最近は、就活と卒論研究と父親から渡された1500万円の運用とで頭を抱える。
就活は、どこまでも自分の容姿というもので嫌な思いしかしないだろうし、就職が出来ても絶対にやっていけない。
卒論研究においては、ドキュメンタリー映画の映像の批評的な研究をしようとしているが映像ばかりみても虚しいだけである。
運用においては、今は何もかもが高すぎると感じる。
卒業研究と同じでディスプレイを見ても、何も変わらない感覚に陥る。
恐らく、コンピューターソフトで自分の容姿を改良しても現実の自分の見てくれはちっとも良くならないというのと同じことだろう。
容姿的なものはイデオロギーを跳ね返したり、取り込めたりと何処だって力になる。
どんな考えも反論できなくさせるのだ。
虚しい資本主義も取り込んで上手くやれる力を与える。
そんなものが微塵もない、いやむしろ醜さで嘆くだけの自分は精神論ではない解決策を探している。
そんなこんなで、就活サイトを見るのも大学に行くのも四季報やら投資信託の紹介を見ることも億劫になる。