NHK高校講座 世界史「トルコ革命とパレスティナ分割」[字] 2018.01.12

121月 - による admin - 0 - 未分類

(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!今回のミッションは「トルコ革命とパレスティナ分割」です。
パレスティナってずっと今も紛争が続いている地域だよね。
(永松)はい。
僕らもテレビやニュースで目にしますよね。
うん。
そのパレスティナ…今回は現在にまで続く紛争の背景にスポットを当てて旅のプランにまとめてみました。
なるほど。
それでは早速今回の見どころをご覧頂きましょう。
いざ3つのビューポイント!16世紀半ばヨーロッパからアフリカアジアにまたがる広大な地域を支配したオスマン帝国。
そこではスルタンと呼ばれる王が緩やかな支配を行ったためさまざまな民族がそれぞれの宗教や文化を持ち共存していました。
しかし20世紀に入り第一次世界大戦でヨーロッパ列強に敗れると帝国は国民国家への再編成という波に飲み込まれていきます。
訪れるのは西アジア中東地域。
時代は…まずはトルコの首都アンカラ。
トルコの英雄がオスマン帝国を国民国家へと導きました。
その経緯とは?そしてエルサレムにあるユダヤの聖地嘆きの壁。
なぜユダヤ人とアラブ人との間に紛争が起きたのでしょうか?現在にまで続く国際紛争の背景を知る旅にさあ出かけましょう!…時代なんだ。
そうなんです。
へぇ〜。
でも再編成っていうワードがちょっと気になったんだけど。
ここで第一次世界大戦初期の中東の地図をご覧下さい。
最盛期に比べ縮小したとはいえオスマン帝国は西アジアから中東地域にかけて広大な領土を持っていました。
ところがオスマン帝国は第一次世界大戦に敗れ…これが再編成です。
なるほど。
そういう事だったんだ。
はい。
まずはオスマン帝国で起きた革命をたどるツアーに出かけましょう。
ファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
はじめはトルコの首都…10月29日はトルコの建国記念日。
アンカラをはじめ各地で盛大な式典が行われています。
アタテュルク廟はトルコ人にとっての英雄が眠る場所。
多くの国民が参拝に訪れます。
第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国をトルコ共和国へと導いた軍人です。
彼はどのようにトルコを建国したのでしょうか?それを知るため…。
マジカル・ジャンプ!イギリスフランスロシアなどの連合国とドイツオーストリアなど同盟国の戦いにオスマン帝国が同盟国側に立って参戦。
戦火はヨーロッパから西アジア中東地域へと広がります。
1918年大戦が同盟国の敗北に終わるとオスマン帝国は連合国によって分割占領されてしまいます。
1920年占領軍への抵抗運動を組織化しアンカラで新たな政府を立ち上げたのがオスマン帝国の軍人ムスタファ・ケマルです。
ケマルは重要な都市を奪い返します。
ケマルはスルタン制を廃止し…600年以上続いたオスマン帝国は滅亡。
これがトルコ革命です。
ケマルはトルコ人を中心とする国民国家の建設を進めました。
同時に推し進めたのが…西洋が自らの社会のモデルになると信じたのです。
その一つがフランスを手本にした…新しい共和国憲法を制定し政教分離の原則を定め「公の場から宗教的なものを一切排除する」としました。
これによって女性の顔を覆っていたベールやスカーフを公の場で着用する事が禁止されました。
またそれまで使っていたアラビア文字を廃止してアルファベットを採用したりメートル法や太陽暦の採用一夫多妻の禁止などを行いました。
こうして現在にまで続くトルコ共和国の土台が作られていきました。
ケマルには父なるトルコ人を意味するアタテュルクの姓が贈られました。
建国記念日にはケマルの功績をたたえ現在でも盛大な式典が行われているのです。
私も前にトルコに行った時確かにいろんな表記がアルファベットだったしすごくヨーロッパ的な雰囲気は感じたかな〜。
それもケマルさんが西洋化を進めた結果だったんだ。
そういう事ですね。
うん。
はい。
ここでもう一度西アジア中東の地図を見てみましょう。
オスマン帝国は第一次世界大戦後革命によってトルコ共和国へと生まれ変わります。
ほう。
で残されたこのオスマン帝国の領域はどうなっていくの?はい。
ここにはアラブ人などが住んでいました。
第一次世界大戦中からこの領域の支配をめぐって独立国家の建設を目指すアラブ人とヨーロッパ列強との間で歴史的なドラマが展開されます。
へぇ〜。
どんなドラマなんだろう。
気になる。
はい。
ここでセカンド・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
続いてはヨルダンの世界遺産ワディ・ラム。
ワディ・ラムが世界遺産に登録された理由の一つは変化に富んだ砂漠の景観です。
インワディ・ラム!この景観を利用して第一次世界大戦中の実話を基にした映画の撮影が行われました。
イギリスの軍人ロレンスがアラブの人々と共に独立国家の建設を目指してオスマン帝国軍と戦う物語です。
なぜ英国軍人がアラブの人々と共に戦ったのでしょうか?その理由を探るため…。
マジカル・ジャンプ!イスラームの聖地メッカ。
第一次世界大戦中メッカを含むアラビア半島はオスマン帝国の支配下にありました。
オスマン帝国と戦っていたイギリスはメッカの支配者だったフサインとの交渉を進めます。
この時イギリスの外交官マクマホンとフサインとの間で交わされたのが…イギリスはアラブ人がオスマン帝国と戦って勝利すればアラブ独立国家の建設を支援すると約束しました。
フサインはオスマン帝国への反乱に乗り出します。
このアラブの反乱に協力したのがイギリスの軍人だったロレンスです。
彼はアラブ人と共にオスマン帝国を打倒するという任務を帯びていたのです。
ロレンスはフサインの息子ファイサルの軍事顧問として行動を共にしアラビア半島でオスマン軍と戦いました。
1918年アラブ軍はオスマン帝国の重要な軍事拠点だったダマスカスを制圧。
ファイサルはダマスカスでアラブ臨時政府を樹立しました。
しかしイギリスはアラブ人と協定を結ぶ一方フランスロシアとの間で密約を交わしていました。
大戦での勝利を想定しオスマン帝国の支配地域を分割する案です。
そこにはダマスカスも含まれていました。
その後第一次世界大戦は終結し1919年パリで大戦後の国際秩序を決める会議が開かれました。
ファイサルとロレンスもこの会議に出席。
アラブ独立国家の建設を主張しました。
ところがこの主張は会議で認められる事はありませんでした。
現在のシリアレバノンはフランスがイラクとヨルダンパレスティナはイギリスが事実上の支配下に置く委任統治領になります。
アラブ人の独立国家樹立は実現しなかったのです。
オスマン帝国からは独立できたけどアラブ人の思惑とはちょっと違っちゃったんだね。
そうなんです。
それにしても何でイギリスとかフランスはアラブ人の独立国家を認めてあげなかったんだろう?はい。
その理由の一つに石油があります。
ほう。
第一次世界大戦中に大量の石油が中東で見つかりました。
うん。
戦車や飛行機などが兵器として登場したこの時代特にイギリスはその燃料となる石油を確保しようとしたんです。
そっか。
この時代に石油の奪い合いが始まったんだ。
はい。
という事はパレスティナ問題の始まりも石油が関係してるって事?いえパレスティナ問題のきっかけは石油ではありませんでした。
へぇ〜。
またイギリスの外交なの?はい。
イギリスがたくさん出てきますね。
それでは最後のマジカル・ヒストリー・ツアー。
サード・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
最後は…ここにはユダヤの聖地嘆きの壁があります。
19世紀末から世界各地のユダヤ教徒が嘆きの壁を目指してこの地への入植を始めました。
それをきっかけに現在にまで続くパレスティナ問題が始まったのです。
その背景を探るため…。
マジカル・ジャンプ!1世紀頃中東のパレスティナ地域にいたユダヤ教徒はローマ帝国からの独立戦争を戦いますがこれに敗れます。
多くの人々が世界各地へと移住して離散。
以降ユダヤ教徒は国家を持ちませんでした。
19世紀末になるとユダヤ教徒の間で自分たちの国家を作ろうというシオニズム運動が始まります。
その目標はパレスティナに民族のふるさとを作る事でした。
彼らは破壊されたユダヤの神殿の跡といわれる嘆きの壁を目指したのです。
第一次世界大戦中長期化する戦争の財源に困ったイギリスでは外務大臣バルフォアがユダヤの財閥に資金援助を求めます。
イギリスは戦争資金と引き換えに「ユダヤ教徒がパレスティナに民族のふるさとを建設する事を支援する」としました。
こうしてユダヤ教徒のパレスティナへの入植が進みます。
しかしパレスティナには既にアラブ人が住んでいました。
このため両者の間で摩擦が高まります。
1939年ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発。
反ユダヤを掲げるナチス・ドイツは600万人に及ぶユダヤ教徒を虐殺しました。
世界各地で同情が高まり第二次大戦後…1947年国連はパレスティナをユダヤとアラブ人の国家に分割する案を決定。
聖地エルサレムは国際管理下に置かれます。
しかしアラブ人はこれに反発。
アラブ人側の同意がないまま翌年ユダヤ人が自らの国家イスラエルの建国を宣言しました。
パレスティナのアラブ人を支持する周辺のアラブ諸国はこれに猛反発しパレスティナ戦争が起こりました。
この戦いはイスラエルが勝利しパレスティナ地域のおよそ80%をイスラエルが支配する事になります。
それらの地域に住んでいたアラブ人は難民となるか自由を制限された状態で占領地で暮らす事になりました。
パレスティナ解放を掲げ爆破テロなどの過激な行動に訴える人たち。
それを力で抑えつけようとするイスラエル政府。
パレスティナ問題は暴力の連鎖が半世紀以上にわたって続き今なお解決のめどが立っていません。
今世界が抱えてる問題は当時のヨーロッパの国々の外交がきっかけを作ってしまったのかもしれないね。
そうですね。
うん…。
ここからはアドバイザーの羽田先生にお話を伺っていきます。
先生…。
(2人)よろしくお願いします。
世界の歴史ってのは本当につながってる。
絡まり合って世界の歴史が動いてるんだって事をこれからお話ししてみようと思います。
(永松眞鍋)はい。
こちらをご覧下さい。
これが現在の西アジア中東ですね。
でイスラエルっていうのはもちろんここにあります。
これがどうしてここにあるかっていうとイギリスの外交力。
何でイギリスってそんなに力を持ってたんでしょう?やっぱり経済力もあるし…。
どうして経済力あったんだろう?産業が発達してた。
産業革命。
革命。
ありましたもんね。
インドの綿織物が欲しいっていう事でイギリスの方でさまざまな努力をして産業革命になった訳ですよね。
それからそういう事ができるための経済力が必要だけれどもそれだけたくさんのお金が南アメリカとか北アメリカの方から銀などがその前の世紀に入ってきていて西ヨーロッパにたくさんのお金がたまるようになってた訳ですね。
だから産業革命が可能になったって事ですけど。
そういう点では…でどうしてこういう国をつくんないといけないって思ったかというと…ここら辺の人たちが自分たちで思ったかどうかは別にして人工的に線を引いて国をつくってんですよ。
ですからこれは現地の人たちの強い望みで出来た国ではないんですね。
あるいは絡まり合いながら……問題と。
先生本当に分かりやすいお話…。
いえいえとんでもない。
どうも…。
(2人)ありがとうございました。
いや一つの国が勝手に問題を作った訳じゃなくてそこに至るまでのね長いストーリーがあっていろんな国々が関わってるんだね。
そうですね。
みんながひと事っていう考え方だといつまでも解決しなさそうですね。
2018/01/12(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「トルコ革命とパレスティナ分割」[字]

歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。

詳細情報
番組内容
今回のツアーで訪ねるのは20世紀以降の西アジア。この地域の広い領域を支配していたオスマン帝国は第一次世界大戦に敗れ、トルコ人中心の国民国家へと転換した。それまで支配されていたアラブ人は独自の国家樹立を目指したが、英仏の影響で挫折してしまう。両国はこの地域でどんな外交を展開したのだろうか? エルサレムなどを訪ね、現在も西アジアではテロが多発し、紛争が絶えない理由を探る。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】東京大学教授…羽田正,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験

映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:7161(0x1BF9)