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大相撲行司セクハラ事件、式守伊之助の言い訳に潜む「2つの問題点」

人権よりも協会ルールが大事なのか

これは「セクハラ」なのか

元横綱日馬富士の暴行事件の騒動がまだ収まらぬ中、今度は現役最高位の行司・式守伊之助によるわいせつ事案が明るみに出た。

報道によれば、冬巡業中の沖縄で、未成年の若手行司に対し数回キスをしたり、胸を触ったりするという行為に及んだという。被害者となった行司は、ショックを受けてはいるが、被害届を出す意向はないとのことだ。

相撲協会の危機管理委員会にはただちに報告がなされ、関係者への事情聴取も実施されたというが、発表されたのは1月5日になってからのことであった。

このような事件があると、「セクハラ」という報じられ方をするが、この事件は強制わいせつの可能性もある犯罪である。しかも、相手は未成年であり、職務上部下に当たる弱い立場の者に対してなされた卑劣な行為である。

セクハラなどという軽い言い方で片付けてはいけない。

前の騒動も収まらないうちに、しかもまた酒席での不祥事であることや、事もあろうに行事の最高位という責任ある地位にある者が……ということで大きな顰蹙を買っているわけだが、私はこの事件にはもっと根深いものがあると思う。

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「泥酔」という言い訳が許されるはずがない

私が問題だと思ったのは、この事件に対する本人の釈明である。本人は、「泥酔していたので覚えていない」「自分は男色の趣味はないので、なぜこのような行為をしたのかわからない」と述べたという。

まず、酒の上でのことだと言って逃げることは許されない。

本人が所属している部屋の宮城野親方は、「酒を飲むと正気を失うことがあった」と述べているように、彼は過去に何度も酒の上での不始末を行ってきた過去があるようだ。

だとすれば、真っ当な分別のある大人であれば、酒をやめて自らの行動を慎むのが当たり前である。それができないならば、アルコール依存症である。

世界保健機関(WHO)によるアルコール依存症の診断基準には、「飲酒の開始、終了、あるいは飲酒量に関して行動を統制することが困難」「明らかに有害な結果が起きているにもかかわらず飲酒する」という項目が含まれている。

 

親方の証言が事実ならば、彼はアルコール依存症の疑いがきわめて強い。だとすれば、このような事件を起こす前に、治療を受けることも本人の責任だった。

それを放置または軽視しておきながら、大事な巡業中に正気を失い、記憶を失うほどまでの深酒をし、不始末を犯してしまったことに対して、「泥酔していた」と言い訳にすることが許されるはずがない。

酩酊下で事件を起こした場合であっても、そして飲酒が事件の原因の1つであったとしても、それは「原因において自由な行為」であるとして、その責任は帳消しにはされない。

つまり、その「原因」を作ったのは本人の責任というわけである。飲酒するかどうか、どれくらい飲むか、これらを決めて実行するのは、本人の自由であり責任であったのに、それを怠ったことにそもそもの責任がある。