ジャニーズとは努力の人たちである
——才能とは、天から授かるものではなく、死ぬ気で身につけるものである。——
芸能界の第一線を走り続ける、ジャニーズのタレントたち。 今は特別に見える彼らも、最初から特別だったわけではありません。
それは、ジャニー喜多川本人が選抜基準を「やる気があって、人間的にすばらしければ、誰でもいい」とし、ルックスについても「よく美少年を集めたみたいに言われるけど、あれは磨かれていった結果」と語るほどです。
つまり、彼らは、〝誰でもいい〟状況から〝誰も代わりがきかない〟存在に、登りつめていった人たち。
彼らの活躍は1割の先天的に生まれもったものや才能によるものではなく、9割の後天的な努力に支えられていえるのです。
〝普通の人〟の状況から、熾烈な争いを勝ち抜き、〝特別な立ち位置〟を手にした彼らは、いったい何に努力を注ぎ、自分を磨いていったのでしょうか?
その〝9割の努力〟の過程に着目することで、〝誰でも特別な人になれる方法〟を探っていきます。
この連載は「自分は普通だけど、特別な人になりたい」と、心のどこかで思っている人にお届けする〝ジャニーズ式・努力で特別な人になる方法〟です。
初回は、中居正広さんが名司会者の立ち位置を築くまでに注目します。
「どんな仕事でも、成功は約束されていないけど、成長は絶対に約束されている」
(中居正広, 1972-)
「話すのは、苦手分野」
史上最年少・25歳での紅白歌合戦の司会者・オリンピックのキャスター……と、言うまでもなく、司会者として唯一無二の立ち位置を掴んだ男・中居正広。その司会術は天才的にすら見えるかもしれません。
しかし、中居自身は「話すのは、正直、苦手分野なんですよ」「こう見えてもパッと言葉が出てくるタチではなく、記憶力が悪いのは自分でもわかっている」と語ります。 バラエティ番組でのトークは即興的なもの、という印象が強いため、先天的な才能に見えてしまいがち。ただ、中居に限っては、そうではないのです。
ジャニー喜多川氏も「自分で個性を作っていく」人として中居の名を挙げ「中居君なんか、最初はものすごく二枚目というか、まじめでねえ。あそこまでしゃべれる人間でもなかったし、おとなしかった」と語ります。
例えば2009年の紅白歌合戦では台本を全部頭の中にいれ、コンビで司会を務めた笑福亭鶴瓶に自ら合図を出し、引っ張っていたという中居の司会術は、実は長い時間をかけ、綿密な準備の上に生み出されたものなのです。 今では当たり前になっていますが、そもそも、アイドルが司会者として活躍し続けるということ自体が、前例のないものでした。
非常識を常識化した男
今でこそ、嵐の櫻井翔や、V6の井ノ原快彦、TOKIOの国分太一……と、司会のできるジャニーズ、バラエティに出るジャニーズというのは珍しくない立ち位置ですが、その先駆者となったのが、SMAPの中居正広です。
それは自分でも「アイドルがバラエティに出るという『非常識』を常識化できた」と自負するほどで、これは、SMAPより前のアイドルの主戦場が歌番組だったことを考えると、決して言い過ぎた表現ではありません。
その一方で、こんなにも〝音痴〟であることが国民に伝わっているアイドルも他にはいないはず。もちろん、知られているのは、隠していないから。自分からネタにしているからです。
中居は、インタビューでも『SMAPになってから「あっ、俺って歌っちゃいけないんだな」って思った』などと、自虐的に語っています。といっても、この〝できないこと〟に対する悲壮感はありません。
例えば、歌番組などでは自ら「マイクのスイッチ入ってないよー!」と笑いにしていたこともありますし、コンサートでは、〝中居のソロ曲の時間をトイレタイムにしている観客が多い〟ことをネタにした『トイレットペッパーマン』という曲を自ら作詞して歌っていました。
基本的には、歌って踊るのがアイドルというイメージの中、ここまで歌が〝できない〟ことを明らかにする人はなかなかいません。しかも、日本のシングルCD歴代売上げランキングでトップ10に入るグループのリーダーが、です。
予想していた〝新しいアイドルの形〟
この自虐は単なる逃げではありません。むしろ、このある意味で、歌を〝できないこと〟のままにしておくというのは、中居の人生においては、かなり意図的な攻めの姿勢であり、戦略であるといえます。
「10代の頃から将来はバラエティでMCをやれるようになりたいと考えていたし、これがいつか新しいアイドルの一つの形になるのではという予感があった」と、社会の変化も予測した上で、早い時期から自分の立ち位置を想像していました。
さらに、MCもできるアイドルになりたい、というのは単なる個人としての欲望ではありません。
「10代の頃から『本当におしゃべりができるようになりたい』とは思っていました。『一体、自分の個性って何だろう?』というときに、自分がしっかりしゃべれるようになったら、それはSMAPにとっても大きな武器になるなと」と語るように、まずは、他のメンバーの〝できないこと〟を自分が伸ばすことが、チームのためになることを意識しての決断だったのです。
〝できないこと〟は周囲に任せる
そして、代わりに自分の〝できないこと〟は、チームの他のメンバーに任せることを意識します。
「歌は他のメンバーに任せたほうがチームとして戦うにはいい。代わりにダンスは得意だから踊りで頑張るし、MCに適任がいないんだったら司会をやろう」とSMAPになってから思ったのだといいます。
結果、中居が音痴であることを責めたり、過度に歌に対して責任を負わせる雰囲気はなく、むしろファンの中には、それを味として楽しんできた人も多いことでしょう。
そう、中居は、何かを 「できない」と明言することで、自らが、他に注力することを許されるための土壌を作ったのです。
敢えてとったファンとの距離
そうして中居が、歌の代わりに注力したのが司会なのです。
「(17歳)当時から『とにかくバラエティで、何番手でもいいからやりたい』と会社の人にすごく頼んでいたしね。大阪の番組やBSや朝の情報番組のアシスタントとか、二番手、三番手でコーナーをやらせてもらいながら、『おっきな番組の司会をやりたい』とずっと思っていた」
トークを盛り上げるためには、女のコの話やエッチな話など、アイドルとしてはあまりウケのよくない話をしたほうがよいときもでてきます。司会業に邁進していくことを決めた中居は「1回ファンのコと敢えて距離をとる時期にしなければいけない」と考えて突き進んでいくのです。
「〝結婚生活いかがですか?〟って聞いて、自分の恋愛の話を全くしない司会者は卑怯だなって。だから恋愛話とかエッチな話とか意識して話し始めたの。下ネタとか、女の子のおっぱいの話とか」
当初は〝こないだデートした話〟といった類の話をしても、観覧のファンたちの冷やかさを感じていたという中居。マネージャーにカットの指示を出されることもあったといいます。しかし、それを続けることで「女のコの話をしても、ウンともスンとも言われない」状況を自ら作っていったのだといいます。
結果、SMAPの中でも、最も多く自分の名前のついた冠番組を持つ存在になりました。25歳の時に、史上最年少で紅白歌合戦の司会者に抜擢、2004年からはオリンピックのキャスターを務めていることからも、その注力が大成功したことがわかります。
弱みであった音痴をさらけ出し、得意でもなかったしゃべりに注力した中居の戦略。
次回は、その戦略を、どのような努力で実行にうつしてきたのかに迫ります。
次回「音痴で話すのが苦手な男、中居正広のひたむきな努力〈後編〉」は1/10公開予定
イラスト:須山奈津希
参考:
週刊SPA! 2013年 9.17/9.24合併号
週刊SPA! 2014年 7.22/7.29合併号
スクリーン2009年1月号
KINEJUNE next 2013.9.14号
Views 1995年 8月号
AERA 2013年9月16日号
ポポロ 2006年8月号
ESSE 2013年10月号
PHPスペシャル 2009年1月号
クイック・ジャパン 2014年4月号
ザテレビジョン 2013年9月13日号
ザテレビジョン 2015年8月28日号
ザテレビジョン 2016年4月1日号
月刊ザテレビジョン 2011年8月号
オリ★スタ 2014年11月10日号
婦人公論 2012年4月22日号
コスモポリタン 1995年7月号