良いリーダーが「すみません。知りませんでした」と言わない理由

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映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる数々のセクシュアルハラスメント疑惑に関し、エンターテインメント界を率いる有力者たちは、なぜ自分たちの業界でこうした事態が生じたのかの説明に追われてきた。彼らの説明は主に次の2パターンだ。

1. 「すみません。知りませんでした」
2. 「知らなくて申し訳ありませんでした」

最初の方はワインスタインの元同僚がよく使うもので、謝罪になっていない謝罪、つまり「私は無実だから放っておいて」という意味だ。一方の2つ目は、「私が優先して精査すべき事柄と、解決すべき問題があるようです。どうかご辛抱を」という意味だ。

最初の説明では、リーダーは「すみません」という言葉を、身を守る盾、または隠れみのとして使っている。ワインスタインの問題についてはおそらく感づいていたが、事の重大さは知らなかったのだろう。うわさ話を耳にしたのかもしれないが、うわさだけを理由に誰かを追放できるだろうか?

1つ目の例では、リーダーは自分の法的責任を否定しているが、2つ目では道徳上の責任を認めている。法的責任を否定するリーダーは、道徳的責任も避ける傾向にある。

大半の業界や組織では、地位の高いリーダーが全てを知ることはできない。全てを知ろうと試みるだけでも諜報機関レベルの策略が必要だ。そしてリーダーは、全てを知りたがらないことが多い。ただでさえ時間がないのに、ある問題の情報が耳に入るとそれに取り組む義務が生じ、対処しきれなくなるからだ。問題は優先順位ごとに対応する必要がある。

全ての企業は、どの情報が経営陣に知らせるべきものかどうかを見極めるため、独自のシステムや文化を構築している。そして大半の組織では、会社の数字・財務面での成長を妨げ得る情報を拾い上げる仕組みになっている。

また、企業文化や精神を破壊しているかもしれない「悪者」が誰かを知るのは難しい。こうした人物は多くの場合、重要人物に対しては天使のように振舞っているからだ。上司や同僚、役員など、止める人の目につかないところで自分よりも下位の人をいじめる一方、ずる賢く出世の階段を上がって行くのだ。

言い換えれば、リーダーは組織の「害虫」を意識的に探り出し、対処しなければならない。こうした対策できていない業界や職業ばかりだが、故意にそうなっていることはまれだ。そうではなく、リーダーが問題に圧倒され、一番わくわくすること(意気消沈せずに済むこと)に注力した結果であることが多い。

強いリーダーは、こうした問題をどう回避しているのか? また、問題が明るみに出た場合はどう対処しているのだろう?

繰り返しになるが、リーダーが全部を知ることは不可能だし、おそらく全てを知るべきではない。リーダーは次々に起きる問題に関して、自分が無知であることを告白し続けなければならない。だが、問題発生後に企業の信頼を回復できるかどうかは、その告白の仕方にかかっている。

リーダーにとって最も重要なのは、自分に伝えられる情報の優先順位付けやふるい分けのシステム、価値観の見直しと変更の意思を示すこと。繰り返すが、これは容易ではない。大半の組織は通常、やり手の社員や大物プロデューサー、内部関係者を守ることを最優先とするので、「見て見ぬふり」をされる方がはるかに多い。

現代的な企業の多くは「正しいことをする」という考えについてのリップサービスを繰り返すが、実際に「正しいこと」が実行されることは少ない。というのも、組織を動かす真の動機は「正しいこと」ではないからだ。

私たちは「すみません。知りませんでした」と言うのをやめて、明確に責任を取るべきだ。これが、ワインスタインの一連のスキャンダルから学べる重要な教訓かもしれない。