私のTwitterアカウントが炎上のようなものを起こしてから、だいたい2週間が経ちました。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
今も私のアカウントは2017年で止まったままになっています。私自身、気持ちの整理がついていないまま謝り続けたところで、いつまで経っても事態は収束しないということに気づいたからです。
あれから2週間ほど経った今、ようやく私に届くリプライの数も減り、TLを眺めていても以前のような平穏な空気が流れているように感じています。
そんな様子を眺めていて、そろそろ私も以前のように、自分が見たもの、感じたことをありのままにツイートしたいなと思うようになりました。
しかし、自分で「全てのリプライにお返事する」と言った手前、いただいたリプライを無視して通常のツイートに戻るというのは、あまりにも無責任なことだと思い、どうやってけじめを付けるのが最善であるのかを今日まで考えていました。
そして、私なりにいろいろ考えた結果が今に至ります。ブログを通して、私が起こした一連の行動について、嘘偽りなく説明するということです。今更、誰かに同情してもらいたい訳ではありません。ただ、これから書くことが、今回の一件に関して私が感じたこと、考えたことの全てです。
今振り返ってみて思うのは、件のブログがポジティブな拡散のされ方をしていたならば、いくら内容に疑問を抱いても、口を挟むような真似をしなかっただろうなということです。
もちろん、『名文だった』というポジティブな理由のみで拡散された方もたくさんいらっしゃったと思います。しかし一方で、『岡田准一はひどいやつだ』『岡田担かわいそう』というネガティブなコメントも増えていきました。
岡田准一が直接彼らになにか悪いことをした訳では無いのに、そのような認識が広まってしまうのを見ているのは、いちファンとしてはとても辛かったです。被害妄想だと思われてしまうかも知れませんが、私が彼を応援する気持ちまで否定されているような気分でした。
いちファンとして、この状況から目を背けるということは、その認識を肯定することになってしまうのではないかと思いました。このまま自担が悪く言われ続けるのも、その意見に黙ってうなずかなければならないのも、嫌でした。
そこでまず私は、『自担が悪者扱いされている』という題でブログを書きました。 もう消したものなので、今更あまり掘り返したくはないのですが、「あるブログの拡散に伴い自担が悪く言われてしまっているのが悲しい。どうか岡田准一を勘違いしないでほしい」というような内容を書きました。『救われました』というコメントをいただけたこと、とても嬉しかったです。一方で、ご指摘をいただいた通り、このブログはいろいろやり方が間違っていたと思います。最初から、相手の書き手様に直接伝えれば良かったものを、わざわざ公に向けて発信するというのは、ただの個人批判のようでとても意地汚いやり方だったと思います。改めて、お詫び申し上げたいです。ご本人様を始めとする多くの皆様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。
ブログを公開して変わったことは、それまで何も言えなかった方々が少しずつご自身の気持ちを言葉にされるようになったこと、そして私の考えに耳を傾けてくださる方が少しだけ増えたことです。
私のブログが少しずつ拡散されていく間にも、あちらのブログは比べものにならない勢いで拡散され続けていき、岡田准一は悪く言われ続ける一方でした。
異を唱えているだけでは、ほとんど何も変わらなかったということです。これ以上、私自身ではこの状況をどうにもできないことを悟りました。あちらのブログを書かれたご本人様から直接説明していただくか、削除していただかない限り、ずっと拡散され続け、ずっと自担は悪く言われ続けてしまうのだと、恐ろしくなりました。
そこで、ブログのコメントにもあった『こんなところに書いていないで直接削除依頼を申し立てればいいじゃないか』という言葉に背中を押されるように、 相手の書き手様に「削除または訂正をしていただけないでしょうか」というメッセージを送らせていただきました。
私の考えとしては、無視されても当然だと思っていましたし、訂正していただくだけでも、大変ありがたい事だと思っていました。
しかし、お相手の方は、削除という決断をしてくださいました。恐らく、ご自身がすべてを納得してくださったのではなく、こちらの気持ちに配慮してくださった結果だと思います。そう思うと、嬉しい気持ちと同時に申し訳ない気持ちが込み上げてきました。自分できっかけを作っておいて、本当に勝手だと思います。
その後、多くの方がご存知かと思いますが、たくさんのご意見が私の元に届きました。そのご意見に対して、ムキになったようなツイートをしていたのは、少なからず自分が良くないことをしたという自覚があったからです。自覚があったからこそ、認めるのが怖くて、反論するしかなかったのだと、今なら思えます。このような私の幼稚な考えで、多くの皆様を混乱させてしまったこと、申し訳ございませんでした。
今回の一連の行動における私の動機は『自担が不当に悪く言われ続ける現象を一刻も早く止めたい』というところにありました。ブログを公開した時点で止まればよかったのですが、私の文章にはそれほどの効力はありませんでした。そこで最終手段として、ブログを書かれたご本人様に削除または訂正を検討していただくという方法を取らせていただきました。内容が気に食わないから削除したかったというわけではなく、『自担が悪く言われ続けている現象』を止めたいがための行動であったことをご理解いただけると幸いです。
ただ、この一連の行動において、間違ったこともたくさんしてしまったことを深く反省しております。
ご迷惑をおかけした皆様、本当に申し訳ございませんでした。
そして何より、相手の書き手様をたくさん傷つけてしまったこと、大変申し訳ございませんでした。
今、私が何を説明しても、どんなに謝罪しても、『保身だ』とおっしゃる方もいます。
今は『保身だ』と思われてしまうことを一番恐れています。
私にそのつもりがなくても、無意識のうちにそのように書いてしまっているのかもしれないと感じ、自分で自分のことを信じられなくなるのが何よりも恐ろしいです。
この文章も何度も読み返し、何度も書き直しては、保身になっていないかどうかを確認してはいますが、全く自信がありません。
保身だと思われてしまう方には、もう何を書いても保身だと言われてしまうのだと思います。
恐らくこの記事も、『保身だ』というコメントをいただくことになるかと思います。
しかし、もう何を言われてしまっても、これ以上お話できることはありません。
ここに書いたことが今回の一連の行動に対する私の考えのすべてです。
そのことだけでも、ご理解いただけると幸いです。
コメントへのお返事も控えさせていただきます。
申し訳ございません。
ただ、いただいたコメントには目を通すようにはしますので、何かありましたらご自由にお書きください。
この記事もいずれ削除させていただきます。
最初から最後まで自分勝手で申し訳ございませんが、この件はこれで最後にさせていただきたいです。
最後に、私のTwitterアカウントやはてなブログなどにも削除要請をいただいておりますが、私の中ではまだ決心がついておりません。一刻も早く削除してほしいと思われる方は、お手数ですが、各運営の方にご連絡していただければと思います。
たくさんご意見をいただきありがとうございました。すべてにお返事ができなくて本当に申し訳ございませんでした。
また、たくさんのあたたかいお言葉を届けてくださった皆様にも、心から感謝申し上げたいです。本当にありがとうございました。