2018-01-08
■Twitter創業物語 失敗するよりも成功するほうが嫌な思いをすることは多いかもしれない。 けれども 


昔買ったきり読んでなかった本が、Kindle版として出ていたので旅行中に読んでみたところ、夢中になって読み切ってしまった。
- 作者: ニック・ビルトン,伏見威蕃
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2014/04/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ツイッターの創業から成功、そして裏切りまでが克明に描かれた珍しいビジネス書である。
文体がとにかく読みやすい。こういう本はなぜか海外にしかないよね。だいたい日本の企業史は創業者自身の自伝という形で語られることが多いせいかわからないけど。
いろいろな人にインタビューをして丁寧に作られていることが伝わってきて、そして同時に、いろいろなことについて深く考えさせられる。
この物語の登場人物は、ブロガー(Blogger)を作り、Twitterを作るオデオ社に出資したエブ、Twitterのコンセプトとネーミングを考えたノア、そしてTwitterを最初に実装したジャック、そしてTwitterを初めて収益化したディック。この四人は、全てTwitterのCEOを経験している。
Twitterはまだ創立20年未満の若い会社である。この物語では、2006年から2011年くらいまでが舞台になっていて、わずか5年で4回もCEOが変わるというのは異常事態だ。
この四人はそれぞれがそれぞれの欠点と美点を抱えている。
エブは優れた指導者であり、高潔な理想主義者だった。彼がBloggerを開発したのは、「普通の人々がマスコミと同じような情報発信をできるようにするため」というビジョンがあった。BloggerはすぐにGoogleに買収され、エブはGoogleの社員になるが、学歴自慢しかしない同僚に嫌気が差して辞めてしまう。
エブは隣に住んでいたノアと友達になり、BloggerをGoogleに売ったお金の一部をノアの作る新会社オデオに投資した。
オデオには、学歴はないが理想は高いハクティビストたちが集まり、そのうちの一人がファッションデザイナーになる夢を抱くジャックだった。ノア、エブ、ジャックはそれぞれ孤独を感じていた。それぞれ人とうまく話をすることができず、友達に恵まれず、どこにいても他の人を感じられるように「ステータス共有」というアイデアを考えた。
ジャックは「ステータス共有」をするサービスを作ろうとし、エブは「今自分が感じたことや考えたこと」を共有するマイクロブログを作ろうとし、ノアはそうしたコンセプトに「Twitter」という名前をつけた。
ノアはオデオのビジネスをうまく軌道に乗せることができず、エブの資金に頼るしかなかったが、エブは資金提供と引き換えに自分がオデオ(後のTwitterの母体)のCEOになることを要求した。これは資金を溶かされた投資家としてはもっともな理由である。
ノアはTwitterのプロトタイプの完成に歓喜し、酔っ払ってIT関係者の集まるパーティで喋ってしまった。その他にもおかしな言動が目立ち、社員全員から疎まれたノアは追放される。
エブはTwitterの独立を決め、自分はCEOにならないことを決めていた。自分の個人的な投資会社の職務を優先し、Twitterは誰か他の人に任せたいと思っていた。ノアが居なくなり、エブがCEOをやらないというのであれば、Twitterの開発を担当したジャックしか相応しい人間はいないように思えた。エブとジャック以外の人間はエブにCEOになってもらいたかったが、エブは一歩引くことにした。
そこでジャック・ドーシーを初代CEOとしたTwitter社を設立した。これが災いの種となった。
ジャックは会社をコントロールしていることを示すため、中核のプログラマーを首にした。
ジャックによってTwitter社はめちゃくちゃになり、経営とはとても呼べない状態になった。障害は放置され、ジャックは間違ったエクセルシートで間違った資金計画を管理していた。これには全ての取締役が頭を抱えた。
結局、エブが泥をかぶる形でジャックを事実上降格し、権限なしの会長職へと追いやった。どうもアメリカのベンチャーでは会長職というのはそういうものらしい(スティーブ・ジョブズが会長だったときもジム・クラークが会長だったときもそんな感じだった)。
エブはGoogle時代の友人のディックを呼び寄せ、ジャックが溶かした資金を回収するための収益化プランを考えさせた。ディックはあっという間にMicrosoftとGoogleとのディールを成立させ、Twitterはようやく収益を上げられるようになった。
エブは順調にTwitterを成長させ、Twitterは社会インフラとなった。誰でも発信者になれるという、エブの描いた理想が実現したのだ。
会長職に追いやられたジャックはエブを逆恨みし、会長職という肩書を利用してマスコミをまわり、「自分がただ一人のTwitterの発明者である」と吹聴した。それが二年続くと、社外だけでなく社内でもその神話をみんなが信じるようになった。最後はエブの周囲の人間を影で操り、ついに復讐を果たし、CEOに復帰する。絶好調のTwitter社を率いていたエブは、突然の取締役会の裏切りに戸惑い、傷つき、静かに舞台を去っていく・・・。
どうにも後味の悪いストーリーだ。
登場人物はみんなそれなりに金持ちになり、生きることに不自由はなくなる。しかし一方で、権謀術数うごめくベンチャーというのは、失敗したときは笑って流せても、成功したときにはこれほどまでに骨肉の争いがあるものかと驚く。
似たような話はあちこちで聞くけれども、やはりTwitterの成功はスピード、規模ともに異常で、しかも全員が極度のコミュ障という問題を抱えている。
ジャックが頑張ってTwitterのチラシを配ったけど100人も登録してくれなかったエピソードとか、クリスタルという女子社員に恋をするが部下にかっさらわれる話などはなかなか面白いし、シリコンバレーにおけるサクセスストーリーが、中程度の大学を中退した人間の集団によって起きている点も痛快だ。ところどころに出てくるマーク・ザッカーバーグのチョーシに乗ってる悪役感もかなり邪悪な感じがして良い。
本書は基本的にエブ寄りに書かれているが、たぶんアメリカのマスコミで報じられているのが全てジャック寄り(というかジャックのひとり語り)の報道だからわざと極端にエブやノアに道場がいくように振ってるのだろう。
基本的に揉め事というのは上手く行った時に起きるものである。
僕は潰れそうな会社に絡んだことはいくつもあるので、潰れた会社の元社長や元社員が、それほど不幸な思いをせずにそれなりに楽しく暮らしているのをよく知っている。会社経営にとって、実際、失敗というのはそれほどでかいリスクではない。
ただ、やはり厄介なのは成功、しかも大成功をしたときだ。その時は必ず揉める。
揉めない方法というのはほとんどないだろう。
いつか読んだ本で、小室哲哉がデビューする前に、TMネットワークの他のメンバーに「今上手くいくかどうかよりも、成功してしまったあとどうしようかということを心配したほうがいい」と言っているのが印象的だった。さすが小室哲哉。もう最初から役者が違うのである。
株を持つということの意味、CEOとしての立ち回り、仕事が順調に行ってるときこそ敵に気をつけろ、と様々な教訓を与えてくれる。
特にTwitterが絶好調の時のエブは明らかに油断がある。エブは争いを避けるという傾向がもともとあって、それがいろいろなことの意思決定を遅らせていて、そこに不満を感じた社員がジャックにそそのかされて図らずもエブを追放する引き金を引くことになった。
なんと教訓の多い物語だろう。
Twitterのサービス方針が揺らいでるように見えたり、突然Twitterが邪悪に振る舞ったりするのは、まさにCEOがコロコロ変わる体制に原因があったのかもしれない。
人類全ての思いやつぶやきを一社が管理するには、この世界には多くの人々が居すぎだし、様々な問題に対して機械的にしか対応できていないというのに強い不安を感じる。
そしてジャックは今、再びTwitterのCEOに返り咲いている。
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