元日本経済新聞記者にして元AV女優の作家・鈴木涼美さんが、現代社会を生きる女性たちのありとあらゆる対立構造を、「Aサイド」「Bサイド」の前後編で浮き彫りにしていく本連載。今回は、第9試合「彼氏」対決のAサイド。
今回のヒロインは、オラオラとフェミストの間で揺れ動く妙齢の女性。今の彼氏と別れようか悩んでいるそうですが、一体その理由は?
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正しいことと嬉しいことは往々にして一致しない。むしろ、この荒々しい世界をオンナが生きていく際には、時々どうしようもないほどの「正しくなさ」が必要な時すらある。
大きいケーキがあって人が何人かいたら、公平で公正な配分を考えるのが正しいし、ケーキがなぜここにあるのか、そのことによって誰か犠牲になったのではないのか、問題提起するのが現代人として正しい感覚だ。しかし、時と場合によって、私たちオンナは「お前だけにあげるよ」って言われることでしか救われないことがあるし、せめて「女の子たちで食べなよ」って言われたい。
ただ、正しくないけど気持ちいいということ、要するに不倫とかえこひいきとかバカ買いとか、そういったことを否定する言葉と論理に溢れた世の中で、それなりに知識と教養と頭の良さがあると、なかなか正しくないことというのは言えないもので、というか多分、正しくないことを恐れることがある意味ではその人の頭の良さとも言えるわけで、結構間違っていないけど気持ちくない言葉が溢れている。
何も私は、国民全員トランプや石原慎太郎や二階俊博みたいに、問題発言連発しろと思っているわけではない。むしろ、私も結構知識と教養がある方なので、どうしたってやや左寄りになるし、いやいや麻生さんそれはまずいだろ、と思いながら生きている。しかし、公の発言と対面でのコミュニケーションに一貫性を求めることに、果たしてどれだけ意味があるのか、と時々疑問に思う。
第二波フェミニズム運動のスローガンは「個人的なことは政治的なこと」であった。しかし、政治的なことを個人的なことにすると、幸福とか快楽とか、呼び方はなんでもいいが、何かしらを失うことになるようだ。最近、付き合って一年ちょっとの彼氏と別れようか真剣に迷っている彼女の話を聞いて、より強くそう思うようになった。
彼女いわく「彼って、私が血迷って売春しようかな、とか言ったら、そう考える君の気持ちは尊重しなくてはいけないとか、それを否定する権利は僕にはないとか、風俗だって立派な職業だとか、言いそう」な感じらしい。