- 出版社/メーカー: SQUARE ENIX CO., LTD.
- 発売日: 2016/12/06
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何年か前に、以下のような文章をブログで見かけたのを最近もう一度見かけることがあって、再びいろいろ考えさせられた。
人生は、『はがねのつるぎ』を手に入れるまでがいちばん面白い - 未来の蛮族
異論は認めない。だいたいなんだってそうなのだ。「おうじゃのつるぎ」だの「はかいのつるぎ」だのといったような、伝説級の武具。それらは確かに格好いいかもしれない。しかしだ。それらを手に入れたとき、我々の心はほんとうにときめいているだろうか?
(中略)
「はがねのつるぎ」には、そうした重たさはない。その切っ先が指し示す先には、ただただ限りない自由が広がっている。「はがねのつるぎ」さえあれば、平原を越え、アッサラームの街に渡ることができる。それどころか、少し勇気を出せば、砂漠を越え、イシスの都を目指すことだってできるのだ。はがねのつるぎは、実に様々のものを我々に教えてくれた。
はがねのつるぎ。
私の人生には、はがねのつるぎに相当するものが無かったと思う。
私の人生はひのきのぼうから始まり、こんぼうを手に入れて、しばらくそこでグズグズして身動きが取れなくなった後、聖なるナイフを手に入れた。どうのつるぎよりも少しだけ強くて、非力な人間でも装備できる聖なるナイフ。ただし、そこから先、はがねのつるぎに相当するような、人生を切り拓いていくための武器は手に入らなかった。
ところがある日、私は自分のアイテム欄にさばきのつえが入っていることに気が付いた。
さばきのつえは、そんなに弱い武器ではない。てつのやりと同じぐらいの攻撃力があって、バギの呪文が無限に使える。やまたのおろちを倒しにいくには力不足かもしれないが、近所をうろつきまわって生きていくには十分だ。調子に乗った私は、今まで聖なるナイフでは心許なかった場所を存分にうろついた。雑魚が集団で襲ってきても、さばきの杖を振りかざせば勝手に退散していった。はがねのつるぎを手にし、人生を切り拓いていく人達が流す美しい汗に心惹かれるところはあったけれども、さばきのつえだって悪くないじゃないか、そうやって、ここいらで安全に経験稼ぎしていれば生きていくのは大丈夫そうだな、などと思うようにもなってきた。
しかし、野心を持ってしまったのだ、私は。
私はもっと良い武器を手に入れて、どこか遠いところに出かけられないか、考えるようになった。はがねのつるぎは、私の職業では装備できない。おおかなづち、バトルアックスなども難しい。もっと取り回しが良くて、職業適性的に良さそうな武器はないものか探してまわったら、ゾンビキラーという素敵な武器が存在することに気が付いた。
ゾンビキラーがあれば、今までよりずっと遠くまで出かけられるだろう。なにより、ゾンビをキラーするのがゾンビキラーなのである。死にぞこないがゴロゴロしている死者の土地に赴いて、ときには二フラムを唱えて、ときにはゾンビキラーでバッタバッタと敵を倒す。雑魚が集団で襲ってくるような時にはさばきのつえを使えば良い。そうやって、私は今まで行ったことのない土地を、私なりに冒険してみたいなと思うようになってしまった。
はがねのつるぎを30代までに装備した人達にとっては、私がゾンビキラーを装備して冒険する場所なんて、それほどの冒険とはみえないかもしれない。同世代のはがねのつるぎ連中は年季が入っているから、ある者は剣を算盤に持ち替えて街で平和に暮らしていたり、そうでなければドラゴンキラーあたりに装備を換えて、前人未到の地を冒険しているだろう。
それでも、私は右手にゾンビキラーを持ち、左手のさばきのつえを持った状態で、いけるところまでは行ってみようと思う。それは、戦士の武器というより僧侶の武器ではあるのだけど、僧侶だって、冒険したっていいじゃないか。人間だもの。
ということで、当面の人生の目標は決まったようなものだ。
ゾンビキラーを手に入れること。
そのために必要なことをやっておくこと。
ゾンビキラーを売っている暗い街まで辿り着くこと。
ゾンビキラーを手に入れるだけの代償を支払えるようにすること。
実のところ、ゾンビキラーを手に入れるまでが私にとっての冒険で、もしかすれば、ゾンビキラーを手に入れたらそれで冒険が終わってしまうのかもしれない。それか、武器屋であまりの金額にびびってしまって、引き返すことだってあるだろう。だけど私は、ゾンビキラーが欲しいと思う。執着ですね。そうですね。でも欲しい、キラキラ光るゾンビキラーで、生ける屍をバッタバッタと昇天させたい、ドラゴンゾンビと戦ってみたい、中年期に入った人生の冒険者としては不遜な願いかもしれないけれども、欲しいものはしようがないので、俺はゾンビキラーを手に入れるために生きあがいてやろうと思う。