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Jack様

 投稿者:同志の歌  投稿日:2018年 1月10日(水)16時31分2秒
  御返答、ありがとうございます。

余りにも、リアリティがある書き込みでしたので
お伺い致しました。

刻名な、内容に驚きました。

是非、あなた様の戦われていらっしゃる、内容や体験などをお聞かせ戴けたら、幸いです。
勝手なお願いですが、よろしければ、お願い致します
 

某ツイッターより

 投稿者:管理センター  投稿日:2018年 1月10日(水)15時37分0秒
  今日の聖教新聞では、私の宗教学研究室での同期生、萩本直樹氏が壮年部長から東京長になり、壮年部長には谷川佳樹氏が就任していた。これにはどういう意味があるのだろうか?



谷川氏にとっては屈辱でしょう。2013年11月、大誓堂落成と同時に会長なりますと、外部の識者らに豪語していた人ですからね。4年経っても会長になれず、正木、萩本氏の後塵を拝して壮年部長なんていっちょ上がりの役職じゃあ。逆にオール東京のトップに就いた萩本に次期会長の目が出てきたのでは!?
 

逆襲「蟻の一穴」

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 1月10日(水)12時39分15秒
  最近米軍機の事故が相次ぎ、どれがどれだったのか、わからなくなるほどだ。

昨年9月以来5カ月連続、計7件の事故が起きているらしい。

名護市安部で、オスプレイが墜落。政府は不時着と言っているが、あれはどう見ても墜落だ。

東村高江で、ヘリ炎上大破。

普天間飛行場附近の保育園に、部品落下。保育園!

宜野湾市の小学校グランドに、ヘリの窓枠落下。 窓枠が落ちただと!?

うるま市伊計島で、ヘリ不時着。

読谷村で、ヘリ不時着。

あと1件はどこだったか……まあいいか。とにかくこの様に、訳がわからんぐらいに落ちているという事だ。

しかしよく大事故にならなかったものだ。
これが東京の横田基地で起きていたら、間違いなく死者が出て大変な事になっていただろう。

しかしこの異常過ぎる流れから考えて、横田基地や厚木基地で起きるのも時間の問題なのかも知れない。今のうちに、根本的に何とかしろという天の声だ。普通ではない。
政府は沖縄だからいいと言わんばかりの対応をしているが、そんな事だと安倍政権そのものが近いうちに倒れるだろう。

ヘリ事故はダメだが、安倍自公政権が倒れる事だけなら大大歓迎だ。
名護市長選も近づいているし、22日から国会も始まる。

「大モリ山カケスパゲティー」問題もあるし、どこか一箇所小さな穴が空けば、一気に崩れる緊張感はますます高まっている。そうなれば未聞の大爆発だ。
スパコン昏睡レイプ事件と国税庁長官人事あたりが狙い目だ。税金払わんぞ。

敵はまた薄汚い手を使って必死に防戦中。野党の質問時間を減らしたり首相の国会参加機会を減らそうとしたりしている様だ。

TBSサンデーモーニングの提供スポンサーの株主総会で、スポンサーを降りろと圧力をかけたりもしているらしい。

とにかくやる事が薄汚い。まともに戦った事などたぶん一度も無いだろう。卑怯な奴らだ。

ダーハラ執行部の「査問」の方はどうなった?
そろそろ「査問」で検索したら「創価学会」と出て来る様になったか?



 

財務

 投稿者:ミーデン  投稿日:2018年 1月10日(水)11時00分50秒
  小作人@地上の発心様、丁寧なご意見ありがとうございます。

>「一人立つ精神」が「おひとりさまの信心」で終わってしまわないよう、お金の使い道も人との付き合い方も賢くありたいものですね。

組織依存でも組織破壊でもない賢明な信心を目指していきます。
 

衆生所遊楽

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2018年 1月10日(水)09時30分44秒
  人生は波乗りのごとく・・

先生は「困難は万民、一人も残らず来る。

だから、困難に出会う事自体は不幸ではない。

大事な事はその困難に負けない事

負けてしまえば、それこそ、本当に不幸である」・・・

(メモを持っているのですが、今、手元にないので文章は正確ではありません・・歳のせい・・)

しかし、趣旨は、このようなものだったと思います。

この御指導に、どれほど、自分自身が励まされたかわかりません。

乗り越える、出来たから、喜びに通じる・・

そして、確かな法の実在性、御本尊様の功力を知る事ができる

困難に会う友には、いつもこの先生の指導を話します。

人生は波乗り・・衆生所遊楽。

言葉こそ違っても同じようなものだと解釈します。

どんな困難が来ても乗り越える方法を知っている、

乗り越えられるからどんな問題が来ても

そして、困難な状況になっても、楽しいと思える。

ですから、パニックにはならないですみます(苦笑)

特に最近でしょうか、この極意と言えるようなものを、

煩悩多き私にも、ほのかに感じるようになってまいりました。

入信以来、億万遍以上の題目での実感

自分の生命の中で遊楽をするか、外の世界で遊楽をするか・・

私は、外の世界でその遊楽(困難を乗り越える)醍醐味を味わいたい。

全ては幻のごとき人生。

しかし、観念で法を捉えるよりは、活き活きとした生命活動の中で法楽、法味が楽しい。

また、苦しむ民に、友に宿名転換の法、問題解決の法を生涯教え続けたいのである。

さて、話は変り、昨日の外気零下9度

本日は零下12度だそうです。

昨日、生々しい、3カ国人、10人の不信渦巻く契約調印前の最終会談・・

不可能を可能にとの祈りと確信で無事、不信感をぬぐい去る事ができ・・

なんとか無事終了なので。本日は初めての紫禁城・故宮博物館見学(ワクワク)

ココでは、Gmailが使えないので友との連絡ができないのが辛い

しかし、出発前には欧州の友からの嬉しい便り・・

短い、通信でのやり取りも、それが出来ないことも、命の通信が支え合ってまた遊楽・・

・・と思うのです。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、ブラジル・南マットグロッソ州から池田先生に顕彰状、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 1月10日(水)09時09分39秒
  おはようございます。原田怪鳥様、南マットグロッソ州から、平和貢献をたたえ、池田先生に顕彰状とのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

なんと授与式は昨年12月20日とのコト、「来年の話をすれば鬼が笑う」とのコトですが、年も明けて10日も経って、

なんと今更、昨年のハナシを臆面もなく掲載する政教珍聞(笑)、鬼ならぬ、読者が笑いマスよぉ~(爆)

昨日までは、やれ新年勤行会だ、本部幹部会だ、SGI交流交歓会だと、なんとか話題をつなげてきましたが、10日でネタ切れデスかぁ~(笑)


ところで、原田怪鳥様、昨日の珍聞報道で、埼玉にて区圏長会があり、原田怪鳥様は「鉄桶の団結」を訴えられたみたいデスが、

この団結は、いったいナニを要としての団結デスかぁ~(笑)

と~ぜんのコトながら、「池田先生」が要デスよねぇ~(笑)

で、あるならば、「池田先生と共に」とか「池田先生を中心に」とか(たとえ直接御参加頂けなくても)記載するべきでしょうねぇ~(笑)

指導力もナイ、教学力もナイ、おまけに人望もナイ原田怪鳥様では、「共に」とか「中心に」は、荷が重すぎるんしゃないデスかぁ~(笑)

それが証拠に、主要な会合以外で原田怪鳥様の行動を目にするコトがついぞありましぇ~ん(笑)

「訪問激励」だの「家庭訪問」だの御指導されるのであれば、御自身の行動で語りましょ~う(笑)

信濃町の奥に引っ込んで、査問・処分リストばっかり作成していては、ますます人心は離れマスよぉ~(爆)


まあ、本日の寸鉄にも、>「勇気の人が一人いれば大事を成就」-牧口先生< とありマスので、

どうか、原田怪鳥様が、「勇気の人」となっていただけマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

わが友に贈る 2018年1月10日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 1月10日(水)07時23分0秒
  インフルエンザに注意!
手洗い・うがい・加湿・
マスク着用の励行を。
強き祈りを根本に
賢く健康を勝ち取ろう!
 

感受は回転!?

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 1月10日(水)06時06分46秒
   おはようございます。

 「生命」はその習性として、唯一、回転した時にのみ、その回転の方向の感受があるのではないでしょうか。右巻きなら右巻き、左巻きなら左巻き、その回転の方向を体感する、あるいは体験しているということです。その回転の方向がもし“歓喜”であれば歓喜しますし、もし苦しみであれば苦しみます。その“方向”とは「一念」が握っています。「一念」が定まった時点で、感受する方向、つまり体感の内容は決まっているというわけです。

 以前に、アルベアさんと少し語った「コップの中のコーヒーとミルク」の話と同じです。コップのコーヒーをスプーンでグルグルとかき回すから、そこに入れるミルク(フレッシュ)は、その回転に従って溶けて(混ざって)行きます。コーヒーそのものというより、「回転」が“心の騒ぎ”の実質です。

 もちろん、「一念」には十界各別があります。十界各別もひとつの概念ですが、ここまで否定する必要はないんではないでしょうか。「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」(蓮盛抄153㌻)とも、「所詮修多羅(※経文)と云うも文字なり文字は是れ三世諸仏の気命なり」(諸宗問答抄381㌻)とも、「文字即実相なり実相即妙法なり 唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり」(一生成仏抄383㌻)と仰せです。

 文字も、言葉も、物語も、「意」を得ず、不自由なものですが、広く大きく地球にまたがって語らいをしていくには、この伝達方法が人間には必要のようです。「法華経・二十八品の文字・六万九千三百八十四字・一一の文字は字ごとに太子のごとし字毎に仏の御種子なり、闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる」(日女御前御返事1249~1250㌻)とも仰せです。

 だから人は、“歓喜”の人生でありたいというのであれば、「心」を“歓喜”に向かわせる「希望」が必須です。環境は、その“歓喜”を造る材料となります。どう“歓喜”に結びつけるか、という言い方もできるかも知れません。「生命」は、その向き先がどこかは別にして、回転することによってその存在を体感することができるということになるのでしょうか。

 摩訶止観の「無明の癡惑(ちわく)本より是れ法性なり 癡迷(ちめい)を以ての故に法性変じて無明と作り諸の顚倒の善・不善等を起す……」(総勘文抄566㌻)等々はそのことを語っておられるのではないでしょうか。

 アルベアさんも、他の方も、いろんな気づきをありがとうございます。



 

同志の歌様

 投稿者:JACK  投稿日:2018年 1月10日(水)05時50分8秒
  ご質問を頂いた件ですが、元創価学会職員主催の会では、録音、録画、撮影は厳禁と決められています。

そのルールを厳守し、当方は全て自力の聞き書きを記載しています。

当然の事ですが、自力の聞き書きには限度があるため、掲示板に掲載する際には、余すところなく網羅している訳ではない事を予めお断りしています。
 

桜の城 『師と共に』

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 1月10日(水)03時10分14秒
  桜の城 『師と共に』

「創価の世紀」の開幕」

「3・16」の大儀式を偲びつつ

我は師弟の誓いを果たせり
一九九八年三月八日

我は、師弟の誓いを果たしたり、

我は、同志の誓いを果たしたり。

我は、わが信念の目的を果たしたり。

富士の裾野に集いし、あの日から、新しき広宣流布の回転は始まった。
この日は寒かった。
秀麗なる富士が、堂々と見守っていた。


「3・16」の儀式は、晴れ晴れとしていた。

戸田先生が、若き青年部に、確かに、広宣流布をバトンタッチすると宣言なさ
れた。若き弟子たちの心は燃えた。使命は炎と燃え上がった。

一九五八年(昭和三十三年)のあの日、余命幾ばくもなき、我らの師・戸田城
聖先生のもとに、六千名の若き弟子が集まった。

皆、生き生きと、この日を祝った。日本中から集った若き広宣の健児が、握手
をしたり、肩を叩いたり、談笑している姿は、未来の勝利を勝ち取った喜びの姿
に見えた。
あの日から、四十周年の不滅の歴史が流れた。

この年の三月、一カ月間にわたり、先生のこ生涯の総仕上げともいうべき、
数々の行事が続いていた。
二月末、先生ご到着。お体の具合は甚だ悪い。何度も医師を呼ばねばならぬ状
況であった。
しかし、病篤き広布の師の声は、厳然として鋭かった。

「大作、絶対に、私の側から離れるな。いいか、四六時中、離れるな!」

思えば、先生は常に「私のいる所が本部だ」と言われていた。

早朝から深夜まで、師は私を呼ばれた。時には、午前三時ということもあっ
た。急ぎ駆けつけると、先生は「大作は、隼のようだな」と一言。
先生をお守りするため、そのまま一日、寝ずに駆け回ったこともあった。

前年十一月に倒れられた時も、「大作はいるか!大作はいるか!」と、私を
呼ばれ続けた先生。

恩師は、その病を乗り越えられ、三カ月後の二月十一日、五十八歳のお誕生日
には、快気祝いをされた。
医師も驚くほどの、奇跡的な回復ぶりであった。妙法の大功力を実証されたのである。

しかし、先生の命は、燃え尽きんとしていた。死の方向へと進んでいた。

それを知るは、先生ご自身と、真正の弟子である私だけであった。
三月一日、先生は、私に言われた。
 

アルベア様

 投稿者:ペロ  投稿日:2018年 1月10日(水)01時35分39秒
  今回も丁寧にお答えいただき、誠に有難うございました。

色々と思索させていただき、ほんの少しですが、

気付きのきっかけになるような貴重な機会をいただきました。

重ねて御礼申し上げます。


以下、私の愚考(私見)となります。


地球はもとより全宇宙(多次元含め)が妙法の当体であるのならば、

アルベア様のように「既に広宣流布はできている」との視点に立てるのかもしれません。

(広宣流布は宇宙本有)


その上で、個人の生活・人生に、如何に妙法を体現(同調)していけるのか。


大聖人は、衆生(ヒト型生命)のために、

「妙法への気付き(悟り)」への具体的実践法として、

(妙法を示し現した)御本尊(旗印)への(自行化他の)お題目の「口唱行」を

(この時代の地球文明に即した形として)開示(導入)してくださった、のではないでしょうか。


私は、入会当時に大聖人の御生涯を研鑽し、「このお方の言葉ならば信じて実践してみよう」

との決意に立つことができました。


また、実践(実験証明)を始めて、自分自身の人間革命(境涯革命)が進行したことを生命的実感として体験(体感)することもできました(現在も進行形です)。


私はアルベア様の奨励する「体操と律動法」を実践しておりませんので、あまり無責任なことは言えないのですが、

「体操と律動法」によって世界のあらゆる衆生に「妙法への気付き(悟り)」が自然と達成され、

延いては人類社会全体に調和のとれた安穏な幸福世界が現出するとは、どうしても思えません。


別の言い方をすれば、「体操と律動法」によって、

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。」

の方程式が、現実世界に成立するとは考えにくいです。


従いまして、(現在の)私の選択として「体操と律動法」よりも「御本尊とお題目」を羅針盤として、今世は歩んでいこうと思います。


アルベア様の投稿によって、私自身、貴重な動執生疑の機会を多くいただいております。

また、質問させていただくかもしれませんが、今後とも何とぞ宜しくお願いいたします。

今回は、誠に有難うございました。

 

あのなぁ、組織はね、必要なんだよ!誰が世界広宣流布すると思ってんだよ!?

 投稿者:創価査問センター  投稿日:2018年 1月10日(水)01時08分27秒
  正しい池田門下の俺たちなんだよ!鉄桶の団結、異体同心、何度も聖教に載せたはずだ。
組織要らないとか、わけの分からない話するんじゃないよ!アルベアとか何たれとかよ、何の観念論をダラダラやってるんだよ、広宣流布はなぁ、組織が無けりゃ出来ないの!沢山の会員が出来るからな、職員もお金もかかるわけだよなぁ、だから、財務が必要なんだよ!
シンプルな話だ。簡単な事だろ!
だからよ、オカシナこと考えないでよ、ちゃんと言われたことだけやってりゃいいんだよ。訪問激励もなァ、数の報告取るからよ、ちゃんとやれよ!数字の報告、これが第一なの!どうのこうの、しのごの言ってないでよ、組織回ってな、オカシナ奴は血祭りに上げて、異体同心なんだと言ってやれよ!言う事聞かない奴はね、査問・除名なんですよ!何のために会憲やら会則が有ると思ってんだよ。ふざけた話するんじゃないよ!分かったか!この道楽会員ども!!お前ら頭悪いんだからよ、黙って従ってりゃいいんだよ!!
 

御本尊は即日蓮大聖人様であられる。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 1月10日(水)00時01分52秒
編集済
   御本尊は即日蓮大聖人様であられる。仏様は苦しんでいる衆生、悩める衆生、すべての人々を平等に救ってくださるのである。
ただし、御本尊の慈悲をどれだけわが身に受けているかは、信心の力の強弱による。

 大きい釣り鐘を小さく打てば小さい反響しかない。大きく打てば大きい響きがある。
したがって、強い祈りの勤行、唱題で、功徳と生命力あふれる人生を送っていただきたい。

 悔いのない人生のために、信心も悔いない信心であっていただきたい。謗法のだれびとが避難しようとも、御本尊の威力は、信心しぬいた人にしかわからないものだ。ゆえに悪縁に紛動されることなく、月々日々に信心を深めていただきたい。

~~~~~~~

池田先生の言葉は、誰一人民衆を置き去りにしない。
老若男女、年齢も関係なく、心に深く染み渡る。

池田先生の言葉は、平易で誰にでも理解できる。
難しい教学を知らなくても、「幸せになりたい」という心があれば、誰でも日蓮仏法の極意を、この短い指導から瞬時に得ることができる。

80歳を過ぎた祖母がそうでした。
夫と息子を亡くし、娘は自殺未遂、そして子供から犯罪者も出た。

不幸のどん底にいる祖母を虹は折伏した。

勤行など覚えられない。
ただひたすら「大聖人様、大聖人様」と御本尊にすがるように題目を上げ続けることしかできなかった。

祖母にとって御本尊は大聖人様。

大聖人様は祖母を見捨てなかった。
祖母は大聖人様の慈悲に優しく包まれ、数年後安らかに霊山へ旅立った。


虹はまだまだヒヨッコだ。
どんなに奇跡的な体験を重ねても、御本尊の威力は、はかりきれない。

虹は凡夫。今も悩みをいっぱい抱える凡夫です。
だからこそ残りの人生をすべてをかけて、先生の仰るように信心をし抜かなければ。

そして悩める友に、池田先生の言葉を伝えよう。
「御本尊は即日蓮大聖人様」だと。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 9日(火)23時52分10秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
    
 

Jack様

 投稿者:同志の歌  投稿日:2018年 1月 9日(火)23時28分31秒
  いつも、元職員の座談会の内容を事、細かに書き込んで戴きありがとうございます。

その、書き込みは、テープ起こしをして書き込んでくださるのでしょうか。

 

ブラックジョーク?

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2018年 1月 9日(火)23時18分51秒
  森友学園の国有地売却問題で「交渉記録は残っていない」と虚偽答弁を繰り返し

目出度く国税庁長官の座を射止めたものの就任会見もせずに

雲隠れしていた佐川長官が税理士界1月15日号に登場。

新年の抱負は「適正・公平な課税・徴収の実現に努める」ことだとか。

全国の納税者はマジで怒りましょう。
 

Re.財務

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2018年 1月 9日(火)23時11分58秒
編集済
  ミーデンさんへ。

「財務」の納金金額の多寡が「功徳」の大小に反映されるなどということは有り得ません。
少なくとも自分はそのような学会指導を今日までに聞いたことも読んだこともありません。

ただし現会長氏が宣う「財務に勝る功徳はありません」が端的に表すように、
功徳とか成仏といった語句が「それ使い方間違ってますよ」というべき現状
なのは確かで、今夕の拙稿で述べたとおり憂慮すべき事態に陥っています。

「喜捨」の形は、所属する教団内へ金融機関を通して現金を振り込むだけに限りません。
一万でも十万でも百万円でも、他にもっと世のため人のために価値ある使い道はないものかと考え、開拓していくのが今は大事かなと思います。
自発能動で利他行のバリエーションを広げていくことが「深く大きく境涯を広げる」こととなり、それが真の意味での「功徳」ではないかと私は解釈しています。

依拠する集団の維持・存続・発展を前提に「個」が確立されるわけではありません。
学会員一人ひとりが創価学会という巨大集団のフレームから一旦外れたところで「広宣流布」やら「民衆の幸福」やらを再考する時機に来ているのでしょうね。
(べつに脱会しろという意味ではありません、念のため)
ご懸念されているとおり原田執行部の下での創価学会は日に日に邪教と化しつつある。
では翻って今まで邪宗とか外道と呼んで蔑んでいた他宗教を何の根拠があってそう見なしてきたかも今一度問い直したほうがいいかもしれません。

そういうふうにして硬直したドグマから解き放たれた地点で、
信濃町テーゼの文脈の中で変質した「仏法用語」に異議を唱え、
自由意思に基づく他者との関わりを通し「財」を有効活用していく。

「一人立つ精神」が「おひとりさまの信心」で終わってしまわないよう、お金の使い道も人との付き合い方も賢くありたいものですね。。
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 1月 9日(火)22時54分10秒
  23時に開始します。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。
 

アルベア様

 投稿者:めだか  投稿日:2018年 1月 9日(火)22時22分39秒
  丁寧なご返答ありがとうございました。

確かに  幸・不幸等々を誰が決めているのか…

自分自身は勿論のこと、人様に対しても決めつけている所業は、思考・概念の成せる業かも知れません。

私は自分の過去世を見たり色々と体感して、と言った方が近いのかは分かりませんが、思考・概念・ましてや思い込み、だけでは説明つかない事があると思います。

宿業も然りです。

それらがどう言う事なのか何故だか、自信というか確信?が沸々と湧いて来るのです。
残念ながら説明出来ませんが…。

何が言いたいのか収まりが悪くなりましたが、
今回はお返事頂いたお礼の投稿でした。

アルベア様のアルベア論からブログまでずっと拝見させて頂いています。
有難うございました。










 

思いはわかるのだけど

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 1月 9日(火)21時57分4秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/78248

ドン・キホーテさん、宮川さんのFacebookの代理投稿をありがとうございますm(_ _)m

▼▼▼▼▼▼
 池田門下生と戸田門下生の違いは、はっきりしている。

戸田の命より大事な創価学会の組織という戸田の意志を受け継ぐ人々が戸田門下生である。

したがって彼らは、創価学会が無ければ広宣流布は出来ないと考えている。

 池田先生は池田の命より大事な創価学会の組織とは言ってない。

むしろ先生は、世界広布に創価学会はいらないという。

二ューヨークに本部を設置しユダヤ協会のような組織でなければ世界広布はできないとまで言われた。

 池田門下生は、創価学会が無くなっても池田先生とその精神があれば、世界広布は必ず出来ると信じている。
▲▲▲▲▲▲

宮川さんの言いたい趣旨はわかるのですが。
とりあえず、原田・秋谷・八尋・谷川のいわゆる4人組は戸田門下ですらないように感じるのです。
4人組は戸田先生で真面目に信心に励んでる様子が感じられないのですよね。

「真面目」だからって最初から信心をみんなわかって信心するわけじゃないのだから「誤り」は普通にあることだけど、そういう「誤り」でもないですよね。
誤り以前にそもそも真面目にやる気すらサラサラなくて「創価学会」を世渡りに利用してきただけに見えるんですよ。

ん十年も信仰して、もう寿命の尽きる頃を思うような年頃になってもこんな状態っていうのは「真面目」にやってれば「ありえぬこと」でしょう。
それ自体が真面目にやってきていない証拠にもなってるんです。
たとえば秋谷元会長なんかは、池田先生が嫌いならば戸田先生を手本にすることぐらい大学を出る頭があれば容易に考えられることだし、いくらなんでも今のような状態にはならぬはずです(原田会長も同じく)。
それゆえ4人組は戸田門下でさえない、そう感じるのですよ。

と、話したいのはそういうことじゃないんですがf^^;


『池田門下生は、創価学会が無くなっても池田先生とその精神があれば、世界広布は必ず出来ると信じている』

それは僕も理解してるのだけど、それは自立した信仰がすでに築けてるから思えることではないでしょうか。

その辺りから推察してるんですが「他化自在天」を4人組はぬくぬくと育ててきていた様子を感じられるのです。
4人組の派閥争いそのものや、会員自身にも潜んでいる「他化自在天」の命をぬくぬくと育ててきた結果が現在と見えるのですよ。

ブログ村創価カテゴリにいる真面目な学会員さんにそれがよく出てるのです。
トラブルの本質にはまず例外なくといっていいほど「他化自在天」の命を刺激しあってるものばかり。
否、ネット上の内部騒動どころか「折伏」の活動そのものを「他化自在天」を刺激するやり方が残念ながら多い印象です。

これは河合師範の有名な指導からも汲み取れるものです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58089
河合師範の指導  平成10年6月2日寝屋川文化会館(全文)

この指導のかなりの部分は「他化自在天」をどうしたらいいか?という指導に読めてしまうんですよねf^^;

特にこの部分は明瞭でしょう。
▼▼▼▼▼▼
私たちはいろいろな活動をしている。みんなを味方にする運動。みんなを折伏する運動ではない。

みんなに学会・仏法を理解させていく運動。誰でも彼でも折伏する必要はない。誰でも彼でも味方にするのは構わない。
ここを間違えないこと。今悩みがない人・悩みがあっても悩んでない人を折伏すると嫌われる。結構そういう人を押し込んで折伏して嫌われていませんか?

友達を無くしている。健康な人に薬を飲めと勧めても嫌われる。「いい薬があるから、病気になったら飲みなさい。」と教えておくのは構わない。そこで止めておけぱよい。そこを押し込んでいる。悩んでいる人・不幸な人がいたら救ってあげること。

それは相手を救ってあげるためであり、成果のためではない。折伏は簡単。ただ1つのコツは、「不幸な人を救わせて下さい」と祈ること。そういう人がいれば、その人のことを祈ること。いなくても祈ればチャンスは来る。

法華経の法師品に「素直に法を聞かせにやるよ」と2ヶ所も書いてある。これが方程式。 強く祈れば必ずそういう人にぶつかる。折伏は簡単です。誰でもできる。成果のためにやらないこと。

成果はこっちの都合。相手のためにやること。「不幸な人を救って功徳を受けさせて下さい」と祈ること。
不幸な人を救うから功徳がある。宿命転換できる。福運がつく。成果をあげるからではない。

苦し紛れの分世帯では功徳はない。功徳がないのでつまらない。後には不信が残る。
▲▲▲▲▲▲

この部分は「他化自在天」の害毒というのでしょうか、そういうことになってしまう折伏ではなく、ちゃんと功徳に繋がる折伏で幸福になりまよう!という趣旨に読めるのですよね。

それで、このコメントで話したいことにやっとなるけれど。
これだけ何年にも渡って「他化自在天」を温めてしまったら、それを個人レベルでもやってきてる状態では、今になっていきなり個人でも広宣流布は可能、と言っても困惑するだけになるんじゃないでしょうか。

もちろん僕には宮川さんの話はわかるのだけど、それはすでに10年ほどの「手探り」が経験と知識になってるからわかることともいえるんです。

「自立」した信仰をするには、まずは功徳の信仰状態が必須と痛感してるんです。
それが自分自身の明確な「基準」となっていき、また「信心のしっかりした土台」ともなり、経験が教義と絡んで深く理解していける道筋になっていくんですね。

しかしながら、肝心な「功徳の信仰」を知らないままですと、いったい何を「信じる基準」にしていいかわからず、結果的に「他化自在天」に悩まされる状態が宿命です。

そこで、なんですが。
4人組は「他化自在天」を故意に操って会員を利用してきてるのが伺えるので、「他化自在天」についてしっかり詳しくなるのが結果的に「流れ」ができていくように感じるのです。

『本当の敵は他化自在天そのものである』と感じるのです。

まずは個人レベルでの「他化自在天」に勝る信心で「実感」するのが大切なんじゃないでしょうか。
それで「流れ」ができていくように思えるのです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

アルベア様

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 9日(火)20時19分1秒
  アルベア様

御回答、ありがとうございました。

以下のご意見につきまして、思うところを書かせていただきました。




「さてほとんどの学会員は「広宣流布」を目指しているわけですけれども、

「自我機能」の「思考・概念」で見ると目指す対象となります。

「自己機能」の生体現象という視点で見ると「広宣流布」は既に達成しているのです。

「広宣流布」とは用語・言葉です。思考の概念です。頑なに条件づけられた状態になると真意は

読み取れないのです。それが古今東西の宗教の旗印なのです。

「広布のため」という条件付けられた思考・概念が多くの会員をむしばんでいるのです。」

「体感・体験者」がいないからです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/78243


自我機能は思考・概念の世界です。

自己機能は生体現象の事です。

意識機能はエネルギー現象の事です。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/78220



これらについて、大聖人の仏法の観点から考えてみました。


<「自我機能」の「思考・概念」で見ると目指す対象となります。>

 =時間の流れの中で日々向上(降下?することもある)していく心。八識、七識、六識。
  強いて言えば「空」


<「自己機能」の生体現象という視点で見ると「広宣流布」は既に達成しているのです。>

 =私達の生命に内在する、時間を超えた久遠元初の仏の生命、因果具時の仏因仏果が成就
  されている生命。九識。強いて言えば「法身、中」

そして、

<意識機能はエネルギー現象>

 =エネルギーの凝縮体である物理的な「体」とその意識や行動から起こる「現象」五識、
  五感。強いて言えば「仮」


もし、この考えに近いとしたら、大聖人の仏法でも

「心地を九識(自己機能)に持ち、修行をば六識(五識と六識、いわゆる、「自我機能」と

「意識機能」)にせよと、をしえ給う」

    上野殿後家尼御返事 1506ページ



とあります。

更に、ではどのようにして「心地を九識に持つか」というと、それこそが思考、概念を超越した「観心の御本尊」の意義になります。

この「観心の御本尊」に心を合わせれば、自我機能、意識機能とも、円融の三諦として本来の力を発揮できるというのが大聖人の仏法です。「体感、体験」の世界です。

いわゆる、「自己機能」と言っても、現実には「自我機能」と「意識機能」という「現場」でしかその意義を発揮しません。

仏界といっても九界の中でしか、その存在を発揮する場はないのと一緒です。

以上、私の意見です。



 

ゲゲゲ、24時間のサブスクリプションで20ドルも取りやがる!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2018年 1月 9日(火)19時55分2秒
  ビュルティンオブアトミックサイエンティストは最新の核兵器情報をいち早く伝えるWebメディア。2018年1月のニュークリアノートブックは、なななんと、北朝鮮の核能力、2018年。南無公明党佛様が泣いて喜ぶ特集。ただし、いつもはオンラインアクセス無料のこの企画記事が24時間のサブスクリプションで20ドルを取りやがる!アコギな商売。誰かアクセスをして、内容を紹介してちょ。  

陋巷に留まり新しい地図を描く③

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2018年 1月 9日(火)18時08分0秒
編集済
  「功徳」も「福運」も「宿命・宿業」も、さらには「成仏」も、、、
それら本来の語義からは甚だ乖離して独り歩きするフレーズとして濫用されている。

時に人を威嚇し恐怖心を植え付け、時に人をたぶらかし組織活動を督励するための方便として、
集団のダイナミズムに自己を滅却し、狡猾な宗教貴族への盲従を促すマジックワードとして。。

除染土をパンパンに詰めたフレコンバッグが所狭しと堆く積み上げられ(もはや福島県内だけでは収まりきれなくなっている)、
種子法廃止で「モンサントの不自然な食べもの」が全国の食卓を席巻し(もう既に十分過ぎるほどの量で浸蝕されてはいるが)、
水道民営化は各地の自治体レベルで局所的に計画されて順次施行が進む(他のインフラと併せ外資への切り売りが着々と進行)。

慎ましやかながらも平穏で真っ当な日々の暮らしのかたちが、じわじわと基盤から突き崩されつつあるこの御時世において、
功徳だ、福運だ、一生成仏だ、宿命転換だ……と正常性バイアスが掛かった口ぶりで語り、書き記すことの虚しさを思い知れ……。

21世紀のスペル星人、思考停止の放射能ゾンビと化した日本人たちよ・・・

いったい今日まで世の中の何を見てきたというのか・・・?

イケイケドンドンの高度成長期の成功体験(という錯覚)にいまだ酔いしれ、
「24時間戦えますか?」とバブル狂乱期の根拠なき万能感に今も包まれたまま、
平成不況・失われた20年も、3.11とフクイチ原発事故もなかったかのように、
世を覆う不条理には目を背け、半径5メートルのパーソナルスペースに耽溺し、
功徳だ功徳だ、と言い聞かせるように糠喜びを繰り返し、老いさばらえていく。

会長・理事長の2トップが揃って喜寿を迎える某教団。
専従職として禄を食んできた究極の世間知らずが頂点に立つ組織だから、揃いも揃って世の中の現実が見えなくなる。

信心しているとかしていないとか、
男どうしとか女どうしとか、
年が近いか離れているかとか、
同じ職場あるいは同業者とか、それとも全く違う分野で働いている人かとか、
属性にとらわれない、枷を嵌めないフラットな人付き合いをまずは心掛けよう。

折に触れて人生の景色を変えてみることである。
自分の目に映る他人の不幸は、実は自分の勝手な思い込み、思い上がりかも知れない。
硬直したドグマを心から取り去り、そのドグマの文脈に埋没し化石となったフレーズを一個一個掘り起こして新しい生命を吹き込もう。。



 

めだか 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)16時54分7秒
  めだか 様 2018年 1月 9日(火)16時15分54秒

Q⇒宿業をどう思われますか?

A⇒宿業・宿命・運命等は、自分自身ではどうにもならない思いが転化した概念だと思います。

救われるための意識変換現象です。

発達障害の親御さんたちには診断名がつけられる事により安心する現象が見られます。もちろん

生涯にわたるケアが必要となれば大変な苦労を強いられます。

だから創価では「宿命を使命に」という意識を反転させる激励が現象化しているのです。


Q⇒自己機能の子供の病気に関してどうなのでしょうか?

A⇒先天的な病気・障害を持ち生まれてきた方々のお世話をさせていただいた時期が3年ほどあり

ます。重複障害の児者の方々です。

知的なレベルがある程度あり、会話の可能な方との対話でした

「先生、僕は生まれながらにして障害があると言われていますが、それは周りの人が言うのであ

り、僕は障害者だとは思っていない、だって生まれつきだもん」

と、「先生方のお世話になっているみんなは、あとから障害をつけられたんだ」⇒「後付け」と

も語ってくれました。

自己機能の病気・障害があっても当人たちにとっては、それが当たり前だということです。周り

の人間がレッテルを張り、評価しているだけであり、自己機能⇒生命現象としてはどこまでも平

等です。

「うちの子は障害があるから」とよく聞きますが、それは生命現象の受容の拒否に反転してしま

います。あるお母さんは障害があるから、いろいろ気づかせて頂いていると述べていました。

障害という現象を不利益と見る態度が苦難・苦労となるのです。障害はあっても生命(いのち)

は同じと言う視点が善き方向へと促してくれるのです。

戸田先生の指導集・小説人間革命には小児麻痺のかたの体験・指導が載っています。

先天性の重複障害として子供を授かったお母さんは、「普通の子供ではないから、いろいろ大変

ですが、人としての「愛」ということを日々教わっているような気がします。」と明るく、さわ

やかに語っておられました。ご主人とは誕生後に離婚され、実家にもかえれない中で幸の花を咲

かせていました。

同じ自己機能の障害・病気でも、縁する側の意識で世界観がかわるのです。

生命現象は私たちの思考・概念を超えたエネルギー現象です。そこが感知されると、反転現象が

もたらされるのです。

めだか様のご質問に応えられたかどうかわかりませんが、「今、ここ」での意識がブレないこと

だと思います。ブレルとは比較相対するから悩みが深くなるのです。

ご質問有難うございました。

 

アルベア様

 投稿者:めだか  投稿日:2018年 1月 9日(火)16時15分54秒
  私も質問させて頂きたく投稿しました。

宿業をどう思われますか?
自己機能の子供の病気に関してどうなのでしょうか?


唐突な質問で申し訳ありません。


 

昭和33年2月11日

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 9日(火)15時48分18秒
  法華講の者ですが聖教新聞が週刊であった時代の体験者でもあります  腹部大動脈瘤が出先で破裂して普通ならば助け様のない出来事でしたが九死に一生を得た母親の遺言で寺院信徒になりました  母親はその後10年生かされて亡くなり本人の意思で医大に献体として行きました  我が家に寛師御形木がおいでになったのが戸田甚一先生が逝去なされた頃です  

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 1月 9日(火)15時46分47秒
  常唱院日護の徒然(つれづれ)に思う。

私が尊敬し、最も信頼を寄せる先輩の手記を掲載したい。

既に、さる筋の掲示板にも紹介されているが、深く読めば読むほどに、

偉大な師匠の周りに蠢(うごめ)き沸く、
魑魅魍魎(ちみもうりょう)の存在と、その構図が良く判る。

私は師匠の御健勝と共に、
常に氏の御健勝を合わせ祈らせて頂いている。

弟子の鑑として尊敬する師子の手記を掲載する。

ーーーー      ーーーー   ーー

 慧文を始祖とすれば、
南岳慧思、天台智顗と、
天台は第3祖であるが、天台宗の開祖といえる。

同様に牧口・戸田の両会長が存在しても、

今日の創価学会を作り上げたのは紛れもなく池田先生である。

もっとはっきり言えば、両会長ではとても今日の創価学会はあり得なかったということである。

これは三代会長の年譜を詳細に検討してきた私の率直な感想である。

 池田門下生と戸田門下生の違いは、はっきりしている。

戸田の命より大事な創価学会の組織という戸田の意志を受け継ぐ人々が戸田門下生である。

したがって彼らは、創価学会が無ければ広宣流布は出来ないと考えている。

 池田先生は池田の命より大事な創価学会の組織とは言ってない。

むしろ先生は、世界広布に創価学会はいらないという。

二ューヨークに本部を設置しユダヤ協会のような組織でなければ世界広布はできないとまで言われた。

 池田門下生は、創価学会が無くなっても池田先生とその精神があれば、世界広布は必ず出来ると信じている。

この違いは、池田会長勇退のときに顕著に現れた。

 池田名誉会長の年譜がほぼ完成したが公開することにまだ躊躇している。

それでも第一次宗門問題と第二次宗門問題の真相に近づけたと確信している。

 第一次宗門問題は、
細井日達と石田次男の共同謀議によって引き起こされた。

石田は創価学会を自分の理想の組織にしたいと考えた。

そのためには二つの方法が考えられた。

宗門を利用して自身が会長になること。

もう一つは宗門との間に入って陰で操ることだった。

そして戸田先生の時代に帰えらねばならないと考えた。

石田は悩んだ末、後者を選んだ。

池田会長の勇退は、宗門の最高責任者と石田次男による謀略で実行された。

 山友は、そのための扇動者として利用したのである。

「ある信者からの手紙」を書いた山友が浜中を通して光久(仲居)の女房に清書させ、それを日達にだけ見せるように指示した。

山友の具体的な反逆行為はこの時点から行動となって始まっている。

創価学会の顧問弁護士である山友が反逆の行動を起こした理由は、金を手にするためのマッチポンプである。

したがって自分の行動を学会側に知られたくはなかったのは当然である。

 この手紙を読んだ日達は、石田に電話で相談した。

浜中からの報告で山友が書いたものであること、

山友がまだ学会の顧問弁護士であり、

この煽動に乗っても大丈夫かと相談したのである。

二人が相談した結論は、池田包囲網に山友を利用しようということであった。

 日達と石田と山友の三人は、それぞれの思惑を抱えながら歩調を合わせたような行動を開始した。

すべて石田の指示である。

日達は学会を宗門に完全に従属させるためであり、

石田は学会と宗門を裏で操るためであり、

山友は両方から金を得るためである。

 昭和53年1月18日のことである。

翌日の19日に、若手の活動家僧侶約140名の前で山友の手紙を公表することを日達は指示した。

びっくりしたのは山友と創価学会の執行部だけである。

自分が顧問をしている組織団体の悪口をいう弁護士を普通なら誰が信用するだろう。

 昭和53年5月3日
先生は、山友に

『四面楚歌 君がおわせば 王の道』

との色紙を贈っている。

自分の裏の行動を池田会長に知られていないと確信した山友は、その後も調子に乗って日達に献策書を提出していった。

 宗門の海外部の設置もその一つである。

海外寺院建設用地による土地ころがしを目論んでいた。

これは、墓地建設の土地ころがしで吸ったうま味の再現である。

日達も池田会長に会えば学会と宗門は仲良くして行こうと言いながら山友の献策を利用していったのである。

これはすべてが表面化した時も責任を山友一人に転嫁するためである。

石田の謀略が計画通り進行していったのである。

日達の行動は石田と協調した歩調合せである。

したがって宗門と上手く好くかに見えながらその都度壊れていったのである。

 法主からの院達を若手僧侶が無視するような行動が、現実に起きることはない。

僧籍の剥奪、破門を覚悟しなくてはいないくらいの問題である。

若手僧侶の声を無視できないという装いをとりながらの扇動である。

 日達は池田会長を交代させればすべては上手く好くと単純に思っている。

しかし学会の内状に詳しい石田は、学会内部に手を打つ必要があることを熟知していた。

石田は日達に会長候補の名前を若手幹部に絞って伝え、

日達からそれを池田会長に進言させていた。

このことが「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件である。

これが大田の家での逆鱗騒動へと繋がっていった。

 石田が次期会長候補に若手を推薦したのは二つの理由からである。

一つは扱いやすいからであり 、
もう一つは福島が会長になっては困るからである。

福島源次郎の追い落し策は、石田の作戦通りに進む。

池田会長を外しても次の会長候補の一番手である福島は目の上のタンコブでもあった。

54年の3月に大牟田での発言の揚げ足を取り

「猊下が怒っている」と山友から先生に伝えさせた。

54年4月、池田会長の勇退とともに福島の辞任が発表された。

 第四代会長が北条浩に決まることに対し日達は、

扱いやすい若手にしたかったが、

石田は「 北条の方が学会と池田会長に止めを刺すための仕上げがし易い 」

と日達に進言し日達も了承した。

北条を攻めれば学会と池田会長を守るために黙らせ従わせることが出来ると読んでいた。

数年後に会長を秋谷にする算段であった。

いずれ党の委員長も石田幸四郎にしたいとも考えていた。

これで宗門と創価学会、公明党は思うようになる。

石田の謀略の筋書きである。

54年5月14日
 山友が大講頭に任命されたのも石田の入れ知恵である。

この時点で山友を表に出すが、石田は最後まで表面に出ないようにしていた。

学会側もこの人事には仰天した。

誰もが何故という疑問を持ったのである。

会長勇退の3週間後である。

 宗門と石田は北条を攻め立てた。

もともと宗門の経理に口を出してきた北条は、宗門の敵でもあった。

さらに北条を攻めることによって、先生を守ろうとする北条の手足を雁字搦めにしていく作戦は効を奏したといえる。

ところが石田の謀略に誤算が生じたのである。

それは三つあった。

 一つは日達の死である。

次期法主は誰になるのか予想すらできなかった。

日達からは何も聞いていなかったのである。

二つ目は北条の早死である。

完全に学会を傘下に収める前に死んでしまったのである。

それでも秋谷が会長になったことによりしばらく静観することになる。

 宗門は池田先生を完全に抹殺することしか頭にない。

秋谷では石田の手前あまり学会攻撃は出来なくなっていた。

その代り学会にやらせたのは寺院の建立である。

三つ目は日顕が思った以上に愚かだったことである。

日達が死に、北条が死んで、

日顕と秋谷体制になったことで、

静観してきたのだが、

山友と日顕という最悪の組み合わせがすべてをぶち壊す時が到来する危険を感じてきた。

 第二次宗門問題である。

調子に乗った宗門は、C作戦を断行していく。

そうすれば学会を完全に掌握できると思考は単純である。

日顕の単細胞的行動に一抹の不安はあった。

法主絶対主義は、法主本仏論と共に誤りであることを確信していた。

このままでは池田名誉会長の破門だけでは終わらないかもしれないという危惧をいだいた。

 そんな危機感が彼を突き動かし決断させたのが、1986年の脱会宣言である。

「内外一致の妙法」という批判書を公表せざるを得なかったといえる。

福島や原島から聞かされてきた内部造反組

(山崎(尚)、上田、桐村、野崎(兄・弟)、宮川、八尋)と秋谷を引き連れて、

池田批判の先頭に名乗り出て学会の破門、宗門からの離脱だけは避けようとしたのである。

石田の脱会宣言から3か月後に福島も脱会宣言したのである。

彼らは自分の後ろ盾に巡り合ったような気になったのである。

二人とも石田の子分のようなふるまいをするようになっていく。

 第一次宗門問題は、学会側の黒幕でもあった石田の反逆が明確になったことにより、

宗門問題の現状を会員にすべて公表させるという池田名誉会長の決断がなされたのである。

石田が脱会宣言した翌月の2月22日、

金舞会館で行われた金城会総会の席上、

宗門と石田への反撃宣言をしたのである。

こうなれば行き着くところまでいかなくては決着はつかない。

とはいえ学会から宗門離脱の宣言はしない。

あくまでも信徒を切り捨てた形での決着を想定した。

 五年後に石田の危惧は現実となる。

この五年間、何も出来なかった自分を後悔した。

石田が死ぬ。
(1992年平成4年2月4日膵臓ガン)

3か月前の創価学会の破門(1991年平成3年11月29日)という宗門の暴挙を見て石田は、

戸田先生に申し訳ないことをしてしまったことにようやく気付いたが、時すでに遅しであった。

創価学会と宗門の分離を目の当たりにして自分がやってきたことが失敗であったことを自覚した。

 しかし人は皆、自分の信じる生き方を生きてきただけである。

人は自分で選択した人生であっても後悔するんだろうなとつくづく思う。

石田が死ぬ少し前に親族の一人である秋谷がこう呟いた。

「彼はもう反省しているんだ。なにもそんなに悪者にしなくても・・・」

 東京事務長会に遅れて出席した秋谷は、壇上に着くなりいきなりこう呟いた。

顔面蒼白で心ここにあらずの態であった。

その後わずかな沈黙にハッと我に返ったような表情を浮かべると、事務長会のメンバーを見渡し会長指導が始まった。

(  以   上  )

*カノッサの屈辱*

聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と

対立していたローマ王ハインリヒ4世が、

1077年1月25日から3日間に及んで雪が降る中、

カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続け、
教皇による破門の解除を願い、教皇から赦しを願ったことを指す。

また、カノッサ事件とも呼ばれる。

ーーーー    ーーーー  ーーーー

氏の、真実に裏付けされた言葉は、先生の最側近として、
先生の一切の御指導を記録し残された金口であり、

法華経に「 羅睺羅の密行は、唯我のみ能く之を知れり、

現に我が長子と為って、以って諸々の衆生に示す、

無量億千万の功徳は数う可からず、

仏法に安住して、以って無上道を求む 」と釈尊に言わしめた

羅睺羅の如き存在であられると尊敬申し上げる御方である。

先生の組織論と戸田先生の組織論との決定的な差異。

そして、
私が痛感する所、

池田先生が、人格重視の社会に開かれた宗教・教育観を打ち建てられたのに対し、

個々人に於ける経済苦、病苦からの脱却を信仰の目的とされた戸田先生の時代からの信仰から脱し切れず、

昭和54年に打ち終わる七つ鐘終了と同時に展開さるべく、池田先生の世界広布への展望を妨害したのである。

つまり、蔵の財、身の財、獲得の為の信仰、物質中心の視点を否定する所から始まる心の財への移行を邪魔し、

戸田時代への回帰運動と称し、個々人の経済苦からの脱却(蔵の財獲得)を、

財務をすればもっと蔵の財を得るとの邪教思想に変質させ、

病苦の克服たる身の財獲得を、組織に従順であれば、
役職が上がる、議員にもなれると、

仏法違背の地位や名誉獲得を身の財と為し、

先生の2003年広布達成の青写真を破壊した。

蔵の財や身の財を追い求める心を鎮め、心の財の中に、

全てが含まれていると仏法は、教えている。

「 一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 」
( 1143頁 )

「 当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし 」
      ( 223頁 )

「 日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以って論ずれば一閻浮提第一の富めるものなり 」
    ( 988 頁 )

「 仏法は強(あなが)ちに人の貴賎には依るべからず。

只経文を先とすべし。
身の賤しきを以って、其の法を軽んずる事なかれ 」
( 481頁 )

「 ただ心こそ大切なれ 」
( 1192頁 )
 

(無題)

 投稿者:一閲覧者  投稿日:2018年 1月 9日(火)14時05分39秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/78225

>最近、ちらりとスピリチュアル系の動画を見た。
「何をしていても楽しい、空気を吸うだけで喜びが湧く」なんて言葉を聞いた。
あぁ、戸田先生の言葉にもあったなぁ、仏の境涯の説明で・・・・・

創価の中で、今、そのように歓喜を語れる人は、どのくらいいるのだろうか。


今、信心されていない方の方が、飲み込みが早いです。
つまり、仏法のことをよく知っている人に比べて物凄く素直だということです。
私の懇意とさせていただいている方で、ご自分から(前提の言葉としてそのままの言葉は避けますが近い言葉で、元々ある)楽しい部分というご表現をしてくださった方が居ます。
最もそれ以前に、念仏宗の人がよく書かれている喜びについても若干ですが、あるものであると書かせていただいています。


>空気を吸うだけでも喜びが湧く
10何年も前から個人的に思うだけなのですが、南無妙法蓮華経と唱える時に楽しくならないわけがないように思います。
広長舌だと信じている自分が居て、それに対して何らかの諸々の加護があると信じられます。
空気をたくさん吸おうとしていないことだけは申し上げられます。
つまり息苦しくない呼吸の仕方です。

書くのはここまでにしておきます。
自分の利益の為に働く食法餓飢が居ますから・・・。
 

財務

 投稿者:ミーデン  投稿日:2018年 1月 9日(火)13時50分3秒
  素朴な疑問です。財務の功徳の大小というのは、納金金額の多さによるのでしょうか?

広布のためにと真心で貯金し納金するから偉いのではないのか、金額の多少で成仏が決まるというのは邪教ではないか、そう私は考えていますが皆様はどうお思いでしょうか?
 

回答ありがとうございました

 投稿者:カエル  投稿日:2018年 1月 9日(火)13時24分56秒
  アルベア様
僕のつまらない質問に丁寧に答えて下さり、
ありがとうございました。
何度か読み返しました。
そもそも、現在の僕自身がアルベア様の言われる、
「自我機能」「思考・概念」で生きているので、
アルベア様の言わんとする事が100%理解できたわけではありません。
しかし、
「意識は極めて電磁的・量子力学的振る舞いの現象だからです。」
との言葉は腑に落ちました。真実だと感じます。
(アメリカの軍産複合体はこの事を検証している可能性があります)
近い将来に、旧来の物理学理論を覆す、新しい量子論・物理学か一般世間にも登場し、
その時人類は新たな気づきを得て、
覚醒(?)し一歩成長・進化できるのかもしれないと考えています。

これからも思索をかさねていきたいと思います。
ありがとうございました。

 

私は、大聖人と三代会長の弟子

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 1月 9日(火)12時45分25秒
  アルベア氏の論について話題になっているが、題目、御本尊、組織が必要無いという結論を導き出すのだとしたら、それは大問題だ。私は到底受け入れられないし、それではもう別の宗教だ。たぶん師匠も必要無いと言うのだろう。

目的地に着いてしまえば、地図はもう要らないと言っている様に聞こえるが、禅宗もその様な事を言っていなかっただろうか。

アルベア氏のブログは私もチョコチョコ拝見しているが、正直言って内容の半分くらいは理解出来ても、あとの半分は十重二十重のベールの彼方の出来事だ。私には何かが動いているのがようやく認識出来る程度だ。
参考にするのはいいが、信じ込むのは大変なギャンブルだと思う。

不立文字、以心伝心、教外別伝という禅宗用語が頭に浮かんでしょうがない。

天台宗の本覚思想も頭に浮かぶ。
人間は元々仏なのだから、その事に気が付きさえすれば良いのだ、という思想に似ている様な気がする。

天台宗といえば像法時代の正法。末法になったからといって、そんな簡単に破折出来る様ないい加減なものではない様だ。
たとえ大聖人の弟子であっても初心者は、天台宗学を学ぶ事を禁じられていたほどだ。
その精緻な論理に、どうしても引っ張られてしまうからだ。

天台宗は去年の暦。それに対してアルベア論は、いわば来年の暦の様な気がする。
来年の暦ならまだ良いが、10年後100年後の暦だったら大変だ。保証は何も無い。
地涌の菩薩が大挙して、本当に今出現するかどうか、やってみなければ分からない。

古今東西、優れた学者、芸術家、職人、アスリートに至るまで、何らかの悟りを得る人は少なくない。
アルベア氏の論も、何らかの悟りを得た人のものだとは私も思う。
頭を絞って捻り出したものではなくて、自然に溢れ出した感じがする。

大聖人は悟りを得た時、その悟りが本当に最高の悟りなのかどうかを何度も検証された様だ。
同じ悟りと言っても声聞、縁覚の悟りなのか、菩薩の悟りなのか、仏の悟りなのか。
そこが重要だ。

大聖人は竜の口・佐渡流罪を乗り越えられ、その姿を見せる事によって御自身が御本仏であると証明された。刀杖の難と言っても杖と刀は全然違うのだ。
悟りを開き国家権力の弾圧を受けた偉人は多いが、首を切られる寸前から生還し、結局国家権力に謝罪させた人など大聖人以外私は知らない。

御本尊、題目、師匠は絶対に必要だ。
組織も必要だが、今みたいに公明党支援を強要している間は、かえって邪魔になるだけかも知れない。

アルベア論は右脳に偏りすぎだ。左脳の考える事は全て愚考だと言ってしまったら、そこで終わりだ。
私には今の世の中、題目も唱えず成仏出来るほどの機根が整っているとは、到底思えない。かえって悪くなっている。
題目を唱えず成仏出来る時代など、永久に来ないだろう。成仏と非二元?の悟りが同じものと、私は思っていない。





 

時 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)12時44分12秒
  時  様 投稿日:2018年 1月 9日(火)11時59分35秒

Q⇒現学会の現実の現象に感心していないアルベア様の心情に近いものとして、先生の言葉を引

き合いに出しているようですが、

A⇒「引き合い」と言えば引き合いです。

Q⇒そうすると、アルベア様は、先生は50年前から「広宣流布」というもの自体を、否定的に

捉えていたと解釈している、という事でいいのでしょうか。

A⇒当時の私の質問に対する先生の回答ですので、その意図は当時わかりませんでした。今は、

多くの方々が指摘なさる創価の腐敗・堕落が現象化しています。腐敗・堕落を見て思い出したの

が他の宗教教団と同様な状態となるとのことでした。

当時から否定的ではありません。

視点が自然に変わってきたという事です。


さてほとんどの学会員は「広宣流布」を目指しているわけですけれども、

「自我機能」の「思考・概念」で見ると目指す対象となります。

「自己機能」の生体現象という視点で見ると「広宣流布」は既に達成しているのです。

「広宣流布」とは用語・言葉です。思考の概念です。頑なに条件づけられた状態になると真意は

読み取れないのです。それが古今東西の宗教の旗印なのです。

「広布のため」という条件付けられた思考・概念が多くの会員をむしばんでいるのです。

「体感・体験者」がいないからです。

多くの方々は「アルベアには微妙な一念のズレがある」と見ていると思います。「思考・概念」

の世界では異なりが常態化しています。

だから読み手の方々から見れば「退転の輩」になるのです。作用反作用です。

歓喜なき創価の現象をどう見るのか、54年の現象をどう見るのか、見るにも「思考・概念」と

「生体現象」の見方があります。

「漫画 君たちはどう生きるか」がヒットしています。古くて新しい問いかけの現象です。釈尊

の時代から「思考・概念」は循環している現象なのです。

「諸法実相」として見る眼差しを得るならば了解は可能です。知識の理解ではなく、どこまでも

「体感・体験」によるものです。体感知と言います。

私たちは「物語」「ストーリー」「エピソード」として現象を見てしまいます。しかし、その

「物語」「ストーリー」には常に生命現象があることを「思考・概念」では排除されてしまうの

です。

「21世紀は生命の世紀」と言われていますが、それは一人一人の「体感・体験」のことだと思い

ます。「思い込み」「信じ込み」「上書き」ではない自身の体感の事です。

いろいろ疑問が浮かんでくると思いますが、自分自身で思索してみて下さい。ご質問有難うござ

いました。

 

月こそ心よ 花こそ心よ

 投稿者:dekahappy  投稿日:2018年 1月 9日(火)12時13分11秒
  アルベア様はじめ皆様の投稿。
動執生疑ですね。

各機能の癒着をたちきる為の、自我機能、自己機能、意識機能の立て分けの俯瞰の視座の提示ありがとうございます。

今、私の友人、周りにも、うつ等の病の方がたくさんおります。
お題目唱えなさいでは、対応難しいんです。
どうしても自我機能、ストーリーの世界に入り込んでしまいますから。

私にとってこの方々と歩むことも折伏と思っております。

自我機能、自己機能、意識機能を立て分られる方は、各人の選択の問題と存じます。しっくりくることをされるのが良いのでしょう。

なんのこっちゃ?と思われていらっしゃる方もいるかと存じます。
更に当たり前じゃん!なんのこっちゃ?と思われてしまうかと存じますが、私の感覚、体感は次のような感じです。(コトバにするのは難しいんですが・・頑張ってみます)

朝。太陽が登ります。
池田先生は、30年前、高等部時代の私たちに、
「君たちは 午前8時の 太陽と
 恐るるものなく 今日も 登れや」
とお歌を下さいました。

太陽が光の翼を拡げ、全てを照らし、暖めぐんぐん登りゆく姿。
誰に頼まれず、坦々と自らの軌道を進みゆく。

夜。月が浮かびます。
優しく私を照らし、満ち欠けを繰り返しながら、時に冷たく感じるその光は、再生の姿を教えてくれる。

星々は、大きく、鋭く光もの。小さく、静かに光もの。白く、青く、赤く、金色に光もの。
それぞれがそれぞれの光をありのままでみせてくれる。

そして、みている私も、受け入れ太陽と月と星々を照らしている感覚は、自己機能。

照らし、照されている感覚、体感。
そして、その両方の関係、全体性をみている感覚。

何キロメートル、何光年離れていて、体感温度は何度で、月の満ち欠けは太陽と地球の位置関係とかは、思考の次元です。感覚・体感ではありません。

(しかし、この思考の次元があり、俯瞰の視点が準備されることもあると思います)



飛躍と思われてしまうかと存じますが、
御本尊のことも一緒なんです。

戸田先生の獄中の悟達。
人間革命第5巻烈日の章の街中での悟達体験(この時、戸田先生は街中ですから、お題目はあげておられません)

また、非二元。自己超越。至高体験。神秘体験。実存解明。
各宗祖の悟り。
同じところ重なり合うところがあるように私は思います。

しかし、時代と権力に対峙する仕方、表現が違うと思います。これも私の感じ方です。


創価ルネサンスの時代。御本尊下付がない時代が一時期ありました。

拝まなければ物体。信じれば仏。あってもなくてもよいというような主旨を池田先生は同中でお教え下さいました。その後、日寛本尊下付がはじまり本尊論の話題は表にでなくなりました。

私たちの時代の問題として、宗門の時と同じく御本尊下付の問題があります。
だから何とかしなければとそれぞれがそれぞれの振る舞いをするのでしょう。
違いを指摘するのではなく、
智恵を出し会う、共有する関係でありたいですね。

(このあたりを次の時代の為に、整理、準備されていらっしゃる方。時がきましたら、ご教示の程、何卒、何卒、宜しくお願い致します。)

違いを許せない、査問、除名と、組織存続の為と頑張っている方。監視されている方。役割とは言え時代遅れですよ。


実体論ではなく、関係性そして体感に移行する時にきているのでしょう。

書籍「21世紀文明と大乗仏教」での各講演での、主客未分化の慈しみの境位を初めとする関係性の視座の哲学的側面。

「法華経の智慧」での組織とか宗教とかかたちを越えた人間としてとらえる側面。

そして、老と病をお示しくださるお姿。

先生は全て教えて下さっていると存じます。


私も、いつも忙しくしている一サラリーマンで、小学生と保育園の子供を持つ父親であり、私にとって恩義のある学会を何て事してくれるのかと怒ってしまう、反応してしまう煩悩一杯の一人の人間です(笑)

皆様の投稿に感謝致します。ありがとうございます。
自らの軌道を坦々と進みながら、私も私の立場で頑張って参ります。

最後に、大好きな白米一俵御書をあげさせて頂きます。
「法華経はしからず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候

 爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」










 

広宣流布が進むと?

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 9日(火)11時59分35秒
編集済
  「池田先生に質問しました「広宣流布が進むとどうなるのですか」

先生は答えてくれました。

「今の禅宗・真言・念仏宗や神社のような状態になるんだよ。」と、

当時は「へ~、そうなのか、学会も同じようになるんだ」と

50年経過し、その意味が現実の現象として起きているのを感じています。」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78217



アルベア様に質問です。

よろしくお願いします。



現学会の現実の現象に感心していないアルベア様の心情に近いものとして、先生の言葉を引き合いに出しているようですが、

そうすると、アルベア様は、先生は50年前から「公宣流布」というもの自体を、否定的に捉えていたと解釈している、という事でいいのでしょうか。
 

本末転倒

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 1月 9日(火)11時49分14秒
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180109-00000014-jij-pol
与党、首相出席の削減狙う=「追及逃れ」と野党反発―国会運営見直し (時事通信) - Yahoo!ニュース(1/9(火) 7:03配信)

ヤフーニュース記事冒頭

『与党は22日召集の通常国会で、安倍晋三首相の常任委員会への出席削減など国会運営の見直しを提起する方針だ。』とある。

安倍首相は独裁政治を推し進めてる状態なのだから、全て自分で思うようやりたいということなら全部責任がかかる運営という当たり前の事態を招いているにもかかわらず、出席を削減するという意味不明な内容。


『野党側は通常国会で、学校法人「森友学園」「加計学園」の問題に加え、スーパーコンピューター、リニア新幹線工事をめぐる不正などの解明を迫る方針。』

いや~たくさん疑惑があるねぇ
もう笑うしかないなこりゃf^^;

『「丁寧に説明する」とした昨年来の首相の発言』の件はどうなったのでしょう?
安倍首相は丁寧に説明する機会すらなかったように見えるのだけど。

それで、見直しの理由
『他の先進国と比べて首相出席が多い現状を挙げる。自民党の調べによると、安倍首相は2016年に89日、計376時間出席。これに対し、ドイツのメルケル首相は14日、計34時間(15年)、英国首相は37日、計40時間(16年5月から1年間、キャメロン、メイ両氏の合計)だったという。同党幹部は「今のままでは首脳外交で出遅れてしまう」と話す。』

首相の独裁政治をしようとするなら、なにかにつけ首相がいないことには政治が回っていかない構図になることでしょうね。
しかも、その政治がうまくまわってないならなおさら出席日数は増える一方でしょう。

出席日数を減らす方法はありますよ?
安倍さんが政治家を辞めることです。
いま辞めるなら安倍さんもダメージ少なくていいのでは?
「引き時」を間違えると一生取り返しのつかないことになるかと。
いま辞めないと「証人喚問」にご自分が出るハメになるかも。

気になった部分も
『14年に自民、公明両党と民主党(当時)などは、党首討論を月1回開催する代わりに、首相の予算委出席を減らすことを申し合わせた。しかし、野党側は予算委で質疑時間を確保することを優先したため、合意は形骸化。17年の党首討論開催はゼロだった。』

【17年の党首討論開催はゼロだった】なんてね。
安倍首相は党首討論を開きたくない、というホンネに感じるのだけど?
単純に「時間がない」ほど激務だからということであれば、「時間がない」ほど激務になる政治運営してるのってダレなんですか?って話。

もう本末転倒やん。
安倍首相は「逃げ」になりだしたね。
強引な運営をやるしか能がないのは「逃げ方」を知らないから。
「引き際」ともいいましょうか。

古来より「引き際」を誤って人生を潰した人物は数しれず。
すでに「総理の後釜」を狙って自民の議員は動き出してるようね。

「終わった」と感じたのでしょう。
福運を食い潰した人生の成り行きをもう少しご覧いただけるでしょうか。
安倍首相の夫人は「普通の主婦」な印象であったけれど、旦那の横暴と悪政のトバッチリで今後は世間の目が厳しいでしょうか。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、埼玉で新出発の区県長会、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 1月 9日(火)09時32分3秒
  おはようございます。原田怪鳥様、埼玉が「広布の旗」高く、原田怪鳥様と共に新出発の区県長会の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

あれれぇ~、原田怪鳥様、埼玉文化会館の訪問日時が間違ってマスよぉ~(笑)

1月8日じゃなくて、1月16日じゃないんデスかぁ~?、午後3時にピンポイントでお願いしまぁ~す(爆)

ナニやら?「鉄桶の団結」が埼玉の使命であ~る、とか御指導されたみたいデスが、

「鉄桶の団結」のタメに、1月16日午後3時に「査問」されるんですねぇ~(笑)

ゼヒとも、「じ・き・で・し」たる原田怪鳥様には、先頭に立って「鉄桶の団結」のタメに「査問」に同席して頂きたいモノでぇ~す(笑)


それと、原田怪鳥様に一言お詫びを申し上げまぁ~す(笑)

昨日、小生は「いままでで、6章を収録した巻がありマスたかねぇ~(笑)」と発言しマスたが、調べてみたらありマスたぁ~(笑)

人間革命12巻が、「涼風」「宣言」「憂愁」「後継」「寂光」「新黎明」と6章収録されてマスたぁ~(笑)

執筆チームの皆さ~ん、これで、まるで前例が無いワケではないコトがハッキリしマスたので、頑張ってくださぁ~い(笑)

ただし、「新黎明」は他の章よりも、かなり短めデスので、「誓願」も短めにしないと、ホントに1巻ではまとまりませんよぉ~(笑)

くれぐれも、「師匠がつづってくださった正史」なんデスからぁ~、省略・書き換え・書き足しの無いようにお願いしまぁ~す(笑)

今はどうか知りませんが、昔はよく、小説「人間革命」を切り抜いて読んでいらっしゃった方が大勢いたモノでぇ~す(笑)

「あれれぇ~、珍聞掲載の『正史』と、製本された『正史』が違うぞぉ~?」などという問い合わせが無いように祈るばかりでぇ~す(爆)


ともあれ、原田怪鳥様、「引き続き楽しみにしてください」などと、およそ先生の発言としては似つかわしくない表現デスが、

「師匠がつづってくださった『正史』」なんでしょうからぁ~、くれぐれも、省略・書き換え・書き足しなく、

製本・発売して頂けマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 

本日の新・人間革命(6267)勝ち鬨二十六 の補足

 投稿者:原田乞食根性学会  投稿日:2018年 1月 9日(火)08時12分55秒
  「最も苦しんだ同志のところへ駆けつけよう!一人ひとりと固い握手を交わす思いで、全精魂を込めて、生命の底から励まそう!」
ちょっと長い表現で違和感ですが、後半のところで、「伸一は、そうした報告を受けるたびに、胸が張り裂ける思いがした。」ってところの方が更に違和感ですよねー

もう既に池田先生は名誉会長で、会運営の全権指揮者はアキヤ会長なのです。何やってたのか?この時に!と言う事ですがね。
昭和56年?ダーハラは愛人作って北海道に逃げて、タニガーは学生部(千葉担当)で都内で毎晩374919リンカーンをやってた時ですよね。
そして、今で言う組織の本部長、支部長は知らぬ顔で、「まあ、仕方がない、池田が悪いんだから」とか「お寺には逆らえない、我慢するんだ」って言ってたと、多宝会の古い幹部の方が言ってましたよ。

つまり、この新人間革命のこの時代、アキヤは池田先生を貶めるために、盛んに週刊誌に情報を垂れ流し、ダーハラ・タニガーは女狂い三昧て、組織から逃げていたと言う顛末ですよねー
ちゃんと、書いて欲しいですね!今の大患部の有り様をね!
 

わが友に贈る 2018年1月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 1月 9日(火)07時24分43秒
  わが地区の躍進は
充実の協議会から!
皆の意見を大切に。
ポイントを絞って
時間を有効に使おう!
 

ペロ様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)06時11分49秒
  アルベア様が悟達に至る過程においての具体的実践法は

ラジオ体操と律動法(に準ずるもの)が主軸であり、

Q⇒御本尊にお題目を唱える具体的実践は

必要不可欠なものではなかったとの認識でしょうか?

A⇒自然と必要なくなったというのが適切です。なぜならば「思考・概念」でいくら実践しても

現象化はではなく、その多くは空題目になってしまうからです。自身が生命現象としての南無妙

法蓮華経の当体と認識⇒体感すればいい事なのです。


Q⇒今現在は、御本尊にお題目を唱える実践は、全く行っていないのでしょうか?

A⇒行うか、行わないかではなく、自然になるようになっていく世界にいるということで、「あ

あ、この現象が南無妙法蓮華経なんだ」という感覚にいます。思いついたら題目を唱えますが、

必死というより、湧き出てくる想いを見るという感覚で実践していますが、日蓮系の唱題行は

「思考・概念」の次元では無駄だと感じています。

Q⇒「ブッダ以降の仏教各派の教祖の面々は「思考・概念」で全てを捉えていたのです。」との

ことですが、

アルベア様は日蓮大聖人も「思考・概念」で全てを捉えていた、との認識でしょうか?

A⇒そうです。

Q⇒また、戸田先生の獄中での唱題行の実践による悟達も「思考・概念」で全てを捉えていた、

との認識でしょうか?

A⇒そうです。

人は誰でも「思考・概念」で道を歩み出します。その過程での体感・体感により「気づく」ので

す。「悟り」「非二元」「悟達」などの用語は言葉・単語にしかすぎません。むしろ「気づく

事」「気づき」という言葉がスッキリします。

特別視する思いが「悟り」「非二元」「悟達」という言葉を作ったのです。特別視とは「対象

化」する意識の働き作用を言います。

以上、アルベアのスタンスです。
 

カエル 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)06時08分15秒
  カエル  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時39分15秒

Q⇒「あなたの求めているものはなんですか?」(趣旨)という質問に対し、

池田先生は「久遠元初の法です」と答えられました。

この時先生は「ご本尊」とは答えず「久遠元初の法」と言われた事が印象に残っています。

戸田先生は「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」と言われました。

宗教の創始者は皆「久遠元初の法」=「非二元」を体感されていたのだと思います。

この「久遠元初の法」を「南無妙法蓮華経」というお題目で表現され、

物理的な存在として「ご本尊」残されたのが日蓮大聖人だと、

個人的に解釈しています。

A⇒そうです。カエル様の「個人的に解釈しています」ということが、エネルギー変換による個

人の思考・概念による解釈仮説なのです。私たちは「思考・概念」の条件付けで意図的に作られ

ているのです。エネルギー還元の方法として大聖人は御本尊を現象化したと言えます。なぜなら

ば、私たちの世界は常に相対的現象・現実」の世界だからです。つまり、絶えず「対象化」

「「モノ化」「擬人化」の働き作用がおきているからです。

戸田先生の「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」とは、大本教の出口王

仁三郎が霊界物語で語っています。ちなみに牧口先生・戸田先生は元々出口家と姻戚関係にあり

ました。

小説人間革命には「遠い親戚をたより牧口先生宅にお邪魔した」との趣意が描かれています。お

二人ともに創立以前の事です。牧口先生が思想遍歴していた時のことです。

「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」とのことは、当然、霊界物語を読

んでいたことが推察される時代状況にあったと言うことです。

池田先生は誤解を招く事実をあえて言わなかったのです。「体感・体験」すると自然に見えてく

るのです。

A⇒いったん非二元を体感(悟る)すると、来世はもう人間としてこの地球に生まれる事(必

要・必然)はないのでしょうか?

Q⇒どうでもいい事として感じられるようになります。「必要・必然」は「思考・概念」の言葉

による意識の縛りとして作用してしまうからです。過去の経験による「思い込み」がカエル様の

質問をもたらせているのです。カエル様の解釈仮説です。

A⇒非二元(ワンネス)を体感すると、過去生のカルマ(直線的時間軸での)は解消されるので

しょうか?

Q⇒ワンネス・カルマは「中現界」(あの世)の事です。「カルマ」と意識すれば「在る」にな

るのです。意識しなければありません。意識は極めて電磁的・量子力学的振る舞いの現象だから

です。

Q⇒アルベア様にとって「師弟」の意義とは?

A⇒大聖人が民衆救済のための具体的方法として法華経の身読から体感なされた教育方法です。

芸の世界・武道の世界などでは「道」を歩む者の案内人と旅人としての師弟関係があります。創

価の師弟も同様です。ちなみに創価の「師弟」は入会以来条件付けられてきた「思い込み」「信

じ込み」「上書き」です。なぜならば「思い込み」でなく体感した師弟関係であるならば54年問

題は起きていなかったということです。

創価で言う師弟関係はあくまでも「案内」「ナビ」にしかすぎません。または支配と服従の関係

に転化されている事が、そこ、ここで現象化しているだけです。

私のスタンスとして「師弟」という意義は消失しています。必要な人は必要でいいのではと思い

ます。

ちなみに「自我機能」「思考・概念」から離れる事を体験すると自然治癒力が活性化され全ての

病・悩みは自然に回復改善します。それが「生命」という「法」の働き作用なのです。


 

生涯&広布一筋兄弟さん、正月早々から出張でご苦労様です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 1月 9日(火)03時34分18秒
編集済
  生涯&広布一筋兄弟さん、正月早々から出張でご苦労様です。

仮面には笑えましたが、「ヘイト発言だーーー」と、怒られないか心配です。(*^^)v
日本は家族離れで、年寄りは大変な思いをしていると思います。
政治家がだらしないと、こういう事になりますよね。

私は2世帯住宅で若嫁の反対で犬が飼えない、ウサギもダメと言われて肩身が狭い思いがしていま
す。

アルベアさん、蘭夢さん、カエルさん、ベロさんのコメント読ませていただきました。

>螺髪さん・・・やっと、アルベアさんのいう意味が解りました。

へーそうなんだ!、(標準語)、そやろなーー(大阪弁)、じゃっどかい(鹿児島)
私もやっとアルベアさんの自我機能・自己機能の違いが分かったような・・・きがします。
螺髪さん→四条金吾では・・・。

今日の書き込みを読んでいて気付きががありました。
素晴らしく・・読み応えのあるコメントが、いっぱいで、なかなか寝られないような気分です。

世界広布には、ご本尊、題目、組織、ご供養、教学、役職者、指導幹部、いるのかいらないのか考え
時です。

そのように考えているとき、今日の桜の城に池田先生の下記のような御文がありました。

七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立

八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉

このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとること
を決意する。

人間主義の哲理とは何ぞや・・・。
まして、新しき人間主義???、日蓮大聖人の教え・・・、一念三千が人間主義ではないのですか。

池田先生は法華経の智慧で人間主義を教えられています。

この人間主義を世界に広めるのが、世界広布と思います。

法華経の智慧六巻 まなこさんへ感謝!!

名誉会長:
 相手にあわせて自在です。自由自在であり、自由奔放です。
人を鋳型にはめて、ロボットのような人間を作るのが宗教ではありません。ロボットのように縛られ
た生命を解放するのが仏法です。

妙音の三十四身とは、創価学会が、社会のあらゆる分野で、多角的に、また立体的に行動している正
しさの証明です。
分野は違っても、すべて「慈悲」です。「人間主義」です。「悩める人の最大の味方になっていこ
う」という炎が燃えていなければならない。それがなくなれば「妙音」ではありません。

斉藤:
 かつてヤコプレフ博士(ベレストロイカの設計者)が、池田先生の行動を見て、こう言われていま
した。ドストエフスキーの「美は世界を救う」という言葉について、この「美」とは「人間主義」の
ことではないか ?- と。
「人間主義」で、社会のなかへ、社会のなかへ入っていくことですね。

名誉会長:
 それが「美」です。それが「妙音」です。それが「法華経」です。学会の行き方は絶対に正しい。


法華経の智慧五巻
■ 「人間」以外に「仏」はない
名誉会長: 立派そうな格好をしている仏は「夢の中」の存在だというのです。
実在しないのです。本当は、ありのままの凡夫が瞬間瞬間、久遠元初の生命を身にわき立たせていく
のが、唯一、実在の「仏」なのです。

「人間」以外に「仏」はないのです。「人間以上」の「仏」は、にせものなのです。

方便なのです。だから、人間らしく、どこまでも人間として「無上の道」を生きていくのが正しい。
その人が「仏」です。

それを教えているのが、法華経であり、神力品の「上行菩薩への付嘱」には、そういう「人間主義の
仏法」への転換の意義が含まれているのです。

「日蓮と同意ならば」と大聖人が仰せのように、広宣流布を目指して進むわが同志こそ、現代におけ
る「仏」です。
それ以外に、「仏」はない。ゆえに学会員を己のために利用する仏罰は限りなく大きい。

学会員のために、学会員の幸福を目的として尽くしていくときに、無量の功徳が花開いていくので
す。
 

桜の城 『師と共に』

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 1月 9日(火)03時26分41秒
  桜の城 『師と共に』

「創価の世紀」の開幕)

日に日に新たに

三十歳まで……仏法の研鑽と実践。病魔の打破への闘い
四十歳まで……教学の完成と実践の完成
五十歳まで…社会への宣言
六十歳・・・日本の広布の基盤完成

しかし、日記には、六十歳から先のことは、触れていない。それ以上、生き抜
けるとは、当時の私は、とうてい、考えられなかったからである。

私が体調を崩し、検査入院したのも、恩師の逝去の年齢にあたる五十八歳が、
目前の晩秋であった。

先生がご存命ならば、間もなく九十八歳。先生の命を分けていただいての、わ
が「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみ思う。

かのユゴーは、七十歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、
七十歳の頃、名作『復活』の執筆に没頭した。

牧口先生は、七十歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論
戦の火蓋を切られた。

私も今、『新・人間革命』第八巻の執筆に余念がない。

間もなく、連載も再開となる。

ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如く
なる哉。

七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立
八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉
このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとること
を決意する。

ゲーテは、七十余歳の時の詩にうたった。
「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』
何でもないことさ つねに大いなるものに喜びを感じることだ」(「不老長寿の
薬」内藤道雄訳)

わが生涯は、広宣流布への大いなる旅路。

眼前には、二十一世紀の、希望の山並み。

"第三の人生"とは"第三の青春"の異名である。

「日に日に新たに、また日に新たなり」(『大学』)
この一年も、勇猛精進の日々をと、断固と誓う。

P30
 

アルベア様

 投稿者:ペロ  投稿日:2018年 1月 9日(火)02時48分37秒
  真摯にお答えいただき、誠にありがとうございます。

引き続き、質問させていただきます。



「私は、お題目・御本尊・組織等は必要ないと至ったのです。」とのことですが、

アルベア様が悟達に至る過程においての具体的実践法は、

ラジオ体操と律動法(に準ずるもの)が主軸であり、

御本尊にお題目を唱える具体的実践は

必要不可欠なものではなかったとの認識でしょうか?



また、既に悟達に至っているアルベア様は、

今現在は、御本尊にお題目を唱える実践は、全く行っていないのでしょうか?




「ブッダ以降の仏教各派の教祖の面々は「思考・概念」で全てを捉えていたのです。」とのことですが、

アルベア様は日蓮大聖人も「思考・概念」で全てを捉えていた、との認識でしょうか?


また、戸田先生の獄中での唱題行の実践による悟達も「思考・概念」で全てを捉えていた、との認識でしょうか?

 

(無題)

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2018年 1月 9日(火)01時01分24秒
  世界中でアベだけになった】暴露本で窮地に陥るトランプ。
言うことがコロコロ変わる可能性があるが、南北対話に期待し、自身も対話の用意があると述べた。
こうして見ると、「対話の為の対話は無意味」と言っているのはアベだけ
戦争がしたいのか。


政治系の米国紙「POLITICO」でも伊藤詩織氏の件とりあげてる
TBSワシントン支局長だった山口敬之の準強姦逮捕状執行停止、検察審査会の闇を取り上げない、
日本のマスメディア、記者クラブ。
バレてるよ、なんで報じないのか。
皆、知ってる。恥ずかしくないのかな、こいつら。


サガワ辞任を立憲民主党の枝野代表が確定申告前にサガワ国税庁長官の辞任を求めた
当然だ。
昭恵夫人、谷サエコは逃がし、加計孝太郎、山口敬之は逃げ、
籠池夫妻、は監獄に閉じ込める。
特別検察官を設置してロシアゲート事件を追及している米国をなぜ真似しないのか。


安倍首相と会食したネトウヨ経済評論家・三橋貴明が10代妻へのDVで逮捕!
会食が税金による接待だったことも発覚


ほほう、安倍晋三が芸能界やスポーツ界の著名人を集めて連日のように開催している食事会って、
安倍晋三のポケットマネーじゃなくて、あたしたち国民から巻き上げた税金で行なわれてたのか!
多い時は「一晩で100万円以上」って、ふざけんな!この税金ドロボーが!
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時54分12秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

アルベア様、質問させて下さい

 投稿者:カエル  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時39分15秒
  「あなたの求めているものはなんですか?」(趣旨)という質問に対し、
池田先生は「久遠元初の法です」と答えられました。
この時先生は「ご本尊」とは答えず「久遠元初の法」と言われた事が印象に残っています。
戸田先生は「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」と言われました。
宗教の創始者は皆「久遠元初の法」=「非二元」を体感されていたのだと思います。
この「久遠元初の法」を「南無妙法蓮華経」というお題目で表現され、
物理的な存在として「ご本尊」残されたのが日蓮大聖人だと、
個人的に解釈しています。

僕は個人的な興味から、多少スピリチュアルな書籍も読んできました。
地球に生まれた生命・人間は皆、もともと何不自由ない高次元の生命体から、
あえて、3次元という「思考・概念」の制限のある環境の中で、
「喜怒哀楽」を体験したいとの想いで、
この地球に生まれ、善悪の「業」つみ「輪廻転生」をかさねてきたのだと、
個人的に解釈しています。

そこでアルベア様に質問したいのですが、
いったん非二元を体感(悟る)すると、来世はもう人間としてこの地球に生まれる事(必要・必然)はないのでしょうか?
非二元(ワンネス)を体感すると、過去生のカルマ(直線的時間軸での)は解消されるのでしょうか?
アルベア様にとって「師弟」の意義とは?

ぶしつけな質問ですみません。
うつ病の僕は、今世において「相対的幸福」の追求は卒業しました。
僕の初心の功徳であった「生きている事が楽しくてしょうがない」という
「絶対的幸福」で今世が終われば良しと思っています。
また、変な言い方かもしれませんが、
「いつか死をむかえる」と思うとある意味、ワクワクします。
今の僕にできる事は、利他の振る舞い、行動を心がける事のみです。
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時55分58秒
  23時に開始します。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
体調を崩している方は無理をなさらず、早めにおやすみください。
 

参加したある会員さんの感想は以下の通り

 投稿者:査問鳳作  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時46分5秒
  「それはつまり、感謝という美徳と先生を利用し組織に服従を求められているようだにゃと感じた次第です。」

これは「感謝の強制」ですかね?

その前にテメェら職員は会員にまず懺悔しなさい。
 

新年勤行会某方面での大変にありがたいご指導(笑)

 投稿者:査問鳳作  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時39分1秒
  2018年新年勤行会に於ける総区長(当然職員)ご指導(要旨)

※総区長は挨拶の中で○○総区同志に「三つの感謝」を大切にと指導。

先生と共に戦える感謝。
学会の中で戦える感謝。
○○総区の同志と戦える感謝。

だそうです。以上。
査問鳳作
 

お題目と御本尊は不要なのか?

 投稿者:蘭夢  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時14分6秒
  お題目と御本尊は不要なのか?
何やら、おもしろい話が交わされていたので

およそ、大聖人の仏法、まぁ、創価の認識であれば
絶対必須、信仰の根本であるわけですが

では、大聖人御出現以前は、どうなのか。

はたまた、まだまだ広宣流布されていない土地では、どうなのか。

お題目とは、何か。

御本尊とは、何か。

全て、何かを顕わしたものであるということ。

以前、東北の人々のことを思い、どういう言葉をかけてあげれば良いか
悩んだことがある。

どの言葉も合わなかった。

その時、全ての心を言いあらわす言葉として行きついた言葉。
それは「南無妙法蓮華経」という言葉だった。

その時、このお題目の意味の深さ、重みを感じた。

御本尊もまた、顕わされたものであり、仏の生命というものを顕わしたもの。

けれども、それらは、僕が、そのように認識し、信じるということで初めて成り立っている。

この事が大切、あくまでも、信心、一念で成り立つ。

だから、僕の場合は、ラジオ体操と律動法ではなく、御本尊にお題目を唱えるという行為の方が、都合が良い。

けれど、御本尊が無い、またはお題目を知らないというのであれば、別の方法、手段があってもおかしくはない。

御本尊必須、「南無妙法蓮華経」でなければダメということでは無い。

だって、それらは影。凡夫ではわからないから、形ある概念として大聖人が顕わした。
もし、その本質を捉えているならば、概念にこだわることなく、それはそれで良いと思う。

でも、やはり、「御本尊」、「南無妙法蓮華経」にある種のアドバンテージがあると僕は思う。


最近、ちらりとスピリチュアル系の動画を見た。
「何をしていても楽しい、空気を吸うだけで喜びが湧く」なんて言葉を聞いた。
あぁ、戸田先生の言葉にもあったなぁ、仏の境涯の説明で・・・・・

創価の中で、今、そのように歓喜を語れる人は、どのくらいいるのだろうか。

スピリチュアル系の動画でも見た方が、元気が出るなんてことになっていないだろうか。

やはり、宗教という枠組みを超える時がきているのかも知れない。

広宣流布後の未来
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49314

 

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