ゆっくりいきましょう
さて、本日は月に2回の通院日。
年明けということもあるのだろうか、予約時間から約50分待ち。
人が多く混雑した状態に置かれ続けた酩酊状態の私は、まだ何も始まっていないというのにひどく疲労してしまった。
「びびさ〜ん、たまいびびさ〜ん」
早速ではあるが、ここからはきっと話が長くなるだろうから、ダイジェストでお送りする。
医「どうですか?」
び「見ての通りです」
医「顔色がよくありませんから、寒さにやられていますね?」
び「おしっこばっかりでお◯ん◯んが忙しかったです、師走でしたから」
医「年末年始はいかがでしたか?」
び「良い時間でした。ただ、年が明けてからは調整がむつかしいですね、あ、小林幸子を見ましたよ」
医「う〜ん、そうですか。ゆっくりいきましょう」
私は、以前医療職についていたので、病気についてのことや薬剤の知識は少しばかりあるので、病後もほとんど自身の病気の説明はされない。
主治医が結びで必ず「ゆっくりいきましょう」と言い放つのは、この病が「治らない」ことの念押しであるようにも聞こえたりもする。
それを聞くたび、私は単に「ちくしょう」と思ったり「よし、このペースで」と一喜一憂する。
結局、主治医ができることといえば、注射を打つことや処方箋を書くことくらいなもので、それからどうあるかは、もちろん私自身、患者の行動ひとつひとつで予後は決まる。
「ゆっくりいきましょう」の意味は、診察室から出たあとと、家に帰ってきたあと、そして今この瞬間にも捉え方が変化している。
おそろしいほどに、どんな意味でも「ゆっくりいきましょう」なのだ。(この意味は伝わらなくてもよい)
長方形のこたつ
母と並んで清算所で待っているときにこんなことを話した。
び「私のこたつは最高に居心地がいいけれど、長方形じゃないのは納得がいかんぜよ」
母「たしかに、あなたが具合の悪い時にご飯を運びに行ったら、お盆やら食器でテーブルが埋まるものね、横に長いの探す?」
び「一人用で、そんなものがあるのか?」
母「あるでしょ〜、君のために世の中は様々な物を開発していることをしらないの?」
び「さすが我が産みの親。先人の知恵とはやはりご立派なものであります。横に長いものを探しましょう、母上」
そして私は母とホームセンターに向かった。
病院は大学病院なので、隣街。
わが町からは車で片道1時間はかかる。
通院の帰りで疲労もあったが、
この街(大学病院があるところ)の方が開けているので、「長方形のこたつ」を見つけるミッションはこの区域で終えてしまう方が簡潔であろう。
1件目。
察していただけていると思うが、「1件目」と書くからには2件目がある可能性が非常に高いということは視野に入れていただこう。
漠然と「横に長いやつ」という概念で商品を見ていたら、きりがなかった。
結論としては「横幅が105センチ」のこたつ、できれば高さが41センチのものを探した。
そして数ある商品の中から、ある一点の商品を見つけたので店員と掛け合ってみる。
び「これのダークブラウンってありますか?」
店「えーっと、ちょっと待ってくださいよ、んー、あー、これはー、そのー、す、すいません、ここにおいてあるポップは違う商品のやつなんですよ、えーっと、どれのやつだったかなぁ……」
店員ポップを持ってウロつき出す。
び「あー、じゃあブラウンでいいです。ブラウンならありますよね?」
店「あ、はい、あります。ちょっと在庫の確認をしてまいりますね。––––––––(バックヤードへ確認へ行く)えーっと、すみません。現在在庫の方、切らしてまして。ベージュしかありません」
ここまで引っ張られ(30分以上)、振り回された結果、母は「もうベージュでいいじゃない」と諦めかけた。
正直私もそう思った。
しかし、この店員の態度はいかがなものか。
いかに私が地上に舞い降りた飛べない天使であろうとも、この店員(ベテラン風)の応対に妥協してはならない。
商品は妥協できたが、接客に関しては不満足であるため、この店舗にお金を払うべきではないと私は母に主張した。
それに一番は、なんにせよ、私がその駆け引きの間でかなり疲労していたことは言うまでもない。
2件目。
先ほどよりもちょっと高級目の家具屋さんに行ってみた。
うん、高い。
そもそも「こたつ」自体がもうほぼ出払っていて、タイミング的に買う時期としては遅いようだ。
それでも欲しいときに、必要なときに物がないのは痛い。
あるのは4万円以上する高級こたつや、高さのあるテーブル式のこたつだけだった。
これはもう議論の余地もなし。
財布が薄く、部屋も窮屈な私にとっては高飛車な商品ばかりで目が回った。
3件目。
もう帰りたい。
でも、ここまで来たら本日、必ず「こたつ」を持って帰りたい。
私も母もダルダルだったので、店員を見つけるなり
「こたつありまっか〜」
と瞬時に尋ねて、
「ありません」
と瞬時に殺され、車へ引き返した。
夜空から吹き抜ける風に白い粉が混じっているのは気のせいではなかった。
4件目。
もうこの通りに「こたつがありそうな店」はないので、これが最後と決めて入店。
ああ、神様、この私に
「105センチの横幅で縦幅はたぶん75センチ、高さは41センチ以上の都合の良いこたつ」
を与えてはくれまいか。
すがるような思いで、くたびれた、腐葉土の匂いが充満するホームセンターに肩を落としながら、2人の親子が物乞いをしに行く。
こたつのコーナーが入って奥、左手にあることを母が早々に発見した。
そして、彼女は満面の笑みを浮かべてこう言ったのだ。
母「びびさん! びびさん! 長方形のこたつとはこのようなものです、よく御覧なさい」
びびたちは長方形のこたつをみつけた!(テンテンテンテンテーン♪)
ひとのぬくもりはそばのぬくもりに似ている
勇者の鎧(『こたつ』)を手に入れたびびたちは、ただ腹が減り、ただ疲弊した。
母は寒いのでラーメンを食べたいと言ったが、途中でピザが食べたいと言った。
実にどうでもいいので、「好きなところへ行くといい」と促すと、車が行き着いたのはなんと「そば屋」だった。
どこまでもきまぐれな貴婦人だと口角をあげ、肩をすくめた私だが、そこはなんと行列のできる普段は滅多に入れない超有名なお蕎麦屋さん。
私は1度だけここの味に舌鼓を打ったことがあるが、本当になかなか入ることができない。
なぜか今日は悪霊が住み着いたかのように、おそろしいほど空いている。
ぽかんと口を開ける私と、ラーメンもピザも一瞬で雲散霧消したマダムは、潔く店内に入った。
私は「エビ天蕎麦」、マダムは「卵とじうめ蕎麦」を注文したのだが、すぐになぜか「茶碗蒸し」が来た。(毒を盛られたか?)
店員は、「サービスです」とニンマリして、忙しそうに去って行った。
(実際、私と貴婦人は「銀杏アレルギー」なので、私たちにとっては毒といわれれば嘘ではないかもしれないが、嗚呼、素晴らしきサービス)
貴婦人と私は目を丸くして見つめ合っていると、「あ、これよかったらどうぞ」と大きなサラダボールに満面に守られた「新鮮な野菜サラダ」が登場。
さらになんと「麦ご飯」までついてきて、メインの蕎麦は最高に美味であったのだが、さらにさらに食後のデザートまでサービスしてもらった。
私と田舎の貴婦人は、それはそれはつまらないものばかり食べてきていますから、蕎麦の味はもちろん、その神々しいサービスに感涙した。
もちろんセットメニューではない。
私たちは「単品」を頼んだというのに、蕎麦屋のフルコースを堪能できたわけだ。
今日一日すべての苦労をねぎらってくれた、最高の食事であったことは間違いない。
至高の食事のあとに、田舎の中年マダムが軽く噯気(げっぷ)をしたことにはあえて触れなかった。
そして眠れない
ただでさえ外出が困難な私にとって、これほどアクティブに身体も思考も稼働させたのは久しぶりで、なかなかの神経の高ぶりようだ。
本当は本日中にこのブログ記事をあげるつもりはなかったが、もう勢いで書いてしまった。
通院時の診断で、私は医師にこう伝えた。
「やりたいことはあります。でも、できないことの方が多いです。でも、やめないです」
今日は、森の貴婦人(どんどん名前が変わっていきますが「貴婦人」も「マダム」もすべて私の「母」のことです)の協力もあり、欲しいものを手に入れることができた。
買い物も1人では上手にできないことも多いので、ネットで済ますことが最近は多い。
ただ、今回のように疲れ果てるまで買い物巡りをして、最後に一杯の温蕎麦をすするのも悪くはない。
私はやめない。
書くことも、
生きることも。
こたつから出ないことも……。
現場で会おうZ!!!!!
たまいびび