植松努のブログ(まんまだね)

基本的に、facebookの僕の記事を転載します。

趣味は可能性

最近の若い子に、「趣味は?」と尋ねると、返答に困る人が多いです。
 
その理由をさんざん尋ねて見た結果、どうやら、人より優れていないと、趣味と言えないと認識している人が多いようです。
 
たとえば、
「絵を描くのが趣味です」と言おうものなら、
「え?どんなの描いてんの?え?こんなもん?これならだれでも描けるわ。」
なんて言われたら、もう二度と、「絵を描くのが趣味です」とは、言えなくなってしまうかも・・・。
 
料理でも、「え?こんなもん?これならだれでも作れるわ。」
歌でも、「え?こんなもん?この程度の人は沢山いるよ。あの人の方がもっとうまいわ。」
 
なんで、こういうこと言うかな。
 
以前、ある大学生と話をしました。
アメリカのエアレースの話です。彼は珍しく、エアレースが好きなようでした。
そこで僕が好きな飛行機の話をしたら、「そんなのより、こっちの方がもっとすごいですよ。エンジンはなになにだし、プロペラはなになにだし、こんな機能や、こんな性能が・・」と、僕の好きな飛行機は否定されてしまいました。僕は別に、機体の優劣の話をしたかったのではなかったんだけど。
ていうか、お前が作った飛行機じゃねえだろ。お前操縦してないだろ。
と、思いましたが、僕もエアレーサー作ってないし、操縦できないから、そういう文句の言い方をしてはいけませんね。
しょうがないから、彼と話すのをやめるしかなかったです。
 
誰かが好きだ。というものを、なぜ否定したり、見下したりするのか?その行動の原動力はなにか?
 
ぼくはそれを、自信の無さだと思っています。
 
自信のない人は、自分以下を作らないと、自分を保てません。
だから、がんばって人を見下し、さげすみます。
 
そして、日本人は、世界的に自己肯定感が低い。
だから、自分の趣味や、好きなことをしゃべろうものなら、
否定され、バカにされる。
これじゃあ、自信の増やしようがないです。
だも、幸福度が低いわけだわ。
 
僕の所には、いろんな工作が届きます。
先日は、小学生が、折り紙を送ってくれました。
すごく精密な、ドラゴンの折り紙です。
僕はそれを見て、「負けるものか!」と思います。
だから、僕も折り紙の勉強をしました。折ってみました。
なかなかうまくいかないです。
でも、僕は、その子のおかげで、やったことがないことを
経験できました。僕の能力は増えました。
 
僕は、誰かの趣味を聞いたら、もっと詳しく教えてもらいます。
そのおもしろさや、楽しさを聞きます。
そして、僕もやってみます。
そうしたら、僕の能力は増えます。
否定したり、見下したりする必要なんて、まったくないです。
 
僕が「ステキだなあ」と思う人達は、間違いなく多趣味です。
しかも、広くて深いです。
本人は、広くて浅い、というけど、広くて深いです。
そして、それによってすごく人脈が広くなっています。
それが、さらなる可能性につながっています。
 
 
 
みんなが、安心して、趣味や夢を話せる社会を作りたいです。
人の自信や可能性が奪われない社会を作りたいです。