ラジコン世界王者と対決!“普通”じゃなかった初対面
山本昌(以下、山本) 広坂さんと初めてお会いしたのは、ぼくがまだ現役のころ、たしかテレビ番組の企画でしたよね?
山本昌(やまもと・まさ)1965年8月11日生まれ。1984年に日本大学藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。32年に及ぶ現役生活で3度の最多勝に輝き、1994年には沢村賞を受賞。2006年には史上最年長でのノーヒットノーランを達成(41歳)。以降も数々の歴代最年長記録を塗り替え、2008年には通算200勝を達成(42歳)。史上初となる50歳での登板を最後に、2015年に現役を引退。セカンドキャリアでは、野球解説者・スポーツコメンテーター、講演会講師として精力的に活動。ラジコン、クワガタのブリーダー、競馬など趣味の分野でも活躍中。Twitter:@yamamoto34masa
広坂正美(以下、広坂) そうです。昌さんがラジコンの世界チャンピオンと対決するという番組で、ぼくはその世界チャンピオンとして名古屋に呼ばれたんです。
山本 名古屋のぼくの「ホームコース」にね。
広坂 山﨑武司さんも出演されていましたね。ドラゴンズのエースと主砲を目の当たりにして、「なんてダイナミックなんだ!」って驚いたんですよ。
広坂正美(ひろさか・まさみ)1970年2月26日生まれ。幼少期に父の影響でラジコンを始め、7歳のときにラジコン大会で初優勝する。16歳で全日本選手権初優勝、17歳で世界選手権初優勝。2009年のメジャーレース引退までに世界選手権14勝、全日本選手権52勝、通算307勝、18年間世界選手権優勝保持の記録を持つ日本ラジコン界のレジェンド。現在はラジオコントロールカー模型製造発売元(株)ヨコモ営業部に所属し、ラジコンの普及活動に力を注ぐ。ヨコモ・ウェブサイト:http://www.teamyokomo.com/
山本 とんでもない。ぼくからしたら広坂さんの方がすごいですよ。実際に初対面のときには「この人、ただ者じゃないぞ」という空気を感じました。それはイチローさん、武豊さん、吉田沙保里さんにも通じるもの。世界を相手に戦ってきた人だけが醸し出すオーラなんですよ。だって世界選手権で14回も優勝しているんだから。
広坂 いえいえ……。
山本 この記事を読んでくれる方のために、まずラジコンの世界選手権で14回も優勝することが、どれだけすごいことなのかを説明しないと。広坂さんはたしか、ボクシングの具志堅用高さんを意識していたんですよね?
広坂 そういう時期もありましたね。
山本 ボクシングで世界王座を13回防衛した具志堅さんの偉大さは、たいていの人が知っていますよね。その具志堅さんの記録を、広坂さんは破った。これはぼくからいわせたら、具志堅さんに匹敵するすごいことですよ。日本でラジコンというと「ただの趣味でしょ?」と思われる人も少なくない。でも、トップクラスは激しい争いを繰り広げている。実際、アメリカにはラジコンで食べているプロがいますよね?
広坂 そうです。アメリカでは日本やヨーロッパよりも少し早く、ラジコンレースが盛んになりました。
山本 いずれにしても、ラジコンとボクシングの競技者人口は、同じくらいではないかと。だからラジコンで世界一になるのは、ボクシングで世界王者になるくらい難しいことなんです。
広坂 そういってもらえるとうれしいですが、世間的に見たらプロ野球選手の方が全然上で、知名度だって1000対1くらい違う。それなのに初対面のときも、昌さんはぼくのことを大きく持ち上げてくれて招待してくれました。そのアプローチの仕方が、ちょっと普通じゃないなと思いました。
山本 いや、それは当然のことでしょう。
広坂 それからもうひとつ、初対面ではとにかく昌さんの表情が輝いていて、それもすごく印象に残りましたね。ところであらためてですけど、昌さんがラジコンにハマったきっかけってなんでしたっけ?
ラジコンのおかげで50歳まで野球ができた
山本 1995年にヒザを手術したんです。そのリハビリ期間中に偶然、サーキットを見つけて立ち寄ったところからですね。こどものころも好きだったんですが、そこからまたのめり込んで。これは絶対に伝えたいことなんですけど、ラジコンは本業の野球にものすごくいい影響を与えてくれました。ラジコンを始めなかったらぼくの50歳現役はなかった、と断言できますよ。
広坂 というのは?
山本 ラジコン愛好者は、タイムを0.1秒短縮するために果てしなく試行錯誤を繰り返すじゃないですか。そんな彼らの姿勢から、ぼくは本物のプロ意識を学んだんです。彼らはプロじゃないのに、0.1秒を突き詰める。レースに勝っても賞金が出たり、メジャーになれるわけではない。それなのに徹底して突き詰めるんです。
広坂 わかります、わかります。
山本 そんな彼らを見ていると、「自分はどうなんだ?」と思いました。「勝ち星や防御率がちょっと伸びたら、給料がウンと上がる世界にいるのに、彼らほど突き詰めていないじゃないか」と。そんなふうに自分の意識を問われたんですよ。
広坂 ははあ、なるほど。
山本 もうひとつあります。「変えることを恐れない」という姿勢も、ラジコンから学んだんです。
広坂 それはどういうことですか?
山本 プロ野球選手というのは基本的に、長い間培ってきたフォームを変えるのが怖いんです。でも、ラジコンの人たちは違う。作って試して結果が出ないと、またバラす。そういう作業を延々とやるじゃないですか。こうやってダメだったから、今度はこうやってみようと。失敗しても、「こうやると失敗するとわかったことで、成功に近づいた」と彼らは考えるんですね。
広坂 ありますね、そういうところ。
山本 そこに影響を受けて、ぼくもちょっとずつですが毎年のようにフォームを変えるようになったんです。身体の仕組みを勉強して、ちょっとしたところを試しながら、フォームを作り上げていく。自分の身体をラジコンに見立てたんですね。そういうことをやったから、加齢による衰えをカバーできて、長く現役を続けられた。ですから「ラジコンのおかげで50歳までやれた」というのは間違いなくあるんですよ。
広坂 そうだったんですね。ラジコンのおかげで50歳までできたなんて昌さん本人から聞くと、ラジコンに携わる者としてはうれしいですよ。
(構成・熊崎敬/撮影・土屋幸一)