なら大言講師、なら原理講師の異名を冠せられた自分経講師推参。
この問題は、基本的な構造はいたって簡単なもので、いわゆる私有地や私有の建物に、他者が入りたいんだけど、入っていいものかどうかということだね。
公共の建物なら、身分や思想により入ることを制限するのは違法ですが、私有の建物に入れる人を決めるのは、所有者の自由に範囲内だからね。家庭連合に分があるだろう。
また、私有の建物の前でやんやの非難を行うことはどうだろう?非難をしたいのなら、いつもやっている渋谷駅頭とか、あるいはこういうネットで戦略を立て、行うのは構わない。しかし、会員が集う日を選んで私有の建物の前で行うというのは、いささか常軌を逸しているのではないだろうか?
文芸春秋社や大手マスコミの建物も私有の建物だが、彼らは社会の公器を持って任じているものたち。建物の前で多少批判行動を受けたとしても、それが暴力的でなければ、甘受すべきだろう。
しかし宗教教団は社会の公器ではない。よく、神様の施設は最高に公的な場所だとか、自分たちは公職者だなどというものがいるが、一宗教団体の建物が公の建物であるはずがないし、一宗教団体の聖職者が公職者であるはずがない。だから、建物の前で拡声器でアジられるのが迷惑だったら、やめてもらうのは当然。入れたくない人は入れないのも当然だ。
たとえば父親が人を殺したとしても、その家族の住む家の前で、出て行けと叫ばれれば、家族にとっては迷惑な話でしょう。そこで裁判所から、そういうことはやめるよう命令を出してもらう。大学や高校の生徒で、授業料をきちんと払い、校内に入る権利を持っている人でも、施設管理者の意向に反する行為を度々行ってきた人であれば、突然自宅謹慎になったり、出校禁止、出社禁止になることもある。社員であっても、会社に入れないということはあり得る。
まあ、社会常識から見ると、建物の中に入れるかどうか、また近くによらないで欲しいと公的機関に命令を求めるかどうかは、建物所有者の権利に属するものだと思う。
どのような和解案になるのか、興味が湧く。また、和解が成立せず、判決に至った場合、裁判所がどのような判断を下すのか、見所である。
- 2017/05/12(金) 19:40:52
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