アメリカの人気ユーチューバーであるローガン・ポール氏が、青木ヶ原樹海で自殺した方の遺体を自分の YouTube チャンネルにアップし、後日謝罪したことが話題になっています。
アップした動画は私は問題部分を削除したレビューしか見ていないのですが、ご本人の謝罪動画とは異なり、どう見てもお化け屋敷感覚で青木ヶ原樹海に足を踏み入れて、亡くなった方をお笑いものにしているとしか思えませんでした。
発見した遺体の状態を見て、まるでおもちゃ屋で面白い人形を発見したように笑いながら大騒ぎし、遺体の状態をあれこれ喋りまくっていたのです。
以下は問題動画の文字起こしの一部抜粋を翻訳したものです。
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Logan: Hey, um, I really hate to say this I think someone hanging right there. I'm not even f**king kidding. Do you see it? This isn't a f**king joke guys.That's a f**king person.
Friend: I think you're f**king right.
Friend 2: Dude, what the heck? What the heck?
Logan: I've never seen a dead person.
Friend : You haven't? Logan: No bro. Friend: What the f**k? Oh my god, he's hanging.
Logan: Bro, did we just a find a dead person hanging in the suicide forest? Do you think that's real?
Guide: Well, it could be. Because one of my classmates in junior high, he really killed himself when he was only 21.
Logan: His hands are purple, he did this this, this morning.
Friend: Oh no, I'm so sorry about this Logan, this was supposed to be a fun blog.
ローガン:おい、超いいたくないんだけど、あそこに誰かぶら下がってんぞ。クソ冗談じゃねえよ。みえんか? 冗談じゃねえんだよ。人間だよ、おい。
友達:マジでそうじゃん
友達2:おい、なんだよ。何がおこってんだよ ローガン:死人見たのはじめてだよ
友達:マジかよ
ローガン:ねえよ
友達:なんつーこっちゃ。やべーな。ぶら下がってんよ
ローガン:おい、自殺の森で首吊りした人間みつけちゃったってこと?マジかよこれ
ガイド:えーそうかもね。中学の同級生が自殺したけど21歳だったんだよね
ローガン:手が紫だよ。これ、今朝やったんじゃね?
友達:うわー!!ローガン、超アンラッキー。楽しいブログのはずなのにさあ
出所 http://www.dailymail.co.uk/news/article-5240253/Y...
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そこには亡くなった方の苦しみや、自殺に至ってしまった人生、 残された家族のこと、 そして人間一人の命というものに対する尊敬も痛みも全く感じられませんでした。
さてそもそもなぜポール氏達は青木ヶ原樹海に足を踏み入れたんでしょう。
英語圏では青木ヶ原樹海に関するドキュメンタリーをテレビや新聞が特集することがあります。
富士山周辺の自然の不思議さを取り上げるものもあるのですが、 センセーショナルなメディアの場合は自殺の名所としてホラー映画感覚で取り上げているものが少なくありません。
ここ数年はネットのドキュメンタリー番組や個人ブロガーが青木ヶ原樹海に関する動画をアップしています。
例えば最近人気が出ているVice というドキュメンタリーチャンネルにも青木ヶ原樹海のドキュメンタリーがあります。
しかしそれらの大半というのは大変真面目なものも多く、 日本で自殺者が多い背景や社会的な圧力などもカバーし、バランスの良い番組になっていることもあります。(Viceが取り上げる日本は比較的バランスが取れています)
しかし中にはセンセーショナリズムだけを売りにする動画もありますので、海外の若い人の中には、青木ヶ原樹海を単なる肝試しの場と考えている人も大勢います。
ポール氏達もそのような軽い感覚で青木ヶ原樹海に足を踏み入れたに違いありません。
しかし彼らはなぜ遺体を発見して、面白いおもちゃを発見したように大騒ぎしていたのか。
これが日本人の若い人であれば、 遺体を発見して、まずは驚き、恐怖を感じるでしょう。亡くなった方が感じたであろう痛み、苦しみというのを想像してしまいますから。面白おかしく騒ぐことは不可能でしょう。
恐ろしさや痛みを感じる理由は、亡くなった方が、自分と同じ人間であったということ、 意思を持った人であるということという前提があるからです。
日本では少し前に東日本大震災の際の死亡者確認のことを描いた石井光太さんの「遺体―震災、津波の果てに」 という遺体安置所をめぐるルポルタージュが話題になり、この本を話題にした映画もヒットしました。 1980年代の日航機墜落事故に関しては、今だに当時の亡くなった方たちがどんな状況であったかということが話題になります。
このような本や映画が多くの人の心を動かすのは、やはり私たちが亡くなった方は同じ人間であり、 命がなくなるということを重く受け止めているからに違いありません。
その一方で、遺体 というのは生物学的に考えた場合は元々生命があった生物の亡骸に過ぎず、 タンパク質やカルシウムの塊にすぎません。
しかし我々は遺体を 見てもそのように感じることはありません。
目の前にあるのは肉や骨の塊なのにも関わらず、人間はそういう風には感じないのです。 やはりその理由は、相手が同じ人間であり、感情や想像力を持った人であったという前提があるからです。
ところがポール氏達の行いにはそういった意識を感じることがありませんでした。 あくまでジャングルで変わった生き物に遭遇したというような様子です。
彼らのリアクションを見ていて私はアメリカに住んでいた時のことを思い出しました。
アメリカというのは大変広い国ですので大勢の人がいます。 人種や宗教も様々で、教育レベルや外国に対する考え方も多様です。
アメリカの都会はまさにコスモポリタンで、多種多様であり、リベラルな雰囲気が支配しています。日本人の想像する先進的なアメリカはサンフランシスコやニューヨークシティです。
しかし広い国ですから外の世界のことを知らない人達が多い土地というのもあります。そういうところでは、21世紀になっても、人種差別的な態度をとられることもあります。
特にアメリカの南部の 荒っぽい土地というのは歴史的に東洋人が移民してこなかった地域ですから、日本人や韓国人中国人といった東洋系は大変珍しい存在です。
周囲の欧州系白人を 祖先に持つ人たちに比べると、我々の体はとても小さく顔つきも違いますし、みるからに外国人です。
そういった外国人に大変親切にしてくれる人がいる一方で、 無知な若い人達の中には、ビールの缶を投げつけてきたり、列を遮ったり、車から罵声を浴びせる人たちがいました。 若いから差別のやり方が粗野で洗練されていないのです。
そして大学では、とても意地の悪そうな白人の男子学生の中には東洋人学生を同じ人間という風には扱わず、常に上から目線で、その大きな体で、見下ろすように話したり、アクセント真似する人もいたのです。
クラスのメーリングリストで送ったメールに一箇所でもスペルミスがあると、他の同級生がいる前で「このスペルはこんなんじゃないんだよ」とまるで幼稚園生に注意をするようにいいます。それを見ていた彼らの仲間達はそのほとんどが裕福な白人で、一緒になって大笑いしています。彼らはこれをユーモアのセンスだといい張ります。
しかし、東洋人がこの人達のスペルの間違いを指摘すること、彼らが外国語が一つもできないこと、成績が外国人留学生に劣っていること等を嘲笑って、ジョークだと言い張ることは、外国人には許されないのです。そういう空気があります。
彼らはこういう嘲笑を、アフリカ系の人達やヒスパニックにはやりません。 アメリカにおいては少数派と言ってもその数が多く、背後には親戚や家族そして政治的な力を持った団体が控えているからです。何か差別的なことをいったりやったりすれば反撃されるからです。
ところが東洋系の場合は、彼らに比較すると数が多くはありませんし、政治的活動よりもビジネスや学業に忙しい人が多いので反撃しません。
それはおそらく「和を乱してはいけない」という祖先や自国の文化の影響もあるのでしょう。なんとなく薄笑いをして場を過ごすということが多いのです。相手は体が大きく特に男性だったりすると何をされるかわかりませんから、反撃は現実的ではありません。
大人になって東海岸や西海岸の大都市で専門職や大学の研究職になれば、周囲にそんなことをする人達というのはいません。 大人の世界では「やっていけない」ということを分かっている人達が多いので、思っていても外には出しません。それに外国旅行する人、知的レベルの高い人も多いので、そんな粗野なことは恥だと知っているからです。
専門性の高い職場は今やアメリカでも外国人や人種的少数派が大変多いのです。ちょっと英語が下手でも馬鹿にされるということはありません。 そんなことよりもお金を少しでも稼いだり、研究成果を出す方が重要です。
ところが子供の世界や頭の悪い学生の世界というのはそうではありません。 多数であるか小数であるか、多数の人達と 属性が同じかどうか、それによって社会でのポジションが決まります。
ポール氏達のイタズラや亡くなった方に対する態度は、多数派であることを片手にやりたい放題の人達を思い起こさせました。
ポール氏達は築地市場や東京の路上でも様々なイタズラ行いました。
お店の人や道行く人にポケモンボールを投げつけてぶつけたり、車の通りを邪魔をしたり、 トラックの後ろに捕まったり、タクシーに生魚を投げつけたりということです。
こんなことをニューヨークやロンドンでやったらすぐに警官がやってきて怒られます。下手したら逮捕です。 最近はテロでピリピリしている国が多いですから、その場で射殺されても文句を言えません。パリやロンドンにはセミオートのマシンガンを持った武装警官が歩き回っているのです。
欧州だとお客さんとお店の方は対等ですから、無礼なお客さんは追い出されたり、その場で怒られます。ポール氏達の様なイタズラをやるのは簡単ではありません。
日本では外国から来た人はお客様なのでとても寛容です。お店の人たちや街の人達は優しいですから、なかなか怒りません。
ポール氏のような外国人達はそれを知っていて好き放題やります。
また私は生魚や酢ダコを人に投げつけたことに大変な怒りを感じました。 食べ物を粗末にするというのは大変良くないことですし、 魚が差別の象徴的として使われていたからです。
英語圏では魚臭いというのは蔑称として使われることもあります。アメリカの田舎の方、特に内陸部に行くと 魚介類を食べない人が大勢います。日本人は生魚=ゲテモノを食べるといって、面と向かって差別をうけたりイジメられることがあります。 日本食というのは海外で日本人がいじめられるネタにもなるんです。
彼らにとって魚はゲテモノですから、人に投げつけたりして大笑いするものにすぎす、魚の旬や魚にまつわる季語を考えるような文化はありません。そんなゲテモノを日本人が大事にしていること、食生活の重要な位置を占めることを知った上で、あえて、路上で魚を投げつけたり、タクシーに放り投げたりしたのです。
アメリカの粗野な田舎では、学食で魚を食べていると、目の前で「お前は魚臭い」といってくるクズがいるのです。これは私が学生時代にアメリカにいる時に実際に起こったことです。そんなことをいわれても、日本人が少数派の土地では助けてくれる人はいません。周りの人達は一緒になって大笑いして「単なるユーモアだ」といい張ります。
英語圏で魚が臭いというのは「女性器の匂いがする」という意味で、最低最悪の蔑称です。
でも彼らは、ハンバーガーを食べている人に対して肉臭いとはいませんし、フライドチキンを食べている黒人に対して脂臭いなんていわないのです。
そんなことをいったらその場で逆襲されてボコボコに殴られるからです。アメリカなら銃撃されることもありますし、イギリスなら隠し持っているナイフで刺されることもあります。
でも 体の小さい私には、大きな白人の男子学生達を殴りつけるような腕力も気力もありませんでした。彼らは反撃しないのを知っているからやるのです。
ポール氏達の行いを見てさらに思い出したのは、第二次世界対戦の様々な記録映像や写真です。
あの戦いの戦闘では日本人やその他の人達は殺し合いました。アメリカ兵たちは亡くなった日本兵達の頭蓋骨や持ち物をアメリカにお土産として持ち帰ったり、 笑いながら、ボロボロになった遺体と写真を撮りました。
一方で、日本兵は アメリカ兵をまるで人形のように突き刺し、イギリス兵をヤギや犬のようにこき使って鉄道を作りました。
アメリカ兵が、ごく普通の人達が普通に暮らしているだけの街だということを理解していたら、広島や長崎に爆弾を落とすことを躊躇したに違いありません。日本兵は、相手にも親や子がいて普通に暮らしたいだけなのだと理解していたら、捕虜をこき使うことに罪悪感を感じたでしょう。
しかし当時の各国のプロパガンダ映画やチラシを見ると、どの国も敵国を同じ人間だと扱っていないのです。
人間ではないから爆弾を落としても何も感じることはありませんし、牛のようにこき使ったって何も感じません。笑いながら遺体と写真を撮ることだってちっとも怖くはないでしょう。目の前にあるのは単なるタンパク質とカルシウムと水分の塊で、同じ人間ではないんですから。
青木ケ原樹海の遺体を見ても、お化け屋敷の展示と同じようにしか感じないのと同じです。
異なる人種や外国人を人間扱いしないという行動は、究極的には戦争のような大変恐ろしいことを引き起こしてしまうわけです。芽は日々の生活の中に潜んでいます。
ジョークや悪ふざけたといういい訳に包んで、憎悪や偏見を生み出す芽を数百万人に配信して得たポール氏の2017年の収入は14億円あまりです。
これはジャーナリズムなのでしょうか?真面目に考えるべきではない娯楽なのでしょうか?麻薬密売人や武器商人と一体何が違うのでしょうか?22歳というのは、小さな子供で、憎悪や偏見を生み出すようなメッセージを配信しても許される年齢なのでしょうか?人様の国が大事にしている文化をバカにしまくっても許されるのでしょうか?路上で有色人種を殴りつけるのと一体何が違うのでしょうか。
日本では IPS 細胞の山中教授の研究所は研究資金が足りず活動の半分は募金活動に費やしています。 イギリスの病院は予算が足りず手術を受けられない人が大勢います。日本では真面目に頑張っても正社員にすらなれず、給料の少なさや親の介護費用の工面に悩んで自殺してしまう人が大勢います。
馬鹿げたことをする人達は何億円も稼ぎ、人のためになることをやっている人達が苦しんでいるというのはどういうことでしょうか?インターネットは人類の進歩と発展のために作られた道具だったはずです。倫理観が破綻した低能な人間が大金を稼ぐ手段ではなかったはずです。
私はポール氏にその資産の一部を自殺を防止する非営利団体や、自殺で家族が亡くなった方々のケアに寄付してほしいと思います。
そしてYouTube は反社会行動やモラルに反するような動画を投稿することで広告費を得る仕組みはやめるべきです。ポール氏が日本を馬鹿にすることで稼いだ広告費の全てを チャリティーに寄付するべきです。謝罪動画で稼いだお金も同じように寄付するべきです。
日本人にアメリカに行ってハンバーガーを車や人に投げつける動画を撮って配信しろとは言いませんが、少なくとも日本の人達はこの件に関してもっと怒るべきでしょう。
日本人は自分達が馬鹿にされること、差別されることには鈍感で気が付きません。日本にいれば差別される機会が殆どないからです。でも自分達の差別に怒ることは、国内の少数派を守ることにもつながります。それは彼らの痛みを理解するということだからです。
ユーモアというのは自分を笑うものであって、他の国や亡くなった人を笑いものにするものではないのですから。
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