毒親話。
俺にはねーちゃんがいるんだけど、彼女は母親を毒親とも思ってない。抑圧されていた事に気づいてないのだと思う。
ねーちゃんも俺も、放課後はどこにも行かせてもらえず軟禁状態。俺は進学で逃げ出したが、ねーちゃんはもっと上の大学行けたのに、親の懇願で地元の女子大からの派遣社員。ちなみに彼女のルックスは光浦とかたんぽぽの白鳥の様な、地味メガネ。家でずっと勉強してた。そうしないと親が怒鳴るからね。恋人は多分いない。
母親はそんな彼女を「あんなんじゃ嫁にも行けやしない」という。
あれだけ抑圧しといて、この結果が予想できないばかりか、杏のルックスや池井戸潤小説の気風の良さを子供に望むのは逆にすげーな、と思う。
女だからだと思うが、ねーちゃんの方が生活態度を縛られてた。代わりに俺はねーちゃんと成績を比べられ続けた。これは毒親あるあるだと思う。
成績が下がると「お姉ちゃんに負けてるよ、男のくせに」と言われ続けた。悪い点のテストをトイレの壁一面に張られた。
運動会で失敗したのをビデオ録画され、負けず嫌いに育てたいという意味不明な理由で永遠にリピートされた。
次勝つにはどうしたらいいか考えてみろ、と言われ、「身体を鍛えるためにサッカー部に入りたい」と言うと、「うちは共働きだから無理。あんた、これ以上私に迷惑かける気?」と怒鳴られ、泣き喚かれる。
俺が育ったのはそんな家庭。
思い出すだけで吐きそうになるのは、寒い冬の日に外出した時の事。母親が「カイロがないからこれで温めてね」と、俺の手を自分のパンツの中に無理やり押し込んだ。俺が拒否すると「バカ!風邪引くわよ!」と怒鳴り、押し込み続けた。
気持ち悪い。
どう考えても性的虐待だ。
それを高校の頃指摘したら、親子なのにそんな性的な意図があるわけない。お前がおかしいんだ。と罵られ、散々喚かれた。
その後、地元を離れた。
ちなみに父親は完全無関心。これもよくある話だね。
父親はコミュニケーションが下手だったのだろう。よくわかんねーけど、なぜか彼のコミュニケーションの基本はからかうことだった。
ガリガリのねーちゃんに「お前ブクブク太ったね」と笑う演技をしながら言い続けたり。意図がわからん。俺が小児アトピーで卵が食べられないのを「お前、卵食べられないのがかっこいいと思ってるんだろ」とまた半笑いで言う。こっちは食ったら身体中に湿疹ができるんだが。
まじでよくわかんねー。
父親の記憶、ちょっと転んだり、つまづくと嘲笑してきたこととか、そうやってバカにしてきたことしか思い出せない。
俺は進学で故郷を出た。
当時、キチガイの母と、優秀な姉へのコンプレックスでミソジニーの塊だった。当然彼女もいない。
今だから言うが、いろんな場所に女叩きの書き込みをした。今で言う嘘松。でっち上げの内容を攻撃的な文章で書き続けた。ビッチを正論で倒した俺TUEEE系で、今思い出すと土下座するしかない。
転機は大学だった。
俺の大学は英語教育に力を入れていた。語学系の大学は女性が多い。そのおかげで女性と普通に話せるようになり、偏見も薄まり、…一種のリハビリだった。なんだかんだで友達が出来、彼女が出来、今に至る。
去年結婚したが、俺は結婚と同時に実家からフェードアウトしつつある。姉と両親の姿を見て、もうこれ以上は無理だと思ったから。
結婚を機に毒親から距離を置く息子という話は、結構あるあるらしい。
フェードアウトする前、ねーちゃんと二人で話した。俺は、ねーちゃんにもいつか逃げ出してほしいと思っていた。
毒親について説明したが、ねーちゃんは意味が分からないという顔をした。話が通じなかった。でも見てしまった。ねーちゃんの手首がズタボロなのを。
俺には、もう祈る事しかできない。今後のねーちゃんの心の安らぎを。
きっと言われたことあるだろうし既読かもですが 加藤諦三さんの本とか読むといいかも。 うちもめちゃくちゃ父が毒親でした。母は愛他的で依存してて。
おはよう、ありがとう。 それは読んだ事ない。 カウンセラーには田房永子さんの本をすすめられて、「あっ、これねーちゃんと母親のことじゃん」と思った。 すすめてくれた作家、著...
ひえ~~~!そんな家庭があるんだ!(創作じゃないよね?) 親が基地外だと子は不幸ですね>< まあ、うちも不満を言えばきりがないけど、そこまで毒親じゃなくて良かった…。...