秋田の映画館の歴史を背負って、おれはTwitterをしたりだらだら仕事する!
パッとはじけたいと紅白で西野カナは歌った。
さすが西野カナさん、わかりすぎる。全女性を超えて37歳男性の気持ちまで共感させてしまう。
年末くらいパッとしたい。どうでもいいことまで贅沢にやってみたい。たとえば仕事の合間にだらだらとTwitterを見てしまう。あれを贅沢にしてみてはどうだろう。
そこで映画館を借り切ってみた。西野さん、こういうことで合ってますでしょうか…
雪のつもった秋田県の映画館
秋田県大館市の映画館御成座では個人貸切ができる。その金額がすごい。1人2時間で1300円である。ふつうに映画見てる料金だ。今日は映画見るかな、それとも貸切するかなと悩めるのである。
映画を見てると思いきや「やっぱり個人貸切だ!」とお客さんが言い出したらどうなるのだろう(※)。「おれもだ!」「おれもおれも!」大名が乱立した戦国時代みたいなことに映画館がなってるのかもしれない…
※上映してない時にかぎり個人貸切可能だそうです
寒波の影響で今年は正月前の秋田にもどかどか雪が積もっているようです
新年一発目の映画は『ララランド』ちゃんと映画館として開館している
渋い。年季の入った映画館だ。だが今日は大北(筆者)のパソコン部屋である
おれのパソコン作業前に座るソファがこれだ。ゆっくりしていってほしい
地元の方がボランティアで描いてくれてるという映画看板。でかい。大変だこれは… こうした歴史や背景を踏まえてパソコンし放題二時間に突入するのだ
年季の入った映写機…今度はこれでマインスイーパーを
復活して3年の間にたくさんのサインが。柴咲コウもライブをしたという。そして今やおれのTwitterがスクリーンにかかる…サインも置いていこう
雰囲気しかない!
年季の入った映画館である。クラシック映画のポスター、はげかけた案内板、大きな映写機、ここにもあそこにも歴史を感じる。
入った瞬間に息をのむほどにものすごい雰囲気。この味わい深さをなんと形容したらいいか、10分くらい考えたのだが思いつかなかったのであきらめて雑にいきたい。実におばけが出そうな映画館であった。
定員200名がおれのTwitterを見て全員がいいねを押してくれたら…
これらの背景をふまえたうえでTwitterをする
こうした歴史や背景をふまえたうえでだらだらとパソコンで仕事をするのだ。大それたことだ。免許とりたてでフェラーリに乗るようなものだろうか。
いや、この映画館はパソコン作業用にできてないので本来の使用法ではない。だから例えるなら、免許とりたてでスペースシャトルに乗り込むようなものではないか。
"もったいない"とかいうレベルではない。よく考えると"わけがわからない"のだ。
さすが200席…すごく立派だ
石油ストーブが数台(冬の貸切時は暖房費で+1000円)。古代生物が何億年もかけて作ってくれた石油がおれのだらだらのために…
プロジェクター(使用料として+800円)にパソコンをつなぐ。ブルーレイディスクを持ち込んで個人で見たいものを上映するのが一般的な使い方のようだ
映画館に積もった歴史の上に今
劇場に入るとじわっと感動をおぼえる。
座席が200。見える。この映画館の歴史で毎日だれかがそこに座っていたのだ。観客の面影が見える。彼らが今みんなおれのためにいる。
そして石油ストーブが数台。一番近くに1台あればそれで済みそうな話だが劇場全体を暖かくすることに意味がある。これも見た目の「おれのために」感がすごい。
PCからのHDMI端子をプロジェクターにつなぐ。
1952年開館の御成座のオープニング作品はゲイリー・クーパー主演の『暁の討伐隊』だったそうだ。そこから65年の時を経て、今Dreamweaverをたちあげてのふつうの仕事がはじまる…!!
おれはいまスクリーンでふつうの仕事をしている
読みにくさがすごい
まず感動したのが映画上映直前にあるスクリーン幅微調整の「ウイーン」音。うわーっ、これがおれのパソコンのために…!! と、感動と申し訳なさが同時にあふれでる。
そして今や大きなスクリーンがヨコ1920pxタテ1080pxのモニターとなった。すごい、すごいぞ。これは、なんていうか……読みにくい!
ショックだ。今までスクリーンはずっと「いいもの」でありつづけたいわば神聖なものだったがここにきてはじめてマイナス評価がくだった。「字が小さくて読みにくい」である。
どこからどう見ても完全なイチャモンである。
贅沢しようとして映画館にきて一般的なモニターの視認性のよさに気づいてどうする。ここからなんとか至福の体験を手に入れたいものだ。
遠くて字が読みづらかったので一番前で作業することになった(キーボードがワイヤレスなので動ける)。今後自分の中で一番前は「パソコン席」と呼ぶことだろう。
200人の映画ファンの英霊たちが「早く書け」「そんなこと書くのかよ」と作業の進捗を見守る!!
大いなるひけめ
やってることといえばこの記事の文章を書くようなことである。誰でも読めてある程度の満足いくものを…料理でいえば王将のラーメンを作ってるようなものだろうか。
しかしこのスクリーンである。あきらかに器がでかい。ラーメン一食なのに器は炊き出し用の鍋。炊き出しを求めて並んでる方の視線が痛い…
といっても、もちろん誰もいない。スタッフの方も設定だけしてくれてあとはご自由にどうぞと退席された。しかし無人であるはずなのに恐縮がすごい。
200席のどこかに人がいて「へえ、そんなこと書いちゃうんだ…」と思われているような気がしてならない。すいません! すいません! 生まれて、すみません!
大いなる「ひけめ」を感じる
だんだんと集中してきた
しかし人間はふしぎと慣れる。作業を進めていくとだんだん恐縮もマヒしてきた。
文字の読みにくさも視線をその付近にだけ集中すれば気にならなくなってきた。そうだ、スクリーンということで全体を見てたが、モニターは一部分しか見ないものだ。
となるといよいよこれは大きなモニターとなり、一番前の席にキーボード、後方のプロジェクター付近にパソコン、そしてモニターがスクリーンで椅子が200……もんのすごくでかいデスクトップパソコンのようなものが今完成した!
スケールがでかい! 集中した今、だからなんだというわけではないことがわかったが、とにかくおれの作業のスケールがでかい!
作業に飽きてきたから息抜きにTwitterでも見るか
ニュー・シネマ・パラダイスのラストシーンを思い出した。貸切の映画館で主人公は思い出のフィルムを見る、。そしえ一人むせび泣くのだ
「今映画館のスクリーンでTwitterやってるんだけどやりづらいよ」とツイートをする
投稿した内容もスクリーンに反映される
うわあ、なんてどうでもいい…(おれのニュー・シネマ・パラダイスのエンディング)
Twitterも1.5倍くらい良く見える
スクリーンというものは今まで良いもの、お金や手間暇や心を込めた作品を映し続けてきたのだなあとつくづく思う。
おかげで今Twitterを見てるにもかかわらず、何か良いものを読んでるような気になっている。
デイリー編集部の藤原がコミケで何か売っているという。その情報をスクリーンで読むと、ああ、なにか、売ってるんだなあ…という「何にも言ってないけどただ感慨深い」状態になる。ちょうど実家の祖母がそんな状態であった。
感覚としてありがたさは1.5倍はある。
それは映画館で見る「NO MORE 映画泥棒」映像をありがたく拝見するような感覚でもある。ただの注意書きであるはずが、一つの作品と捉えてしまう。
この記事における写真もただTwitterを見ていると思わずに、『ニュー・シネマ・パラダイス』の感動的な音楽をかけてTwitterを見ていると思っていただければ。それくらいのよさはある。
デイリーポータルZの動画コーナー・プープーテレビも大スクリーンで見るとよりどうでもよさがきわだつ。心底どうでもいい…
自分たちの公演映像なども大スクリーンで見られる。ホームビデオ鑑賞などもすればよかった。しかし大いなる照れが待ち受けていることだろう…
外に出るとフロアにはうさぎがいる。なぜ…
うさぎをかわいがりに来たというお客さんが来た。なぜ…
ファミコンがたくさんあって自由にやっていいらしい。人の家感がすごい
ここを寮にしようとした社長さんはもうここに住んでるらしくご家族の自転車がある。アットホーム感を超えてまぎれもない人の家なのだった
アットホーム超えた劇場にて
もう大体わかったなというところで作業をやめて外へ出た。後にも先にもこういうどうでもいい贅沢をすることはないのだろうなと思った。
1,300円で一人で借りてしまっていいのだろうかという気がしてくる。スタッフの遠藤さんはぜひどんどん使ってくださいという。
東京から借りにきたりする人がけっこういるらしい。あの作品をもう一度スクリーンで見たいものだ…という望みならたしかにここで叶えられるな。
他にも音楽イベントや舞台、劇場だけ借りて音響実験をやってた方もいるらしく、器の大きな劇場だなと思う。
外へ出るとうさぎがいる。劇場で飼ってるらしい。ファミコンがあったり子供の自転車がある。アットホームなという感覚を超えて人ん家感がすごい。
ただの雪国にある温かい映画館ではない。劇場の温かみを超えた、なんでこんなことになった!という何か突き抜けた力でこんなサービスがあるのだなと思う。この奇跡的なサービスをただただありがたがろう。
大館駅前には駅弁大会で賞をとる鶏めし弁当の花膳があり、鶏めし弁当になれます