馬馬馬越がインターネット上で粘り気のある実に気味の悪いバズり方をしている。
馬馬馬越とは、自称岩本町芸能社所属の天才タレント馬越健太郎によるファースト・シングルである。
馬越健太郎が何者かについてはこちらの記事を参照して欲しい。7000字近くあるが耐えろ。むしろ7000字にまとめたことを褒めて欲しい。
http://grapefruituhr.hatenablog.com/entry/2018/01/06/032341
彼を飼育している企業がこちら
岩本町芸能社HP
岩本町芸能社withあんたま Twitter
この記事を執筆する数日前まで馬馬馬越の再生回数は数百再生程度だったが、馬越健太郎がネットリとバズり始めてからは7000再生を突破、また僕が勝手に編曲した馬馬馬越(GF Club Remix)もYoutubeに投稿してから1日で1000再生、前述した馬越に関する記事も2000PVを突破している。ふざけんなよ。俺のオリジナル曲は1ヶ月経っても500再生とかだぞ。
前回も述べたが僕は岩本町芸能社及びあんたまをみんなに知ってもらいたいが為にこの記事を書いている。正直もう馬越健太郎などという馬のフレンズの記事なんて書きたくない。カドカワに行け。しかしこうしてまた僕が記事を執筆しているのには大変重大な理由がある。Twitterでのこちらのやり取りを見て欲しい。
じゃあやってやろうじゃん。
売られた喧嘩は言い値で買ってやる。お前の安易な単芝リプライが一人の岩本町芸能社erをその気にさせたということ、その事実を必ず後悔させてやる。この記事読んで吐いても知らんからな。嘔吐した場合はすぐにうがいをし、十分な水分を取ったあと病院で適切な診察を受けましょう。
ではこちらが件の動画と歌詞の全文である。
馬馬馬越
馬馬馬越 / 馬越健太郎
1.2.3.4.
馬馬馬越馬馬馬越馬馬馬越健太郎
Yeah!
path!
馬馬馬越馬馬馬越馬馬馬越健太郎
俺は天才俳優「馬越」
知らねぇ奴はモグリ
夢見よう俺とファンタジー
お前と感じるシンパシー
Yeah!
馬馬馬越馬馬馬越(Uh!)馬馬馬越(here!)健太郎
こんな時代だお前ら
いつだってそう歌えば
見えてくるだろ光が
どこまでも行けるフォーエバー
Yeah!
馬馬馬越馬馬馬越馬馬馬越健太郎
Uh!
Yeah!
何回読んでも気味の悪い歌詞である。今回は歌詞を一行ずつ考察していく。
1.2.3.4.
序盤にギリギリ聴き取れないぐらいの、じゃあもう入れなくていいんじゃんってくらいの音量で入ってくる「ワン、ツー、スリー、フォー」。和訳すると「いち、に、さん、し」である。恐らくビートが入る前にリズムを取る為カウントを取っているものであると思われる。なお馬馬馬越はBPM120で固定であり、バンド演奏を録音しているわけでもないので本来ならば必要無い。しかしあえてこのカウントを入れることにより実際に演奏しているのような印象を与え、楽曲にグルーヴ感を付与している可能性がある。もしこれが僕の読み通りならもうちょっと音量上げろよとだけ言いたい。
馬馬馬越馬馬馬越馬馬馬越健太郎
楽曲のメインにもなっているこのフレーズ。"馬"とは、「ウマ目のウマ科に属する動物の総称」を意味する言葉である。
一部の科学者からは日本の伝統的な民謡「前前前世」をオマージュしているのではないかという指摘が挙げられている。しかしこの意見には少しばかり間違いがあり、馬馬馬越が前前前世をオマージュしているのはタイトルだけである。当時、馬馬馬越を初めて聴いたインターネット・科学者達の中でも特に鋭い者はタイトルの時点で前前前世との関連性に気づいていたが、実際にスピーカーから流れて来たのはオリジナルの気だるいフレーズであった。筆者も一応前前前世の歌詞を確認してみたが他にオマージュと思われるフレーズは見つからなかった。
というか無理矢理こじつけようとすればこじつけられるのかもしれないが今の僕にそんな体力は無い。明日のあんたまラジオのことで頭がいっぱい。月曜夜19時からYoutube・SHOWROOM・ニコニコ生放送にて配信されます。
Yeah!
Yeahである。音楽においては主にラップを用いたヒップホップなどでしばしば確認される。多くの人間はこれを特に意味の無いフレーズと捉えているかもしれないが、辞書などでは「Yes」と同義であるという旨が示されている。つまり馬越健太郎はこのYeahを用いて何かを肯定しようとしている可能性が高い。それが果たして聴き手に向けられた肯定なのか、それとも岩本町芸能社に半妖として生み出された自分の存在意義を肯定しようとしているのかは定かではない。我々にはバーチャルケンタウロスの感情など一生理解できないだろう。
path!
同じ感情抱いた方もいると思うが、楽曲の合いの手としては珍しいフレーズである。ここに馬馬馬越の核心が隠れているかもしれない。まずはその意味を調べてみよう。
恐らく多くの人間がここでミスリードされたことだろう。「パス」と言えばスポーツ、特に球技の世界においてボールを別の選手へ送球する時に使われるイメージがあるが、その意味においてのパスはpassであり、pathは"道"を意味するものだったのである。彼は"道"を叫んでいたのだ。それは果たして彼が今まで歩んできた険しい獣道なのか。それともこれから彼の歩むバーチャルケンタウロスとしての道なのか。
一応今まで出てきたフレーズをその意味だけで表すとこうなる。
ウマ目のウマ科に属する動物の総称 ウマ目のウマ科に属する動物の総称 自分の苗字 ウマ目のウマ科に属する動物の総称 ウマ目のウマ科に属する動物の総称 自分の苗字 ウマ目のウマ科に属する動物の総称 ウマ目のウマ科に属する動物の総称 自分の名前
はい!
道です!
以上である。筆者は今一度嘔吐した。
生放送のキャプチャを見て回復を図る。可愛い。
次に進む。
馬馬馬越馬馬馬越馬馬馬越健太郎
二回目である。腹立つ。
俺は天才俳優「馬越」
この文章から彼は天才で、かつ俳優であるということが読み取れる。実に強気なフレーズである。
本来、馬という生物は大変に臆病な動物だが、彼は馬馬言ってるものの実態はケンタウロス。人としての知性を持ち、かつ馬のパワーを兼ね備えた、むしろ天才などという言葉では表せないクリーチャーである。ここで「ケンタウロス」について学んでおこう。その原点はギリシャ神話である。
ケンタウロスは野蛮な者が多いが、それが全てではなく、 ケイローンやポロスなどの功労者・人格者も存在した。
つまりケンタウロスは一括りにできるものではない。人間同様、名があり、心があり、それぞれに歴史があった。その中には不死である者も存在した。
そして彼は「天才俳優」であることを自ら語っている。
このことから、馬越健太郎もまた古代ギリシアにおける偉人級のケンタウロスであった可能性が示唆される。彼が何故バーチャルの世界に顕現したのかは現在の科学では究明できないが、彼も不死であるという可能性は捨てきれないだろう。
知らねぇ奴はモグリ
数多の科学者を混乱に陥れたこのフレーズ。
もし前述した通り彼が古代ギリシアの偉人であるならば、そりゃ知らねぇ奴はモグリだわな。知らんかったけど。とにかく、このフレーズを堂々と歌い上げるという事実が、彼が古代ギリシアの偉人だったことを強く裏付けている。だって、知らねぇ奴はモグリなんだから。知らんかったけど。というか「モグリ」って言葉自体久しぶりに聞いた。今の小学生は知らない言葉だと思われる。
ちなみに「モグリ」は漢字に直すと「潜り」であり、「ある集団の中に勝手に入り込み(潜り込み)、その一員であるかのようなふりをしている人」を指す。
転じて他人を集団の一員として認められない時や、よそ者の事を揶揄する言葉として使われる。
つまり、彼の言う「知らねぇ奴はモグリ」とは、「俺を知らねぇなんてお前本当にケンタウロスか?」である。我々はケンタウロスではない。
夢見よう俺とファンタジー
彼は自己紹介を済ませた。この時点で我々は彼を「知っている側」の存在になったのである。つまり我々はもうモグリではない。ケンタウロスでもないが。むしろファンタジーなのは彼の存在である。
このフレーズは彼が我々の存在を肯定し、共に幻想的な未来を追い求めようという意味を持つ非常に前向きな言葉なのではないか。現代において、人類はお互いを差別しあい、争う。しかし彼はケンタウロスの身でありながら、我々人類と友好的な関係を築こうとしているのではないか。非常に懐の深い馬である。彼が我々をケンタウロスとして認識していないことを願うばかりだ。
お前と感じるシンパシー
言っておくが彼と人類がシンパシーを感じる日は来ないと思います。このフレーズに関しては特に面白い文章が思い浮かばなかったので割愛する。だってシンパシー感じねぇもん。
Yeah!
Yeahである。
馬馬馬越馬馬馬越(Uh!)馬馬馬越(here!)健太郎
3回目。Youtubeの動画に低評価を押した人はこのあたりではないかと睨んでいる。合いの手のタイミングが中途半端すぎるんだよな。
こんな時代だお前ら
いつだってそう歌えば
見えてくるだろ光が
ここはまとめて3行で。
「こんな時代」とは、前述した通り人と人が憎しみあい争う現代である。しかし彼はそれを歌にするのだった。「お前と感じるシンパシー」と違い、こちらは「お前ら」と複数形。我々人類のことを指しているのは明らかだろう。そしてここで着目して欲しいのが、彼が我々に歌わせようとしているのは「こんな時代だ」ではなく「こんな時代だお前ら」という点。
彼は半妖として、そして不死の身として長い時間を過ごしてきた。
その中で彼は見てきた。人と人とが争う様を。終わりの無い憎しみを。
彼は気づかせようとしているのではないか。我々の種としての愚かさを。
「この歌を聴いて、自分の意図に気づくものは必ずどこかに、少なからずいるはずだ。そんな人間にこそ歌って欲しい。"こんな時代だお前ら"と。」
そうすれば人類は理解する。こんな時代にしたのは、紛れもなく我々なのだということを。
同じ人類であるにも関わらず、お互いを別の種別かのように捉え、排斥してきた。
こんな時代だお前ら。こんな時代だお前ら。
声をあげろ。
こんな時代だお前ら。
そうすれば、見えてくる希望がある。
みんなが手を取りあって、同じ夢を目指す未来が。
彼は上半身人間、下半身馬である自分の姿を見て、「別の種族のように見えても、繋がれるんだ」と人類に伝えることが自身の役目なのだと感じたのではないだろうか。
現代において流行を見せているバーチャルの世界をプラットフォームにしたのも、まさに合理的な判断と言えるだろう。
「いつだってそう歌えば 見えてくるだろ光が」とあるが、これは「いつの時代でもそう歌ったたら光が見えるよね」ではなく、「常にそう歌うことによって光が見えてくるんだ」と解釈できる。
馬馬馬越を通じて、筆者のような"気づきし者"が現れ、そうした者達が"こんな時代だお前ら"と歌う。"気づき"を分け与えていく。歌の力が、全てを繋げていく。歌い続ける。
そうすれば、きっと我々は、
どこまでも行ける、フォーエバー。
馬馬馬越馬馬馬越馬馬馬越健太郎
4回目である。
Uh!
Uhである。
Yeah!
Yeahである。
☆結論☆
お前俳優じゃなかったっけ。
僕は岩本町芸能社が大好きです。この記事を少しでも面白いと思ったなら、僕がドブに捨てた時間を少しでも憐れんでくれるなら、あんたまにも興味を持っていただけると嬉しいです。
あんたま、女優部のみんな、スタッフのみなさん、あと馬越、頑張ってください。応援してます。今回もネタ記事でしたが、僕の純粋な気持ちについては過去記事「拝啓 白藤環さん 鈴木あんずさん」をご参照ください。きっとあんたまに興味を持って頂けると思います。
岩本町芸能社HP
岩本町芸能社withあんたま Twitter
馬馬馬越
馬馬馬越 GF Club Remix
https://twitter.com/grapefruit_uhr/status/946785083582640128
ぼく
https://twitter.com/grapefruit_uhr