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アルベア様

 投稿者:めだか  投稿日:2018年 1月 9日(火)16時15分54秒
  私も質問させて頂きたく投稿しました。

宿業をどう思われますか?
自己機能の子供の病気に関してどうなのでしょうか?


唐突な質問で申し訳ありません。


 

昭和33年2月11日

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 1月 9日(火)15時48分18秒
  法華講の者ですが聖教新聞が週刊であった時代の体験者でもあります  腹部大動脈瘤が出先で破裂して普通ならば助け様のない出来事でしたが九死に一生を得た母親の遺言で寺院信徒になりました  母親はその後10年生かされて亡くなり本人の意思で医大に献体として行きました  我が家に寛師御形木がおいでになったのが戸田甚一先生が逝去なされた頃です  

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 1月 9日(火)15時46分47秒
  常唱院日護の徒然(つれづれ)に思う。

私が尊敬し、最も信頼を寄せる先輩の手記を掲載したい。

既に、さる筋の掲示板にも紹介されているが、深く読めば読むほどに、

偉大な師匠の周りに蠢(うごめ)き沸く、
魑魅魍魎(ちみもうりょう)の存在と、その構図が良く判る。

私は師匠の御健勝と共に、
常に氏の御健勝を合わせ祈らせて頂いている。

弟子の鑑として尊敬する師子の手記を掲載する。

ーーーー      ーーーー   ーー

 慧文を始祖とすれば、
南岳慧思、天台智顗と、
天台は第3祖であるが、天台宗の開祖といえる。

同様に牧口・戸田の両会長が存在しても、

今日の創価学会を作り上げたのは紛れもなく池田先生である。

もっとはっきり言えば、両会長ではとても今日の創価学会はあり得なかったということである。

これは三代会長の年譜を詳細に検討してきた私の率直な感想である。

 池田門下生と戸田門下生の違いは、はっきりしている。

戸田の命より大事な創価学会の組織という戸田の意志を受け継ぐ人々が戸田門下生である。

したがって彼らは、創価学会が無ければ広宣流布は出来ないと考えている。

 池田先生は池田の命より大事な創価学会の組織とは言ってない。

むしろ先生は、世界広布に創価学会はいらないという。

二ューヨークに本部を設置しユダヤ協会のような組織でなければ世界広布はできないとまで言われた。

 池田門下生は、創価学会が無くなっても池田先生とその精神があれば、世界広布は必ず出来ると信じている。

この違いは、池田会長勇退のときに顕著に現れた。

 池田名誉会長の年譜がほぼ完成したが公開することにまだ躊躇している。

それでも第一次宗門問題と第二次宗門問題の真相に近づけたと確信している。

 第一次宗門問題は、
細井日達と石田次男の共同謀議によって引き起こされた。

石田は創価学会を自分の理想の組織にしたいと考えた。

そのためには二つの方法が考えられた。

宗門を利用して自身が会長になること。

もう一つは宗門との間に入って陰で操ることだった。

そして戸田先生の時代に帰えらねばならないと考えた。

石田は悩んだ末、後者を選んだ。

池田会長の勇退は、宗門の最高責任者と石田次男による謀略で実行された。

 山友は、そのための扇動者として利用したのである。

「ある信者からの手紙」を書いた山友が浜中を通して光久(仲居)の女房に清書させ、それを日達にだけ見せるように指示した。

山友の具体的な反逆行為はこの時点から行動となって始まっている。

創価学会の顧問弁護士である山友が反逆の行動を起こした理由は、金を手にするためのマッチポンプである。

したがって自分の行動を学会側に知られたくはなかったのは当然である。

 この手紙を読んだ日達は、石田に電話で相談した。

浜中からの報告で山友が書いたものであること、

山友がまだ学会の顧問弁護士であり、

この煽動に乗っても大丈夫かと相談したのである。

二人が相談した結論は、池田包囲網に山友を利用しようということであった。

 日達と石田と山友の三人は、それぞれの思惑を抱えながら歩調を合わせたような行動を開始した。

すべて石田の指示である。

日達は学会を宗門に完全に従属させるためであり、

石田は学会と宗門を裏で操るためであり、

山友は両方から金を得るためである。

 昭和53年1月18日のことである。

翌日の19日に、若手の活動家僧侶約140名の前で山友の手紙を公表することを日達は指示した。

びっくりしたのは山友と創価学会の執行部だけである。

自分が顧問をしている組織団体の悪口をいう弁護士を普通なら誰が信用するだろう。

 昭和53年5月3日
先生は、山友に

『四面楚歌 君がおわせば 王の道』

との色紙を贈っている。

自分の裏の行動を池田会長に知られていないと確信した山友は、その後も調子に乗って日達に献策書を提出していった。

 宗門の海外部の設置もその一つである。

海外寺院建設用地による土地ころがしを目論んでいた。

これは、墓地建設の土地ころがしで吸ったうま味の再現である。

日達も池田会長に会えば学会と宗門は仲良くして行こうと言いながら山友の献策を利用していったのである。

これはすべてが表面化した時も責任を山友一人に転嫁するためである。

石田の謀略が計画通り進行していったのである。

日達の行動は石田と協調した歩調合せである。

したがって宗門と上手く好くかに見えながらその都度壊れていったのである。

 法主からの院達を若手僧侶が無視するような行動が、現実に起きることはない。

僧籍の剥奪、破門を覚悟しなくてはいないくらいの問題である。

若手僧侶の声を無視できないという装いをとりながらの扇動である。

 日達は池田会長を交代させればすべては上手く好くと単純に思っている。

しかし学会の内状に詳しい石田は、学会内部に手を打つ必要があることを熟知していた。

石田は日達に会長候補の名前を若手幹部に絞って伝え、

日達からそれを池田会長に進言させていた。

このことが「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件である。

これが大田の家での逆鱗騒動へと繋がっていった。

 石田が次期会長候補に若手を推薦したのは二つの理由からである。

一つは扱いやすいからであり 、
もう一つは福島が会長になっては困るからである。

福島源次郎の追い落し策は、石田の作戦通りに進む。

池田会長を外しても次の会長候補の一番手である福島は目の上のタンコブでもあった。

54年の3月に大牟田での発言の揚げ足を取り

「猊下が怒っている」と山友から先生に伝えさせた。

54年4月、池田会長の勇退とともに福島の辞任が発表された。

 第四代会長が北条浩に決まることに対し日達は、

扱いやすい若手にしたかったが、

石田は「 北条の方が学会と池田会長に止めを刺すための仕上げがし易い 」

と日達に進言し日達も了承した。

北条を攻めれば学会と池田会長を守るために黙らせ従わせることが出来ると読んでいた。

数年後に会長を秋谷にする算段であった。

いずれ党の委員長も石田幸四郎にしたいとも考えていた。

これで宗門と創価学会、公明党は思うようになる。

石田の謀略の筋書きである。

54年5月14日
 山友が大講頭に任命されたのも石田の入れ知恵である。

この時点で山友を表に出すが、石田は最後まで表面に出ないようにしていた。

学会側もこの人事には仰天した。

誰もが何故という疑問を持ったのである。

会長勇退の3週間後である。

 宗門と石田は北条を攻め立てた。

もともと宗門の経理に口を出してきた北条は、宗門の敵でもあった。

さらに北条を攻めることによって、先生を守ろうとする北条の手足を雁字搦めにしていく作戦は効を奏したといえる。

ところが石田の謀略に誤算が生じたのである。

それは三つあった。

 一つは日達の死である。

次期法主は誰になるのか予想すらできなかった。

日達からは何も聞いていなかったのである。

二つ目は北条の早死である。

完全に学会を傘下に収める前に死んでしまったのである。

それでも秋谷が会長になったことによりしばらく静観することになる。

 宗門は池田先生を完全に抹殺することしか頭にない。

秋谷では石田の手前あまり学会攻撃は出来なくなっていた。

その代り学会にやらせたのは寺院の建立である。

三つ目は日顕が思った以上に愚かだったことである。

日達が死に、北条が死んで、

日顕と秋谷体制になったことで、

静観してきたのだが、

山友と日顕という最悪の組み合わせがすべてをぶち壊す時が到来する危険を感じてきた。

 第二次宗門問題である。

調子に乗った宗門は、C作戦を断行していく。

そうすれば学会を完全に掌握できると思考は単純である。

日顕の単細胞的行動に一抹の不安はあった。

法主絶対主義は、法主本仏論と共に誤りであることを確信していた。

このままでは池田名誉会長の破門だけでは終わらないかもしれないという危惧をいだいた。

 そんな危機感が彼を突き動かし決断させたのが、1986年の脱会宣言である。

「内外一致の妙法」という批判書を公表せざるを得なかったといえる。

福島や原島から聞かされてきた内部造反組

(山崎(尚)、上田、桐村、野崎(兄・弟)、宮川、八尋)と秋谷を引き連れて、

池田批判の先頭に名乗り出て学会の破門、宗門からの離脱だけは避けようとしたのである。

石田の脱会宣言から3か月後に福島も脱会宣言したのである。

彼らは自分の後ろ盾に巡り合ったような気になったのである。

二人とも石田の子分のようなふるまいをするようになっていく。

 第一次宗門問題は、学会側の黒幕でもあった石田の反逆が明確になったことにより、

宗門問題の現状を会員にすべて公表させるという池田名誉会長の決断がなされたのである。

石田が脱会宣言した翌月の2月22日、

金舞会館で行われた金城会総会の席上、

宗門と石田への反撃宣言をしたのである。

こうなれば行き着くところまでいかなくては決着はつかない。

とはいえ学会から宗門離脱の宣言はしない。

あくまでも信徒を切り捨てた形での決着を想定した。

 五年後に石田の危惧は現実となる。

この五年間、何も出来なかった自分を後悔した。

石田が死ぬ。
(1992年平成4年2月4日膵臓ガン)

3か月前の創価学会の破門(1991年平成3年11月29日)という宗門の暴挙を見て石田は、

戸田先生に申し訳ないことをしてしまったことにようやく気付いたが、時すでに遅しであった。

創価学会と宗門の分離を目の当たりにして自分がやってきたことが失敗であったことを自覚した。

 しかし人は皆、自分の信じる生き方を生きてきただけである。

人は自分で選択した人生であっても後悔するんだろうなとつくづく思う。

石田が死ぬ少し前に親族の一人である秋谷がこう呟いた。

「彼はもう反省しているんだ。なにもそんなに悪者にしなくても・・・」

 東京事務長会に遅れて出席した秋谷は、壇上に着くなりいきなりこう呟いた。

顔面蒼白で心ここにあらずの態であった。

その後わずかな沈黙にハッと我に返ったような表情を浮かべると、事務長会のメンバーを見渡し会長指導が始まった。

(  以   上  )

*カノッサの屈辱*

聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と

対立していたローマ王ハインリヒ4世が、

1077年1月25日から3日間に及んで雪が降る中、

カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続け、
教皇による破門の解除を願い、教皇から赦しを願ったことを指す。

また、カノッサ事件とも呼ばれる。

ーーーー    ーーーー  ーーーー

氏の、真実に裏付けされた言葉は、先生の最側近として、
先生の一切の御指導を記録し残された金口であり、

法華経に「 羅睺羅の密行は、唯我のみ能く之を知れり、

現に我が長子と為って、以って諸々の衆生に示す、

無量億千万の功徳は数う可からず、

仏法に安住して、以って無上道を求む 」と釈尊に言わしめた

羅睺羅の如き存在であられると尊敬申し上げる御方である。

先生の組織論と戸田先生の組織論との決定的な差異。

そして、
私が痛感する所、

池田先生が、人格重視の社会に開かれた宗教・教育観を打ち建てられたのに対し、

個々人に於ける経済苦、病苦からの脱却を信仰の目的とされた戸田先生の時代からの信仰から脱し切れず、

昭和54年に打ち終わる七つ鐘終了と同時に展開さるべく、池田先生の世界広布への展望を妨害したのである。

つまり、蔵の財、身の財、獲得の為の信仰、物質中心の視点を否定する所から始まる心の財への移行を邪魔し、

戸田時代への回帰運動と称し、個々人の経済苦からの脱却(蔵の財獲得)を、

財務をすればもっと蔵の財を得るとの邪教思想に変質させ、

病苦の克服たる身の財獲得を、組織に従順であれば、
役職が上がる、議員にもなれると、

仏法違背の地位や名誉獲得を身の財と為し、

先生の2003年広布達成の青写真を破壊した。

蔵の財や身の財を追い求める心を鎮め、心の財の中に、

全てが含まれていると仏法は、教えている。

「 一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 」
( 1143頁 )

「 当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし 」
      ( 223頁 )

「 日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以って論ずれば一閻浮提第一の富めるものなり 」
    ( 988 頁 )

「 仏法は強(あなが)ちに人の貴賎には依るべからず。

只経文を先とすべし。
身の賤しきを以って、其の法を軽んずる事なかれ 」
( 481頁 )

「 ただ心こそ大切なれ 」
( 1192頁 )
 

(無題)

 投稿者:一閲覧者  投稿日:2018年 1月 9日(火)14時05分39秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/78225

>最近、ちらりとスピリチュアル系の動画を見た。
「何をしていても楽しい、空気を吸うだけで喜びが湧く」なんて言葉を聞いた。
あぁ、戸田先生の言葉にもあったなぁ、仏の境涯の説明で・・・・・

創価の中で、今、そのように歓喜を語れる人は、どのくらいいるのだろうか。


今、信心されていない方の方が、飲み込みが早いです。
つまり、仏法のことをよく知っている人に比べて物凄く素直だということです。
私の懇意とさせていただいている方で、ご自分から(前提の言葉としてそのままの言葉は避けますが近い言葉で、元々ある)楽しい部分というご表現をしてくださった方が居ます。
最もそれ以前に、念仏宗の人がよく書かれている喜びについても若干ですが、あるものであると書かせていただいています。


>空気を吸うだけでも喜びが湧く
10何年も前から個人的に思うだけなのですが、南無妙法蓮華経と唱える時に楽しくならないわけがないように思います。
広長舌だと信じている自分が居て、それに対して何らかの諸々の加護があると信じられます。
空気をたくさん吸おうとしていないことだけは申し上げられます。
つまり息苦しくない呼吸の仕方です。

書くのはここまでにしておきます。
自分の利益の為に働く食法餓飢が居ますから・・・。
 

財務

 投稿者:ミーデン  投稿日:2018年 1月 9日(火)13時50分3秒
  素朴な疑問です。財務の功徳の大小というのは、納金金額の多さによるのでしょうか?

広布のためにと真心で貯金し納金するから偉いのではないのか、金額の多少で成仏が決まるというのは邪教ではないか、そう私は考えていますが皆様はどうお思いでしょうか?
 

回答ありがとうございました

 投稿者:カエル  投稿日:2018年 1月 9日(火)13時24分56秒
  アルベア様
僕のつまらない質問に丁寧に答えて下さり、
ありがとうございました。
何度か読み返しました。
そもそも、現在の僕自身がアルベア様の言われる、
「自我機能」「思考・概念」で生きているので、
アルベア様の言わんとする事が100%理解できたわけではありません。
しかし、
「意識は極めて電磁的・量子力学的振る舞いの現象だからです。」
との言葉は腑に落ちました。真実だと感じます。
(アメリカの軍産複合体はこの事を検証している可能性があります)
近い将来に、旧来の物理学理論を覆す、新しい量子論・物理学か一般世間にも登場し、
その時人類は新たな気づきを得て、
覚醒(?)し一歩成長・進化できるのかもしれないと考えています。

これからも思索をかさねていきたいと思います。
ありがとうございました。

 

私は、大聖人と三代会長の弟子

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 1月 9日(火)12時45分25秒
  アルベア氏の論について話題になっているが、題目、御本尊、組織が必要無いという結論を導き出すのだとしたら、それは大問題だ。私は到底受け入れられないし、それではもう別の宗教だ。たぶん師匠も必要無いと言うのだろう。

目的地に着いてしまえば、地図はもう要らないと言っている様に聞こえるが、禅宗もその様な事を言っていなかっただろうか。

アルベア氏のブログは私もチョコチョコ拝見しているが、正直言って内容の半分くらいは理解出来ても、あとの半分は十重二十重のベールの彼方の出来事だ。私には何かが動いているのがようやく認識出来る程度だ。
参考にするのはいいが、信じ込むのは大変なギャンブルだと思う。

不立文字、以心伝心、教外別伝という禅宗用語が頭に浮かんでしょうがない。

天台宗の本覚思想も頭に浮かぶ。
人間は元々仏なのだから、その事に気が付きさえすれば良いのだ、という思想に似ている様な気がする。

天台宗といえば像法時代の正法。末法になったからといって、そんな簡単に破折出来る様ないい加減なものではない様だ。
たとえ大聖人の弟子であっても初心者は、天台宗学を学ぶ事を禁じられていたほどだ。
その精緻な論理に、どうしても引っ張られてしまうからだ。

天台宗は去年の暦。それに対してアルベア論は、いわば来年の暦の様な気がする。
来年の暦ならまだ良いが、10年後100年後の暦だったら大変だ。保証は何も無い。
地涌の菩薩が大挙して、本当に今出現するかどうか、やってみなければ分からない。

古今東西、優れた学者、芸術家、職人、アスリートに至るまで、何らかの悟りを得る人は少なくない。
アルベア氏の論も、何らかの悟りを得た人のものだとは私も思う。
頭を絞って捻り出したものではなくて、自然に溢れ出した感じがする。

大聖人は悟りを得た時、その悟りが本当に最高の悟りなのかどうかを何度も検証された様だ。
同じ悟りと言っても声聞、縁覚の悟りなのか、菩薩の悟りなのか、仏の悟りなのか。
そこが重要だ。

大聖人は竜の口・佐渡流罪を乗り越えられ、その姿を見せる事によって御自身が御本仏であると証明された。刀杖の難と言っても杖と刀は全然違うのだ。
悟りを開き国家権力の弾圧を受けた偉人は多いが、首を切られる寸前から生還し、結局国家権力に謝罪させた人など大聖人以外私は知らない。

御本尊、題目、師匠は絶対に必要だ。
組織も必要だが、今みたいに公明党支援を強要している間は、かえって邪魔になるだけかも知れない。

アルベア論は右脳に偏りすぎだ。左脳の考える事は全て愚考だと言ってしまったら、そこで終わりだ。
私には今の世の中、題目も唱えず成仏出来るほどの機根が整っているとは、到底思えない。かえって悪くなっている。
題目を唱えず成仏出来る時代など、永久に来ないだろう。成仏と非二元?の悟りが同じものと、私は思っていない。





 

時 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)12時44分12秒
  時  様 投稿日:2018年 1月 9日(火)11時59分35秒

Q⇒現学会の現実の現象に感心していないアルベア様の心情に近いものとして、先生の言葉を引

き合いに出しているようですが、

A⇒「引き合い」と言えば引き合いです。

Q⇒そうすると、アルベア様は、先生は50年前から「広宣流布」というもの自体を、否定的に

捉えていたと解釈している、という事でいいのでしょうか。

A⇒当時の私の質問に対する先生の回答ですので、その意図は当時わかりませんでした。今は、

多くの方々が指摘なさる創価の腐敗・堕落が現象化しています。腐敗・堕落を見て思い出したの

が他の宗教教団と同様な状態となるとのことでした。

当時から否定的ではありません。

視点が自然に変わってきたという事です。


さてほとんどの学会員は「広宣流布」を目指しているわけですけれども、

「自我機能」の「思考・概念」で見ると目指す対象となります。

「自己機能」の生体現象という視点で見ると「広宣流布」は既に達成しているのです。

「広宣流布」とは用語・言葉です。思考の概念です。頑なに条件づけられた状態になると真意は

読み取れないのです。それが古今東西の宗教の旗印なのです。

「広布のため」という条件付けられた思考・概念が多くの会員をむしばんでいるのです。

「体感・体験者」がいないからです。

多くの方々は「アルベアには微妙な一念のズレがある」と見ていると思います。「思考・概念」

の世界では異なりが常態化しています。

だから読み手の方々から見れば「退転の輩」になるのです。作用反作用です。

歓喜なき創価の現象をどう見るのか、54年の現象をどう見るのか、見るにも「思考・概念」と

「生体現象」の見方があります。

「漫画 君たちはどう生きるか」がヒットしています。古くて新しい問いかけの現象です。釈尊

の時代から「思考・概念」は循環している現象なのです。

「諸法実相」として見る眼差しを得るならば了解は可能です。知識の理解ではなく、どこまでも

「体感・体験」によるものです。体感知と言います。

私たちは「物語」「ストーリー」「エピソード」として現象を見てしまいます。しかし、その

「物語」「ストーリー」には常に生命現象があることを「思考・概念」では排除されてしまうの

です。

「21世紀は生命の世紀」と言われていますが、それは一人一人の「体感・体験」のことだと思い

ます。「思い込み」「信じ込み」「上書き」ではない自身の体感の事です。

いろいろ疑問が浮かんでくると思いますが、自分自身で思索してみて下さい。ご質問有難うござ

いました。

 

月こそ心よ 花こそ心よ

 投稿者:dekahappy  投稿日:2018年 1月 9日(火)12時13分11秒
  アルベア様はじめ皆様の投稿。
動執生疑ですね。

各機能の癒着をたちきる為の、自我機能、自己機能、意識機能の立て分けの俯瞰の視座の提示ありがとうございます。

今、私の友人、周りにも、うつ等の病の方がたくさんおります。
お題目唱えなさいでは、対応難しいんです。
どうしても自我機能、ストーリーの世界に入り込んでしまいますから。

私にとってこの方々と歩むことも折伏と思っております。

自我機能、自己機能、意識機能を立て分られる方は、各人の選択の問題と存じます。しっくりくることをされるのが良いのでしょう。

なんのこっちゃ?と思われていらっしゃる方もいるかと存じます。
更に当たり前じゃん!なんのこっちゃ?と思われてしまうかと存じますが、私の感覚、体感は次のような感じです。(コトバにするのは難しいんですが・・頑張ってみます)

朝。太陽が登ります。
池田先生は、30年前、高等部時代の私たちに、
「君たちは 午前8時の 太陽と
 恐るるものなく 今日も 登れや」
とお歌を下さいました。

太陽が光の翼を拡げ、全てを照らし、暖めぐんぐん登りゆく姿。
誰に頼まれず、坦々と自らの軌道を進みゆく。

夜。月が浮かびます。
優しく私を照らし、満ち欠けを繰り返しながら、時に冷たく感じるその光は、再生の姿を教えてくれる。

星々は、大きく、鋭く光もの。小さく、静かに光もの。白く、青く、赤く、金色に光もの。
それぞれがそれぞれの光をありのままでみせてくれる。

そして、みている私も、受け入れ太陽と月と星々を照らしている感覚は、自己機能。

照らし、照されている感覚、体感。
そして、その両方の関係、全体性をみている感覚。

何キロメートル、何光年離れていて、体感温度は何度で、月の満ち欠けは太陽と地球の位置関係とかは、思考の次元です。感覚・体感ではありません。

(しかし、この思考の次元があり、俯瞰の視点が準備されることもあると思います)



飛躍と思われてしまうかと存じますが、
御本尊のことも一緒なんです。

戸田先生の獄中の悟達。
人間革命第5巻烈日の章の街中での悟達体験(この時、戸田先生は街中ですから、お題目はあげておられません)

また、非二元。自己超越。至高体験。神秘体験。実存解明。
各宗祖の悟り。
同じところ重なり合うところがあるように私は思います。

しかし、時代と権力に対峙する仕方、表現が違うと思います。これも私の感じ方です。


創価ルネサンスの時代。御本尊下付がない時代が一時期ありました。

拝まなければ物体。信じれば仏。あってもなくてもよいというような主旨を池田先生は同中でお教え下さいました。その後、日寛本尊下付がはじまり本尊論の話題は表にでなくなりました。

私たちの時代の問題として、宗門の時と同じく御本尊下付の問題があります。
だから何とかしなければとそれぞれがそれぞれの振る舞いをするのでしょう。
違いを指摘するのではなく、
智恵を出し会う、共有する関係でありたいですね。

(このあたりを次の時代の為に、整理、準備されていらっしゃる方。時がきましたら、ご教示の程、何卒、何卒、宜しくお願い致します。)

違いを許せない、査問、除名と、組織存続の為と頑張っている方。監視されている方。役割とは言え時代遅れですよ。


実体論ではなく、関係性そして体感に移行する時にきているのでしょう。

書籍「21世紀文明と大乗仏教」での各講演での、主客未分化の慈しみの境位を初めとする関係性の視座の哲学的側面。

「法華経の智慧」での組織とか宗教とかかたちを越えた人間としてとらえる側面。

そして、老と病をお示しくださるお姿。

先生は全て教えて下さっていると存じます。


私も、いつも忙しくしている一サラリーマンで、小学生と保育園の子供を持つ父親であり、私にとって恩義のある学会を何て事してくれるのかと怒ってしまう、反応してしまう煩悩一杯の一人の人間です(笑)

皆様の投稿に感謝致します。ありがとうございます。
自らの軌道を坦々と進みながら、私も私の立場で頑張って参ります。

最後に、大好きな白米一俵御書をあげさせて頂きます。
「法華経はしからず・やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候

 爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし・草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず・心すなはち大地・大地則草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」










 

広宣流布が進むと?

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 9日(火)11時59分35秒
編集済
  「池田先生に質問しました「広宣流布が進むとどうなるのですか」

先生は答えてくれました。

「今の禅宗・真言・念仏宗や神社のような状態になるんだよ。」と、

当時は「へ~、そうなのか、学会も同じようになるんだ」と

50年経過し、その意味が現実の現象として起きているのを感じています。」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78217



アルベア様に質問です。

よろしくお願いします。



現学会の現実の現象に感心していないアルベア様の心情に近いものとして、先生の言葉を引き合いに出しているようですが、

そうすると、アルベア様は、先生は50年前から「公宣流布」というもの自体を、否定的に捉えていたと解釈している、という事でいいのでしょうか。
 

本末転倒

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 1月 9日(火)11時49分14秒
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180109-00000014-jij-pol
与党、首相出席の削減狙う=「追及逃れ」と野党反発―国会運営見直し (時事通信) - Yahoo!ニュース(1/9(火) 7:03配信)

ヤフーニュース記事冒頭

『与党は22日召集の通常国会で、安倍晋三首相の常任委員会への出席削減など国会運営の見直しを提起する方針だ。』とある。

安倍首相は独裁政治を推し進めてる状態なのだから、全て自分で思うようやりたいということなら全部責任がかかる運営という当たり前の事態を招いているにもかかわらず、出席を削減するという意味不明な内容。


『野党側は通常国会で、学校法人「森友学園」「加計学園」の問題に加え、スーパーコンピューター、リニア新幹線工事をめぐる不正などの解明を迫る方針。』

いや~たくさん疑惑があるねぇ
もう笑うしかないなこりゃf^^;

『「丁寧に説明する」とした昨年来の首相の発言』の件はどうなったのでしょう?
安倍首相は丁寧に説明する機会すらなかったように見えるのだけど。

それで、見直しの理由
『他の先進国と比べて首相出席が多い現状を挙げる。自民党の調べによると、安倍首相は2016年に89日、計376時間出席。これに対し、ドイツのメルケル首相は14日、計34時間(15年)、英国首相は37日、計40時間(16年5月から1年間、キャメロン、メイ両氏の合計)だったという。同党幹部は「今のままでは首脳外交で出遅れてしまう」と話す。』

首相の独裁政治をしようとするなら、なにかにつけ首相がいないことには政治が回っていかない構図になることでしょうね。
しかも、その政治がうまくまわってないならなおさら出席日数は増える一方でしょう。

出席日数を減らす方法はありますよ?
安倍さんが政治家を辞めることです。
いま辞めるなら安倍さんもダメージ少なくていいのでは?
「引き時」を間違えると一生取り返しのつかないことになるかと。
いま辞めないと「証人喚問」にご自分が出るハメになるかも。

気になった部分も
『14年に自民、公明両党と民主党(当時)などは、党首討論を月1回開催する代わりに、首相の予算委出席を減らすことを申し合わせた。しかし、野党側は予算委で質疑時間を確保することを優先したため、合意は形骸化。17年の党首討論開催はゼロだった。』

【17年の党首討論開催はゼロだった】なんてね。
安倍首相は党首討論を開きたくない、というホンネに感じるのだけど?
単純に「時間がない」ほど激務だからということであれば、「時間がない」ほど激務になる政治運営してるのってダレなんですか?って話。

もう本末転倒やん。
安倍首相は「逃げ」になりだしたね。
強引な運営をやるしか能がないのは「逃げ方」を知らないから。
「引き際」ともいいましょうか。

古来より「引き際」を誤って人生を潰した人物は数しれず。
すでに「総理の後釜」を狙って自民の議員は動き出してるようね。

「終わった」と感じたのでしょう。
福運を食い潰した人生の成り行きをもう少しご覧いただけるでしょうか。
安倍首相の夫人は「普通の主婦」な印象であったけれど、旦那の横暴と悪政のトバッチリで今後は世間の目が厳しいでしょうか。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、埼玉で新出発の区県長会、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 1月 9日(火)09時32分3秒
  おはようございます。原田怪鳥様、埼玉が「広布の旗」高く、原田怪鳥様と共に新出発の区県長会の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

あれれぇ~、原田怪鳥様、埼玉文化会館の訪問日時が間違ってマスよぉ~(笑)

1月8日じゃなくて、1月16日じゃないんデスかぁ~?、午後3時にピンポイントでお願いしまぁ~す(爆)

ナニやら?「鉄桶の団結」が埼玉の使命であ~る、とか御指導されたみたいデスが、

「鉄桶の団結」のタメに、1月16日午後3時に「査問」されるんですねぇ~(笑)

ゼヒとも、「じ・き・で・し」たる原田怪鳥様には、先頭に立って「鉄桶の団結」のタメに「査問」に同席して頂きたいモノでぇ~す(笑)


それと、原田怪鳥様に一言お詫びを申し上げまぁ~す(笑)

昨日、小生は「いままでで、6章を収録した巻がありマスたかねぇ~(笑)」と発言しマスたが、調べてみたらありマスたぁ~(笑)

人間革命12巻が、「涼風」「宣言」「憂愁」「後継」「寂光」「新黎明」と6章収録されてマスたぁ~(笑)

執筆チームの皆さ~ん、これで、まるで前例が無いワケではないコトがハッキリしマスたので、頑張ってくださぁ~い(笑)

ただし、「新黎明」は他の章よりも、かなり短めデスので、「誓願」も短めにしないと、ホントに1巻ではまとまりませんよぉ~(笑)

くれぐれも、「師匠がつづってくださった正史」なんデスからぁ~、省略・書き換え・書き足しの無いようにお願いしまぁ~す(笑)

今はどうか知りませんが、昔はよく、小説「人間革命」を切り抜いて読んでいらっしゃった方が大勢いたモノでぇ~す(笑)

「あれれぇ~、珍聞掲載の『正史』と、製本された『正史』が違うぞぉ~?」などという問い合わせが無いように祈るばかりでぇ~す(爆)


ともあれ、原田怪鳥様、「引き続き楽しみにしてください」などと、およそ先生の発言としては似つかわしくない表現デスが、

「師匠がつづってくださった『正史』」なんでしょうからぁ~、くれぐれも、省略・書き換え・書き足しなく、

製本・発売して頂けマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 

本日の新・人間革命(6267)勝ち鬨二十六 の補足

 投稿者:原田乞食根性学会  投稿日:2018年 1月 9日(火)08時12分55秒
  「最も苦しんだ同志のところへ駆けつけよう!一人ひとりと固い握手を交わす思いで、全精魂を込めて、生命の底から励まそう!」
ちょっと長い表現で違和感ですが、後半のところで、「伸一は、そうした報告を受けるたびに、胸が張り裂ける思いがした。」ってところの方が更に違和感ですよねー

もう既に池田先生は名誉会長で、会運営の全権指揮者はアキヤ会長なのです。何やってたのか?この時に!と言う事ですがね。
昭和56年?ダーハラは愛人作って北海道に逃げて、タニガーは学生部(千葉担当)で都内で毎晩374919リンカーンをやってた時ですよね。
そして、今で言う組織の本部長、支部長は知らぬ顔で、「まあ、仕方がない、池田が悪いんだから」とか「お寺には逆らえない、我慢するんだ」って言ってたと、多宝会の古い幹部の方が言ってましたよ。

つまり、この新人間革命のこの時代、アキヤは池田先生を貶めるために、盛んに週刊誌に情報を垂れ流し、ダーハラ・タニガーは女狂い三昧て、組織から逃げていたと言う顛末ですよねー
ちゃんと、書いて欲しいですね!今の大患部の有り様をね!
 

わが友に贈る 2018年1月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 1月 9日(火)07時24分43秒
  わが地区の躍進は
充実の協議会から!
皆の意見を大切に。
ポイントを絞って
時間を有効に使おう!
 

ペロ様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)06時11分49秒
  アルベア様が悟達に至る過程においての具体的実践法は

ラジオ体操と律動法(に準ずるもの)が主軸であり、

Q⇒御本尊にお題目を唱える具体的実践は

必要不可欠なものではなかったとの認識でしょうか?

A⇒自然と必要なくなったというのが適切です。なぜならば「思考・概念」でいくら実践しても

現象化はではなく、その多くは空題目になってしまうからです。自身が生命現象としての南無妙

法蓮華経の当体と認識⇒体感すればいい事なのです。


Q⇒今現在は、御本尊にお題目を唱える実践は、全く行っていないのでしょうか?

A⇒行うか、行わないかではなく、自然になるようになっていく世界にいるということで、「あ

あ、この現象が南無妙法蓮華経なんだ」という感覚にいます。思いついたら題目を唱えますが、

必死というより、湧き出てくる想いを見るという感覚で実践していますが、日蓮系の唱題行は

「思考・概念」の次元では無駄だと感じています。

Q⇒「ブッダ以降の仏教各派の教祖の面々は「思考・概念」で全てを捉えていたのです。」との

ことですが、

アルベア様は日蓮大聖人も「思考・概念」で全てを捉えていた、との認識でしょうか?

A⇒そうです。

Q⇒また、戸田先生の獄中での唱題行の実践による悟達も「思考・概念」で全てを捉えていた、

との認識でしょうか?

A⇒そうです。

人は誰でも「思考・概念」で道を歩み出します。その過程での体感・体感により「気づく」ので

す。「悟り」「非二元」「悟達」などの用語は言葉・単語にしかすぎません。むしろ「気づく

事」「気づき」という言葉がスッキリします。

特別視する思いが「悟り」「非二元」「悟達」という言葉を作ったのです。特別視とは「対象

化」する意識の働き作用を言います。

以上、アルベアのスタンスです。
 

カエル 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 9日(火)06時08分15秒
  カエル  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時39分15秒

Q⇒「あなたの求めているものはなんですか?」(趣旨)という質問に対し、

池田先生は「久遠元初の法です」と答えられました。

この時先生は「ご本尊」とは答えず「久遠元初の法」と言われた事が印象に残っています。

戸田先生は「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」と言われました。

宗教の創始者は皆「久遠元初の法」=「非二元」を体感されていたのだと思います。

この「久遠元初の法」を「南無妙法蓮華経」というお題目で表現され、

物理的な存在として「ご本尊」残されたのが日蓮大聖人だと、

個人的に解釈しています。

A⇒そうです。カエル様の「個人的に解釈しています」ということが、エネルギー変換による個

人の思考・概念による解釈仮説なのです。私たちは「思考・概念」の条件付けで意図的に作られ

ているのです。エネルギー還元の方法として大聖人は御本尊を現象化したと言えます。なぜなら

ば、私たちの世界は常に相対的現象・現実」の世界だからです。つまり、絶えず「対象化」

「「モノ化」「擬人化」の働き作用がおきているからです。

戸田先生の「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」とは、大本教の出口王

仁三郎が霊界物語で語っています。ちなみに牧口先生・戸田先生は元々出口家と姻戚関係にあり

ました。

小説人間革命には「遠い親戚をたより牧口先生宅にお邪魔した」との趣意が描かれています。お

二人ともに創立以前の事です。牧口先生が思想遍歴していた時のことです。

「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」とのことは、当然、霊界物語を読

んでいたことが推察される時代状況にあったと言うことです。

池田先生は誤解を招く事実をあえて言わなかったのです。「体感・体験」すると自然に見えてく

るのです。

A⇒いったん非二元を体感(悟る)すると、来世はもう人間としてこの地球に生まれる事(必

要・必然)はないのでしょうか?

Q⇒どうでもいい事として感じられるようになります。「必要・必然」は「思考・概念」の言葉

による意識の縛りとして作用してしまうからです。過去の経験による「思い込み」がカエル様の

質問をもたらせているのです。カエル様の解釈仮説です。

A⇒非二元(ワンネス)を体感すると、過去生のカルマ(直線的時間軸での)は解消されるので

しょうか?

Q⇒ワンネス・カルマは「中現界」(あの世)の事です。「カルマ」と意識すれば「在る」にな

るのです。意識しなければありません。意識は極めて電磁的・量子力学的振る舞いの現象だから

です。

Q⇒アルベア様にとって「師弟」の意義とは?

A⇒大聖人が民衆救済のための具体的方法として法華経の身読から体感なされた教育方法です。

芸の世界・武道の世界などでは「道」を歩む者の案内人と旅人としての師弟関係があります。創

価の師弟も同様です。ちなみに創価の「師弟」は入会以来条件付けられてきた「思い込み」「信

じ込み」「上書き」です。なぜならば「思い込み」でなく体感した師弟関係であるならば54年問

題は起きていなかったということです。

創価で言う師弟関係はあくまでも「案内」「ナビ」にしかすぎません。または支配と服従の関係

に転化されている事が、そこ、ここで現象化しているだけです。

私のスタンスとして「師弟」という意義は消失しています。必要な人は必要でいいのではと思い

ます。

ちなみに「自我機能」「思考・概念」から離れる事を体験すると自然治癒力が活性化され全ての

病・悩みは自然に回復改善します。それが「生命」という「法」の働き作用なのです。


 

生涯&広布一筋兄弟さん、正月早々から出張でご苦労様です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 1月 9日(火)03時34分18秒
編集済
  生涯&広布一筋兄弟さん、正月早々から出張でご苦労様です。

仮面には笑えましたが、「ヘイト発言だーーー」と、怒られないか心配です。(*^^)v
日本は家族離れで、年寄りは大変な思いをしていると思います。
政治家がだらしないと、こういう事になりますよね。

私は2世帯住宅で若嫁の反対で犬が飼えない、ウサギもダメと言われて肩身が狭い思いがしていま
す。

アルベアさん、蘭夢さん、カエルさん、ベロさんのコメント読ませていただきました。

>螺髪さん・・・やっと、アルベアさんのいう意味が解りました。

へーそうなんだ!、(標準語)、そやろなーー(大阪弁)、じゃっどかい(鹿児島)
私もやっとアルベアさんの自我機能・自己機能の違いが分かったような・・・きがします。
螺髪さん→四条金吾では・・・。

今日の書き込みを読んでいて気付きががありました。
素晴らしく・・読み応えのあるコメントが、いっぱいで、なかなか寝られないような気分です。

世界広布には、ご本尊、題目、組織、ご供養、教学、役職者、指導幹部、いるのかいらないのか考え
時です。

そのように考えているとき、今日の桜の城に池田先生の下記のような御文がありました。

七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立

八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉

このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとること
を決意する。

人間主義の哲理とは何ぞや・・・。
まして、新しき人間主義???、日蓮大聖人の教え・・・、一念三千が人間主義ではないのですか。

池田先生は法華経の智慧で人間主義を教えられています。

この人間主義を世界に広めるのが、世界広布と思います。

法華経の智慧六巻 まなこさんへ感謝!!

名誉会長:
 相手にあわせて自在です。自由自在であり、自由奔放です。
人を鋳型にはめて、ロボットのような人間を作るのが宗教ではありません。ロボットのように縛られ
た生命を解放するのが仏法です。

妙音の三十四身とは、創価学会が、社会のあらゆる分野で、多角的に、また立体的に行動している正
しさの証明です。
分野は違っても、すべて「慈悲」です。「人間主義」です。「悩める人の最大の味方になっていこ
う」という炎が燃えていなければならない。それがなくなれば「妙音」ではありません。

斉藤:
 かつてヤコプレフ博士(ベレストロイカの設計者)が、池田先生の行動を見て、こう言われていま
した。ドストエフスキーの「美は世界を救う」という言葉について、この「美」とは「人間主義」の
ことではないか ?- と。
「人間主義」で、社会のなかへ、社会のなかへ入っていくことですね。

名誉会長:
 それが「美」です。それが「妙音」です。それが「法華経」です。学会の行き方は絶対に正しい。


法華経の智慧五巻
■ 「人間」以外に「仏」はない
名誉会長: 立派そうな格好をしている仏は「夢の中」の存在だというのです。
実在しないのです。本当は、ありのままの凡夫が瞬間瞬間、久遠元初の生命を身にわき立たせていく
のが、唯一、実在の「仏」なのです。

「人間」以外に「仏」はないのです。「人間以上」の「仏」は、にせものなのです。

方便なのです。だから、人間らしく、どこまでも人間として「無上の道」を生きていくのが正しい。
その人が「仏」です。

それを教えているのが、法華経であり、神力品の「上行菩薩への付嘱」には、そういう「人間主義の
仏法」への転換の意義が含まれているのです。

「日蓮と同意ならば」と大聖人が仰せのように、広宣流布を目指して進むわが同志こそ、現代におけ
る「仏」です。
それ以外に、「仏」はない。ゆえに学会員を己のために利用する仏罰は限りなく大きい。

学会員のために、学会員の幸福を目的として尽くしていくときに、無量の功徳が花開いていくので
す。
 

桜の城 『師と共に』

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 1月 9日(火)03時26分41秒
  桜の城 『師と共に』

「創価の世紀」の開幕)

日に日に新たに

三十歳まで……仏法の研鑽と実践。病魔の打破への闘い
四十歳まで……教学の完成と実践の完成
五十歳まで…社会への宣言
六十歳・・・日本の広布の基盤完成

しかし、日記には、六十歳から先のことは、触れていない。それ以上、生き抜
けるとは、当時の私は、とうてい、考えられなかったからである。

私が体調を崩し、検査入院したのも、恩師の逝去の年齢にあたる五十八歳が、
目前の晩秋であった。

先生がご存命ならば、間もなく九十八歳。先生の命を分けていただいての、わ
が「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみ思う。

かのユゴーは、七十歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、
七十歳の頃、名作『復活』の執筆に没頭した。

牧口先生は、七十歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論
戦の火蓋を切られた。

私も今、『新・人間革命』第八巻の執筆に余念がない。

間もなく、連載も再開となる。

ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如く
なる哉。

七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立
八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉
このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとること
を決意する。

ゲーテは、七十余歳の時の詩にうたった。
「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』
何でもないことさ つねに大いなるものに喜びを感じることだ」(「不老長寿の
薬」内藤道雄訳)

わが生涯は、広宣流布への大いなる旅路。

眼前には、二十一世紀の、希望の山並み。

"第三の人生"とは"第三の青春"の異名である。

「日に日に新たに、また日に新たなり」(『大学』)
この一年も、勇猛精進の日々をと、断固と誓う。

P30
 

アルベア様

 投稿者:ペロ  投稿日:2018年 1月 9日(火)02時48分37秒
  真摯にお答えいただき、誠にありがとうございます。

引き続き、質問させていただきます。



「私は、お題目・御本尊・組織等は必要ないと至ったのです。」とのことですが、

アルベア様が悟達に至る過程においての具体的実践法は、

ラジオ体操と律動法(に準ずるもの)が主軸であり、

御本尊にお題目を唱える具体的実践は

必要不可欠なものではなかったとの認識でしょうか?



また、既に悟達に至っているアルベア様は、

今現在は、御本尊にお題目を唱える実践は、全く行っていないのでしょうか?




「ブッダ以降の仏教各派の教祖の面々は「思考・概念」で全てを捉えていたのです。」とのことですが、

アルベア様は日蓮大聖人も「思考・概念」で全てを捉えていた、との認識でしょうか?


また、戸田先生の獄中での唱題行の実践による悟達も「思考・概念」で全てを捉えていた、との認識でしょうか?

 

(無題)

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2018年 1月 9日(火)01時01分24秒
  世界中でアベだけになった】暴露本で窮地に陥るトランプ。
言うことがコロコロ変わる可能性があるが、南北対話に期待し、自身も対話の用意があると述べた。
こうして見ると、「対話の為の対話は無意味」と言っているのはアベだけ
戦争がしたいのか。


政治系の米国紙「POLITICO」でも伊藤詩織氏の件とりあげてる
TBSワシントン支局長だった山口敬之の準強姦逮捕状執行停止、検察審査会の闇を取り上げない、
日本のマスメディア、記者クラブ。
バレてるよ、なんで報じないのか。
皆、知ってる。恥ずかしくないのかな、こいつら。


サガワ辞任を立憲民主党の枝野代表が確定申告前にサガワ国税庁長官の辞任を求めた
当然だ。
昭恵夫人、谷サエコは逃がし、加計孝太郎、山口敬之は逃げ、
籠池夫妻、は監獄に閉じ込める。
特別検察官を設置してロシアゲート事件を追及している米国をなぜ真似しないのか。


安倍首相と会食したネトウヨ経済評論家・三橋貴明が10代妻へのDVで逮捕!
会食が税金による接待だったことも発覚


ほほう、安倍晋三が芸能界やスポーツ界の著名人を集めて連日のように開催している食事会って、
安倍晋三のポケットマネーじゃなくて、あたしたち国民から巻き上げた税金で行なわれてたのか!
多い時は「一晩で100万円以上」って、ふざけんな!この税金ドロボーが!
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時54分12秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

アルベア様、質問させて下さい

 投稿者:カエル  投稿日:2018年 1月 8日(月)23時39分15秒
  「あなたの求めているものはなんですか?」(趣旨)という質問に対し、
池田先生は「久遠元初の法です」と答えられました。
この時先生は「ご本尊」とは答えず「久遠元初の法」と言われた事が印象に残っています。
戸田先生は「キリストとマホメットと釈迦が会議をすれば話は早いのだ」と言われました。
宗教の創始者は皆「久遠元初の法」=「非二元」を体感されていたのだと思います。
この「久遠元初の法」を「南無妙法蓮華経」というお題目で表現され、
物理的な存在として「ご本尊」残されたのが日蓮大聖人だと、
個人的に解釈しています。

僕は個人的な興味から、多少スピリチュアルな書籍も読んできました。
地球に生まれた生命・人間は皆、もともと何不自由ない高次元の生命体から、
あえて、3次元という「思考・概念」の制限のある環境の中で、
「喜怒哀楽」を体験したいとの想いで、
この地球に生まれ、善悪の「業」つみ「輪廻転生」をかさねてきたのだと、
個人的に解釈しています。

そこでアルベア様に質問したいのですが、
いったん非二元を体感(悟る)すると、来世はもう人間としてこの地球に生まれる事(必要・必然)はないのでしょうか?
非二元(ワンネス)を体感すると、過去生のカルマ(直線的時間軸での)は解消されるのでしょうか?
アルベア様にとって「師弟」の意義とは?

ぶしつけな質問ですみません。
うつ病の僕は、今世において「相対的幸福」の追求は卒業しました。
僕の初心の功徳であった「生きている事が楽しくてしょうがない」という
「絶対的幸福」で今世が終われば良しと思っています。
また、変な言い方かもしれませんが、
「いつか死をむかえる」と思うとある意味、ワクワクします。
今の僕にできる事は、利他の振る舞い、行動を心がける事のみです。
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時55分58秒
  23時に開始します。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
体調を崩している方は無理をなさらず、早めにおやすみください。
 

参加したある会員さんの感想は以下の通り

 投稿者:査問鳳作  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時46分5秒
  「それはつまり、感謝という美徳と先生を利用し組織に服従を求められているようだにゃと感じた次第です。」

これは「感謝の強制」ですかね?

その前にテメェら職員は会員にまず懺悔しなさい。
 

新年勤行会某方面での大変にありがたいご指導(笑)

 投稿者:査問鳳作  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時39分1秒
  2018年新年勤行会に於ける総区長(当然職員)ご指導(要旨)

※総区長は挨拶の中で○○総区同志に「三つの感謝」を大切にと指導。

先生と共に戦える感謝。
学会の中で戦える感謝。
○○総区の同志と戦える感謝。

だそうです。以上。
査問鳳作
 

お題目と御本尊は不要なのか?

 投稿者:蘭夢  投稿日:2018年 1月 8日(月)22時14分6秒
  お題目と御本尊は不要なのか?
何やら、おもしろい話が交わされていたので

およそ、大聖人の仏法、まぁ、創価の認識であれば
絶対必須、信仰の根本であるわけですが

では、大聖人御出現以前は、どうなのか。

はたまた、まだまだ広宣流布されていない土地では、どうなのか。

お題目とは、何か。

御本尊とは、何か。

全て、何かを顕わしたものであるということ。

以前、東北の人々のことを思い、どういう言葉をかけてあげれば良いか
悩んだことがある。

どの言葉も合わなかった。

その時、全ての心を言いあらわす言葉として行きついた言葉。
それは「南無妙法蓮華経」という言葉だった。

その時、このお題目の意味の深さ、重みを感じた。

御本尊もまた、顕わされたものであり、仏の生命というものを顕わしたもの。

けれども、それらは、僕が、そのように認識し、信じるということで初めて成り立っている。

この事が大切、あくまでも、信心、一念で成り立つ。

だから、僕の場合は、ラジオ体操と律動法ではなく、御本尊にお題目を唱えるという行為の方が、都合が良い。

けれど、御本尊が無い、またはお題目を知らないというのであれば、別の方法、手段があってもおかしくはない。

御本尊必須、「南無妙法蓮華経」でなければダメということでは無い。

だって、それらは影。凡夫ではわからないから、形ある概念として大聖人が顕わした。
もし、その本質を捉えているならば、概念にこだわることなく、それはそれで良いと思う。

でも、やはり、「御本尊」、「南無妙法蓮華経」にある種のアドバンテージがあると僕は思う。


最近、ちらりとスピリチュアル系の動画を見た。
「何をしていても楽しい、空気を吸うだけで喜びが湧く」なんて言葉を聞いた。
あぁ、戸田先生の言葉にもあったなぁ、仏の境涯の説明で・・・・・

創価の中で、今、そのように歓喜を語れる人は、どのくらいいるのだろうか。

スピリチュアル系の動画でも見た方が、元気が出るなんてことになっていないだろうか。

やはり、宗教という枠組みを超える時がきているのかも知れない。

広宣流布後の未来
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49314

 

(無題)

 投稿者:末端信者  投稿日:2018年 1月 8日(月)20時53分57秒
  日蓮大聖人曰く
「夫信心と申すは別にはこれなく候、(中略)
信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつ
るを信心とは申し候なり」 (P1255)

先生も仰っています。
「南無妙法蓮華経という題目に、法華経の一切が含まれているから、
唱題行がそのまま成仏の直道となる。
それ以外の形式にとらわれた修行は、枝葉の修行であり、
かえって信心を邪魔するものになってしまう。」

題目も唱えない幹部の宗教ゴロが、
信心利用、組織利用で、学会員さんを騙しています。

また先生は、
「騙す方も悪いが、騙されるような愚か者ではいけない」 とも言われています。

お互いに十分に気を付けましょう。
 

悲しき日本の高齢者

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2018年 1月 8日(月)20時18分11秒
編集済
  旅の徒然(2)

いつ、日本に戻っても胸が痛む光景・・・

それは、私と同じ年代、もしくは似たような年代の人々が警備員・掃除婦・夫をやっている風景です。

このような姿はアジアのどこの国でも見られない。

安倍首相はアジアの国や開発国へ、惜しげもなく多額(何百億から~何千億)の補助金をばら撒き。

やれ、ミサイル、艦艇、戦闘機などなどに多額を注ぎ込み、高齢者は利息もなければ、年金も削られ・・

一生、体が動く間は働かざるを得ないような風景を醸し出しているニッポンという国

そうした、光景はアジアの国々から来た観光客に、笑われているのを知っているでしょうか?

ます、ます、ひどくなる日本のそうした風景、帰る旅に、胸が痛みます。

先日、正月のある日、義母の入った病院へ行きました。

寒い空の下、たった一人の老人が警備員をしていました。

そんなに厚着もしておらず・・

病院の中は半袖で済む暖かい温度設定

一歩、外に出れば、寒風に吹かれる寒い気温

私「ご苦労様です、寒いでしょう・・」

男性「いや~寒いですね・・」と

帰りがけには、

私「失礼ですけど、お幾つですか・・」

男性「57歳です」

私「そうですか、ご苦労様です。ありがとうございます」・・と

今、どこに行っても警備員として立っているのは、ほとんど老人か年配の人々

もしくは女性・・・

こんな状態を許しておく国は、ニッポンだけだ~と・・心の中で涙。

欧州もアジアの国々の老人たちは生活は苦しくとも、ゆっくり、暮らせるところが多い。

しかし、ニッポン、公務員や大会社などで働いた人達以外は、苦しい生活を強いられている

公明党・・庶民の味方のはずが

議員は贅沢三昧

グルメを自分のfacebookにアップしている馬鹿議員・・

生活保護を受けている会員さんも多いと聞く。

選挙のたびに、手弁当で動員され・・

まるで詐欺と言っている人たちもいる・・

福島・宮城では、未だ、仮設住宅に暮らしている多くの方々・・

熊本もそうでしょう・・

庶民を忘れた議員・そして、億近い報酬をもらっているSG最高患部連中・・

そこに、庶民を守る、支える意識というものがあるだろうか・・・

また、この正月、テレビを久しぶりに・・・・

どこを回してもお笑いタレント・スポーツ選手を呼んでの番組ばかり・・

国民総痴呆化戦略が見事に・・
 

一会員さんの投稿!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 1月 8日(月)20時14分58秒
   「現場に智慧がある」――草創期からの口癖のように言われた指針でもあります。

 “一会員”さんの投稿をじっくり読んでみました。須田さんの宮田教授への反論が出た少しあとの投稿でした。10月12日投稿というのが心憎苦もあり、また、とても“一会員”さんものとは思えませんが(笑い)、含蓄ある内容のものです。この投稿、いまも残っているのでしょうか。
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/57965

 「現在の創価学会に必要なことって、こういう従来の創価学会の教義への回帰なのでしょうか。私は宮田幸一氏の論が完璧であるとは思いません。ただ宮田氏はこれからの創価学会の教義のあり方を示し、考える材料となり得ると思います」

 の箇所は面白いところです。

 そして、この“一会員”さんの仰りたいところは、
 【そもそも日寛の誤りは、弘安2年の御本尊を日蓮出世の本懐とまで持ち上げてしまったことにあります。
 弘安2年の御本尊を受持の対象としない、という風に曖昧な表現にして、創価学会本部は教学の転轍(※てんてつ=分岐)を図りましたが、明らかに今までの古参の学会員への配慮の上でのことであり、本来はそこを乗り越えたい】

 ということなのではないでしょうか。(※は筆者註です)

 これは、ほとんど「本尊問題」ですね(笑い)。

 ほんの少し前に、四條金吾直筆の御本尊が当板に投稿されました。

 もし、「意味」としての“大御本尊”が“帰命”の主題だとするなら、四條金吾直筆の御本尊が有り、そこに大聖人が梵字の「不動明王、愛染明王」と花押「日蓮」を記されたというのが事実であるとすれば、「本尊論」の意味はすでに整っています。梵字は訓練で描けますから、その相藐を確認する作業と、“花押”を押すだけの時代が目前なのかも知れません。

 日興上人、四條金吾直筆の御本尊に、梵字と花押を認(したた)められる微笑ましい大聖人のお姿が浮かぶようです。

 「日蓮こいしく・をはせば常に出ずる日 ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり、又後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」(国府(こうの)尼御前御書1325㌻)。



 PSアルベアさん、
 やっと、アルベアさんのいう意味が解りました。
 「自我機能は思考・概念、自己機能は生体現象、意識機能はエネルギー現象」ということなのですね。つまり、「思考・概念」から「生体現象」の事はわからないと。


 

仮面

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2018年 1月 8日(月)19時48分55秒
  北京へ到着。

旅の徒然(1)・・

明日の予定確認が終わり、いま、ホテル。

韓国系飛行機のスチュワードさん方をここ2~3年、観察をして来ての結果・・

残念ながら、ほとんどの乗務員さん方は整形済み顔・・・

8割ほどでしょうか・・

同じ目、動かない顔の筋肉・・

顔面の筋肉は、通常ちょっとした動作、感情の動きで、微妙に変化しますよね。

ところが、整形済み顔はその筋肉が動かないことを発見(分かるのが遅いか・・)

綺麗ではあるけれど異様な感じ・・

もし、嫁さんがこんな顔だったらやですね__

また、ある時、ある国の空港で見かけた韓国航空会社乗務員さん方の集まり。

そこにある顔、顔、顔がほぼ同じ・・

心の中で、笑っちゃいました(申し訳ない・・・)

今回の発見は整形顔は横向いても、上むいても、下向いても同じ顔・・つまり、顔の筋肉が動かないので

まるで、仮面をつけているような、いや、仮面ですアレは・・(キッパリ)

仮面が動いているような感じです。

美しい人は、どんな表情(変化)でも美しいわけですが・・

整形顔は、ずーっと同じ顔のまま・・気持ち悪いものですぞ・・

整形の大小もありますが・・でも、すべて、仮面

近い、将来、整形顔とはが・・全部分かってしまう状態になれば、

逆に整形した人は敬遠されるようになるかも・・

でも、結婚も整形同士なら許されるか・・

直弟子の仮面をかぶった自称直弟子、最高患部の仮面をつけて幹部会で踏ん反り返った面々・・

仮面舞踏会ならず、仮面幹部会・・

仮面は仮面、みんなはしっかり見つめています。

だから、正義ヅラした悪人が最も危険ですね。

誰かさん、今度はメガネをかけての全国壮年部長ですか・・

ん・・髪が?? 増えてる?
 

ペロ様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 8日(月)19時13分52秒
編集済
  ペロ様  投稿日:2018年 1月 8日(月)18時39分56秒

質問有難うございました

Q⇒「ラジオ体操と律動法をすれば自然に「非二元」「悟り」現象がもたらされます。」

とのことですが、お題目と御本尊は不要なのでしょうか?

大聖人、三代会長の御指導では、お題目と御本尊の大事さを強調していると思いますが?

A⇒私のスタンスとのことで投稿しました。

ペロ様の考えで決める事です。

私は、お題目・御本尊・組織等は必要ないと至ったのです。「体感・体験」です。いわゆる退転

者かもしれません。

「思考・概念」の世界の人にとっては必要な事と思いますが、

現実的に私が見ると、聖教新聞・大白等も全て「思い込み」「信じ込み」「上書き」と言う動機

付け・条件付けが日々繰り返され、条件付けられている方々が多く、歓喜もなく疲弊している学

会員が多いです。

昨日の新聞「2月から励まし週間を設定」とのこと、愚考です。「励まし」という言葉にしかすぎ

ません。歓喜は体感することです。

自我機能は思考・概念の世界です。

自己機能は生体現象の事です。

意識機能はエネルギー現象の事です。

この見極めができない限り「お題目と御本尊が大事」となるのです。「思考・概念」の選択だからです。

ブッダ以降の仏教各派の教祖の面々は「思考・概念」で全てを捉えていたのです。

選択するのは自分自身の事です。


 

虹と創価家族さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 1月 8日(月)18時48分21秒
  いつも励ましてくださってありがとうございます^^

昔。親戚の友達が遊びに来てるときに勤行をしたらむちゃくちゃ
驚かれたことがあります。

「ええっお経ができるの!?」と坊さん以外がお経をとなえたのが
衝撃的だったみたいです。

世界の平和と一切衆生の幸福を毎日祈ってるのも知らない人がおおいと
思います。
 

アルベア様に質問です。

 投稿者:ペロ  投稿日:2018年 1月 8日(月)18時39分56秒
  「ラジオ体操と律動法をすれば自然に「非二元」「悟り」現象がもたらされます。」

とのことですが、お題目と御本尊は不要なのでしょうか?

大聖人、三代会長の御指導では、お題目と御本尊の大事さを強調していると思いますが?
 

「いわゆる折伏できても、創価学会には入会させません。」個人の自由だからです。私のスタンス

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 1月 8日(月)18時01分23秒
  「いわゆる折伏できても、創価学会には入会させません。」個人の自由だからです。私のスタンス

ここ3年ほどで「アルベアさんみたいになりたい、自分を変えたい、どうすればいいのですか」

「アルベアさんも創価学会なんですか」等のいわゆる入会希望者が多数います。全てお断りして

います。

私は「宗教の時代は既に終わっているから、宗教を薦めません。」「宗教とは、その時々の教団

支配と服従の構図からぬけきれないものです。もし創価学会に入会したければ他をあたって下さ

い」とお断りしています。

Q⇒では、アルベアさんは、なぜ学会員なのですか

A⇒「冠婚葬祭・盆暮れ正月の儀礼にしかすぎません」

Q⇒では、私はどうすればいいのですか?

A⇒ラジオ体操と律動法をすれば自然に「非二元」「悟り」現象がもたらされます。「思考・概

念」は必要ないのです。いかなる宗教も「思い込み」「信じ込み」「上書き」の支配と服従関係

であり、あなたを救済するものではありません。気づけばいい事です。

Q⇒ラジオ体操と律動法を毎日やればいいのですか?

A⇒そうです。なぜならば心身の活性化がもたらされ「気づき」がもたらされるからです。

「神」「仏」「成仏」「昇天」「宿命転換」「煩悩即菩提」「即身成仏」等と言っても「思考・

概念」で現象化している人はいません。「思い込み」「信じ込み」「上書き」でその宗教に期

待・依存しているだけです。映画「沈黙・サイレンス」の世界です。「神」「仏」は沈黙したま

まなのです。

スピリチャル系・真言系等の宗教では「心の浄化」を言いますが、「浄化されている人はいませ

ん」先ほど述べた「思い込み」「信じ込み」「上書き」です。全てが人間の自我機能の働き作用

なのです。

「生命の本質」「エネルギー現象の本質」は、自分自身の体感によりもたらされるのです。教

団・本尊・教義・祈り等は自我機能の世界の事です。「生命の本質」の「気づき」のためにラジ

オ体操と律動法を行えばいいのです。

新陳代謝を活性化させるのが自分自身の身体運動なのです。自我機能も新陳代謝により変わって

いくのです。身体運動には「思考・概念」は必要ありません。人間であるいじょう皆同じです。

「宗教の時代」「宗教による支配」は今、崩落しています。「宗教」ではなく「個人の気づき」

の時代が既に始まっているのです。古今東西の宗教の害毒は「思考・概念」に意識を置く事にあ

るのです。生命現象である自分自身は、全てを含む「現象体」なのです。

エネルギー現象・生命現象にダイレクトに関与することが「身体運動」なのです。

「自我機能」「思考・概念」による世界は既に終わっているのです。

多くの人々は「死後」にわかるのです。

昭和43年(1968年)の高等部研修会の折

池田先生に質問しました「広宣流布が進むとどうなるのですか」

先生は答えてくれました。

「今の禅宗・真言・念仏宗や神社のような状態になるんだよ。」と、

当時は「へ~、そうなのか、学会も同じようになるんだ」と

50年経過し、その意味が現実の現象として起きているのを感じています。

松下幸之助氏が「先生もう一つの創価学会を作っていただければと思いますが」と対談で語って

おられる場面がありますが、松下氏も池田先生も既に見通していたように思い返されます。ちな

みに当時の上田高等部長・平井副高等部長の面々が参加していました。

参加者のほとんどは1995年までに副会長となっています。「思考・概念」の方々です。
 

タイムボカン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 1月 8日(月)17時03分25秒
  『新・人間革命』30巻まで続いて、いよいよ「終」といっておいて「楽しみにしてください」と軽く結ぶでしょうかね? もっと感慨深げにのべられそうなものです。

恐らく『誓願』にからめてまたお得意の「師弟(?)誓願署名」とやらを打ち出してくるでしょう。いかにも師匠への誓願に見せておいて、実は失効部には逆らわないという「誓約書」。そしてこれをコソッと御宝前に置いて、池田先生が勤行されたとかって記事が聖教に載るのでしょう。
実際、歓喜を失った現場はそんな「タマ」を与えてやらないと家庭訪問にも行かない、と幹部は思っている。私にはよくそんなタマツクリの仕事が回って来ていました。
そして「誓約書にサインしないものは査問しろ!」と、あぶり出すために、また余計な時間が使われることになる。可哀想な学会員です。

もう一つ見逃せないのが“痛快なる「魂の独立」を果たす”ということで、「2014年の教義変更」(大石寺だけじゃなく大御本尊も切り捨て)も池田先生が認めていたように「印象付け」して、また歴史を曲げる。こうして後出しジャンケンで『教学部レポート』『遠藤文書』を切りに来るのでしょう。
そして第30巻単行本化・文庫本化の時には『大山』『雌伏』で突っ込まれたところを濁して、また書き換える。また歴史を書き換える。『タイムボカン』シリーズみたいだ。
「会憲」のことも同様に池田先生が認めたかのようにねじ込むでしょう。
『誓願』。ますます目が離せません。
 

査問だとか除名だとか軽々しく言うんじゃないよぉ!

 投稿者:創価査問センター  投稿日:2018年 1月 8日(月)16時46分26秒
  あのなァ、最高権限を持つ執行者はなァ、慎重にぃ、真剣にぃなあ、吟味してよ、どうしたらよいかな、真面目に考えてよ、悩んで結論を出しているんだよなぁ。だから、その慎重な姿勢、真剣な話を茶化すような話をするのは僭越なんだよ。分からないだろうがな、オクゴウの心労があるわけだな。奥業じゃないぜ、先生の本に書いてあるはずだ、よく読んでくれや。
けっしてなァ、気分や嫉妬で査問だとか除名だとかなんかやってないの。大変なんだよ、俺たちはな、こんな事やりたくないけどな、組織を護るためにはな、排除する、駆除することもやぶさかじゃないと。会則に書いてるだろ、書いてなかったか?よく読んでないんであんまり詳しく言えないけどな、ちゃんと覚えておけよ!
お前らはな、大切な会員なんだよォ、俺たちのためにな、役に立ってるんだからよ!よろしくな!

それからよ、日曜日の聖教二面の写真はな、古い写真だからよ、訂正するぜ。これが俺の真実の姿ですよ。
バックはね、西洋名画「銭の戦い」だよ、凄いだろ、感動してくれ!
 

陋巷に留まり新しい地図を描く②

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2018年 1月 8日(月)16時42分32秒
  創価学会が日本社会の縮図だというのなら、個々の学会員はそれぞれどのような社会を理想に描いているのか?

今も昔も世間一般Peopleから問い掛けられているのはそこなんだが、己が所見を堂々と開陳出来る会員は如何ほどの数あろうものか?
時の流れは逆らえず……否、つねに時の流れに身を任せ、時代時代を支配する価値観をまるごと肯定し、体制護持の御楯を買って出る。

現職総理の口から「日本は古来より天皇を中心とする“神の国”」等々放言が出た時点で連立離脱事由になるはずなのに、しなかった公明党の現在の姿はむべなるかな。
それを許容し支援し続けた学会員諸氏が今日に到って安倍政権の専横で不利益を被るのも自業自得と言えるのだ。

戦時中の隣り組、国防婦人会、、、今は創価学会、実働部隊の婦人部。。

日本社会の病理・悪弊、悪習・因習がこれほど濃厚に表れたコミュニティは他にあるまい。

  ----- -----

「確かに創価学会という団体じたいはおかしい。が、この信心は素晴らしい。日蓮仏法は正しい」
・・・と、他人に法を説いたとて、
「いや、おまえ、そこの構成員の自覚がまだあるなら団体じたいを何とかしろよ。話はそれからだ」
と、返されたらそこでオシマイ。。

連帯を求めて孤立を恐れず……まずは自活。ソロ活動の地力を蓄えられているや否や。

「依拠する集団があってこそ生かされる自分」という倒錯した論理、
規模の大小を問わず集団への帰属意識に支配される日常から抜け出せないがために、
「功徳」だの「福運」だの「宿命転換」だのと目くらましのマジックワードを全面に押し立てた「仏法対話」となる。

結果、グキョウする側もされる側も、せいぜい半径5メートル程度の細事にしか意識が向かぬ生き方に甘んじる。
家庭の安全、ささやかな名聞利得と引き換えに“無形の神札”を額に貼られ、この世を覆う不条理から目を背ける。
宗教はアヘン、とはよく言ったものである。。

時代の趨勢を読み解き、大局観に立った物の見方を養わずして「民衆の幸福」は語れない。
気分を害する方がおられるかも知れぬが、例えば2005年に都議選があったことを知らないか、忘れているような見識の程では正直なところ話にならない……。

「幸福」を祈られる側の“民衆”のほうが、よほど世の中の現実、暮らしの問題が見えて、何をすべきかが分かっている。
「折伏」に来た世間知らずで夜郎自大な学会員の語り口調に「なに寝言ゆーてんの」と冷笑しているさまを承知しよう。
 

30巻で完結

 投稿者:蘭夢  投稿日:2018年 1月 8日(月)16時34分4秒
  30巻で完結

http://6027.teacup.com/situation/bbs/78205
>「楽しみにしてください。」は無いかなぁ。

楽しみというのなら

http://6027.teacup.com/situation/bbs/64770

『あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
  夕闇せまりて 一人 歩むを』

この時、先生の中で何が起こったのか
教えてください。

戸田先生の獄中の体験

最初に描かれた、戸田先生が出獄された時の内容で終わりだなんて、嫌です。
それでは、師匠だけで。弟子のエピソードがない。師弟不二のドラマになりません。
戸田先生は出獄された時、壊滅した学会、そこからたった一人で闘いを始めた。
そして、山本伸一もまた、最愛の弟子に裏切られ、たった一人から再び、闘いを始めるのだった。
ここに、師匠から弟子へ、師弟不二の悟達は継承されたのだ。
そして、そこから反転攻勢された、これを描かねば。

今、失効部により、大変な状況です。

師弟不二の悟達を継承した弟子達の反転攻勢が求められています。


『あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
  夕闇せまりて 一人 歩むを』

この時の先生の生命と同苦し、先生が見たであろう。
また、戸田先生が見たであろう、その事を体感していかねば。

そこにこそ、明日を切り開く、生命力の根源のヒントがある。

「誓願」という言葉だけでは、何も伝わらない、わからない。

なぜ、「誓願」なのか、その意図、その本当の理由を明かさねば

そう思いませんか?

それとも、執筆されている方は、先生ではなく、深いところは書けないのですか?

最後の章、わずかでも、後に続く人に、何かを残していただける内容であって欲しい。
 

文京区議(当時)は除名されたけど

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 1月 8日(月)16時08分10秒
編集済
  不倫の現場が生々しく報じられた文京区区議の場合は除名処分なのですが、今回
問題になっている方々は議員辞職だけで除名にまで至らないのですか?

訴訟されたのが刑事か民事かは分かりませんが、訴訟の有無だけで、除名される人と
議員辞職・離党で済む違いがあるのなら今回の2国会議員への「除名無し」は情実的な処分対応と言われても仕方ないのじゃない?
党への迷惑度は国会議員でもあることや目前に迫っていた総選挙への悪影響も考えたら文京区議(当時)どころじゃないでしょう。

以下当時の公明新聞引用
一、こうした不祥事に都本部長として、誠に断腸の思いであり、議員辞職願を提出しているとはいえ、党都本部として事態を極めて重要視し、除名処分とした次第です。
 一、ここに、重ねておわび申し上げますとともに、今後、再び、こうした不祥事を起こさないよう、全議員が立党の原点に立ち返り、初心に戻って戦ってまいる決意でございます。
http://www.komei.or.jp/kensaku_files/2001/01/24/011.htm


区議は、女性問題をめぐるトラブルで浦和地方裁判所に訴えられ、二十二日に同地裁で証人尋問を受けた。このことについて規律委員会は、同議員に対し、都本部において弁明の機会を与えたところ、事実を認め、悔悛(かいしゅん)の情を明らかにした。また、同議員は文京区議会に議員辞職願を提出した。
http://www.komei.or.jp/kensaku_files/2001/01/24/010.htm

引用以上
 

コンペー様

 投稿者:冬空  投稿日:2018年 1月 8日(月)15時38分39秒
  いつも、拝見させて頂いている者です。
私も同感です。
物凄い違和感を覚えました。

聖教もう駄目かも・・・
 

考えることは罪悪である

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2018年 1月 8日(月)14時34分25秒
  有難い組織につき切って打ち出しのままに動き切っていく。思考は罪悪である。我見の罪は大きいと言わねばならぬ。  

陋巷に留まり新しい地図を描く①

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2018年 1月 8日(月)13時57分58秒
  どうしても「できあいの宗教」の存続を前提にするしか広宣流布を語れない人がいる。

教団であれ国家であれ、依拠する集団があって自己形成が図れるという倒錯した論理を克服できないが故に、
前文で「主権が国民に存することを宣言し」た憲法制定から七十年、いまだ主権在民の真の理解に至らない。

昏睡レイプ犯が野放しにされ、アベトモどもが特区ビジネスで利権を貪る“美しい国”は必然の結果である。

 ・・・自分が今どんな時代状況、社会構造の中で暮らしているか、冷徹に俯瞰し省察できてこその「信心即生活」・・・

今さら執行部に「~していただきたい」などと要請して何とする?何になる?
一宗教法人のブンザイで「最高法規」だの「取調」だの「出頭」だのと夜郎自大、勘違いの度が過ぎる究極の世間知らずども相手に諭して如何する?

足元からまさに地歩を固める作業を。身近な存在から広げゆく理解の輪を。。

地域の実情を顧みずバカスカ建てた会館・施設で閑古鳥が鳴くのを尻目に、
24時間いつでも誰でも気軽に集える場所を、皆で育て皆が育つ拠点を一つ。

焚書・禁書を免れた一冊一冊、時間を掛けて手元に揃え保管場所を確保し「私設図書室」として開放を。

今の「法悟空」がどこのどなたか存ぜぬが、、、
誰であれ他人に書いてもらった“正史”に依拠して己れ自身の過去を整理するということは、
誰であれ他人が気まぐれに語る“未来”に己れの今後を委ねるのと等しい愚かな所業なのだ。

 

原田及び執行部の面々よ(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時56分23秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

おい(# ゜Д゜)原田偽者会長よ

『学会員でありながら公明党を支援できない者』や執行部の批判をする者や挙げ句はお前たちのぼろが出て不思議に思って質問したものまで査問し、内々で処分しているのだろう(# ゜Д゜)

時代遅れの次元の低いクズどもよ(# ゜Д゜)

お前たちが行っている人権侵害は必ず歴史に残り何百年何千年と悪名が語り継がれていくぞ(# ゜Д゜)

安倍首相の権力と今や与党の公明党の議員たちにお前たちの悪行を握りつぶさせて居るのだろう(# ゜Д゜)

しかし何時までも国民を騙すことは出来ないぞ!クズどもめ(# ゜Д゜)

あの処分通知の文面(# ゜Д゜)

警察のトップか?裁判所のトップ?にでもなったつもりで居るのだろうか?

自惚れるのも大概にしろ(# ゜Д゜)

馬鹿が┐(-。-;)┌全国各地にあの様な文書があの駄文で残されていることだろうヽ(^○^)ノ

あの様な時代錯誤も甚だしい文面がやがて全国民の目にも入るときが来るだろうヽ(^○^)ノ

世の中お前らが考えてるほど甘くねーぞ(# ゜Д゜)

覚悟するがいいヽ(^○^)ノ

怯えるがいいヽ(^○^)ノ

『怖いよ~恐いよ~お母ちゃん助けてよ~っ』

お前らなど誰も助けちゃくれね~よヽ(^○^)ノ

これから楽しみだ(^o^)



  
 

仏と成るか、地獄の使いとなるか、二つに一つ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時50分13秒
  埼玉県日高市在住のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏と、同じく日高市の政治学者、大森美紀彦氏が中心になって「SA9(憲法9条を支持せよ)」キャンペーンを始めているそうだ。

国連総会で、憲法9条の支持決議の採択を目指す壮大な運動だ。

「戦争の放棄と戦力不保持をうたった9条は、世界から戦争をなくす最強の武器だ」という認識は完全に正しい。ノーベル賞も目指すべきだ。

トランプやアベが、戦術核の使用を本気で考え始めている今、世界中の国を巻き込んだ強力な反対の潮流を起こさなければならない。
とりあえず、コスタリカやアイスランド、モナコ等の非武装国、スイスやスウェーデン等の平和条項を持つ国々に賛同を求めて行く様だ。

この東京新聞の記事、カメラも文も女性の様だ。菅官房長官にずっと噛みつき続けている望月衣朔子氏といい、東京新聞の女性記者は頑張っている。美しく輝いて見える。

本来的な平和主義者として、女性の力に最も期待された池田名誉会長。
その期待をものの見事に、完全に裏切っているのが、自公とダーハラ執行部を支持する婦人女子達だ。
どんな美人であったとしても、私にはすごくブサイクに見えてしょうがない。公明党の佐々木某などいい例だ。私は大嫌いだ。あれではただの腹話術人形だ。

大聖人迫害のきっかけとなったのも、極楽寺良観に心酔する幕府要人の妻達。夫に大聖人の悪口を吹き込んだ。
ヒトラーを真っ先に支持したのも、戦争してでも生活向上が第一という婦人達だ。ドイツの壮年達は当初ヒトラーの事を、「あんな奴はダメだ」と言っていた。

ローマ神話の戦いの女神ミネルヴァは自衛戦争しかしない、オルレアンの少女ジャンヌ・ダルクにしろ、ドラクロワの絵画で有名な「民衆を導く自由の女神」マリアンヌにしろ、正義の側民衆の側に立っているからこそ美しく輝くのだ。

カラスを白いと言い、救急車は黒いと言うダーハラ執行部などに騙されている様では、話にならない。

真実が見えないのか見ようとしないのか、どちらにしろ、それでは池田先生の弟子とは言えない。

御書に、世界中のすべての男性の悪業を集めても、1人の女性が持つ悪業より少ないという一節があって驚いた記憶がある。

法華経以前の仏教が、何故そこまで女人と二乗を嫌ったのか、よくよく考えるべき時が来ている。
法華経を保つ女人が、男以上の力を発揮するのは間違いない事だ。
しかし保っているものが法華経でなくなってしまえば、何をか言わんやだ。

池田先生の昔からの指導を読み返してみることだ。
その全てが、ダーハラ執行部と公明党を批判する文証になっている事に気がつくべきだ。
ダーハラが支配する、今の政教珍聞の指導ではない。

いち早く気がついて既に戦いに加わっている女性は特に素晴らしい。まさに師弟不二、法華経の行者だ。破壊力がもの凄い。(笑)

釈尊の弟子の中でも最初に成仏したのは8歳の畜身、竜女だ。
ジャンヌ・ダルクやマリアンヌの様に今回の戦いも、歴史的決戦の先頭に立つのは女性の様な気がしてならない。







 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時48分52秒
  >「楽しみにしてください。」は無いかなぁ<

 同じ思いでした。



 

新人間革命 第30巻で完結。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時45分6秒
  新人間革命が30巻で完結すると発表された。
最終章は「誓願の章」に。
少し違和感のあるメッセージでした。

そして、本日は、一点、報告があります。それは、今、連載している「勝ち鬨」の章に続いて、最終章を執筆し、タイトルは「誓願」たします。…引き続き楽しみにしてください。

先生ならこんな感じではないでしょうか…

ここで、今、私が執筆している新人間革命についてご報告させていただきます。今、綴っている「勝ち鬨」の章に続き、次章を最終章としたいと思います。そのタイトルは「誓願」、師弟誓願こそ永遠に崩れない師弟の絆です。
…ぜひとも、さらなるご支援の程、宜しくお願い致します。

「楽しみにしてください。」は無いかなぁ。
昔は、立派な文責の方々もいたのに。



 

北朝鮮

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時26分46秒
  たったいま、ソウル空港到着・・

ここから、北京へ・・

北京でビザを取って平壌・北朝鮮へ・・

と行きたいところですが。

今は、時間的余裕も予算もないので(苦笑)夏ごろまでに、行けたらいいなと・・・

政治家が行かなければ、民間外交、北の大地に題目を染み込ませたい。

飛行機から着陸前にかすかに見える、北の大地、景色はとても綺麗でした。

あの先に北朝鮮があると思うと・・

心が急く・・

北京に行くのに、いま、韓国の航空会社が一番安い・・

みなさん、怖がっているのでしょうか・・

日本人が一番、危機意識が高いと言いますから

私も内心、ミサイルが~とか、戦争が始まったら~とか・・

短いカキコですが、搭乗時間が来たので失礼します。

あとは、北京から・・
 

Re:定期検査  寝たきりオジサン様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時20分4秒
  >本年初めての定期検査に行ってきました。もう十五年のかかりつけのお医者さんですが今日初めて学会のことについて質問してきました。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78141

素晴らしい体験のご投稿に感動しました!
なによりも「諸天」と言えるお医者様と巡り会えて良かったですね。
診察の中で、15年も闘病され勝ち抜いてきた姿。
その生き抜く姿こそ、広宣流布だと思います!

きっとその医師は、発病された時からの担当医ではないかもしれません。
その医師に巡り会える15年前以前の労苦を想うと、寝たきりオジサン様とご家族のご心労は、大変なものではなかったのではないでしょうか。

虹は、今の担当医に巡り会うまでは、病状の改善が進まず、中には医療ミスを受けた事も数回ありました。手術の門前払いも数回受けました。

病状が好転しない日々。
一進一退。24時間病気と向き合ってきました。

人生の半分以上を病と共に過ごしてきました。
しかし諦めず、人生を信心に賭けたその先に、道は必ず開くのですね。

「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」
諦めない勇気は、池田先生を始め家族や同志の支えがあってこそ保たれました。

これからも、寝たきりオジサン様とご家族が幸せに包まれるよう祈り続けます。
お互いに健康長寿の人生であるように。


PS
>みなさん、学会では普通でも一般的に見れば凄いことやってるらしいですよ~<

忘れがちな大切な視点を、体験を交えて語るところが凄い!
さすがです!\(^o^)/

 

ダーハラ会長、公明党を支援できない学会員を弾圧してないか?

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2018年 1月 8日(月)11時43分28秒
  本音と建前の使いわけ 誰かが言ってた表向き ご都合主義ね  投稿者:真実
投稿日:2016年 2月12日(金)14時05分9秒   通報

「党支援は個人の自由です。」
池田先生(2001年毎日新聞公式インタビュー



「学会員が公明党以外の政党を支持することも理屈としてはあり得る」岡部広報室長(2016年2月11日フジテレビ)



理屈としてはあり得る。(本音は違うけど。ペロ。
だって組織が成り立たなくなるから役職者は外れてもらうし。ペロ。公明支援反対は村八分にしてやるからな。ペロ。)



ストレートに言わない闘争圏外だw

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虹さま
ユーチューブありがとうございました。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=yb5MwfWfL_0

>原田会長と執行部の皆さま。<

>安保法制反対デモに参加している方々を「共産党」とレッテルを貼らないでくださいね。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/38895
 

執行部の批判について

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 1月 8日(月)11時25分49秒
編集済
  創価学会では、広宣流布を進めている会員が一番尊く偉い。
今日も、悩める友の為に祈り、時間を作り、対話を進めている。
今、折伏しているその方々が仏であり、学会の宝です。

逆に、折伏をしていな人間は、どんなに偉そうな事を言っても信用出来ない人間。
「今の創価学会がダメだから、折伏していない」なんて言う人は広宣流布を諦めた敗北者。

残念ならが、現場会員が見えていない人もいる。
現場会員が見えていない人物に、民衆の心は分かりません。

民衆の心を知らずして、池田先生を語ることはできません。
池田先生が心から愛された民衆。
民衆の幸福のために創価学会も日蓮仏法もあるのです。

除名されても活動停止になっても、折伏を止めない人がいます。
池田先生の指導を根本に、対話を諦めず、奇跡的な体験を生み出すその姿に心が動きます。
その方々は、新たな広宣流布の道をつくる人たちです。

そのような方々を処分した執行部の懐の狭さが、残念で仕方がない。
なぜ、池田先生を師と仰ぎ広宣流布を進める人を処分するのだろうか。

創価学会の問題児こそ、最高幹部が徹底的にしつこい位に向き合って、何があっても諦めず相手の心を変える位の懐の広さを見せて頂きたいものです。

さて、除名申請通知書が投稿されました。
ここに執行部の言い分がある。

■除名申請通知書
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78091

>インターネット上の掲示板に当会の執行部を「極悪」などと批判する投稿を始め、平成28年2月からは当会を除名された者らと連携して執行部批判の活動を行うようになり、同年7月以降所属組織の患部から繰り返し指導・注意を受けても改めずに執行部批判の言動を続けたものである。
被申請者のかかる行為は、当会の指導に反し当会の秩序を乱すものであるとともに、会員としてふさわしくない行為であって、当会もしくは会員に迷惑を及ぼすものである。<


なるほど、なるほど。
執行部を「極悪」と批判することは、学会の秩序を乱し、会員としてふさわしくない行為であり、他の会員に迷惑をかけるという事だ。

確かに、事実の確証のないデマに尾ひれを付けて、執行部を批判するなら、それはよろしくない。
ましてや、事実の確証のない事で一般会員を巻き込むなら、それは迷惑極まりない行為です。

しかし具体的に、金銭問題・女性問題のように、問題の事実があった場合は別だと思います。
実際に公明党の長沢・樋口のように、女性問題の事実を元に批判するなら、何も問題にならないはずです。


さて事実を元にし、1点だけ厳しく執行部を批判させて頂きます。

問題なのは、聖教新聞2017年6月14日3面、新・人間革命「新・人間革命 雌伏68」の内容です。

この内容は明らかに史実と違い、池田先生のご発言ではないのです。
その証拠として、(故)森田理事長、(故)辻参議会議長の証言が御座います。

添付した文証の大白蓮華[1992-3]特別号(P.67~69)では「真実」が語られているのです。

なぜ、池田先生が書いていない文章を、まるで先生のご発言のように、新・人間革命に掲載してしまうのか!そして訂正もせず、放置しているのか!
このまま池田先生に泥を被せたままで良いのでしょうか!!(怒)

執行部は一日も早く新・人間革命の訂正をして頂きたい。
これを放置するなら、明らかに池田先生にご迷惑をおかけします。
そして師匠を守れなかった弟子の存在を、うやむやにしてしまいます。
また、新・人間革命を学ぶ青年部に、史実と違う内容を教えているのです。
この問題を放置するなら、執行部として適任では御座いません。

執行部は一日も早く、新・人間革命の訂正を!
事実を元に師の正義を宣揚してこそ、後継の弟子と言えると思います。

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新・人間革命 雌伏68
聖教新聞2017年6月14日3面

 戸田城聖の二十三回忌にあたる一九八〇年(昭和五十五年)四月二日付の「聖教新聞」に、山本伸一の「恩師の二十三回忌に思う」と題する一文が掲載された。
 そのなかで、彼は呼びかけた。
 「広宣流布の前進を亡失したならば、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか」
 彼の胸には、常に恩師が生き続けていた。慈折広布に生涯を捧げ尽くした勇姿が、瞼から離れなかった。そして、その戸田の弟子らしく、自身もまた、広宣流布に邁進し抜いて、この一生を終わるのだという思いが、強く、強く、込み上げてくるのであった。
 さらに彼は、この原稿のなかで、「大聖人の仏法の実践は、後退を許さぬ生涯の旅路である」と記し、名誉会長として、インタナショナル会長として、同志のために、平和と文化のために、一段と力を尽くしていくことを宣言したのである。


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※新・人間革命「雌伏68」の引用先


恩師の二十三回忌に思う
創価学会名誉会長 池田大作
聖教新聞 昭和55年4月2日1面

※新・人間革命引用部分は【  】で表示(2か所)

ともあれ、いたずらに時を過ごし、改俊(かいしゅん)のみにとどまり、【広宣流布の前進を忘失したならば、宗開両祖の御精神に背くことになるのを深く恐れるのであります。
 私どもは、以上を踏まえつつ、ふたたび、勇んで広宣流布のため、民衆救済の前進を開始してまいろうではありませんか。】
 昭和33年4月2日。桜花咲き驚るなか、恩師は逝かれました。以来22年間、私は「七つの鐘」の総仕上げを願って走りに走りつづけてまいりました。この間、恩師のあの岩をも抜く大確信、あの五体から逆(ほとばし)りいずる大情熱、そして、あの秋霜にして烈日の指導-そうした恩師の言々句々が、私を勇気づけ、私をして疾走に向かわしめずにはおきませんでした。私にとっては、今日までの長い星霜の一日一日が「4月2日」であったと申せましょう。今は「七つの鐘」の総仕上げを終え、創立50周年の住節(かせつ)を刻むことができ、不肖の弟子なれども、その喜びと誇りと満足は、なにものにも代えがたいものであります。ともに尽力してくださった会員諸兄に対し、厚く厚く感謝申し上げるのみであります。
 しかし、私の胸には、今もなお恩師が生きつづけております。広宣流布に尊い生涯を捧げ尽くされたその勇姿が、瞼(まぶた)から離れません。恩師がそうであったように、私もまた一個の信仰者として、広宣流布に遭進して、この一生を終わるのだとの責任が、つのるばかりであります。
 信仰とは、生涯にわたる課題であり、いな三世にわたる追求でなくてはなりません。
「詮(せん)ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期(ご)とせん」私の会長就任時に、かたじけなくも、日達上人が贈ってくださった御聖訓であります。立場は異なったとはいえ、広宣流布、へ向かう信仰は変わるものではありません。いやまして月々年々に高まらなくてはなりません。【大聖人の仏法の実践は、後退を許さぬ生涯の旅路である】からです。

(全文)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

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※『恩師の二十三回忌に思う』は当時の執行部が書いたと証言した、(故)森田理事長、(故)辻参議会議長の文証


さあ、民衆仏法の時代へ 辻参議会議長に聞く〈15〉
聖教新聞1991年12月14日3面
添付文証:大白蓮華[1992-3]特別号(P.67~69)


以下は、森田氏(理事長)の証言を抜粋

P.67森田 …結論を言えば、あの「恩師の二十三回忌に思う」は、宗門からの指示を受けて、当時の執行部で相談をして出したものです。まことに申し訳ないことですが、すべて先生が泥をかぶってくださったんです。

P.68~69森田 … それがあの4月2日の寄稿文になったのです。その時、先生は「私は知らないよ。これで収まるのであれば、それでいいだろう。しかし私はあなたたちの言いなりになったことだけは、ハッキリ覚えておくよ」と、厳しく一言、言われた。それを聞いて、私たちは断腸の思いでした。しかも内容については、執行部が作成した原稿を一切、添削しないようにとお願いしたんです。
 しかし、先生は、あくまでも法主を守るため、僧俗和合のためにと、その事情を汲んでくださった。学会員を守るためならと、了解してくださったんです。それで宗門の言い分をすべて容れた内容で、聖教新聞に掲載になった。それが「恩師の二十三回忌に思う」という謝罪文でした。

P.69〈事実、宗門の意向に沿って執行部で作成した「恩師の二十三回忌に思う」の原稿は一字・一句たりとも加筆・訂正できない圧力があって、そのまま掲載された。結論していえば、名誉会長は黙認させられた。58年の山崎正友の恐喝裁判の時には、名誉会長は、証人として真実を語らねばならないので「宗門の指示を受けた学会首脳から、原稿を作成して懇請されたので了承した」と証言している〉

 

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