ブルゾンちえみやレインボーこそがこれからの笑いだという意見

shiba710.hateblo.jp

「笑い」は、いじめやハラスメントと隣り合っている。それはれっきとした事実。少なくともかつてはそうだった。「愛があるからOK」なんて擁護がされたりもした。

でも、やっぱり時代は変わりつつある。誰かを「いじる」ことは急速に「笑ってはいけない」ことに、そして「笑えない」ことになってきている。

自分がこの記事を読んで感じたのは「ユースカルチャーであるロック音楽を聴くライターとして自分が受容するコンテンツに対して『正しさ』を求め始めたら色々終わってる」ってことなんですが。



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ポリティカルコネクトレスとロックと

なにせロック、パンクってのは若者が喜ぶコンテンツに対し「正しさ」を求める親が眉をひそめるもの。
若者は正しさよりその場の快楽。
ギターのディストーションノイズ、中指を突き立てアナーキズムを叫ぶファッション。
正しさなんて二の次三の次。
意味なんかより、格好いい音を鳴らすから格好いい。
ギャングスタラップなんて過激そのもの。
今の日本語ラップもピーで消されるようなポリコネ的にアウトなものは山ほどありますが。

モリッシーはサッチャーが死んでも中指立て続けてるから正しくないとか?
リアムやノエルは差別発言も蔑視発言も多いからダメだとか?
ユースカルチャーを語るライターがコンテンツにポリティカルコネクトレスの正しさとは……色々世も末やなぁ。

何かを評価する際、感覚的評価に「政治的に正しくないから」という理由を持ち出してしまうのなら、その感覚は「若者に対して眉をひそめる賢明な大人のそれ」とどう違うのか。
疑問でならない。
大人が眉をひそめる「政治的に正しくない笑い」だって感性に合えば笑う。
そこに政治的な理由なんて求めない。
それとも「音楽と笑いは別」というのかな。

お笑いの進化

でも、お笑い番組の側だって進化している。僕はそう思う。

少なくとも日本のお笑いの「コード」はここ数年で目に見えて変わってきている。たとえばそれを象徴するのが渡辺直美やブルゾンちえみの活躍だと思う。ゆりやんレトリィバァだってそうだよね。

彼女たちは身体性やルックスを自虐的にネタにするようなこともない。周りからいじられることもない。少なくとも僕は先輩のお笑い芸人たちが彼女たちの体型や容姿を「いじって」笑いに変えようとするようなシーンを見たことがない。そうしようとするほうが「サムい」という感覚は急速に広まりつつある。
(中略)
元日の深夜、年越しの『笑ってはいけない』が終わった後に日本テレビ系で放送される恒例の番組。売り出し中の新人が多数出演する『おもしろ荘』で今年1位となったのはレインボーというコンビだった。
(中略)
実方がキメ台詞「キレイだ」を連呼していくうちに、だんだん笑いが生まれていく。最初に見たときは笑いながら「なんなんだこれ」と思ってたけど、その後に内村光良司会の『UWASAのネタ』でもう一度ネタを見てやっぱりおもしろくて、こりゃブレイクするなと思った。でも、コントの筋書き自体はよくある恋愛ドラマを模したものなので、文字起こしを書いてもちっともそのおもしろさは伝わらない。

レインボーの「キレイだ」は何がおもしろいんだろう。言い方か。顔芸か。女装した相方をひたすら褒めていることか。

今はよくわからない。ただ、番組に出ていた相方の欠点を「いじる」タイプの他のコンビがそこまで跳ねない一方、彼らがブレイクしていくのが2018年という時代なのだと思う。

ポリコネ的にダメだから古く、ポリコネ的に正しいから新しい??

ブルゾンちえみやレインボーらが
「相手の欠点をいじるネタではない」
という理解は非常にモヤる。

そもそもブルゾンちえみのネタは、過剰な化粧をしたブルゾンちえみが男を二人従え、いい女風に「新しいガム、欲しくない?」と言い放つ。
この仕草とルックス、そのギャップに笑いが生まれているのはとても重要な要素。
これはおかずクラブが舞台劇をカリカチュアライズしたような過剰な演技をあの二人が行うことで笑いが生まれるのと同じ。

さらに言えば渡辺直美にしろ、あのダンスをたとえばどこかのダンサーがやって果たしてそこにおもしろさがあるのか。
舞台役者がおかずクラブのネタをやって面白いのか、と考えれば理解できる。

レインボーのネタにしろ、もし福山と北川景子がやったならいくら過剰でもそれは笑えるだろうか。
もし笑えないとすれば、その笑いの根底にはルッキズムがある。

ただし、いじるのは「誰か」ではなく「私」であり「私たち」
表層の構造としては、自虐が一番近しい。
自虐であるからそこにいじめや差別的な視点を感じにくいだけ。
さらに「女に生まれてよかった」「キレイだ!」なんてセリフでポジティブに見せる。
が、ネタの面白さ自体はポジティブな人生賛歌ではない。

どぎつい化粧をしたどこかで見たことのあるようないい女風のブルゾンちえみが恋愛を上から目線で語るギャップ。
カリカチュアライズしたトレンディドラマの美男美女の構図を女装した男性とむっちり男が演じて見せる自虐のギャップ。
そんなギャップが生み出す、そこはかとない滑稽さ。
それが氏の言う「正しい」笑いか?

笑いは正しくなければならない、笑えない、というのは結局、そのネタを見てどこまでの正しさを求めるのか?ということでしかない。
自分がどこまで線引きをするのか、どこまでであれば許容するのか。

分かりづらい自虐であれば許せ、笑えるのもおかしな話。

笑いは多元的。
渡辺直美にしろ上記のような理由だけではなく、当て振りの面白さだって重要な要素。
ブルゾンのネタには、音ネタ的な側面もある。
レインボーだってあるあるを思わせるカリカチュアライズが笑いを誘う。
笑いの構成要素は多面的であり、複合的。
受取り側のさまざまなコンテクストにより見方も変わる。
単なる自虐でもないし、単なるカリカチュアライズでもなく、単なる当て振りでもない。
だからこそ笑いは難しい。

少なくとも日本のお笑いの「コード」はここ数年で目に見えて変わってきている。たとえばそれを象徴するのが渡辺直美やブルゾンちえみの活躍だと思う。ゆりやんレトリィバァだってそうだよね。

彼女たちは身体性やルックスを自虐的にネタにするようなこともない。周りからいじられることもない。少なくとも僕は先輩のお笑い芸人たちが彼女たちの体型や容姿を「いじって」笑いに変えようとするようなシーンを見たことがない。そうしようとするほうが「サムい」という感覚は急速に広まりつつある。

え、いや、ゆりやんって際どい水着で笑いを取ったりもしてたし、渡辺直美にしろ太ってることがいじられたり、あるいは自虐にしてなかったでしたっけ??

記事は「気づきにくい自虐ネタはいじめでも差別でもない。これからの笑いだ」みたいに読めてしまう。
では誤魔化し方の巧妙さでしか評価されないのか。

ダウンタウンが尻をしばかれるのはストレートだから面白くない、と。
ダチョウ倶楽部の熱湯風呂はストレートだから面白くない、と。
出川哲朗のリアクション芸はストレートだから面白くない、と。
そー言うことですかね。


最近、アイデンティティの野沢雅子のモノマネ漫才が好きなのだが、あまりにネットが差別だのルッキズムだの騒ぐものだから「これを笑うと野沢雅子に対するイジメの構造なのではないか」なんて余計な考えをしてしまうようになった。
笑いはとてもセンシティブであって、余計な知識や雑念はすぐに邪魔をする。
未公開を観ていたら「クリリンのことかー!」の前にベッキーのアレがあったのか、と考えて笑いが2割減になったのは言うまでもない。
本人未承諾=アウトなら、ドッキリ関連は全てアウトですね。

女のイヤはイヤじゃない

ちなみにブルゾンちえみの新ネタ「女のイヤはイヤじゃない」は「35億」に比べても面白さが小さい。
なぜかと考えれば、そこにギャップが小さいからだとわかる。

新ネタにあるのは「イヤと言いながら内心はイヤだと思っていない」ギャップなのだが、これは「35億」に比べてルックスを伴わず、行為やセリフにしかギャップが存在しない。
そもそも「自分が飲んだペットボトルの水を飲まれる」のを「女のイヤはイヤじゃない」と言われて何人くらい納得できるんだろうか。
「35億」には既視感のある「いい女風」があったからこそ笑いになったが「女のイヤはイヤじゃない」には既視感が弱いのも理由だろう*1

披露したおもしろ荘で綾瀬はるかがネタ終わり「でも本当にイヤな時もありますよね」と言ってしまった程度に同性からの同調を得るのは難しい。
ポリコネ的に正しかろうがそうでなかろうが面白くはない。
そもそも「女のイヤはイヤじゃない」なんて、セクハラ親父がよく言う「イヤよイヤよも好きのうち」と視点が表裏なんだが、よくそのネタでいけると思ったな……。

悪意とこだわりの演出術

悪意とこだわりの演出術

ダウンタウンが年に一度やる特番の企画で「古い笑い」にされ、ネタ番組で披露した若手のネタで「新しい笑い」にされてしまう比較もおかしい。
そもそも「水曜日のダウンタウン」とか大変好評ですが……。
つまり藤井健太郎の笑いも否定してるってことなのかな?

ともかく柴氏はRATMのbeautiful worldを今一度リピート再生して、果たして自分が今どこに立って見ているのか顧みてはどうだろうか。
今、見ているのは誰にとって美しい世界だ?

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*1:今回、過剰に見せず化粧が薄い、というのも弱さのひとつ