モモンガ様ひとり旅《完結》   作:日々あとむ
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今回はとっても短いです。小話、とも言う。
 


後日談

 

「――――この、愚か者」

 バハルス帝国の皇帝ジルクニフは、フールーダから聞かされた報告に、はっきりと分かる憤怒の表情で答えた。
 フールーダはジルクニフの言葉に平伏し、頭を下げている。さすがのフールーダも、自分が悪いと分かっているのだ。

「魔法談義で熱が入り、弟子にして欲しくて平伏し、あげく相手を不快にさせて逃亡されただと? ……フールーダ、お前は頭脳がマヌケか?」

「申し訳ございません、陛下」

 ジルクニフはそんなフールーダに溜息をつく。即刻文字通り首を斬ってやりたいところだが、フールーダは帝国にとって替えの利かない駒だ。そんな事が出来るはずがない。

「……いや、これは私の失態だな。お前が魔法の深奥に触れることに対して、全てを賭けていることを私は知っていたのだから。ゴウンになるべく不快感を与えないように別室待機して、途中からフールーダに会いにくる体で合流しようと思ったが……誰か見張りくらい置いておくべきだった……」

 ジルクニフは苦々しく呟く。フールーダが魔法に対して狂気に近い渇望を持っているのを知ってはいた。だが、真の意味で理解していなかったという事だろう。恥も外聞もかなぐり捨てて懇願するとは……ましてや、相手がそれほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)だとは思ってもみなかったのだ。あらゆる事態を、そう――本当にあらゆる事態を想定して然るべきだった。

「まあ、いい。いや、よくはないが、過ぎたことはもうしょうがない。それよりもだ、じい……本当に、そのゴウンは第十位階魔法の使い手なのか?」

「あの魔力の奔流……それ以外に考えられませぬ!」

 フールーダに訊ねると、興奮したような答えが返ってくる。しかし、ジルクニフはそれに待ったをかけた。

「本当にそうなのか? じい、お前は自分より格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を見たことが無いのだろう?」

「それは……そうですが……」

「その上で訊きたいのだ。本当に、アインズ・ウール・ゴウンは第十位階魔法の使い手なのか?」

 ジルクニフの問いにフールーダは悩み……苦悶したような表情で、はっきりと語った。

「正直なところ……分からない、と言わざるを得ません。私の生まれながらの異能(タレント)は相手の魔力を視覚化して視ることが出来ますが……知っての通り、私は第六位階魔法までしか使えませぬし、私以上の使い手は彼の十三英雄達しか知りませぬ。その彼らとて、今の私ならば追いついたと思えるほどですし……第十位階となると、どのように視えるのかはっきりとは……。噂によると法国では、神官達が大儀式を用いて上の位階を使うそうですが……私はその場面を見たこともありませんので」

「だろうな。……と、なると実際のところは、だ。じい、お前より上の位階魔法の使い手だということしか分からない、ということだな?」

「そうです」

「ふん……」

 まあ、あまり深い意味は無い。第十位階だろうが第七位階だろうが、フールーダより上の位階魔法の使い手だという事だけは確実なのだ。それだけ分かれば充分であるし、それだけで帝国としては致命的な失態を演じた事になる。

「やるべきことは……ゴウンをまず探すことだな。それも極秘裏に」

「極秘っすか?」

 今までジルクニフの警備として横に控えていた男……バジウッドが不思議そうに訊ねる。皇帝に対するような口調では無いが、しかしこの室内にいる誰も文句を言わない。
 ジルクニフはバジウッドの言葉に頷いた。

「そうだ。極秘裏に行うのは必須だぞ」

「大々的に探した方がすぐ見つかると思いますけど……?」

「理由をどうする気だ? “フールーダより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を是非帝国に迎え入れたいので、アインズ・ウール・ゴウンを探してます”とでも言うのか? 法国と王国が血眼になって探し始めるぞ。当然、見つけても帝国に報告は無しだ。次の王国戦にゴウンが出てきたらどうしてくれる?」

「ああ、なるほど。そりゃ無理っすね」

 フールーダと帝国全軍は互角だ。当然、フールーダより強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)は帝国全軍より上、という事になる。周辺国家最強のスレイン法国に隠し玉を増やされても困るし、かと言ってリ・エスティーゼ王国につかれると、国力を手間暇かけて削っていたのに一気に引っくり返されてしまう。

「だからこそ、極秘裏に捜索する必要がある。王国がゴウンを軽視している内にな。連中の頭の悪さに感謝のキスを贈ってやりたいよ」

 ジルクニフの言葉に、室内の全員が苦笑を浮かべる。彼らの中では、王国の貴族連中の頭の悪さは周知の事実なのだ。もっとも、少し前まで帝国は王国を笑える立場では無かったのだが、国のトップの出来が王国とは違った。数代かけて皇帝が徐々に準備を整え……ジルクニフの代で全てに始末をつけた。そして王国は逆に、代を重ねる毎に腐敗を強めてしまったのだ。
 今の王国の国王――ランポッサ三世はどうにかしようと躍起のようだが、ジルクニフは知っている。あのおぞましい腐敗が、一代でどうにかなるはずが無い。帝国のように数代かけなければ出せない“膿”だ。そして当然……そんな隙は与えない。

「しかし、探せますかね?」

 バジウッドの疑問は当然だ。何せ、相手はフールーダの魔法でさえ感知されない凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。しかもたった一人の人物を極秘裏に探そうと思うと、どうしても人員が足りないように思えた。
 しかし、ジルクニフは気軽そうに答える。

「大丈夫だろ。聞いた話だと巨大な魔獣を連れているそうじゃないか。いくら何でも、それは目立つだろうしな」

「あー……確かに」

 どこにいた魔獣かは聞きそびれたが、あの死の騎士(デス・ナイト)に対して一歩も引かなかったという魔獣だ。ただの魔獣であるはずが無い。そんなものを連れて歩けば目立つにもほどがある。
 だからこそ、ジルクニフの心配はそこではなかった。

「問題はスレイン法国だな。あっちに捕捉されると厄介だぞ。法国の特殊部隊を壊滅させたことは、当然向こうだって気づいているだろうしな」

 ただの様子見ならまだいいが、法国に引き入れられると厄介に過ぎる。ただでさえ、法国には手札と切り札が多いのだ。周辺国家最強の戦士は王国のガゼフ・ストロノーフだが、法国ならばそれより強い戦士を保有していたとしても、不思議は無い。そこにフールーダより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)まで加えられると、もはや引っくり返せない戦力差が出来上がってしまう。

「……とは言っても、向こうはゴウンの不興を買っているか。状況としては五分だな。いや、こちらが有利か」

 法国は特殊部隊を使って村を虐殺して回る、というアインズの不興を既に買っていた。特殊部隊を出した以上、当然『国』が全く絡んでない、などという言い訳は許されない。
 だが、帝国の場合はフールーダが暴走しただけ、としらを切れる(本当に暴走しただけだが)。帝国の方から丁寧に謝れば、向こうもそこまで不快感を示さないだろう。フールーダが暴走しないように手綱を握っていれば、向こうもフールーダの慰めに付き合ってやろう、という気になるかもしれない。

「今までの行動を見るに、奴は理知的であり、そして義理人情に篤い男だ。法国の特殊部隊に喧嘩を売って、何の関係も無い村人やガゼフを助けるんだからな。ならば、帝国に勝算は充分有る」

 そして法国は既にアインズが忌避感を持っていてもおかしくはなく、王国は現状の貴族達を思えばこれから失態を演じる可能性が高い。

「一番警戒すべきは法国だが……ゴウンが次に現れそうな国は竜王国か。あそこは例年ビーストマン共に食糧庫同然の扱いをされているからな。普通なら危険で近寄らないが、今までの義理人情に篤いところを見るに、現れそうな確率は高い。まあ、そうなるとかなり目立つが」

「確かに。ビーストマンが侵攻を止めちまったらゴウンって奴の出現確定っすね」

「一番確率が低いのはじいのせいで出て行ったこの帝国、既に行ったことのある王国。そして名前から出身国と思われる法国か」

 旅人ならば一度行った場所にはよっぽどの事か、もしくは愛着が無いかぎりは訪れないだろう。

「とりあえず、情報局に回して極秘裏に人探しだ。ゴウンはじいより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだから、魔法での捜索は通じない。地道な努力こそが近道と知れ」

「……普段フールーダ様に助けていただいていたツケが、ここで来ましたね」

 ぽつりと呟かれた秘書官の言葉に、ジルクニフは鼻を鳴らす。

「確かに。他とは違ってこっちにはじいがいたからな。そのせいで経験が浅い。……まあ、初っ端から難易度が高いがいい経験になるだろ」

 これでその話は終わりだ。ジルクニフ達は帝都に戻り、アインズを探しながら日々の雑務をこなしていく。

 ……その頃探すべき対象が、まさかトブの大森林という人類未開の地で、平然としているとは思いもしない彼らだった。







 神官長会議という、スレイン法国の最高会議から解放された彼は、気疲れにより凝った肩を少し回してほぐしながら退室した。
 そして退室した廊下で、壁にもたれかかるように一人の少女が立っている。手には六大神が広めた玩具ルビクキューがあり、それを一生懸命解こうとかちゃかちゃと音を鳴らしていた。

「一面なら簡単なんだけど、二面を揃えるのって難しいよね」

 それに苦笑いで答えた。彼からすれば、特に難しいものではないが、本音で答える事を遠慮した結果だ。

「それで、一体何があったの? 神官長達まで集まっちゃって」

 報告書は既に届いているはずだが、彼女はそれに「読んでない」とすっぱり答える。報告書などよりも事情を知っている人間に聞いた方が楽だし、あまり主観の入らない純粋な情報を得られるからだ。

「……陽光聖典との連絡が途絶えた件で彼らが最後に確認された地点を調べていた時、興味深い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の存在が浮かび上がりました」

「ふぅん……どんな奴?」

 それに彼は答えを窮した。なんと答えればいいか分からなかったためだ。そうして言葉に詰まった彼に初めて、彼女は玩具から視線を外し顔を上げて彼を見た。

「なに? そんなにやばいの?」

「……その魔法詠唱者(マジック・キャスター)の……おそらく、という注釈が付く戦歴があります。聞きますか?」

「ぜひ」

 にっこりと、満面の笑顔。血に塗れたような表情が笑顔だと断言出来るのであれば、だろうが。

 そこで彼は語る。あの最高位天使を封じた魔封じの水晶を含めた、陽光聖典の殲滅。トブの大森林の一角を支配する伝説の魔獣、森の賢王の支配。そしてエ・ランテルでの裏切者クレマンティーヌの処刑。最後に――カッツェ平野で発生した伝説級のアンデッド、死の騎士(デス・ナイト)の退治。

 全てを聞き終えた彼女は――瞳を輝かせながら、彼に更に訊ねる。

「それ、本当?」

「少なくとも陽光聖典の件と死の騎士(デス・ナイト)の件は。クレマンティーヌのことについては、後々分かるでしょう。風花聖典が死体を回収出来たそうですから」

 危うくズーラーノーンに先に回収されるところだったが、何とか風花聖典が間に合ったらしい。

「ふぅん。なら、後でもっと詳しい話が分かるのね。――ところで、その殿方の扱いはこれからどうするつもり?」

 相手を男と確信している口調だが、彼はそれに訂正を入れなかった。何だかおかしな気配がするが、あまり突っ込んでも碌な目に遭いそうに無い気がする。
 故に彼は、彼女の質問に答えるだけにした。

「旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)のようなので、居場所が分かった時点で接触してみるべきではないか、と意見が出ています」

「うん? 魔法で調べられないの?」

「最低でも第七位階魔法の使い手ですよ? それに、土の巫女姫の件の犯人である可能性も高いので、魔法で調べるのは危険過ぎる、とのことです」

「ああ、あの……それは確かに危険過ぎて調べられないわね。でも、それなら接触するのも危険じゃないかしら」

「……今までのことから、基本的に人助けすることが多いようですから、いきなり敵対行動にはならないのではないか、という見解です」

 もっとも、向こうは陽光聖典を滅ぼし、こちらは罪の無い民衆を殺している。すぐに殺し合いに発展はしないだろうが、敵対行動染みた行為はお互いに取ってしまっていた。なので、接触した際にはお互いの落としどころを探る必要があるだろう。
 ……彼女には関係の無い話であろうが。

「それにしても、話を聞くかぎりその殿方、人間じゃないわよね? もしかして――私達と同じようなタイプ?」

 “人間じゃない”、という単語に顔の表情が動きそうになるが、何とか抑えて彼女の質問に答える。

「その可能性は高いと思われます」

「ふぅん……。あと他には何かあった? 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下に置きに出撃したんでしょ? そっちはどうしたの?」

「そちらの方はまだ詳細不明です。……もしかすると、件の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と一戦交えたのかも知れませんが」

「え?」

 カルネ村からの帰りに、通った森で行きと帰りで景色が変わっていたのだ。そこは森だったのだが、明らかに戦場跡であり、しかも周囲一帯が焼け野原になるほどの痕跡を残していた。時間的に、例の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と何者かが遭遇し、戦闘になった可能性が一番高い。
 そこまでの痕跡を残すとなると……それこそ、相手は同格か、それに近い者だったと分かる。そうなると敵対していた相手の最有力候補は破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だ。

 それを聞いた彼女は楽しそうな笑みを浮かべて、壁から背を離した。

「なるほどね。……他には無いの?」

「今分かっているのは」

「そう。じゃあいいわ」

 彼女はそれだけを告げると、彼に背を向けて歩き去っていく。再びかちゃかちゃと玩具を弄る音が鳴り始めた。そしてその背中を見送りながら、彼は彼女に告げなかった情報を頭の中に思い浮かべる。

 陽光聖典の作戦に使った、帝国の騎士に扮した工作員の生き残りが数人存在している。彼らは帰って来た時、ある情報を持ち帰った。
 闇色のマントとローブを羽織った、髑髏の王。そして死を告げに行く、という警告。

 このスレイン法国には、そんな容貌にピッタリ合致する存在がいた。
 それは彼らが信仰するもの。六〇〇年前、この地に降りて人々を救済し導いた六柱の神。その一角にして最強の存在。漆黒聖典の真の主とも言うべきもの。

「――――」

 その、かつて大罪人に追放され、もはや何処へと消えたかも分からぬ神の名を口にする。
 仮に――彼の者が本当にそうだったとするならば、このスレイン法国はどうなってしまうのだろう。いや、例え偽物であろうとあれだけの力を持ち、かつその姿をしているというだけで、スレイン法国の各宗派の力関係が崩れてしまう。
 そうなった時どうするのか。それがもっとも恐るべき事態であり、そして今なお神官長達が議論する原因だった。

「…………」

 ふと、思考を断ち切るように頭を振って前を歩く彼女の姿を見る。彼女はもう遠く、そろそろ姿が見えなくなりそうだ。
 その背中を見ながら、ふと――あり得ない想像をした。

 なんだか彼女の後姿は、まるで恋する乙女のように軽やかだな、と。







 ――トブの大森林の山脈の麓……瓢箪のような形をした湖の近くで、彼らはより集まって生活していた。
 そしてその中でも最強の戦士と名高いオス、ザリュースは何とか頑張って木を削り、彫ったそれを見て満足気に呟く。

「――よし」

 その出来の良さに、自分でも惚れ惚れする。そっくりだと確信出来るほどの作り込みに。
 ……戦士である彼が何故そんな細かな作業をしているのかと言うと、“神”を一番間近で見ていたのが彼であり、“神”の顔を細部まで覚えているのもまた彼であったからだ。
 だからそれを作るのは、専ら彼の仕事だった。

 蜥蜴人(リザードマン)の村は“神”が降臨してから、大きく変わった。
 まず、五つの部族で離れて暮らしていたのを、一つの村としてちゃんと纏まる事にしたのだ。これは先日の自然災害からの教訓であるところが大きい。湿地に家を作っていると、水に呑まれる事を学習したためだ。また、“神”が作り与えた土地の方が安全なため、そこに集まったとも言える。
 陸地を歩くのは少しばかり不便だが、あの濁流に呑まれる恐怖を思い出せば、陸で歩き辛い程度は苦にもならない。
 それに、湿地へと続く坂があるため、そこまで大変ではなかった。

 そして湿地には幾つもの生け簀が出来上がっている。これは部族が一つに纏まるのに際して必要不可欠な事だった。食料問題は、いつだって重要な問題なのだ。
 まだ全ての養殖場が完成したわけでも、軌道に乗ったわけでもないが、それでも数年後には食うに困らない状態が出来上がるだろう。
 ただ、今はまだ足りないためいつもと同じように各部族の狩猟頭率いる狩猟チームが、湖で漁をしている。

 そして、村のある陸地の一番高い場所に大きな建物が造られた。そこは祭殿であり、祭司達が日夜そこに詰めて“神”に祈りを捧げている。
 つまり、そこは神殿だった。そこには“神”の偶像が置かれ、戦士達が森の奥で危険を冒して手に入れた美しい花や、漁で獲った大きな魚を献上品として像の前の祭壇に置かれている。

 今や、ここにはかつての蜥蜴人(リザードマン)達の姿はどこにもない。一柱の神を崇拝する、一つの教団としての姿がそこにあった。

「…………」

 ザリュースは木彫りのそれをじっと眺める。あとはこれに、祭司達が色を塗れば完成だ。ここまで上出来の代物なのだ。これは祭司達が着ける装備品で、あの強大な魔力の一端を御貸し頂こうというためのものであり、つまりは祖霊の塗料みたいなものだ。だからこそ、やはりこれは、最も力ある祭司が持つのが道理だろう。
 そして蜥蜴人(リザードマン)達の中で最も力ある祭司とは、彼女しかいない。

「ザリュース」

 ふと、背後から声をかけられた。振り返る。そこに、白い鱗に赤い瞳の、美しいメスがいた。

「クルシュ」

「連合長が呼んでいたわ。たぶん、生け簀の件についてじゃないかしら」

「なるほど。なら、これを祭司達のところに届けたら向かうか」

 ザリュースの言葉に、クルシュが手元を見る。そこにあるそれに、クルシュの顔が綻んだ。

「まあ、素敵」

「ああ。今回は本当にいい出来だぞ。これ以上は作れそうに無い」

 最初の頃を思い出し、ザリュースは胸を張る。最初は失敗続きだった。何せ、ザリュースは何かを彫って作る、という細かな作業はした事が無い。それは戦士ではなく、祭司の仕事だからだ。
 だが、これを作るにあたって最も細かく模倣出来るのも、また彼であった。そのため、彼は必死になって毎日毎日、ずっとこの練習をしていたのだ。
 そうしていつしか、彼はこの彫刻の名手になっていた。

「それじゃあ、それが私の?」

「ああ、これが君のだ。やっと、これを君に渡せる」

 その言葉に、クルシュは朗らかに微笑んだ。ザリュースはクルシュに向き直り、まっすぐに彼女を見つめて、そして口を開いた。

「すまない、クルシュ。あの日の答えを聞かせて欲しい――」

「――はい」

 緊張に声が震える。しかし、ザリュースはそれでもしっかりと、はっきりと、その言葉を告げようとして――

「おう! ザリュース! お前の兄貴が呼んでるぜ!」

 バン、と思い切り大きな音を立ててゼンベルがやって来た。

 数秒の沈黙――

「まさか……今からやるところだったのか?」

 申し訳なさそうなゼンベルの言葉に、ザリュースとクルシュは無言で鍛えられた腹筋に拳を叩き込んだ。崩れ落ちるゼンベル。
 悶え苦しむゼンベルを見ながら、ザリュースは空気を入れ替えるように咳を一つすると、クルシュを見た。クルシュもザリュースを見ている。何だか、互いに苦笑いがこぼれた。

「そういえば、兄者が呼んでいたんだったな」

「そ、そうだよ……生け簀の件で、よぉ……」

「わかった、すぐに行こう。すまないクルシュ、これを代わりに届けておいてくれるか?」

「ふふ、分かったわ」

 手の中にあった物をクルシュに渡す。クルシュは恭しくそれを受け取った。

「あー……マジ痛ぇ……。んじゃ、行こうぜザリュース」

「ああ、ゼンベル」

 友人に笑いかけて、歩き出す。その横をクルシュが、ゼンベルが共に歩く。
 家の外に出ると、各部族の子供達が共に笑いながら、追いかけっこをしている姿を見つける。そして各部族のメス同士が何人も集まって、色々と何かの話をしている姿を目撃した。湖の方を見ると、兄のシャースーリューとゼンベル以外の他の族長達が集まって、生け簀を見ながら何か話していた。シャースーリューはザリュースの姿を見つけると、笑って手を振っている。

 ……まるで、光の中を進むようだ。ザリュースは今の光景を見る度に、強くそう思う。

 昔、ずっと思っていた。自分達は同じ種族でありながら、共に生活する事は無かった。もしその有様が崩れるのなら、それはおそらくどうしようもなく勝てない、絶望の権化とも言える敵が現れた時だろう、と。その時こそ、自分達は協力し、戦い、そして勝利を勝ち取ってこうして共に歩むようになるのだろうな、と。

 しかし、敵はいなくとも戦というものは存在するのだと知った。
 毎日は戦いだ。生きるという事は、厳しく、苦しく、難しい事なのだと。世界に対して、こんなにも自分はちっぽけなのだと、あの濁流の中でザリュースは思ったのだ。
 だからこそ――今、ここにある奇蹟を尊ぶ。今、こうして皆で笑い合える事が奇蹟なんだと信じている。



 それこそが、あの通りすがりの神様が起こしてくれた――――本物の奇蹟なんだと、ザリュースは信じているのだ。



 クルシュの手の中で、“神”の付けていた仮面を模した、木彫りの仮面が太陽の光を受けて輝いた気がした。







 
流 行 っ た
 







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