『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』(彩流社・2016)の著者で、社会学者の嵯峨景子さんに少女小説の「今」について聞くインタビュー最終回。嵯峨さんは、少女向けカルチャーの中に、「マスなコンテンツほど語られにくい」という傾向を見出しているそうです。だからこそ、表立って語られづらい少女小説の世界に、今後も探求と考察の目を向けていきたいと語る嵯峨さん。今持っている問題意識と、今後の課題についてお聞きしました。
・そろそろ、「少女小説」について語り始めよう/『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』著者・嵯峨景子インタビュー
・20代以上が読む「姫嫁」もの、10代に刺さった『告白予行演習』/『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』著者・嵯峨景子インタビュー
・少女小説とケータイ小説の違い、10代の虚無感を映すケータイ小説文庫/『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』著者・嵯峨景子インタビュー
・「女子ども向け」カルチャーは、なぜ大人たちをいらだたせるのか。/『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』著者・嵯峨景子インタビュー
・マスであるほど語られにくい少女向けカルチャー、その先に/『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』著者・嵯峨景子インタビュー
「少女向け」に我々は何を担わせているのか
小池 少女小説レーベルの話からケータイ小説まで飛び、少女小説をとりまく批評の状況についてまでお話を伺ってきました。少女小説について語るのは、なかなか一筋縄ではいかないなと痛感しているところです……。
第一回でも出た話題ですが、「少女小説」という言葉の扱いが難しいなと思いました。「少女小説」と言ったとき、それが意味するものは二つありますよね。ひとつは、「コバルト文庫やビーンズ文庫など、実質的には20代以上の女性が主要読者であるレーベル小説」。そしてもうひとつは、「リアルの少女、10代の女の子たちが読んでいるもの」。もちろんコバルト文庫を読む10代の女の子もいると思いますが。ここが、「今、少女小説について語る」ことを少し難しくさせているような気もします。
嵯峨 そこは、私も『コバルト文庫で辿る少女小説の変遷史』の執筆を通じて、課題と感じた点のひとつです。今回の作業を通じて、大人が何を読んでいるのかはある程度わかったのですが、リアルの10代が何を読んでいるのかという点についてはもっと探求が必要だなと思ったんですね。それは、既存の少女小説というくくりだけで見ていてもわからないので、やはり青い鳥文庫やネット小説など、隣接領域も広く見ていく必要があると考えています。
小池 コバルト文庫とかのことは、もう別の名前で呼ぶべきなんじゃないか……と今一瞬思ったんですけど、でもやっぱり「少女小説」というパッケージは重要なんですよね。ヒロインも、やっぱり少女と呼ばれる年齢であることが多いし。最近は、ギリギリ20代なかばくらいまでは少女ヒロイン枠に入るような雰囲気になってきましたが。
嵯峨 そうですね。リアルの少女って、自分より少し年上のヒロインに憧れるじゃないですか。小学生のときは中学生がヒロインのものを読み、中学生は高校生がヒロインのものを読む、という。だからブーム期の少女小説は、読者である女の子たちの「少し年上」のヒロインを描いてきました。でも今は、ヒロインの年齢はそこまで大きく変化していないものの、読者の年齢はむしろヒロインより上になったわけですね。憧れというよりも、現実を忘れるための慰安としての読書だからこそ、ヒロインは若い設定で、完璧なイケメンが溺愛してくれる、という構図が好まれるのかもしれません。
小池 これって、男性向けのジャンルにはあまり感じられない空気感な気がします。たとえばKADOKAWAの「Novel 0(ノベルゼロ)」は「大人になった、男たちへ―」というキャッチフレーズで明確に中年男性向けであることを示唆しているし、主人公もアラサー・アラフォーがけっこういるんです。ネット小説界隈を見ても、『異世界に飛ばされたおっさんは何処へ行く?』みたいに、「おっさんもの」には人気がありますし。でも少女小説で「おばさんもの」というジャンルはなかなか難しそうだなあと。
嵯峨 そうですね(笑)。
小池 だからなにかこう、「ヒロインは、大人の女性ではなく『少女』であってほしい」という意識が、私達の中にあるのかなと思うんです。少女にしか代弁させられない、担わせられないと思っている役割があるのかなって。
嵯峨 10代のときに感じていたあの独特なモヤモヤ感というのは、やはりヒロインをその世代に設定するからこそ描けるような気はしますね。だから私も、今でも思春期ものがけっこう好きなんです。
小池 私も、今でもヤングアダルト系をよく読みます。
嵯峨 ただ、学園ものや思春期もの的な方向性の小説を求めると、今の少女小説レーベルの中にはなかなか見つけられないんですよね。慰安としての小説は、やっぱりファンタジーに寄っていきがちなので。だから、少女小説とは言いつつも、かつての「少女のための小説」だったときとは何か違う形態の文化になっているな、というのは私も感じています。
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