SWITCHインタビュー 達人達(たち)選「神田松之丞×いとうせいこう」[字][再] 2018.01.13

131月 - による admin - 0 - 未分類

(出囃子)
(拍手)
(拍手)え〜一席申し上げたいと思いますけれども。
講釈の松之丞でございますがまあしかし講釈師がこうやって紀伊國屋寄席に出られるっていうのはものすごいねありがたい事なんです。
お客さんあんまりその感じってない感じありますけどこれすごい事なんです。
人間国宝の一龍斎貞水先生。
70今7〜8ですかね。
あの先生の次に紀伊國屋寄席に上がってるのが私なんですよ。
(拍手)松之丞は今講談の世界で新風を巻き起こしている男。
まあ何しろ今講釈っていうのは人の数が少ないですから。
まだ真打ち昇進前の二ツ目なのに独演会のチケットはいつも売り切れ。
「講談って何?」って客を「講談って面白い!」ってとりこにしていく。
落語家さんすごいですね。
東京大阪合わせてなんと800人だそうです。
すごいですよ。
…で講釈はこれに比べてどれぐらいの数がいるか皆さんご存じですか?なんです。
80人しかいないんです。
しかも落語家さんって95%以上が男性。
ものすごい男社会。
ところがそれに比べますと講談界はなんと半分は女性なんです。
…で今若い男の講釈のなり手というのがもうどんどんどんどん少なくなってまいりまして今東京大阪合わせて一番若い男の講釈師誰か?私でございます。
皆さんは今大変に貴重なものを見てる。
・「俺はラッパー」せいこうは大学時代にお笑いの芸人としてデビュー。
ラップで日本語の表現方法を追求してブレーク。
小説「ノーライフキング」や「想像ラジオ」がベストセラー。
いくじなしめ。
もとより酒のウエの悪い新左衛門。
「いえいおのれえいーっ!」。
抜き打ちだ。
宗悦の左のまなこがニュルっと飛び出す。
「ギャッ」と言ったところを「えい!」。
二の太刀は左の肩口から乳の下かけて。
「うーん」。
朱に染まって倒れる宗悦。
ハッと我に返ったが後の祭りでございました。
楽屋の方ですか?ええ。
お疲れした。
ありがとうございました。
僕みたいな不器用な人間じゃなくて…「あっこれはこの番組出るって事なんだな」ってマネージャーに言ったの。
松之丞?何か聞いたなこれ。
つい3日前ぐらいに俺聞いた。
若者の街渋谷にある劇場。
神田松之丞はこの舞台で講談の魅力を発信している。
いとうせいこうにとってもゆかりのある場所。
ここ改装した時に一緒にやろうって言われてこの椅子も「こんな感じのがいいんじゃないですか?」って言ったんだ実は。
いとうさんがご自分で?そうそう。
そしたらそこに松之丞さんが出てたりとかっていう話を聞いて…。
そうなんですか。
この椅子がとにかく評判がいいです。
俺さ初めてなんですよ講談のこれを見るの。
そうですか。
何台っていうんですか?これ釈台っていいます。
講釈の台なんで釈台っていう…。
これ何の木なんですか?桜ですかね。
桜ですかね。
桜はちょっとやわらかくて…。
一番ケヤキがいいんですよ。
音?音が。
全部木によって音全然変わってきまして。
ちょっと…見ていい?はい。
これ知りたかったの。
ここにこうしててもいい?もちろんもちろん。
怒られたらどうしよう。
非難ごうごうだったり…。
これで普通に左に扇子持って右の手に張り扇持って…。
たたいて物語を読むっていう感じですね。
張り扇はこれ独特のもんですね。
これ全部手作りです。
これ中に竹が入ってまして。
これも普通の東急ハンズとかで売ってるやつがあるんですよ。
それを買ってきて自分でサイズ見て。
紙貼って。
この紙が西ノ内和紙といってすごい特徴的な高い紙なんですけど。
特別の店に行って巻いて自分で作るっていう感じですかね。
だってここの音がすごい重要だってこの間もよく分かりましたもん。
うちの師匠なんか鉛みたいなのをここに入れてて。
こういう薄い薄い何かこう…。
1センチないですね2ミリぐらいの鉛を薄く入れてたりするんですよ。
これは…そうですね。
点ですよね。
一番軽い表現は何なんですか?一番軽い表現は普通にこう…。
っていうふうにポンだけですね。
そうすると聞くんだよね人が。
そうですね。
「あっあいつたたいた」みたいな…。
そうでしょ。
だからこれはすごい発明だなと思ったのよ。
確かに何か例えば「それから100年後」って言った時にいきなり人間って100年後って言われてもなっていうのをそれから100年後の物語で。
…ってやると何かあっ100年後だなっていう。
強調する時は2回とか。
…とかあと「スパン!」と斬って捨てとかこういう「スパン!」と斬ってくとかってそういうところですかね。
バタバタバタバタバタバタッてやつだよね。
おっと逃げていく。
「待て待て武蔵!」。
…とこういうふうに手も僕の場合バンッてやったりして。
こっちで追いつかない時こっちでやってたりとかっていうのは僕はやってたりしますけどね。
この間見たのは両方…。
ありますねこういうふうに。
これこれがいい訳。
こんなのほとんど音してないんですよね。
だから形だけですよね。
こんな感じ。
あっそういうもん?俺ちょっと成分混ざってるような気がしてこっちの音の。
ちょっと混ざってるんですけど。
ほとんどない?イメージでいうと…。
こんな感じですよね。
意外によく聞いてるとそこまで音出してないんですけどでも何かすごい出してる感じに聞こえるっていう。
両手を使うと人は見るよね。
確かにそうですね。
人は見る。
だからこの前やった武蔵でこんなふうに構えたりするとこれが要するに刀になってる訳ですよね。
そういうような分かりやすく…。
ほかの使い方は?これでも単純にキセルを…。
じゃあ落語的な。
落語的な。
じゃあ3つの道具がある訳だこれを含めれば。
そうです。
講談っていうのはそうですね。
前に釈台あって張り扇と扇子でこの3つで構成されてるっていう。
寄席や独演会で全国各地を飛び回っている松之丞。
場所が変わる度にリハーサルでこだわる事がある。
いけますか?いけます。
照明なんですけども羽織脱ぐきっかけで照明を落として頂こうかなと…。
今2つぐらいちょっと作ってみたんですけどちょっと見て頂けますか?もう既にあるんですね。
この場合困るのが僕が見れないのでちょっと前座さんの…。
座ってもらえますか?すみません。
あっこれもすごくいいですね。
もう一個じゃあお願いします。
あ〜色入れた感じなんですか。
ちょっとブルー。
抜く事もできます。
う〜ん…。
そうですね青の方がいいですね。
(取材者)どんなところにこだわってるんですか?こだわりですか?でもやっぱ張り扇の音がノイズになっちゃうんですよね。
芸が拙いのでね最善の環境で聞いて頂きたい。
「このように寒い日はお体を痛めますもので」。
そうですね。
ちょっと遠いんだよなこれ釈台に。
どうしようかな。
ギリまで座って…これでいいか。
「どうされたんでございます?」とかってやるんですよ。
なかなか届かないんで結構ギリまで釈台をマイクに近づけてもらえますか?かしこまりました。
その方が多分いいかなっていう…。
あとそんな大きな声出さないんですけど張り扇が…。
え〜一席申し上げたいと思いますが…。
これがノイズになってます?大丈夫ですか?はい大丈夫です。
「スパン!」と斬って捨てる。
「うーん」。
朱に染まって倒れる宗悦。
ハッと我に返ったが後の祭りでございました。
何か大丈夫そうですねこれで。
僕こないだね松之丞さんのやつ見た時に…体をこっちにこうやる事でマイクに近くなるから結構すごく…何て言うの?ここでささやかれてるように使ったりとかする。
すごい気にしてると思うのマイクを。
前回せいこうさんに見て頂いた時が釈台って決まってないんですよサイズ。
あそこの釈台が奥行きがあって。
幅があったんだ。
幅あるなと思ってだからマイクに近づけてこれを拾う感じで「なあ…」とかっていうのを。
結構出てくるなとは思った。
ですよね!だからあれは出ないとそれ使えないわと思って。
ここだったらどのぐらいでできるの?ここの場合だったらこれ上げちゃいますね。
マイクこの毛氈のとこに。
あ〜なるほどそうか。
毛氈に上げちゃって…。
こうなって。
ここで「どうした…?」とか「どこがそんなに痛いんです?」ってこれマイク入ってないですけどこれをこの距離でやると本当のちっちゃい声で耳元でささやかれてるように聞こえる。
でもう一人の言われてる方はここでしゃべるんですよ。
遠くに聞こえる?「何だ?」。
そう遠くに聞こえる。
また乗り出して…。
「どこを痛めたんですか…?」とかってそういう間を取ってこいつ何しゃべんのかなこのマイクで…。
それは多分江戸時代とは全然やり方違うでしょうね。
あ〜そうでしたある種。
そうだよね。
それはいつから?怪談噺でしかもちょっと特殊な怪談に僕は思ってたのでああやって耳元でささやかれたら嫌だよなっていうのでせっかくあるから使ってみようっていう。
最初はアドリブでやってたんですよあれを。
即興で。
こうやったら面白いかな。
そしたら意外に好評だったので。
でもこれと自分の位置関係によって人物を演じ分ける事は当然できる訳じゃない?マイクでの音っていうか指向性によって?だから僕すごい自分も…音楽はずっとやってたんでそれでしかも音響にすごく影響される音楽もやってきたから更に言うとですよ音楽的に言うとここのマイクをすごく気にしている人のこれが気持ちよかった訳。
あ〜そうですか。
これとこれの特にこういうパンパンパンって音なんかは下手な人だと不快になっちゃうのね物たたく音って。
確かにそうですね。
これが…あれも効果は俺あると思うんだよね。
ちょっとこっちの「パン」を抑える低音が出てるみたいな。
なるほど楽器としてやってたって事ですね。
両方をパンとやったらいろんな…その発想って多分僕今まで一度も言われた事ないです。
これ楽器だっていうふうにもちろん楽器の面はあるのは分かってたんですけど楽器として聴いて頂いて今感想頂いたのって初めてかもしれないです。
なるほどそうですね。
そういう楽器って世界にないから。
そうですね確かに。
これやっぱりキセルにもなるけどスティックになってるっていう楽器はないから。
ある種楽器なんですけど音は実際出るんですけどこれはもう想像芸じゃないですか。
キセルは実際は扇子な訳でこれをキセルに感じて頂くっていう…江戸時代に深井志道軒っていうすごい有名な人がいるのね。
当時は市川團十郎がやっぱりすごい人気な歌舞伎として人気なんだけど團十郎と人気を二分したっていうぐらい大道芸人ですよ。
その人がね図版だけ…ちゃんとした記録が残ってないんですよ。
図版だけ見るとねチンチンみたいな棒持ってんのよ。
それでポコポコたたいて…。
たたいてんのよやっぱり。
一体何で…本当チンチンの形してるんですよ。
バンバンって多分たたいてた。
それをね考えていくとね「あっそうか」と思ってこのごろ気付いた事があるのよ。
(笑い声)いやでもそうかもしれない。
指揮者も持ってますよね。
指揮者も持ってんの西洋の。
別にあんなもんで振る必要ないんだもん。
これだっていい訳よ。
こういうものを持ってるとそれだけで人間って…聖徳太子も持ってるよ。
ハハハハあれ多分棒っていうか何か違う呼び方でしょうね。
でも形はこうだよ。
確かにそうですね。
そんな形してました。
だから何かあるのよこれには。
俺はそういう人間の奥底にある何かがこれやられたらもうたまんないってなっちゃう。
それでこの間ようやく完全にその事に完全に気付いてAmazonでもう指揮棒買ったけどね。
意味もなくあるんだけど俺いつ使うんだろうこれと思って。
僕ね松之丞さんの事をいろいろうわさで聞いてた時にね戦略的に講談をやってるっていうそういうクレバーな人出てきたんだっていうふうに思った。
勝手に思ったんです。
何か僕はでも初めて…しかも誰も気付いてない。
僕も伝統芸能をねそもそもいいなと思ったのは結構自分の父親が早くに死んだんですよ。
10歳ぐらいの頃に。
松之丞は東京の池袋で生まれ育った。
「おやじが突然いなくなって母親がずっとおろおろしてたんですよ。
その日いつも通り朝五時くらいに起きたらしいんですが『ちょっと煙草買ってくる』って言って出たきりいつまでたっても帰ってこなかった」。
うちのおやじはすごい何て言うんでしょうかね明るいサラリーマンだったんですけどただちょっとやっぱり心を患ってしまった…後で分かる事なんですけど夜の3時ぐらいまでずっと家で一生懸命何か仕事の勉強してて朝の7時半に出社してましたから。
だからもう全然寝てない。
多分もうそれはちょっともう病…うつ病とかそっちの方だったと思うんですけど寝れないっていう。
朝ある日母親に「ちょっと煙草買いに行ってくるわ」って「あっそう」つってそれっきり帰ってこなくて後で警察から連絡があってちょっと…「山で見つかりました」みたいな感じだったんですよ。
その時のやっぱ僕の衝撃って小学校4年だったっていうのもあって急に今までいた人が消えてしまうっていう悲しさ極端に言うと1か月ぐらい前までキャッチボールしてていってた人が急にいなくなってしまうっていうもののむなしさみたいなのを如実に考えた時に僕もすごい明るい子どもだったんですけど急にやっぱ陰がそこに出来てみんなと小学生ですからわっと笑ってるんですけど急にふっと能面みたいになって一瞬「あれおやじ死んでんのに俺笑ってていいのかな」みたいな。
それを埋められるものがずっとなくてずっと探してはいたんですけど…高校3年の時に圓生師匠の「NHKラジオ深夜便」というラジオっ子だったんで聞いた時に…「らくだの死んだ事を知らせに来たのか?」。
「ええ」。
「早く言えばか野郎」。
「そう言ってるじゃないですか」。
「ああそうか。
いやいや知らねえと思ってるから」。
「本当に死んだ」。
「え〜?うん。
うそだって言うとお前殺されるよ。
らくだが死んだんだろ。
だるまさんが転んだじゃねえだろうなおい」。
で行ってだからラジオから始まって落語に触れて…。
談志経由。
談志経由講談ですね。
で見に行ったんですけどあんまり正直ピンとこなくて。
何度も何度もしつこいんで「談志師匠が言うんだからいいに違いない」つって。
それはどなたの何を見てた時思ったの?それはもう亡くなっちゃったんですけど伯龍先生っていう方の「雨夜の裏田圃」というのを見たんですね。
「『私が案内をするから』とテヅカの三次がこのおとせを連れて吉原へ案内をすると入谷田圃へ連れてまいりました時に…」。
それが実の妹を人に言って殺させるみたいな話なんですよ。
すごい残酷な。
で夜中の吉原の裏田圃で初めて三次っていうのが人に頼まれて金でもって殺すっていうところで。
それでグッて殺した時に首かなんか絞めて殺した時にスッと雨が降ってきたんですね。
で「雨だ」って…ただこれをエンターテインメントでやっていいのか分かんないっていうぐらいのリアリティーっていうか質感っていうか。
その時代の江戸時代の何とも言えない閉塞感とかどんなゴロツキが頑張ったって上に上がれないんだとかというのも何かその空気感行間本当の別に大した事を伯龍先生が意識してるかしてないかも分かんないんですけど「ウッ」とこう来たんですよね。
そん時に…例えばじゃあそのお父さんがそれまでキャッチボールをしてた時に一体本当は何を考えてたんだろうって事じゃない?そうですそうです。
自分の側も子どもでみんなと遊んでる時にフッと違う事を思い出してるけど口ではばかな事言い合ってるっていう時も内面との乖離がある訳じゃないですか。
だから講談をやる事にはものすごく意味があるしその内面を…「怪談宗悦殺し」。
旗本に斬り殺された按摩師宗悦の物語。
人の内面を語る講談。
「ちょうど去年の今月今夜旦那様に左の肩口から乳の下かけて切り下げられた宗悦はまだまだ痛うございましたぞえ」。
「何だと!」。
振り返ってみれば己の肩へ己が手にかけて殺した宗悦。
「くそ〜!化けて出おったか!いえ〜い!」。
一刀抜きますがやはりそれは見知らぬ流し按摩で。
「しまった!流し按摩をあやめてしまった。
宗悦はどこ行った!宗悦は…宗悦はどこへ行ったのだ!」。
この一部始終を見ていた妻のおまさがタッタッタッタッタッタッタッタ向こうへ逃げていこうとするところを…。
「あそこにおった。
ハハハハハハ!宗悦あそこにおった!あそこだあそこにあそこに宗悦はおったわ」。
深見新左衛門何を考えているのでしょう。
妻のおまさを追っかけていきますとおまさの背中越しに刀を…。
「フハハハハハ!宗悦覚悟〜!フハハハハハ…」。
宗悦の事だって独り言だったりして。
それは内面の声だったりして。
あるいはもう宗悦は死んでるのに何かが聞こえるって事はそれは自分の内面に罪悪感が響いて聞こえてるのかもしれないし。
だけど僕ん中でやっぱ子どもの頃におやじの死がショックだったんであんまり想像しない…想像したらおかしくなっちゃうって分かったんでしないようにしないように生きてきたんですよ。
うちのおやじが「煙草買いに行く」って言って自転車で1回墓参りに行ってる形跡があるんですよ。
うちのおやじの父親と母親がもう既にその時他界してたんですけど自分の父親と母親に手合わしに行ってっていう。
それで花手向けて山に行ってっていう。
その遺書もね見たんですよ山の中にあって。
1枚だけだったんですけどこんな便箋のやつで。
もう本当にいろんな方にご迷惑をかけましたっていうその文字が子ども心に見たんですけどもう震えてるんですよね。
俺人って死ぬ前ってこんな震える字書くんだと。
それ見た時に人生変わりますよね。
衝撃受ける。
うちのおやじが自転車こいでる時にどんな思いで今山に向かって墓参りをして自分の父親と母親にどんな言葉をお墓の前で言ったのかっていうのを…想像する事をやめてたんですけど僕ももう今34になってようやくそういうのを…何かここ俺の居場所じゃないなっていうの常にあってその空白みたいなのを伝統芸能つって私が仮に死んでも…私の弟子いないですけど後の人につなげていけるし…意味がない訳ではないという事になるもんね。
仕事してやっぱりずっと続いていくものがいいなって思ったんですよ。
後半は舞台をスイッチ。
割とこんなきれいな船着き場あんまりないですけどね。
いや〜そうですか。
うん。
屋形船自体が初めてなんで興奮しますね。
むしろちょうどいい天気かもしんない。
変にカンカン照ってても嫌だしさ。
ああそうですか。
せいこうは東京の飾で生まれ育って浅草に引っ越した。
隅田川沿いの下町はふるさとのような場所。
船の文化だからね江戸は。
水運というか。
これでも私初めてですけどどのぐらい来られるんですか?ここは。
俺?俺はでもこの船宿は初めてだけど花見の季節になると浅草連中が出してたから必ず乗ってやってたんですよ。
おっ来たよ。
来ましたね。
いいんだよ。
これ確かにいいですね。
いいんだよ。
見ちゃいますね。
子細に見てほしいね俺は。
じゃちょっとすみません。
うんどうぞ見て下さい。
あっ!東京湾から隅田川へ屋形船の旅。
いとうさんの人生を聞いてもいいんですか?これ。
いいですよ。
大丈夫ですか?聞いてくれていいですよ。
何でも答えますよ僕は。
お父さんが政治家なんですか?あっそうそう。
政治家っていうかね労働組合の…でまあ働いてるみたいな。
で選挙に出さされちゃった訳。
それでたまたま1回か2回受かっちゃったんだね。
まあ貧乏っちゃ貧乏な…父親はお堅い職業じゃないですか。
そこからいとうさんって…そうですよね。
俺もそれ考える事あるのよ。
私立中学入る。
お金もないのに。
それは…。
一緒に一緒の敷地内に叔父さんが住んでたんですよ。
言ってみたらその叔父さんの敷地の中に家を建てさせてもらって仮住まいなんですよ。
そのいいうちの叔父さんの息子俺にとってはいとこだけど…が大学まで一緒になっていく。
医学薬学系の学校に行ったんですよ私立に。
だから僕の両親はどういう中学に行ってもいいぞって。
どんな職業でもいいんだ。
職業に貴せんなし。
尊いも卑しいもないとか言ってるけど何かそのお兄ちゃんになれなれっていう。
あったんだよプレッシャーが。
プレッシャーがあった。
言わずとも感じて。
あった。
だから俺は医学薬学なんて興味ない訳ですよ全然。
僕は文学の方が好きなんだから。
だけど自分をだましてよし自分はいつか…。
あっ俺両親の田舎が長野県だから夏休みは山によく行ったのよ。
きのこ採ったりすんの好きだったの。
だから俺はいつか大人になったら山に籠もってきのこから薬をとってそれでノーベル賞を取るんだと。
僕はそういう人間なんだと。
自分を思い込ましてそれで受験勉強してその薬学系のとこにポンと入ってですぐ落ちこぼれちゃう訳。
でも入れたのすごいですよ。
入れた時は頑張ったよそれは。
でも実際は好きじゃないから数学0点。
そのうち高校になって物理0点化学0点。
その〜数学とか物理に関しては僕はなぜ公式を覚えなきゃいけないのかが分かんなかったんです。
あ〜そういう事なんですか。
「初めからちゃんと計算して当てはめないで自分から一から計算して解きたい」って言った訳先生に。
「それは不可能だ」って言われた訳。
「でもおかしいじゃないですか」と。
みんなこれを解けないのにただ覚えたものをこう…その中に入れるって事がもう許せなかった。
まあかっこつければ。
うんうん。
それで俺は自分から解こうとしてこうじ〜っとしてやってるけどさ何を書いてあるのかさえ分からない訳。
なるほど。
バンバンバンバン落ちこぼれていってで1時間の授業中ずっとウンチがしたいの。
もうず〜っと嫌なの。
苦手で。
体に出てる…。
体がもう嫌なの。
体が嫌なんだ。
せいこうは早稲田大学の法学部に入学。
学生時代お笑い芸人の仕事を始めていく。
学生からこう世に…テレビとかそういうのにパンって出るってのは芸人として出たんですか?うん芸人…そうだね。
大学に入ってピン芸っていうか自分…一人芸をするようになって…。
それがすごいですよね。
一人芸をするようになってって普通になかなかならないですよ。
ならないよね。
大学の時に何かバンドを組もうとか言ってきたやつがいてそれはもう遊び人たちですよみんな。
それで「よし組もう」って言って。
でもそいつらも目的はナンパなのよ。
なるほど。
リハーサルが終わって高田馬場のBIGBOXってとこの前に必ず行くのよ終わると。
で俺はリハーサルが終わったんだから帰ろうと思うけども「いとうお前も来い」って言われて必ずBIGBOXの前に立たされるの。
そうすると「あの子を止めろ」とか言うのよ。
「ちょっとすいません」って言って…。
そういう意味でのストッパーなんですね。
「すいません」って言ってストップさせて「僕らこういうような事をやってる者なんですけど」ってべしゃりでね相手を止めてく訳。
もうその時点からべしゃりうまかったんですね。
らしいんだよ。
それで使われてた訳。
それで俺がべしゃりをうわ〜っとやって女の子止めてでそうするとそいつらがのっそりやって来てそれでどうにか喫茶店に行くみたいな。
で行けなくて女の子が消えちゃった場合はまた俺がストッパーで止めに行くの。
なるほど。
で話がまとまると俺は帰っちゃうっていう。
行きたくないもんそんなもん。
だからそのバンドのメンバーが学園祭とかの時にちっちゃい教室でやる訳ですよ大した演奏でもないのに。
その時にちょっとした曲間に俺に「あれ行けあれ行け!」って来る訳ですよ。
しゃべりを。
「こないだあの話面白かった。
やれやれ!」。
俺やるじゃない。
そうすると客ウケる訳ですよ。
バンドの演奏時間よりそっちが長くなっていく訳。
すごいな〜。
いとう君の芸を見ようっつって来るようになっちゃう訳。
じゃあそっから…。
それをやってたら知り合いみたいな業界の人が来ていとう君コンテストに出てみないかと。
あ〜出た。
それが出たんですよ。
5か国の外国人留学生が日本語をなまるとかさ。
ドイツ語なまりの日本語アメリカなまりの日本語マレーシアなまりの日本語とかそういうやつだよ。
例えばさ普通にアメリカ人だと「ワタシハアメリカカラキマシタ」って言うじゃない。
でもそれはアフリカ人だとさ「ワタシハ」ってなる訳よ。
「アフリカカラキマシタムムガガデゴンゲンデス」とかいって…。
いやいとうさんさびてないのがすごいです。
さびて…。
(笑い声)練習してきたでしょ今日。
(笑い声)まあ30年ぶりぐらいにやったんだけどさ。
それをやってたら何かこうそのコンテストに優勝しちゃって…。
わ〜すごいな〜。
いとうさんの中でやっぱしゃべりがとにかく仕事になるなっていう感触はそこで得たんじゃないですか?何かね…僕早生まれなんですよね。
だから小さかったの。
それはすごく大きかったと思う。
小さいから学年で絶対いじめられちゃう訳。
あ〜分かりますそういうのね。
腕力で絶対勝てないの。
だけどこれでごまかす事できるから。
なるほど。
「いや今俺を囲むんだったらあっちのあいつをなぜ囲まないんだ」とかっていう。
「なぜならば…」みたいな事言ってるうちに「それはそうだな」っつって向こうに行っちゃうから「しめしめ…」って帰るみたいなさ。
そうか面白いな。
そうだよ。
まだ全然始まってないからスタッフさんももう早く巻けよみたいな空気…。
いやでも…せいこうは大学卒業後大手の出版社に入社した。
就職試験しちゃうの。
えっ芸人やめるんすか?不義理といえば不義理ですよね。
番組持たないかとも言われたけど僕はちょっとやっぱり使う側になりたい。
やっぱり。
いや〜いろいろ変えるんだよな。
いろいろ変える。
それでいきなり出版社受かっちゃってここで編集の仕事を2年半します。
どこですか?場所。
講談社の「ホットドッグ・プレス」っていうとこに。
またまたいいとこへ配属されて。
まさにいとうさんがやりたい事があふれてるような感じじゃないですか「ホットドッグ・プレス」なんて。
2年半ぐらいで…2年半で辞めた。
そしたら2つ番組MCの番組がポンッポンッて入ってきたの。
(ベル)え〜皆さんこんばんは。
「土曜倶楽部」が早速始まった訳なんですけどですね後ろでガタガタといろんなやつがいますけどねまあ気にせんでやって下さい。
若者たちのトーク番組。
テレビのMCという新しいジャンルに挑戦した。
それ何か違うんじゃないのっていうのは…君あるんだ。
いとうさん本当才能あってよかったですよね。
(笑い声)うん。
今聞いて破綻してるような気がしてきた。
多才っていうか僕松之丞さんのご指摘を聞いて分かりましたけども…そうですね。
今まとめるとやっぱちょっと…おかしなことに…。
(笑い声)2001年にスタートした深夜番組。
出演者が知識と話術でバトルを繰り広げた。
せいこうはその裏話を松之丞に語っている。
あれ?こないだ会った時俺その「虎の門」の時さものすごい精神安定剤のんでやってたって話してた?してないっす。
え〜そうなんですか?もう完全に心がもう…。
そのままだともう何て言うか叫びだしちゃうみたいな。
自分をまず自分を鈍麻させてあの異常な世界を仕切ってたんだよ。
まさに内面だよ。
内面は僕はもう夜叉ですよ。
それがでも10代の子に響いてたんですね。
僕に。
そうかもしんない。
何なんだろうあの人はって。
それはでもどういうストレスでそうなったんですか?う〜んよく分かんないんだよね。
やっぱりうつ…長いうつみたいのがあってまあ最終的にパニックになるんだけど。
その間ぐらいだったかな?僕はだから一つの部屋に閉じ込められる事自体がもうおっかない。
しかも生でしょ。
逃げられないじゃないですか。
それがものすごい怖い訳。
だからもう安定剤のむよね。
でもキレキレでしたね。
それでもキレキレなんだよ。
そう。
そのためにはこの緊張感が必要。
そのためにはこう追い詰めなきゃならない。
本当に追い詰めたらこの人大変な事になっちゃうから目を見て「うん?5秒いるな」とか。
5秒は猶予してこっちが何かしゃべってて「どうぞ」って言うとかっていう。
僕は自分を見せるためというよりは彼らを見せたかったんですね。
いやそれも伝わりました。
何かやたら伝わってきましたよ。
あ本当!?いとうさんのその何か熱意が10で言語化されないレベルで何かすごい頑張ってるっていうかすごい力を感じるって思いました。
それうれしい。
だからなみなみならぬ決意みたいなのを感じましたね。
一番追い詰めて今からこいつは一番面白い事言いますよってわざと追い詰めてだからCMになる度によくね出演者が全員ね「う〜!」って胃を押さえてんの。
こうやってんの次の明けまで。
(笑い声)でもあれがやたら面白かったですよね。
そうだね面白かった。
見てる側は責任ないですから。
やる側も面白かったですよ。
・「ディスプレイは最高DEADTECH」せいこうは1986年ラップのアルバム「建設的」を出した。
25歳の時だった。
うわさだとヒップホップっていうの私疎いんですけどそれの一番最初にいとうさんが海外から持ってきて日本でやったっていう…。
まあ…うんそうね。
周りに何人かいたけどやっぱり日本語できちんとやったのはまあ僕…少なくとも日本語でフルアルバムで出したのは僕で。
大学時代にFEN放送っていうのがあって米軍放送ですよ。
聴いてそこで言葉を乗せてる音楽を聴いた訳。
これは面白いと。
何だかもうウキウキすると。
ヒップホップっていう言葉も聞くしDJみたいのがいるんだって事も分かってくる。
そうするとないのは日本語でそれをあおる人間だけだ。
何となくマイクを渡されてまあありもしない英語で…。
だってありもしない英語とかうまかったから。
ええ。
でやってたのをあれ?これやりながらちょっと日本語に直してっていうか…。
ラップの曲やりたいと。
でもこうなるとただグジュグジュ言ってるだけじゃ駄目だと。
じゃちゃんと日本語で書かなきゃと。
でも書くにはどうする?そうですよね。
だから全然言語が違うから構成ができないっていう…。
文法が違うじゃない。
じゃあこれを倒置法にして…。
より頭に入る倒置法とは何なんだろうかとかいう事をえらくいろいろやったんですよ。
なるほど。
歌詞作る時はず〜っとキーボード見てやってるからね。
「う〜んじゃない違う。
希望…いや違う。
策謀…いや策謀みたいな言葉じゃない」とかさず〜っと「何の『ぼう』だとみんなが分かりやすいの?」って。
なるほど。
でくのぼうとかさ。
何かそういう事をやってるって事はつまり言葉のチョイスを延々やってるんですよね。
仲間メンバーとレコ発っていうねレコード発売記念ツアーっていうかまあ2本しかやってないけどやったんですよ。
そしたらものすごいアバンギャルドな人たちだからアバンギャルドな演奏に入っちゃった訳。
なるほど。
一曲一曲をやるというんじゃなくて。
DJも勝手に。
でいとう君も…そうするとあり物をラップしてくしかないじゃないですか。
だけどあり物って決まった数しかないじゃないですか。
そうすると僕は何か違う局面の音楽になってきた時にその局面に合う…言葉を。
僕は割とフィクションを作ってラップにしたり起承転結つけたりする。
その場では思いつけないね。
すると俺…であ〜もう俺はやるとこまでやったもういいってなっちゃったの。
ああなるほど。
ピタッてやめちゃったんですか。
やめちゃった。
その後も幅広い活動が続く。
台東区の映画祭。
せいこうは喜劇と下町の庶民に思いを込めて総合プロデューサーを務めている。
どうもこんばんはいとうせいこうです。
ようこそ。
満員御礼ありがとうございます。
今からかかる映画はシネマ歌舞伎。
平成中村座勘三郎さんがまだ生きてらっしゃった時最後の演目がこれ。
声かけちゃったらいいと思います僕は。
「中村屋!」って。
大いに笑ったりわ〜って騒いだり拍手をしたりして盛り上がって頂きたいと。
この秋公開される映画の先行上映などイベントがめじろ押し。
さあみんな!もうすぐ発表になる小説のゲラでずっと頭の中で気になってて持ち歩いてんですよね。
イベントの合間を縫って小説のチェック。
変わった小説で2036年にもう一つの戦後から監獄の中から一人の男が検閲をずっと受けながら1年間ぐらいものを書いてるっていう…。
政治小説といえば政治小説ですね。
あんまりこのごろみんなが書かなくなっちゃった。
(取材者)何で今?う〜んまあ戦前化してるのは明らかなのでまあやっぱりう〜ん…戦争がもしあるのならば戦後はある訳なので戦後という事からここを捉えるともの書く人はとか何する人はとかどういうふうにここを乗り切っていくのっていう…。
え〜あん時にかっこ悪い事しちゃったなって思う人たちもいっぱい出るでしょ。
戦後にはね。
前の戦後にはそれがあった訳で。
特に文学ではそれが大いにあったんですよね。
27歳の時せいこうは小説を書いた。
子どもたちとファミコンゲーム「ノーライフキング」の呪いを描いて。
一番最初出したのって「ノーライフキング」ですか?まあ小説的なものとしては「ノーライフキング」ですね。
それも何年か続けたら…だから一つのうつ的なもんだね。
言葉が立ち上がってこないっていうか…。
普通にはしゃべれるんですよ。
だからMCはできる訳。
むしろバンバンできる。
だけど…僕がよく言ってんのは…人生だといきなり死んじゃう人は死んじゃう訳だしいきなりこれがストップしてこのままズブズブズブッて沈没してしまう事だってある訳だし上から何か飛行機が落ちてきてで終わりでしたとかある訳じゃないですか。
でもそれは小説に書くとうそみたいって言われちゃうでしょ。
全然これ書くべき事なんか何にもないじゃんって…。
っていうふうに…。
なっちゃったの。
それってかなりつらいですよね。
つらい。
自分がやりたい事なのにできないっていうのは。
それもうラップと同じじゃないですか。
ラップで一回ちょっといとうさんもああしんどいなって思ってこっちでもしんどいなってなってそれちょっと精神的に結構来ますよね。
来た。
ものすごい来たよ。
だってたまにものすごいやっぱ書きたいって思うんだもん。
でいい小説読むと「ああいいなあ小説って。
やっぱりもう一回戻って書きたい」。
もう…もうペンを持つとかキーボードこうする時点でもうこうなっちゃうの。
へえ〜。
駄目だ。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いって。
そして東日本大震災が起きた。
長いスランプからもう一度小説の世界へカムバックしていく。
311があって3.11があってで急に…急にこんな個人的な悩みで悩んでいる場合じゃないっていう。
俺の事でどうこう言ってる場合じゃねえだろっていう。
小説自体がこれこのままだと駄目だよこの事を書けないようでは。
というジャンル自体が駄目だ。
でしかもこれがその事が書けなければ俺はもう一生書かないだろう。
書くべきじゃないと。
それを抜きにして何だか商店街の楽しい話なんか書いたって俺は自分を軽蔑するだろうと。
で「背水の陣」で書いたのがあの…。
「想像ラジオ」ですね。
そうそうそう。
その時に…でそこで真っ暗な…もう信号しかないあとは何にももう全部が無くなってる所を通ってタクシーで通ってた時に…へえ〜。
物理的にはいないけど。
感じたんですね。
別にスピリチュアルな事と言うよりは権利として。
人間の権利として。
それを聞かない方がおかしいんじゃないかみたいな事思った時にカーラジオが聞こえてるじゃない?あ〜そうかと。
ラジオやってんなと。
「僕はマイクの前にいるわけでもないし実のところしゃべってもいない。
なのになんであなたの耳にこの僕の声が聴こえてるかって言えば想像力なんですよ」。
確かに急に津波で巻き込まれて亡くなっちゃった人の声というのはもうこっちで聞くしかないんですよね。
耳をそばだてて。
そうなの。
で言葉を失ったじゃないですか。
う〜ん…。
それに未来がどうなるか分からなくなっちゃったじゃないですか。
特に東北の人にとってはそうでしょ?ええ。
失語症みたいになっちゃったんですよみんなが。
ギリギリのとこ来た訳。
そうすると「コップが落ちたので割れた」を嫌がってる場合じゃない訳だよね。
なるほど。
無理やりにでも言葉を立てなきゃいけないから。
だから言葉でやる。
頑張るしかなかった訳。
というか嘘八百で。
聞こえてもいないラジオが聞こえてるって言い張ってんだから。
「僕は高い木の上にいるんですね。
町を見下ろす小山に生えてる杉の木の列の中。
細くて天を突き刺すような樹木のほとんど頂点あたりに引っかかって仰向けになって首をのけぞらせたまま町並みを逆さに見てる」。
あれの映画化の話とか来たけどやめた方がいいですよって言って。
できないですよ。
だって木の上に人がぶら下がっててねそっからその人がDJしてるラジオが聞こえるなんてね映像にできないじゃない。
できないですね。
でなるべく映像にできない事…つまり小説だったらギリどんな取り柄があるかという事を自分の中で吟味してやってったらああなったんですよ。
だから松之丞さんがやったらいいんじゃないの?俺今まで断ってたよあれに関しては。
「想像ラジオ」ですか?「想像ラジオ」の上演。
だから結構今日お話ししてて思ったのはお互いのこうインタビューし合っててやっぱ想像とか余白っていうものをかなりいとうさんも私も大事にしてるっていうのをすごく伝わってきて…それは誰も言った事がない。
過去の名人上手の声は今聞こえないですよ。
特にCDになってないのも多い。
彼らがどれほどうまかったのかっていうのは想像するしかない。
文章とかには残ってるんです。
当時のお客さんの喜びも想像するしかない。
…っていう何かちょっと似てる。
似てる。
似てるっていうかおんなじ!おんなじですね。
おんなじ!松之丞は今は亡き神田伯龍が語った幻の講談にトライしている。
「すばしっこいところから子猿とあだ名つけられた七之助だ。
乗っている芸者は中橋の豊国が一枚絵に描いて売り出した男嫌いが売りもんで御朱殿とあだ名をとった浅草広小路の滝野屋のお滝」。
今回伯龍先生のテープとかこの台本とか書き起こしてて気付いたんですけどめちゃくちゃうまかったですね。
(取材者)そのうまいっていうのはどういうとこなんですか?まず言葉が江戸言葉なんですよね。
芝居をシバヤって言ってたりとかっていうその微妙なアクセントで…。
これって「小猿七之助」って正直そんなにテーマとして面白いというか筋が面白いっていうよりも当時の…江戸時代のいかにもな空気感を聞かせるっていうか。
(取材者)新しいテーマというかチャレンジというか。
いや新境地ですねこれ。
だからちょっと新境地すぎて早いなと思って。
(笑い声)俺えらいとこに手つけてしまったなっていうのちょっと…。
講談「小猿七之助」は隅田川の船の中で揺れ動く船頭七之助と芸者お滝の物語。
女が男を口説く…口説きが最後あるんですけどそれやった事ないからあれですよね。
やられた事もないっていう。
講談の中でお滝に七之助が口説かれる場面もある。
おはようございます!松之丞でございます!稽古に伺いました。
(松鯉)はいご苦労さん。
お世話になります。
よろしくお願いします。
失礼致します。

(松鯉)はい。
失礼致します。
失礼致します。
松之丞の師匠神田松鯉。
よろしくお願い致します。
はい。
すいません勉強させて頂きます。
はい。
「あたしもこんな家業をした浮いた女だよ。
所詮は堅気の所帯を持てるでなしどうせ女房さんになって苦労するのならしっつあんのような人にってさ。
ニッコリと笑っておくれたからああ嬉しい私の思いがとおったって初心なようだがその晩は一晩中まんじりともしないやね」。
女を出そうとしてあんまり…。
はい。
あんまり色っぽくし過ぎちゃうと嫌らしくなるから。
(取材者)先生だったらどういうふうに?あんなにねベタベタ色っぽく…セリフを私は言わないんですよ。
私ならね。
この人の芸風でセリフ粘っこい特性がありますから余計そうなっちゃうの。
(取材者)粘っこいんですか?粘っこいですね確かに。
(取材者)どんなお弟子さんなんですか?今はもうただひたすら頑張ってこのまんま一流の講釈師になってもらいたいって思いますね。
けん引車に。
若手のけん引車にね。
ひいては講談界全体の大立者になって。
いや〜気が重い。
いやそんな…。
いや自分の事だけで今精いっぱいの時期なんで。
(笑い声)
(2人)頂きます。
ありとあらゆる事やりましたけどいとうさんの…でも芸人って書くと「また〜!」とか言ってさわざと書いて芸人を本当はばかにしてんでしょとかいろいろ言われるからあれだけど。
アイデンティティーは芸人。
それ聞けただけでよかった。
だってそういうもんじゃん芸人って。
確かにそうですね。
だから僕常識を揺るがす事を心がけてるから俺は自分が芸人だと思ってる。
せいこうは今音楽に乗せて読んでいる。
自分の言葉。
スカイツリーじゃない。
スカイツリーだよ。
いとうせいこうと神田松之丞。
言葉で生きてきたそして言葉で生きていく2人。
すばらしい。
やっぱ俺さっきいとうさんが言ってたように揺れて…一緒に揺れてんのがいいですね。
そうなのそうなの。
何か仲間意識あるって確かに。
すっごいあるでしょ。
やっぱり動いてるって大事だよね。
動いてるって大事。
大事なんだよ。
やっぱ命一緒に預けてる感じがいいんですかね。
あとこう一緒に抱かれてるみたいなもんじゃない。
そうなんですよ大きな揺りかごに。
2018/01/13(土) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)選「神田松之丞×いとうせいこう」[字][再]

コトバで闘う2人の男、講談師・神田松之丞と作家・クリエーターのいとうせいこう。講談の魅力から時代を切り裂くラップの革新性まで、コトバの魅力が詰まったトーク。

詳細情報
番組内容
コトバで闘う2人の男、講談師・神田松之丞と作家・クリエーターのいとうせいこう。前半は、講談になじみの薄い若者たちも夢中にさせる松之丞の技について、いとうが切り込む。後半はラップ、小説などさまざまな手段で時代を切り開いてきたいとうの思いについて、松之丞が迫っていく。コトバを話すこと、聞くことの魅力が改めて再認識できる2人のトーク、江戸情緒が残る屋形船などで堪能する。
出演者
【出演】講談師…神田松之丞,作家・クリエーター…いとうせいこう,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:7666(0x1DF2)