うようになったのです。
私がそう思うということは、反面、ゲームのディレクターやプロデューサーというのは、「ゲームの顔」でもあるということです。とても、責任のある大変な立場なんだろうなぁと思います。
それでも、私がすることは変わりません。私はこの方々を信頼していて、そしてその方々が作るゲームも信用しています。だから、私は真面目な姿勢でゲームをプレイして、正直な感想を述べるまでなのです。
……でもやっぱり、山上さんはヤバいと思います。