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「祖国を愛すること」と「米中韓への差別的罵倒」はイコールではない 2015.10.10
少し前の話になりますが、“いわゆる右寄りの知人”と議論になった際のこと。
とある問題に関して私が、
「あなたはきちんと自分の罪を認めて、謝罪するべきです」
と言ったところ、なんと相手から、
「謝罪謝罪うるさいんだよ。お前は韓国人か」
との怒号が返ってきて、なんとも辟易したことがあります。
まあ上記のエピソードは、あくまで極端な例。
しかし上述の件に限らず「一部の」右派の人には、どうも他国人を口汚くののしってしまう傾向が少なからずあるように思われます(あくまで、一部のかたについてです、多くのかたは理性的で穏やかだと思います)。
こういったことに対して、私としては、大いなる違和感を持ってしまうわけです。
自国が、近隣諸国や関係の深い諸外国との間に、政治的・経済的・歴史的な軋轢を抱えているのは当然のことでしょう。
だからこそ一般人がネット上で論争したり、メディアにおいて論客が激論を交わしたり、政治家や有識者が一般人には見えないかたちで戦ったりしている。
それは当然、あるべきことだし、むしろ推奨されてしかるべきと思う。
しかし、その議論の場において、「単なる人種差別発言」や「偏見と罵倒」としかとられない言葉が飛び交うのは、いかがなものか?
どこだったか忘れたけれど、いつか、「嘘つきを見たら『韓国人』と思うようにしている」とかいう文言をネット上で見たことがあって・・・(一語一句あっているとは思わないけれど、確かそんな内容だったと記憶している)
・・・私としては、「なんて恥知らずなことを!」とあきれ返ってしまいました。
隣国との間に問題を抱えているなら「純粋にその問題点について」戦えばいいのです。
にも拘わらず、なぜ、その民族や国民そのものを貶すようなことを平気で公言するのか。
「低レヴェルな差別的な罵倒」が日本人として誇り高い行為だとは到底思えないし、もしも立場ある人がそれと似たような行為をしていたなら、救いようがないほど下品。
というより、そんなことを平気で発言できてしまう時点で、とても私と同じ日本人だとは思えないなあ。
うーん、もしかしてあの人、実は違う国の人だったとか? (彼の言に従って、ある国のかたが嘘つきだと仮定して)。
とかね。
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