蹴球探訪
異端のレジェンド 土屋征夫 41歳9カ月“J1最年長出場”(5月25日)
【コラム 撃戦記】星野さんと私 同い年、野球チームの背番号も「77」2018年1月10日 紙面から 星野仙一さんの訃報を運転していた車のラジオニュースで知って思わず「えっ!」と声が出た。本当に驚いた。膵臓(すいぞう)がんだったとは…。1947年1月22日生まれの70歳。私も同じ年で7月31日生まれだ。 私は格闘技の第一線を退いた後、中日新聞系の会社に就職したこともあり、星野さんが中日の監督になってから、沖縄キャンプを2度訪れ、星野さんを紹介してもらった。ちょっと立ち話もしてくれた。気さくな性格で、すぐにファンになった。職場の野球チームがユニホームを作るとき、背番号を「77」にしてもらって粋がったものだ。だが、次第に背番号の重さを感じ、袖を通したのは2度ほど。たんすに奥にしまわれた。 私は格闘技評論家として活動する一方、親戚筋が経営するワイン会社の顧問も務めている。星野さんが阪神の監督になってリーグ優勝した2003年、会社が星野さんとタイアップしたワインを「夢<星野仙一>」の商品名で発売した。会社に星野さんと明大野球部の同期がいたことから実現したようだ。ご冥福をお祈りしたい。 (格闘技評論家)
|